秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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第13話:模擬レース後のお昼ご飯

 お昼ご飯のために一旦解散した私たちは、美味しそうな匂いが乗った春の風に空腹を感じながらカフェテリアへ向かって歩いていた。せっかちなのか10バ身(25m)は先行しているリツさんが振り返り、両手を振りながら声を張る。

 

「早く来なよ!」

「リツが速すぎるんだよ」

「いい席取られちゃうでしょ!」

 

 トモエさんの言葉にもお構いなしと言わんばかりに、リツさんは再び駆けだした。

 

 大浪トレーナーたちは今後の予定の確認も兼ねて今日のお昼をトレーナー室で取るらしく、リツさんについて行くのは私とラフィさん、アダラのウマ娘ばかりである。

 

「歩いて行くので、先に行ってください!」

「わかった! ラフィとノヴァちゃんの席も取っとく!」

 

 ラフィさんは手をメガホンのようにして、リツさんに追いつこうと走り出したトモエさんたちに呼びかける。それを聞いたアダラのメンバーたちは走り出し、あっという間に見えなくなってしまった。模擬レース直後は息も絶え絶えだったネルさんやフユさんも全力疾走だった。ラフィさんと私、隣り合う2人だけがゆっくりとした足取りで歩いている。

 

「ノヴァさん、体調はどうですか?」

「大丈夫です。午前中じっとしていたので、午後からは走りたいくらいです!」

「ダメですよ? 倒れてしまったんですから、今日は我慢してください」

「はい」

 

 もしかして、他の先輩たちに先に行くように言ったのは私のためか。私相手にここまで心配してくれるなんて、本当に女神様のような人である。しかしその女神様は、模擬レースが終わった後からずっと元気なくウマ耳を垂らしたままだ。理由を聞かれたくないことかもしれないとは思うが、それがどうしても気になってしまう。少しばかり悩んだものの、他の先輩たちがいなくなった今がチャンスだろうと、ラフィさんの綺麗な目を見ながら尋ねてしまうことにした。

 

「ラフィさん」

「なんですか?」

「さっきのレース、勝ったのにあまり嬉しそうに見えませんでした。どうしてですか?」

 

 ラフィさんは立ち止まり、躊躇うように目を瞑る。その一歩前で、私はラフィさんの方へ振り返った。しばらく間を置いて瞼を開いたラフィさんが、いつもよりも暗い声で語りだす。

 

「……あまり、内容が良くなかったので」

「そうですか? 好位につけてトモエさんをきっちり差し切って、すごく格好良かったですよ?」

「ありがとうございます」

 

 柳の眉を下げて困ったように笑っている様子もまた美しく、見蕩れてしまう。

 

「でも、トモエはこの間のオープン戦で足を痛めて、まだ本調子ではないんです」

「えっ、トモエさん、オープン出てたんですか?」

「はい。トモエは自慢しませんけれど、オープンウマ娘なんですよ」

 

 オープンウマ娘とは何か。全ての競走ウマ娘の1割にも満たない、条件戦に出られない競走ウマ娘だ。条件戦はデビュー・未勝利戦から3勝クラス戦まであるので、オープン戦に出るようなウマ娘は既に4勝しているか、重賞で掲示板に乗るような実力のあるウマ娘ばかりである。多くの競走ウマ娘は1勝すらできずに引退するのだから、オープンウマ娘ともなれば初対面で自慢してきてもおかしくない。しかし、トモエさんからそのような話を聞いたことはなかった。話そうと思えば、春休みからいくらでも機会があったはずである。

 

「ただ、オープンに上がってからはなかなか勝てていないんです。この間はハナ差で負けてしまったのがかなり悔しかったみたいで、それを言うと機嫌を損ねてしまいますから触れないであげてくださいね?」

「はい」

 

 全力を尽くしてなお負けたとき、その差が僅差であればあるほど悔しいものだ。どこかでもう少しずつ無理をしていればその差を埋められたのではないかと、自分自身に怒りが湧いてくる。少なくとも私はそうだし、おそらくはトモエさんもそうなのだろう。

 

「話を戻しましょうか。トモエはシニア級のオープンウマ娘で、私はクラシック級の未勝利ウマ娘です。実力的にも私がそうそう勝てる相手ではないんですけれど、それでも相手が怪我をしていてようやくクビ差勝ちと言うのは、褒められたものではありません」

 

 ラフィさんは胸の前で指を組み、目を伏せる。長い睫毛が少し震えていた。

 

「もっと言うなら、ネルとフユにあまり着差をつけられなかったことも不安です。あの2人は今年ジュニア級でデビューする予定なので、さっきのレースでは先頭からあまり差をつけられることなくゴールできれば上々でした。ですから、あの2人があまり着差なくゴールできたこと、それ自体は喜ばしいことです。でも、デビュー前の子に追いつかれかけるようでは本番が心配で……」

 

 頭にぴっとりとくっついてしまうほどウマ耳が垂れている。尻尾もほとんど揺れておらず、元気のない様子が見て取れた。

 

 どうにかして自信を持たせてあげたいと思った時には、ラフィさんの固く組まれた手を両手で包んでいた。

 

「大丈夫です! 勝てます!」

 

 私の声を聞いたラフィさんが、深い翠色の目を丸く見開く。

 

 完全に根拠無し、考え無しに行動してしまった自分の行動に驚いてしまう。ラフィさんなら勝てると思っていることは事実だが、今の不安いっぱいなラフィさんに無責任な応援が果たして響くだろうか。

 

「そうでしょうか……」

 

 やはり、すぐに眉を下げた困り顔に戻ってしまう。今の精神状態で明日レースに望んで、良い結果が出せるだろうか。無理だろう。ウマ娘は精神の生き物だ。同じウマ娘でも絶好調の日と絶不調の日では、発揮できる能力に大きな差が出てしまう。こうなったらもう、ラフィさんがある程度調子を取り戻すまで畳みかけるしかないだろう。

 

「はい! ダイユウサクさんだって、最初はずっと負けっぱなしでしたけど有馬記念で勝ちました! だから、ラフィさんだってここで勝って、GIにだって勝てます! 今がダメでも次で、次がダメでも次の次で勝って、だから……!」

 

 後付けで根拠を並べようとして、結局勢いになってしまう。ラフィさんに似た境遇のGIウマ娘なんてダイユウサク――ダイサンゲンではなかった――くらいしか知らないので、あっという間に尻すぼみだ。

 

 必死な様子の私を見たラフィさんは少し目を見開いた後、ふにゃりと笑う。そして私が手を添えている固く組んだ指を解いて、私のことを抱きしめた。体操服越しにラフィさんの柔らかな感触が全身を包み込む。ラフィさんの首元に鼻が埋まり、様々な匂いが混じった何とも言えない匂いが鼻を擽る。香水や制汗剤の匂いに混じって汗の匂いもするのに、不思議と不快ではない。ラフィさんの腰に手を回して、私からも抱きしめ返す。心臓が高鳴り、全身が芯から暖かくなっていき、頭がふわふわとする。

 

「改めて、ありがとうございます」

 

 鈴のように澄んだ声には、少し自信が戻っているように思えた。正直言って、今の状況は私の方こそありがとうございますである。

 

「ノヴァさんが信じてくれているのに、私が私を信じていないのはダメですよね。弱気では勝てるものも勝てません。そうでした」

 

 ラフィさんが腕を緩める。名残惜しいが、このまま抱きしめていても迷惑だろう。私も腕を解いて一歩下がる。ラフィさんの目には、模擬レースで見た強い意志が戻っていた。

 

「……それでは、急ぎましょうか! リツたちを待たせてしまっていますし」

「はい!」

 

 しっかりとした足取りで歩きだしたラフィさんの後をついて行く。

 

 私は知っている。ラフィさん――メジロラフィキは将来、障害GIを走ると。日本においてそれはつまり、平地では大成しなかっただろうことを意味している。けれどウマ娘の将来は誰にもわからないのだ。たとえ根拠がなくとも、私はラフィさんが勝つと信じたい。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

「いくら何でも、おっそいよ!」

「ごめんなさい、リツ」

「すみません」

 

 完全にお冠のリツさんに、ラフィさんと一緒に謝る。見学中は今何をしているのか、ラフィさんと一緒に丁寧に教えてくれるほど優しかったので、どうやらお腹が空いていると気が立つタイプらしい。

 

「まぁまぁ、リツはサンドイッチを食べましょうね」

「むぐぉ」

 

 ローズさんが一切の容赦なく、私たちの座った席の真ん中に山盛りにされたBLTサンドをリツさんの口に突っ込んだ。キリリと立ち上がって不機嫌ですと主張していたリツさんの眉が、口をもごもごと動かすたびに上機嫌に寝ていく。

 

「んふー。美味しい(おいひい)!」

「ラフィとノヴァさんの分も含めて、サンドイッチをまとめて取ってきてしまいましたけれど、良かったですか?」

「私は大丈夫です!」

 

 朝に体調が悪かった割には、お腹が減っている。BLTサンドの香ばしく焼けたベーコンとパンの匂い、カツサンドのソースの匂い、フルーツサンドの甘い果汁の匂いが食欲を刺激する。

 

「紅茶はどうですか?」

「もちろん、抜かりなく」

「流石はローズですね」

 

 ラフィさんは紅茶が用意済みと聞いて、ニコニコと笑っている。無理をしている様子もなく、どうやら完全に弱気を吹き飛ばせたようだ。

 

 リツさんがすでに幸せそうな顔で食べている横で、私たちは食前の挨拶をして食事を始める。6枚切りの厚めの食パンに様々な具材を挟んで半分に切ったサンドイッチが、1人当たり1斤半は用意されている。リツさんが食べているのを見てすっかりその気分になっていたので、私もBLTサンドに手を伸ばす。カリカリのベーコンの塩味と新鮮な野菜の食感、焼けた肉と小麦の良い匂いが五感を刺激する。

 

 ラフィさんたちの会話に相槌を打ちながら美味しいBLTサンドを3つほど食べた後、「そればかりでもな」とカツサンドに手を伸ばす。そのとき、話題がラフィさんの今日明日の予定に移る。

 

「ラフィ、明日は福島でしょ? 桃買ってきてよ」

「今は旬じゃあないですよ?」

「えっ、そうなの? 残念……」

 

 1人で2斤分のサンドイッチを早くも平らげたリツさんが落ち込んでいる。半斤分はローズさんが分けていたもので、「餌付けしているみたいで楽しいですよ?」と言っていた。それにしても、満腹の時に食事の話をできるとはすごい食欲だ。オグリキャップ相手は無理でも、スペシャルウィークが相手なら大食いでもいい線に行けるだろう。リツさんの小柄な体のどこに栄養が消えているのかはわからないが。

 

「代わりにお菓子買ってきますから」

「本当? ラフィのお土産はいっつも甘くて美味しくていいんだよね。ローズも見習ってよ」

「いつも美味しい美味しいと食べているではないですか!」

「美味しいけど、選んでくるものが渋いんだよ。年頃の女の子が買ってくる品ぞろえじゃないよ」

 

 ローズさんがいつも何を買ってきているのか気になって、ラフィさんに耳打ちをして尋ねる。

 

「どんなものを買ってくるんですか?」

「つい最近だと、小倉に行ったときに明太子を買ってきましたね」

「それはまた……」

 

 間違いなく美味しいだろうが、女の子と言うよりは酒飲みの選択である。そこは地元銘菓を買ってくる方がいいのではないか。

 

 そんなことを考えていると、トモエさんがラフィさんに話しかける。

 

「そういえばラフィ、今日は何時くらいに出る予定なの?」

「紗雪さんと一緒に3時にはここを出て、新幹線に乗ると思います」

「それ、ノヴァちゃんには言った?」

「……あっ」

 

 ラフィさんとトモエさんがそろりと私の様子を伺う。私はと言えば、まだ食べかけのカツサンドに齧りついたところで完全に固まっていた。今晩はラフィさんがいない。そう考えただけでも本当に寂しい。私は今夜大丈夫だろうか。足元がぐらついているように錯覚してしまう。

 

 そもそも、よく考えたら福島まで行こうと思ったら前世なら前日輸送の距離だ。馬ではなくウマ娘である今世なら、馬匹車ではなく新幹線を使えるだろうから、当日朝出発でも間に合うかもしれない。しかし、移動で凝り固まった体で結果を出せるかと言えば怪しいだろう。そうなれば当然宿泊前提で移動する方がいいわけだ。前世で引退した後20年近く牧場で生き恥を晒していたので、そのあたりの細かいことはすっかり記憶の彼方に消えていたのだ。

 

 カツサンドから口を離し、ラフィさんを見つめ返す。

 

「そんな捨てられた小動物みたいな目で見ても、ラフィ困ると思うなぁ……」

「明日の夜には帰ってきますから、ね?」

「……はい」

 

 明日レースだというのに、ラフィさんに余計な心配を掛けさせてしまった。これでは元気を出してもらった意味がない。

 

 それにしても、こんなに私は寂しがりだっただろうか。前世では他馬がいなくても落ち着き払っている、扱いやすい馬だったのに。

 

 これ以上ラフィさんに迷惑をかけるわけにもいかない。そう考えた私は気を取り直して、何ともありませんよと装って再びカツサンドを食べ始めた。




2021/08/22 07:15
ノヴァからアダラチームメンバーへの呼び方を変更いたしました

コンフュージョンのあだ名を間違えていたため修正いたしました
(コン→フユ)
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