秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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第20話:府中発京都行、葦毛の暴走特急

 世の中がゴールデンウィークで浮かれている5月最初の日曜日、私はトレセン学園のカフェテリアにいた。

 

 まだトレーナーが付いているわけでもないので実家に帰っても良いのだが、学園にいる方が自主トレーニングが捗るのである。目当ての施設の予約が取れなくても、キャンセル待ちをしたり、他の施設の予約を取ったりと、やり様はいくらでもある。その上、ラフィさんや他の子と一緒に練習するほうが、せいぜい横浜の公園で走るくらいしかできない実家よりもよほど良いわけだ。お父さんとお母さんに指導をお願いするのは、休日を潰してしまうので私の気が引ける。

 

 ……まあ、今日はラフィさんのレースの方が大切だけどね!

 

 ラフィさんが出る第3レースの発走まではまだ時間があるが、この間と同じように私はテレビの前に陣取っていた。しかし前回は朝からいたフユさんやネルさんは不在である。ダービー明けの6月からは彼女たちもデビュー戦を控える身なので、レースが始まるぎりぎりまではアダラの練習に参加するらしい。アダラのウマ娘たちは休憩ついてに部室でレースを見ると言っていたので、今日はカフェテリアに来ない。

 

 しかし、だからと言って私独りと言うわけではない。なぜなら――。

 

「お願いぃ。決めるの手伝ってぇ!」

「随分贅沢な悩みですね……」

 

 私の向かいに座りウマ耳を萎えさせながら頭を下げているのは、髪を短いツインテールにまとめた黒鹿毛のウマ娘――リボンエレジーだ。

 

 春の選抜レースが金曜日に行われ、エレジーさんは3着と好走した。学年が上の先輩たちは、教官から少なくとも1年以上の指導を受けているわけだから、まだ碌に指導も受けていない身で競り合っての3着は大いに期待が持てるものだ。トレーナーたちが注目するのも分かる。結果として、エレジーさんは自分が想像もしていなかったような数のスカウトを受け、どこがいいのか分からず迷ってしまったらしい。

 

 困っているところ本当に申し訳ないのだが、知人が良く評価されている様を見ていると、実に気分が良い。後方古参面をしたくなる。

 

 とは言えども、本当にエレジーさんが悩んでいるということも事実だ。最初はクラスメイト相手に相談しようとしたそうなのだが、たまたま同じクラスからもう1人選抜レースに出ていた子がスカウトされなかったらしい。もし自慢だと思われて仲が悪くなると、この先1年辛くなると言うことで、わざわざ私のところまで来たのだとか。

 

「まぁ、いいですけど」

「ありがとぉ、ノヴァちゃん!」

「どういたしまして。どこからスカウトされたのか分かるものはありますか?」

「うん、あるよぉ」

 

 エレジーさんが鞄から取り出した、スカウトを受けたチームやトレーナーの資料を受け取り、まずはどのようなチームがあるのかパラパラと捲っていく。もちろん、エレジーさんのクラスメイトに見つかるとどうなるかわからないので、周りに見えにくいように隠しながらだ。

 

「えっ。シリウスもある」

「そうなのぉ」

 

 チームシリウスと言えば、前々世的にはアプリ版メインストーリーのチームであり、今世的にはスピカやリギルと並ぶトップクラスのチームの一角だ。トレーナーが変わった直後の一時期は所属するウマ娘がライスシャワーのみ(・・・・・・・・・)となり潰れかけたが、その新人トレーナーの手腕で見事に持ち直したチームである。

 

 一通り資料を見た感想としては、エレジーさんがスカウトを受けた中では、シリウスが最も良いだろうと言うことだ。他のチームももちろん悪くはないが、GIウマ娘を輩出したという実績があり、日頃のトレーニングで間近に偉大な先輩の走りを見られるのだから。

 

 しかも、スカウトである。入部試験を受けるのとは異なり、相手から入ってほしいと言われているわけだ。どうしてもリギルやスピカが良いと言うわけでないなら、悩む必要がないだろう。

 

「……正直、この中ならシリウス一択だと思いますよ?」

「でもぉ、教え方が私に合っているかわからないしぃ、名前だけで決めるのもせっかくスカウトしてくれたトレーナーさんたちに悪いしぃ」

 

 ……優柔不断だなぁ。これが大博打の幻惑逃げでギンシャリボーイに勝った競走馬の姿か? いや、まぁ、競走馬ではなくてウマ娘だし、今世の未来なんて誰にも分からないのだけれど。

 

「なら連絡を取って、見学か体験入部をさせてもらいましょう。それでチームの雰囲気が合うなら、なるべく早く他所には断りの連絡を入れてください」

「凄い。頼りになるぅ……」

「エレジーさんが迷いすぎなだけ――」

 

 その時、テレビがパドックで第3レース出走ウマ娘のお披露目が始まったことを知らせる。ウマ耳がそのアナウンスを捉えピクリと動いた瞬間、私はテレビに一瞬で向き直る。

 

「――始まった!」

「えっ、何ぃ?」

 

 視界の端でエレジーさんが尻尾をビンと伸ばしている様子が見えたが、今はどうでもいい。

 

 1枠1番に入るメイショウ家のウマ娘から順にお披露目が始まった。このレースにはラフィさん以外にもう1人メジロ家のウマ娘が出走する。3枠3番に入った彼女は、どことなくライアンやブライト、ラモーヌと言ったメジロの名ウマ娘たちに似た雰囲気を感じさせた。そして――。

 

『4枠4番、メジロラフィキ。2番人気です』

「ラフィさーん! 頑張れー! 今日こそ行けます! 気持ちで負けちゃダメです! 今日のラフィさんは日本一、世界一、宇宙一強いです! 今日も輝いてますよ!」

「あっ。これが噂の……」

 

 ラフィさんは一見笑顔でファンに手を振っているが、前と比べて少し自信なさげだ。翠色の瞳が少しくすんでしまったように揺れている。この間絶好調で負けたことを思い出してしまったのだろうか。キューティクルや肌艶の輝きも前ほどではない。

 

 自分で絶好調だと思っていても、ふと不安になってしまうことには私も覚えがあった。

 

 ……私が、私が現地にいたらラフィさんの不安を吹っ飛ばせるよう頑張るのに……!

 

 私だけではダメかもしれないが、現地にいるはずの紗雪さんと一緒なら何とかなるかもしれない。1人で駄目なら2人で元気づけるのだ。しかしそれができない以上、今の私にできることは全力で声援を送ることだけである。

 

 ラフィさんはパドック用のマントを回収すると、一礼して控室に戻っていく。その姿を最後までしっかりと見届けてから、私はエレジーさんの方を向く。

 

「ふぅ……。すみません。何の話をしていましたっけ」

「えっ、あっ、うん。相談に乗ってくれて、ありがとうねぇ」

「どういたしまして」

 

 細やかながら力になれたのであれば、それは嬉しいことだ。この先、彼女が名誉に相応しいだけの称賛を得られたとしたら、私としてはさらに嬉しいのだけれど。前世では終ぞなかった直接対決が出来たらこの上ないだろう。もちろん、負けてあげるつもりなんか毛頭ない。

 

「じゃあ、私は帰るねぇ」

「待ってください」

 

 そそくさと席を立とうとしたエレジーさんの腕を掴むと、彼女の耳と尻尾がピンと伸びた。

 

「せっかくですから、一緒に応援しましょうよ」

「で、でも早く返事返したいしぃ」

「30分くらいなら誤差ですよ、誤差」

「そ、そうかな……?」

「そうです」

「そうかも……」

 

 エレジーさんの意思の弱さに付け込んで、ラフィさんへの応援の声を増やそうとしたその時、誰かの掌が後頭部にぺしっと当たった。

 

「こら、ノヴァちゃん。何やってるの」

 

 現れたのは、リツさんたちチームアダラの面々だ。画面に対して角度が付いてしまうからと、わざと座らないでいた隣の席にリツさんが座り、他の先輩たちも各々好きなところに腰かける。

 

「あれ? リツさんたち、部室で見るんじゃあなかったんですか?」

「誰かさんが大騒ぎするかもってなって、やっぱりこっちに来たの」

「大騒ぎはしてないです」

「嘘おっしゃい。外まで聞こえてきたからね」

 

 フユさんやネルさん、トモエさんにローズさんへ順に視線を向けると、皆うんうんと頷いている。

 

 ……おかしいなぁ。大声を出した覚えはないのだけれど。

 

 首を傾げていると、ネルさんが口を開いた。

 

「言った通りだったでしょう?」

「まぁまぁ、迸る情熱は止められないものだから……」

「フユ?」

「はい」

 

 我が同志の援護射撃は、ネルさんの有無を言わせぬ声にぴしゃりと止められてしまった。圧倒的四面楚歌である。

 

 ふと、気が付いたことがある。先ほど立ち上がりかけたエレジーさんが、再び腰を下ろしたのだ。エレジーさんからすれば知らない人たちが来たわけなので、そのまま立ち去ってしまうかと思っていたのだけれど。

 

「あれ? エレジーさん、ああ言っておいてなんですが、帰らないんですか」

「ノヴァちゃんがそんな風になっちゃう先輩がぁ、どんな人か気になるからぁ」

 

 そう言って、エレジーさんも一緒にラフィさんの応援をすることになった。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

「そろそろだね」

「何だか緊張して来た……」

「わかる」

 

 発走時間が迫り、各々散らばっていたウマ娘たちが発バ機の近くに集まって来る。

 

 ラフィさんが今日走るコースは、京都の芝2000mである。私は京都だと外回りの長距離しか走ったことがないので、内回りはあまりよくわからない。『勢いよく坂を降ると、遠心力で外に膨らみそうになる』と言うのは、おそらく外回りと変わらないだろうと見当をつける程度だ。

 

 奇数ウマ番のウマ娘が枠入りした後、続いて偶数ウマ番のウマ娘がゲートに収まっていく。

 

 ラフィさんは胸の前で両手を組んで深呼吸すると、ヒトの陸上競技で言うところのスタンディングスタートの姿勢を取る。入れ込んでしまっているようには見えず、かなり落ち着いた様子だ。

 

 最後に大外枠のウマ娘が入り、係員が退避した直後にゲートが開いた。

 

 3枠3番、もう1人のメジロ家のウマ娘が盛大に出遅れ、それに隠れてあまり目立たないが1枠1番のメイショウ家のウマ娘も、内枠を取れた意味がなくなる程度の出遅れを見せた。

 

 ゲート2つ分の得をした4枠4番のラフィさんは、2枠2番のウマ娘と激しく競り合いながら最初の直線を駆けていく。曇り空の下でも輝いて見える長い三つ編みを棚引かせながら、ラフィさんと相手が第1コーナーに入った。外を回されてはいるものの、半バ身ほどリードしている。

 

「ラフィさん、譲っちゃダメですよ!」

「そうだそうだ! そのまま行っちゃえ!」

「諦めちゃダメだよぉ、先輩さぁん」

 

 私、リツさん、エレジーさんの3人――この場にいる逃げウマ娘組で声を張る。1度逃げると決めたら、ハナを決して譲ってはならない。逃げとは本来、先頭でレースのペースを支配してこその戦術だ。

 

 コーナーの中ほどでラフィさんが、ほんの一瞬だけ相手のウマ娘に目線を向けた――ように見えた。丁度その時、アップの映像は後続のウマ娘を映しており、ラフィさんの動きはバ群全体を映す上半分の映像でしか確認できなかったので、自信はない。しかし、競り合っていたウマ娘が引き下がったあたり、「譲る気はない」と目線で伝えたのだろう。

 

「よし、先頭!」

「良いですね、良いですね!」

 

 単独での先頭を勝ち取ったラフィさんが向こう正面に入る。7枠9番のウマ娘がラフィさんの外にクビ差ほどで付けたところで、私は些細な違和感を覚えた。映像をじっと見つめ、ハロン棒が端から端まで通過するときにかかる時間でその正体に気が付く。

 

「ラフィさん、かなりペースを落としてますね。たぶん13秒超えます」

「えっ?」

 

 隣の席のリツさんが、一瞬だけ手元に目線を落とす。どうやら、普段練習で使っているストップウォッチでペースを計っていたらしい。

 

「……本当だ。時計も無しによく気が付いたね?」

昔から(・・・)得意なんです」

「へぇ」

 

 日常生活ではまず役に立たないが、『15秒までなら、走りながらでもコンマ1秒単位の好きなところで時計を止められる』ことが、私のささやかな特技である。

 

 しかし、私の話はどうでもいいことである。今この瞬間重要なことは、ラフィさんが見事な溜め逃げを出来ていると言うことだ。

 

 ラフィさんは緩やかなペースで坂を登りながら第3コーナーに入った。わずかな平坦部を経て急な降り坂に差し掛かるが、ラフィさんは『ゆっくり登ってゆっくり降る』京都のセオリーを忠実に守り、速度が乗らないよう慎重に坂を降っているようだ。再び平坦になる第4コーナーに入ったところで、ラフィさんはかなり緩めていたペースを一気に加速させていく。

 

 最終直線に向いた瞬間こそ後続に捕まりかけたようにも見えたが、ラフィさんは溜めていた脚を一気に解き放ちハナを譲らない。再び2番手に上がって来た2枠2番のウマ娘と熾烈な叩き合いを演じる。

 

「ラフィさん、頑張れー! あと少し!」

「やっちゃえ、ラフィ!」

「行け行け行け!」

「根性だよ、根性!」

 

 私が、リツさんが、フユさんが、トモエさんが声を上げる。声のないネルさんやローズさん、そしてエレジーさんは、固唾を飲んで見守っているようだ。

 

 3着以下との差をじりじりと広げながら、2人のウマ娘が併走する。4分の3バ身、近いようで限りなく遠いその差を縮ませることがないまま、ラフィさんは誰よりも速く決勝線を駆け抜けた。

 

「勝ったぁ! ラフィさんが、ラフィさんが勝ったぁ!」

「よくやった、ラフィ!」

「宴じゃ、宴じゃーい!」

「すごい、すごぉい!」

 

 その瞬間、カフェテリアに歓声が響き渡った。たまたま近くにいた周りのウマ娘たちが一瞬びっくりしたように視線を送って来る。しかし、それが喜びの声であるとわかると、「しょうがないな」とでも言うようにそれぞれの用事に戻っていった。

 

「ライビュ、ライビュ確保しないと! 初センターだ!」

 

 同期が勝って嬉しさを隠さないリツさんの言葉で、私は気が付いた。今日はこの間のように悔しさを押し隠したものではない、心の底から輝くラフィさんのパフォーマンスが見られるのだ。

 

 ラフィさんは自慢することがないのだが、『実は、ものすごく歌が上手い』のである。

 

 どれくらい上手いのかと言うと、椅子に座ったままオペラ『魔笛』で1番有名なアリアのサビを歌い切れてしまうくらいだ。ラフィさん本人は、「何曲も歌って演技をした後では自信がありませんし、声質が夜の女王に向いていませんから」と謙遜していた。だがしかし、普通の子はそもそもその音域は出ないし、出たとしても技量が足りなくて歌えないのである。

 

 ……ラフィさんの、本気のパフォーマンス。見たい。すごく見たい。一番いい形で見たい。当然テレビなんかじゃあ満足できない。ライビュで妥協もしたくない。現地、現地で見たい!

 

 スマートフォンを取り出し、トレセン学園から京都レース場までの経路を検索する。もし間に合わないようであれば諦めるしかないが。

 

「……間に合う」

 

 今すぐ出れば、春の天皇賞が発走する前に着く。片道約15000円はとても痛いが、今まで使わずに溜めてきたお年玉を使えば何とかなる。私名義の口座のキャッシュカードも持って来てあるから、引き出せば行ける。

 

「リツさん」

「どうしたの? あっ、1番前がいいとか? 全くしょうがないなぁ!」

「京都行ってきます」

「……はっ?」

 

 報告も無しに姿を消したら問題だろうと思い、リツさんに行き先を伝えると、きょとんとした表情を返してきた。それを見て『これで良し』と駆け出そうとしたそのとき、襟を掴まれ首が締まった。

 

「ぐぇっ」

「待て待て待て待て! 何言っているの!?」

 

 リツさんの声だ。戸惑っている間に走り出すつもりだったのに、私の予測よりも復帰が早い。

 

「リツ、何してるの!?」

「ノヴァちゃんが『京都行く』とか言い出したの! トモエも止めるの手伝って!」

「えぇ……?」

 

 困惑しながらも、トモエさんは正面から私を抱きしめるように押し止め、その間にリツさんが襟から手を放して羽交い絞めにしてくる。リツさんの引っ張りに抵抗するために前傾姿勢を取っていたせいか、トモエさんの大きく柔らかいものが当たって息苦しい。だが、負けてたまるか……!

 

「ウソでしょ!? 2人で止まらないって何なの……!」

「現地に、現地に行くんです……!」

「チケット取れてないでしょ! 落ち着いて!」

「京都についてから考えます!」

 

 トモエさんを押し込み、リツさんを引きずりながら問答をしている間に、ネルさんやローズさん、エレジーさんが周りを取り囲む。フユさんはどこかに電話を掛けているようだ。

 

 怪我をさせるつもりはないので、無理に振りほどいたりはできない。リツさんは来週に橘ステークス、トモエさんは2週間後にヴィクトリアマイルを控えている。特にトモエさんは前走で怪我をしていて、ようやく本調子に戻ったところなのだから、絶対に負傷させてはいけない相手だ。

 

 ……流石逃げウマ娘、策士ですねリツさん……!

 

 おそらく偶然ではあるし、レースを控えていなくとも、無理に突破して怪我をさせることはしないのだが。

 

 それはそれとして、どうしても諦めがつかない。いくら調整されていると言っても、ライブビューイングはあくまでも映像でしかない。私は現地で見たいのだ。

 

「はーい。伝えます。失礼しまーす。……みんな、紗雪さんが『来て良い』って」

 

 酸欠気味かつ体力の消耗で力が出なくなり、もう現地は諦めるしかないのかと思い始めたとき、フユさんが電話を切ってそう言った。リツさんが皆を代表するように疑問を口にする。

 

「……どういうこと?」

「『ノヴァちゃんを関係者席に入れてあげて』って交渉したの。レース場まで来れるならOKだって。良かったね、ノヴァちゃん」

「フユさん……!」

 

 ラフィさんが女神なら、その天使はフユさんだったらしい。緩んだ拘束を抜け、フユさんの電話を持っていない手を両手で握る。

 

「ありがとうございます!」

「ふっふーん。どういたしまして。その代わり、2週間後はわかるね?」

 

 フユさんはトモエさん推しである。そのトモエさんは2週間後、ヴィクトリアマイルを走るのだ。ここまで言われてわからないほど、私は鈍くない。

 

「チケット、お手伝いします!」

「うむ」

 

 関係者席ではない、いわゆる特等席の争奪戦の手駒が欲しいのだろう。私の読みは当たり、満足そうにフユさんが頷く。

 

 ネルさんが呆れたような目線で私たち2人を見ていた。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 紗雪さんの連絡先をフユさんから教えて貰い、いくつかのやり取りをしながら私は京都レース場までたどり着いた。もちろん、両親には連絡済みである。入場してすぐ、長い黒髪を1つのシニヨンにまとめたスーツ姿の女性を見つける。

 

 ……やっぱり、孫娘さんに良く似ているな。

 

 一瞬脳裏に過ぎった思考を振り払う。別人だ。よく似ている別人なのだ。勝手に他人を重ねるだなんて、相手に失礼である。

 

「こんにちは、紗雪さん。今日はありがとうございます」

「こんにちは。こっちに来るまで、何ともなかった?」

「心配して頂かなくとも、ウマ娘にちょっかいを掛けるヒトなんていませんよ」

「大人は子供の心配をするものだから」

「そうですか」

 

 犯罪に手を染める人間というものは、基本的に弱く見える人を狙うものだ。ヒトと比べて隔絶した身体能力を持つウマ娘をわざわざ狙うなんてこと、よほどの理由がない限りしない。

 

 私の両親ですら、朝4時に外を走っていても何も言わないのだ。せいぜい「知っている人が相手でも絶対について行ってはダメ。お父さんお母さんが倒れたって聞いても、まずは自分で家に帰って来い。車に乗せてあげると言われても絶対に乗ってはダメ」と、口を酸っぱくして言われたくらいだ。子供のウマ娘は物理的には強くても、子供であるがために搦め手は効くので、これは妥当な注意である。

 

 紗雪さんは心配性なのか、保護者が同伴しないからとわざわざ定時連絡をさせてきた。ウマ娘相手には珍しいくらい――なのだが、今回は何故かお父さんお母さんも定時連絡を要求して来た。不思議なこともあるものだ。

 

 私が納得したと判断したらしい紗雪さんは、これから悪戯を仕掛けようかというニヤリとした表情で口を開く。

 

「あっ、そうそう。実はラフィにはまだノヴァちゃんが来てるって言ってないの。部屋に行ってサプライズしようか」

「そんなことして、大丈夫ですか……?」

「ライブ中に気が付く方がびっくりしちゃうよ」

 

 それもそうかと、紗雪さんに大人しくついて行く。そこそこの距離を歩き、前世で言うところの厩舎地区に着いた。やはりと言うべきか、前世とは異なり馬房ではなく、少し古びてはいるものの綺麗に使われているとわかる建物がいくつか並んでいる。当然、臭いはしない。

 

「レース場の裏は初めて?」

「そうですね」

「そうなんだ。じゃあ簡単に説明するね」

 

 噓は言っていない。実際今世では初めてだし、馬とウマ娘の違いがあるので、前世で見慣れたはずのバックヤードもなんとなく新鮮な気持ちで見ていられる。こうも違うと、競馬場に戻って来た(・・・・・・・・・)という実感がわかないくらいだ。前世であった様々な出来事がフラッシュバックしてくる予兆すら感じない。

 

「ここはね、レースに出る前の日とか、レースに出た次の日まで泊まるための場所なの。学園から遠いと朝のレースに間に合わないし、ウイニングライブの後で帰れないこともあるからね」

「じゃあ、東京とか中山にはないんですか?」

「外国のウマ娘が泊まったりするから、一応あるよ」

 

 紗雪さんと話しながら、構造としてはホテルに似ている1棟の建物に近づく。馬房は割と狭い平屋だったが、この建物は複数階建てだ。人格を持ち、馬よりも空間を要するウマ娘だからこそだろう。

 

 玄関に入ると本当にホテルのようにフロントがあった。受付の方に挨拶を返し、エレベーターを使ってラフィさんの部屋の前までやって来た。

 

「ラフィ、戻ったよ」

「おかえりなさい、紗雪さ――ノヴァさん!?」

 

 姿見でライブ衣装の確認をしていたらしいラフィさんが、紗雪さんの声で振り返る。ラフィさんは挨拶を返そうとしたようだが、私の姿を見て心底驚いた様子で口元を手で隠した。

 

 そんな時、私はと言えば――。

 

 ……前々世で言うところの汎用勝負服、やっぱりえっちでは? デコルテが見えていて胸の大きい子だと谷間も見えるし、おへそが見えるし、ショートパンツスタイルとは言えども健康的なふとももの上をガーターベルトが通っていくし、とてもえっちだと思うの。

 

 ――莫迦なことを考えていた。許してほしい。モニター越しで見るのと生で間近に見るのとではやはり違うのだ。京都まで来てよかったと思う最初の瞬間である。

 

「来ちゃいました」

「来ちゃいました、で来れる距離ではないですよ? 大丈夫でしたか?」

「子供じゃないんですから、大丈夫ですよ」

「中学1年生は子供ですよ……」

 

 ラフィさんだって中3じゃないですか。そう言おうとして、止めた。ここで言い返すのは明らかに子供である。

 

 黙った私を見て、ラフィさんは矛先を紗雪さんに向ける。

 

「紗雪さん?」

「フユちゃんから、『どうしても現地で見たくてノヴァちゃんが暴走してる』って電話が来たの。最初は危ないから断ろうと思っていたんだけど、いつの間にかフユちゃんに丸め込まれちゃって……」

「紗雪さん……」

 

 ラフィさんが非常に珍しい呆れたような表情を見せる。しかし、前世牡馬の記憶がばっちり残っているのを女に含めていいかは別としても、『女三人寄れば姦しい』と言うだけのことはある。なんだかんだとライブ前の集合時間まで3人で楽しく話した後、ラフィさんはステージ近くの控室へ、私と紗雪さんは関係者席へ向かうことになった。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 前々世のアプリ版ウマ娘と異なり、今世ではクラシック三冠やティアラ三冠といった一部の例外を除いて、各重賞ごとに異なる楽曲が用意されている。それはどうやら条件戦にも当てはまるようで、クラスごとに曲が変わり、もっと言えば新馬戦――メイクデビューと未勝利戦も曲が異なる。文字通りメイクデビュー専用曲である『Make debut!』を歌えるウマ娘はほんの一握りで、ほとんどの子は未勝利専用の曲を歌うことになるらしい。

 

 つまり、私にとってはあまり聞き慣れない曲ということになる。だが、問題はない。新幹線に乗っている間に、歌詞や振り付け、ペンライトを振るべきタイミングは予習済みだ。

 

 関係者席から、ラフィさんの気配がする暗いステージの真ん中を見つめる。布の擦れる微かな音すら聞こえてきそうな静けさだ。

 

 落ち着いた伴奏と共にラフィさんが歌い出すと、わずかにステージの上が明るくなり人影が見えて来た。そして最初の一小節を歌い切ったところで一気に伴奏が盛り上がって、ステージが明るくなり――。

 

 正真正銘、輝くような笑顔と共にラフィさんが姿を現した。

 

 ソロパートでは、鈴の音のように透き通った歌声がいつも以上に華やいでいる。しかし自分だけが目立つわけでもない。ユニゾンで歌う場面では相手の声の特長を引き出し、他の子を喰ってしまうことなく、ライブとしてさらに素晴らしいパフォーマンスを見せる。

 

 ダンスも、指先どころか尻尾の毛先の挙動まで意識した動きだと思わせるほど完璧なものだ。

 

 ……すごく、きれい。

 

 メジロの緑と、ラフィさんの好きな紫色のペンライトを両手に持ったまま、私はただラフィさんのライブに心を奪われることしかできなかった。




「元のお馬さんが鬣を編み込んでいたから、三つ編みにしよう」
「ド真ん中ストレートのほんわか正統派お嬢様が好きなので、そうしよう」
いずれ新しいウマ娘が来たら被るかもとは思っていました。
しかし、こんなに早く被ると思わなかったんです……!
それはそれとして、サイゲームスさんは早くブライトさんを実装してください。

2022/05/02 01:15
ライブシアターで確認したところ、トモエの身長が150cm程度であったため、作中の描写を修正いたしました
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