人類史に刻まれるべき素晴らしいライブから一晩が明けた祝日のお昼前、私はアダラのトレーナー室にいた。
「ノヴァちゃん、そっち、もうちょっと持ち上げて」
「こうですか?」
私が飾り付けの高さを変えると、トモエさんは腕を組んで唸る。何度か首を傾げるたびに、尾花栗毛のウマ娘特有の金髪がさらさらと流れる。
……それにしても、大きい。
トモエさんは、とにかく大きい。何がと言えば、胸が。腕を組むと意図せずとも強調する格好になるのだ。
……羨ましくないが。全く羨ましくないが!
前傾して走るウマ娘特有の姿勢を考えると、流体力学的に私の方が有利である。つまり、羨ましくなんかないと言うことだ。
……酸っぱいぶどう? 何の話ですか?
「まあ、いいでしょう。ありがとね、ノヴァちゃん」
「はい、どういたしまして」
考え事の内容をおくびにも出さず、トモエさんにそう答える。耳と尻尾が動いていたとしても、トモエさんが何を言うのか集中していたことにできるので問題ない。
何故、アダラのメンバーではない私がトレーナー室にいるのか。それはラフィさんの祝勝会兼誕生会の準備に呼ばれているからである。
ラフィさんの誕生日は、本来先週の木曜日だった。しかし、その日は丁度最終追い切りの日であり、リツさんやトモエさんもレースを控えていると言うことで、ラフィさん本人が遠慮して一旦は流れてしまったのだ。
それはもう落ち込んだ。主に私が。
ラフィさんの誕生日がいつか把握していなかったことは、私にとって重大な落ち度だ。ウマ娘は競走馬の魂の影響を受けるのか、1月から6月生まれが多い。つまり、誕生日を尋ねるなら入寮直後にでも聞いておくべきだったのだ。なのに私は、先週の日曜日に寮でその話題が出るまで、のん気に過ごしていた。
……ノヴァ、腹を切りなさい。
言っていないセリフが思わず思い浮かんでくるほどのショックだった。死にたくないから切らないけど。
誕生日プレゼント自体は、ラフィさんの誕生日当日までに用意して渡すことが出来た。私が何とか準備したものは、毎年限定販売されるラメ顔料入りのボールペンだ。可愛らしくて私も結構気に入っているもので、紙の色が黒いか白いかでインクの色が変わって見える不思議なペンである。
誕生日にプレゼントを渡してお祝いの言葉を言えたならいいではないか。そう思う人もいるだろうが、私はもっと盛大にお祝いしたかったのだ。だって、女神様の生誕祭である。ラフィさん教の信徒なら、もっと綿密な準備をしてから祝いたいと言うものだ。
とは言えども、本人が遠慮しているのに無理に祝ったりするわけにもいかない。私は気分を入れ替えて、日曜日にラフィさんの初勝利とライブを見届けたのだ。
たったの1勝でも、中央での勝利は競走ウマ娘にとって誕生日以上の慶事だ。トレセン学園に入学し、選抜レースに出走し、担当トレーナーが付いて、メイクデビューを迎える。どの段階も非常に高い倍率であり、それらを超えても、過半数の競走ウマ娘は1勝もできずにトレセン学園を去っていく。
中央1勝という戦績は、1度でも競走の世界を目指したことがあるウマ娘同士なら、それこそ一生自慢できるものである。無知なヒトが莫迦にするようなことがあれば、周りのウマ娘たちがそいつをぼこぼこに蹴り飛ばすほどの偉業なのだ。
さて、大変おめでたい勝利から一晩明けた朝を迎え、改めてお祝いできないかなと思っていたところ、同じ美浦寮のリツさんが私を呼び出したのである。
「無理に来なくてもいいけど、ノヴァちゃんは絶対来た方が良いよ」
そこまで言われては行かないわけにはいかない。丁度ラフィさんも用事があるらしく不在であり、せっかくだからと付いて行ったところ、ラフィさんの祝勝会兼誕生会の準備だったのである。
……ありがとう、リツさん!
やる気絶好調で朝から準備を始めた私たちがまず立ち向かったものは、散らかったトレーナー室だ。
書類の散らばる大浪さんの机、様々な分野の参考書が積み込まれた安城さんの机、歌やダンスの練習資料が置きっぱなしだった紗雪さんの机、チームメンバーの私物で散らかっているソファやテーブル、それらをすべて綺麗に片付けるだけで1時間だ。大浪さんは「片づけると場所が分からねぇんだけどなぁ」とぼやきながらも、しっかり片付けていた。やはり、間違いなく、良い人だ。
部屋が片付いたら、フユさんとネルさんが買い出してきたもので部屋を飾り付ける。お昼前を迎えた今となっては、残った作業は飾りの微調整と食事の準備くらいである。
今部屋にいるのは私とトモエさん、フユさんの3人で、フユさんがトモエさんと楽しそうに話しているので少し手持ち無沙汰だ。残りの人たちだが、トレーナーたち3人とリツさん、ネルさんはカフェテリアに用意を頼んだ食事を取りに行っており、ローズさんはラフィさんの足止め係りをしているらしい。ラフィさんの用事は、準備を悟られないためにリツさんたちが用意したものだったのだろう。
両手の指を頭上で組んで体を伸ばしながら部屋を見渡す。部屋は文字バルーンやリボンで華やかに飾り付けられ、天井からは久寿玉が2つ吊り下がっている。片方は「誕生日おめでとう」の久寿玉らしいので、もう片方が「1勝おめでとう」なのだろう。
……そういえば、私の誕生日は今日だったな。
やることが無くなって思考する時間が出来た結果、お祝いと関係ないことを思い出す。
家族は毎年盛大にお祝いしてくれるし、今年も朝目が覚めたときにはメッセージにお祝いが来ていた。「次に帰って来るときに思い切り祝うから、帰る前に必ず教えて」と念を押されたくらいだ。
それはありがたいのだが、ろくに覚えていない前々世を除いても40年近く生きており、馬だったころは年始に歳をとっていたせいか、今世の同年代と比べて私の誕生日への意識は低い。トレセン学園では、入学届の手続きをしてくれた職員さんくらいしか私の誕生日を知らないだろう。
「まぁ、いいか」と伸びを解いた直後、がらりとトレーナー室の引き戸が開き、先頭のネルさんから部屋に入って来る。
「ご馳走、持って来たよ」
「あぁ、もう! すぐ食べられないなんて拷問だよ!」
ネルさんの言葉に被せる勢いで、リツさんが叫んだ。私とそう変わらない体型なのに、リツさんのどこに食べたものが消えていくのか不思議である。
「あと10分でラフィが来るんでしょう? 我慢しよう?」
「そうだけどさ」
リツさんは「そんなことわかっている」という態度で、紗雪さんに応える。ウマ娘との距離感が近いことが、紗雪さんの指導の特徴なのかもしれない。
「全く、まーた片づけ大変だな」
「春の風物詩じゃないですか」
「悪いとは言ってねぇよ」
部屋の装飾を見た大浪さんと安城さんが、笑いあって雑談をしている。
みんな幸せそうで、ほんの一瞬だけ「
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皆で食事の配膳を終え、ウマ娘用に大きな音の出る火薬ではなく、バネを使ったクラッカーを構えてラフィさんを待つ。
足音が2つ、アダラのトレーナー室に近づいてくる。ラフィさんを先に入れる手筈らしいので、扉が開いた瞬間にクラッカーの紐を引く必要がある。集中力を必要とする点では、ゲート練習のようなものだ。
足音が扉の前で止まり、扉がレールに沿って横向きに滑走を始める。こっそりクラッカーを構えているローズさんがまず目に入り、続いてラフィさんの顔が見えた瞬間――。
「ラフィさん、おめでとうございます!」
「ラフィ、おめでとう!」
「昨日はよくやった!」
各々なりのお祝いの言葉と共に、きらきらとしたリボンがラフィさんに向かって飛んで行き、久寿玉の
「えっ、あれ? 私のは、やらないはずでしたよね?」
「毎年お祝いしているのに、やらないわけないじゃん、ラフィ。しかも昨日勝ったんだよ?」
ラフィさんはウマ耳と尻尾をピンと伸ばしたまま、目を丸くしている。その背中をローズさんが押し、部屋の中へと入れて扉を閉める。何か良い匂いがするなと思ってラフィさんを見ると、左手に紙袋を持っていた。よくよく嗅いでみると、りんご煮とシナモンの匂いだ。アップルパイだろうか?
「もう、みんな騙しましたね?」
「騙してはないよ? 誤魔化しただけ」
「……もう」
不満そうな口ぶりだが、ラフィさんの頬は緩んでいる。1度は遠慮していても、やはりお祝いされると嬉しいのだろう。ラフィさんが喜んでくれたようで本当に良かった。
「さぁさぁ、本日の主役1号さん、ご
「大人しく祝われろぉ!」
トモエさんとフユさんが、ラフィさんをテーブルの誕生日席――わざわざ椅子を2つ並べたそこに座らせる。
「……リツさん」
「何、ノヴァちゃん?」
「もう1人いるんですよね? 誰ですか?」
1つだけまだ開いていない久寿玉、本日の主役
「事前に言ってくれたら、プレゼントを用意できたのにな」と思いながら、リツさんの答えを待つ。
「ふっふっふっ。それはね――」
口を手で隠して、わざとらしい悪だくみの笑みを浮かべたリツさんは、次の瞬間「せーの」と掛け声をかけて。
「ノヴァさん、お誕生日おめでとうございます!」
「ノヴァちゃん、お誕生日おめでとう!」
色とりどりのリボンが私に向かって飛んできた。ラフィさんも含めて、いつの間にかクラッカーをもう1度準備していたらしい。私は理解が追い付かず、ほんの少し前のラフィさんと同様にウマ耳と尻尾を伸ばして、ただただ混乱することしかできなかった。
「誕生日黙ってるなんて、水臭いじゃん。ノヴァちゃん」
「えっ、なんで知って……?」
「感謝祭でお母様に聞いたんです」
にこにこと笑っているラフィさんが、私の疑問に答えた。ぽんぽんと隣の席を叩くラフィさんと、背中を押すリツさんに勧められるがままに座る。
「と、言うわけで」
「お祝いダブル逆ドッキリ、大成功!」
フユさんとネルさんが、息の合った様子で事の真相を明かした。
ここまで来たら混乱中の私でも分かって来ると言うものだ。祝われると思っていなかったせいか、心の底からじんわりとした嬉しさが込み上げて来る。
「ありがとう、ございます……」
「ノヴァちゃん、結構涙脆い?」
「みたいですね」
ラフィさんがハンカチで私の目元を抑えてくれる。数十秒ほどお世話になって、どうにか涙を引っ込めた。
「お、ノヴァちゃんOK? よーし、みんな、食べよう! 宴だ!」
「リツはお腹減ってるだけでしょ」
「まぁまぁ。冷めてしまう前に頂きましょう」
「待って待って。ツイッターに上げる写真撮らせて!」
トモエさんが腹ペコを隠さないリツさんに突っ込みを入れ、ローズさんがせっかくの料理なのだから美味しいうちに食べようと提案する。すると、ネルさんが慌ててスマホを取り出しながら声を上げた。
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デザートにレモンを利かせたラフィさんの焼き立てアップルパイを食べた後、アダラのメンバーたちから誕生日プレゼントを渡された。
特にインパクトが強かったものは、リツさんから貰ったグルメガイドだ。各レース場のおすすめグルメを自ら食べて評価した、体を張った力作である。もちろん他のプレゼントも大変に嬉しいもので、トモエさんからは装飾用マスキングテープの詰め合わせ、ローズさんからは彼女自ら選んだアップルパイに合う紅茶葉、ネルさんからはおすすめのテールオイル、フユさんからはほんのり色が付いたリップクリームを頂いた。
ラフィさんからのプレゼントは――。
「香水、ですか?」
「はい。私が普段使っているのと同じものです。いつも良い匂いだと言ってくれますから」
「ありがとうございます!」
実際には『ラフィさんが』良い匂いだと言っているのだが、同じ香水を使うと言うのもなんだかいいことのように思える。ペアルックならぬ、ペアフレグランスだ。
……これはもう、付き合っていると言っていいのでは?
などと言う莫迦な考えが思わず浮かんできてしまう。逸れていく思考の軌道を修正し、私自身の用事を思い出した。
「そうだ、ラフィさん。実は私からも贈りたいものがあるんです」
「綺麗なペンを頂きましたよ?」
「別で用意していたんですけど、間に合わなくて。ちょっと待ってくださいね」
荷物を置いていた部屋の片隅に向かい、それを取り出してラフィさんに渡す。
「改めて、お誕生日おめでとうございます」
「ミサンガですね?」
「はい。本当は先週一緒に渡したかったんですけど、なかなかうまくいかなくて……」
渡したものは、紫と赤の糸を使ったミサンガだ。正確には純正のミサンガではなく、衛生面を考えて金具を追加し、いつでも取り外せるようにしたミサンガもどきだが。ミサンガはお守りなので、本当は誕生日に渡したかった。しかし、今まで手芸の経験などなかったせいか納得のいく出来のミサンガを編むことが出来ず、結局誕生日には間に合わなかったのだ。何とか会心の出来のミサンガが出来たのは土曜日の夜であり、結局ラフィさんには渡しそびれてしまった。
「ありがとうございます。頑張りますね」
ゆらゆらと上機嫌そうに尻尾を揺らしながら、綺麗な笑顔を浮かべたラフィさんはそう言った。翠色の眼が優しく私を見つめている。
『GIレースを無事に走り切れますように』
そう願いを込めて編んだミサンガもどきは、ぱちりと金具の音を立ててラフィさんの左手首に収まった。
2021/12/30 14:05
一部追記いたしました
(写真のくだり)
2022/05/02 01:20
ライブシアターで確認したところ、トモエの身長が150cm程度であったため、作中の描写を修正いたしました