詳細は後書きと、そこから飛べる活動報告に記載いたしました。
リツさんが橘ステークスで見事な逃げ切り勝ちを見せた日の晩のことだ。我ながら珍しくラフィさんから十数分遅れて風呂を上がった私は、襟首をパタパタと仰ぎ火照った体を涼しい廊下の空気で冷ましながら自室の扉を開ける。
当然、ラフィさんは先に部屋にいた。しかし、いつもならお風呂上がりのお茶を勧めて来るラフィさんが、今日はじっとベッドに腰かけて俯いている。普段なら髪を乾かし次第編み上げてしまう緩い三つ編みも、今日はまだ片方しかまとめられておらず、もう片方を半ばほどまで編んだところで手が止まっていた。
「リツは次、葵ステークス……。私も、もっと、もっと頑張らないと……。メジロなんだから……」
集中していなければ、ほとんど聞き取れないほど小さな声だ。
「……ラフィさん?」
思いつめたような、明らかに様子のおかしいラフィさんに声を掛ける。
その反応は劇的だった。ラフィさんは息を呑みながらウマ耳と尻尾をピンと伸ばすと、弾かれるように私を見た。その拍子に、まだ編んでいる途中だった方の三つ編みがふわりと解ける。声を掛けて初めて、私がいることに気が付いたらしい。
「えっ、あっ、ごめんなさい。何ですか?」
あっという間に、ラフィさんはいつも通りに見せかける。一瞬前の光景と言葉がなければ、わずかに萎えた耳にも気が付かなかっただろう。それくらい完璧に、ラフィさんは自分の心を押し隠そうとしていた。
……そっとしておいてあげるべき、かな。
失意の類に押しつぶされそうなのであれば、その人が望むなら分かち合うことで、心への負荷を軽減する方が良いだろう。
だが、わずかに聞き取れたラフィさんの独り言からは、自らに課した責任とそれに向けた奮起の意思を感じた。ならば、無理をしないかどうかだけ注意しながら見守るべきだ。そう判断した。
「いえ、用事があったわけじゃないんですけど、なんだかぼーっとしているように見えたので」
「そうですか……。やっぱり、少し長湯してしまったのかも――」
ひっく、とラフィさんがしゃっくりをする。
それを聞いて、私の血の気が一気に下がって行った。
……お、おおお落ち着こう私。慌てちゃダメ。まずは深呼吸して、一つずつ、一つずつ……!
「大丈夫ですか、ラフィさん!? 今すぐ麦茶と塩飴と、あと救急車も呼ばないと……!」
「あの、びっくりしただけですから。大丈夫で――」
再び、ひっくとラフィさんの横隔膜が震える。
「救急車ぁ!」
「大丈夫ですから! 本当に大丈夫ですから!」
私の叫び声はちょっとした騒動に発展し、騒ぎを聞きつけてやってきたヒシアマゾン寮長直々に事情聴取を受けた後、
……ラフィさんまでお説教されなくて良かった……!
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「あっははは! ノヴァちゃんすごいね!」
「見に行けばよかったかなぁ」
翌日のお昼時、カフェテリアで私とラフィさんは、リツさんとフユさんに思い切り弄られていた。リツさんに至っては食事を止めて、腹を抱えて大笑いしている有様だ。他のアダラのメンバーは、今日はそれぞれ別の約束があったらしく不在である。
「笑わなくてもいいじゃないですか、リツ。ちょっと心配性すぎただけなんですから」
左隣に座ってBLTサンドを食べていたラフィさんが、頬を膨らませている。昨日お説教の対象にはならなかったラフィさんだが、事情聴取で時間を取らせてしまい迷惑をかけた。申し訳ないと言う気持ちで一杯である。
「本当に、すみません……」
「あっ、えっと、昨日のことはもう全く気にしていませんから。ね? ポテト一緒に食べませんか?」
「……ありがとうございます」
ポテトを一つまみ貰い、口に放り込む。ラフィさんは大変優しいのでこうして許してくれるが、私と一緒に隣室や同じフロアの子たちに謝りに回ってくれたので、1時間以上は睡眠時間を削ってしまったはずだ。気にしていないと昨日から何度も言ってくれているが、甘えすぎてはいけない。
「昨日の北棟の騒ぎ、ノヴァちゃんだったんだ……」
そう言って苦笑いで私を見るのは、先日友人――と言うことになったランさんだ。右隣に座っている彼女は、ドリアが予想以上に熱かったのか水を飲んでいる。あれ以来、2回に1回くらいの頻度で私についてくるようになり、アダラの面々ともあっという間に仲良くなってしまった。私は女の子女の子した会話についていけないので、そのあたりはさすが純正の女の子だ。私みたいな、牡馬とウマ娘どっちつかずの混ぜ物とは格が違う。
そのランさんだが、意外なことに彼女も美浦寮所属だったことが友人になった日のうちに判明した。私とラフィさんの部屋は北棟の4階南側、ランさんの部屋は中央棟を挟んで反対側、南棟の3階北側とそれなりの距離があり、生活リズムも微妙にずれていたために、今までは同じ寮であるにもかかわらず会うことがなかったらしい。
「いや、だって、心配じゃないですか」
「しゃっくりで救急車呼ぼうとするのは、心配性で収まるか怪しいよ? ノヴァちゃん」
「それは、……そうかもしれないですけど」
ごもっともな指摘である。今にして思えば、前々世で読んだ覚えがある獣医学的な知識に引っ張られすぎだった。それでも、心配なものは心配だったのだ。
特に反論が思い浮かばず、観念した私はデミグラスソースが良く絡んだハンバーグを一口頬張った。
「拗ねないでよー」
「拗ねてません」
「拗ねてるよー」
「拗ねてません。子供じゃないんですから」
くすくすと、何やら微笑ましいものを見るような目をしてラフィさんが笑っていた。
……いや、あの、本当にこれで拗ねるほど幼くないですよ? 馬だった時含めたら40歳近いんですからね?
そんな反論をするわけにもいかず、私はもどかしさに
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「さて、ノヴァちゃん」
「はい。準備はできています。フユさん」
私にしては珍しく、今日一緒に昼食をとる約束をしていた相手はラフィさんではなくフユさんだ。1週間前にフユさんが紗雪さんと交渉をしてくれたお礼としてのチケット抽選のお手伝い、その結果発表が今日の正午だったのだ。
ウイニングライブの現地チケットは、先行販売分と当日販売分に分けられる。
このうち先行販売分は完全抽選制だが、URAが運営する会員制サイト『Club URA-Net』の会員であれば、未成年やトレセン学園関係者――つまり、私たちでも購入できるようになっている。しかしながら、GIレースのウイニングライブ、その特等席ともなれば、当選確率は「大荒れした年のエリザベス女王杯の
一方、当日販売分は基本的に読んで字の通りなのだが、当日現地でバ券――ウマ娘世界にはないと思っていたが、今世にはシステムが
既に私とフユさんのスマートフォンには、『Club URA-Net』のライブ用席予約システムが表示されている。『結果を確認する』と書かれたボタンを1回タップすれば、シュレディンガーの抽選結果が確定してしまうところまでは来ているのだ。実際にはすでに決まっているわけだが、気持ちの問題である。
「せーの、で行くよ。ノヴァちゃん」
「はい」
フユさんが深呼吸をする。この日のために、フユさんは道行く学園生や職員たちにドン引かれても三女神像に五体投地をしていた。神頼みと言えども努力は努力であり、抽選である以上運を高めるしかないのであれば、正しい努力と言えないこともない。お昼を一緒に食べて、その流れで今も同席しているラフィさん、リツさん、ランさんも固唾を飲んで見守っていた。
「せーの!」
フィルムを張った画面をタンと音を立てて叩き、ほんの一瞬待つ。
私の結果は――落選。フユさんの力にはなれなかったようだ。まずそうなるだろうとはわかっていたが、いざ現実になると相応に悔しいものである。
溜め息を一つ吐いて、フユさんの様子を見た。大きく目を見開いて半開きの唇を震わせ、じっと画面を見つめている。
「――た」
「えっ?」
「当たった……」
フユさんが私の方を向き、呆然としたような声で奇跡を報告する。自身の声を聞いてそれが現実だとようやく認識したらしいフユさんは、スマートフォンを置くとそのまま歓喜を分かち合うかのように私を抱き締めて来た。
「当たった! 当たった! 当たったぁ! 嘘、本当に当たってる! 夢じゃないよね!? 三女神様ありがとう!」
「
もしかして私のこと、絞め殺そうとしていますか。そんなことを考えてしまうレベルで力が入っているフユさんの背中を必死に叩く。物理的に潰される前に解いてもらわないと、デビューする前に退学しなければならなくなってしまう。
……こんにちは、4本足時代の私……!
「フユ、フユ。ノヴァさんが潰れちゃいます」
「あぁう、ごめん!」
「ありがとうございます、ラフィさん……」
ラフィさんの呼びかけでようやく、フユさんが私を離してくれた。一瞬前世の私が見えた気がしたが、私はここにいるのだからおかしな話である。
「……はっ、入金して来なきゃ!」
我に返ったのかと思われたフユさんだが、突然そう言うと財布とスマートフォンだけを持ってカフェテリアを飛び出していった。
「こらぁ! 静かに走るっス!」
不運にも、フユさんは最終直線の全速力並みの速度まで加速した瞬間に、風紀委員長とすれ違ったらしい。カフェテリアの大きな窓から、注意するために風紀委員長がフユさんを追いかけている様子が見えるのだが――。
……いやいやいや、どうしてバンブーメモリーを振り切れるの?
レースではない以上、風紀委員長も本気を出しているわけではないだろう。すでに速度が乗りに乗ったフユさんと、これから加速しなければならない風紀委員長の速度差もある。それにしたって、スプリント路線のGIウマ娘を置いてけぼりにするのはとんでもないことである。
そう言えば、ウマ娘の身体能力は精神状態に依存するだなんて話を聞いたことがある。それを考えると、絶好調を通り越して有頂天だとすらいえる今のフユさんが、とんでもないスペックを発揮しても不思議ではないのかもしれない。
「先輩速いなぁ」
「今のフユなら、重賞に勝てそうですね……」
「デビュー後だったらね」
フユさんの姿は、あっという間に遠くへと消えていった。
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「た、ただぃ、まぁ……」
「おかえりなさい、フユさん」
およそ15分後、息も絶え絶えのフユさんが戻って来た。5月の陽気の中を全速力で走ったためか、生地の厚い冬服が透けてしまいそうなほどの大汗を掻いている。
「長距離は苦手でしたよね? 無理をしてはダメですよ」
心配そうな表情をしながら、ラフィさんはコップに入れたアイスティーを差し出した。フユさんはそれを受け取ると、喉を鳴らしながらあっという間に飲み干していく。体の中から冷えてどうやら一息つけたのか、フユさんが口を開いた。
「だって、早く払わないと取られちゃいそうだし……」
「取られないための予約じゃないですか。歩いて行きましょうよ」
フユさんは一体、何のための予約システムだと思っているのか。そう思い言葉を掛ける。
「じゃあノヴァちゃんは、ラフィがセンターのチケット取れた時に、そんな悠長なことを言ってられる?」
「無理ですごめんなさい」
「よろしい」
「何もよろしくないですからね?」
苦笑いをしているラフィさんが、フユさんにおかわりを注いだ。
「まぁ、フユのトモエに対するかかり癖は、今に始まったことじゃないけどさ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ、ランちゃん。だってフユは、トモエがいたからアダラに来たくらいの筋金入りだからね」
「……似たようなことをしそうな子がいますね」
ランさんの淡い灰色の瞳と、リツさんの金色の瞳が同時に私を見つめる。
……もし入るとすれば、それだけではないけれど。
「そこまで考え無しに選びません」
「もしかしてノヴァちゃん、私のこと考え無しだって言ってる?」
「あっ、いえ、そういうわけでは……」
「冗談だよ、冗談。ノヴァちゃんは面白いねぇ」
「ひどいですよ!」
フユさんにつられて皆が笑いだし、私もそれに合わせて笑顔を作る。
私の罪を忘れさせはしないとでも言うくらいにあの人たちによく似ていて、けれど違う人たち。私の自己満足でしかないとはわかっている。それでも、もしも許してくれるのなら、あの人たちについて行きたいと言う気持ちは、確かにあった。
本編中に入れると大変冗長になり、話の流れを遮ってしまったため、作中におけるバ券販売事情の詳細はこちらの活動報告に掲載しました。
もともと本編中に入れていたため、ノヴァが語る形となっています。
読まなくとも、作中では屁理屈をこねて、現実とほぼ同じようにバ券が販売されていると考えて頂ければ問題ありません。
2022/1/23 21:25
後書きの文章の内、削除を予告していた部分について削除いたしました
本文には影響ありません