秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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今話は短いです。


第24話:小さな薔薇の京王杯スプリングカップ

 土曜日の東京レース場、私はGII競走に出走するローズさんの雄姿を見届けるため、フジビュースタンドの1階西側にあるゴール前の席にいた。

 

 ラフィさんの未勝利戦――ライブには無理矢理行ったそれ――やリツさんの橘ステークスは京都開催だったので行けなかったが、ローズさんの京王杯スプリングカップとトモエさんのヴィクトリアマイルは東京開催なので、現地で見ようと思ったのだ。

 

 先々週にチームメンバーでもない私のためにライブの関係者席を用意して貰い迷惑をかけているので、今日は自分で席を取って観戦である。チーム所属のラフィさんたちは関係者席から見守っているのでいない。その代わり、と言っては彼女に失礼だが、朝からランさんと一緒である。上下セットのチュニックとショートパンツ、そしてタイツを穿いた彼女は、薄く赤みを帯びた葦毛と相まって人形を思わせる可憐さだ。ちなみに、私はいつもの白いシャツワンピースである。

 

 エレジーさんも誘おうか悩んだが、無事シリウスに入りトレーニングが始まったのでやめておいた。練習の邪魔をしては悪いだろう。

 

「来た来た来た! 頑張れ逃げの子!」

 

 第10レース、3勝クラスの芝2400m戦の争いが最終直線に入り、ランさんが逃げの子が粘れるよう応援している。ここまでスローペースに持ち込んでいるので、逃げ切りを十分に狙えるだけの体力は残っているだろう。準オープンクラスということもあって、相応にレベルの高い戦いになっている。

 

 ……でも、前の私の方が速い。

 

 どこぞの胸が薄い先頭民族さん――が言っていない台詞のような感想を思い浮かべてしまう。古馬になってからはGIしか走っていなかったのだから、条件馬に負けるようでは話にならない。

 

 しかし、それはあくまでも前の話である。今の私はデビューすらできていないただの学園生だ。完全無欠に絶好調で、最後のあの瞬間にもし加速できてさえいればギンシャリボーイ(あいつ)にだって負けなかったはずの、脚を折った日の私はあくまでも前世。そこまでどれだけ戻せるかわからない以上、ただの戯言でしかない。莫迦げた仮定をしてしまうなど、場内の熱気に中てられたのだろうか。

 

「あぁ! 差されちゃった……」

 

 レースは大外枠に回された子が豪快な追い込みを決め、観客たちが歓声を上げる。自分に向けられたわけでもないそれに反応して、あと少し、ぎりぎりのところで差し切られ、盛り上がった客がそれぞれに声を上げる何度も何度も見た光景が脳裏を過ぎった。

 

「あとちょっとだったのにね」

「そうですね」

「作戦は完璧だったのに……」

「そうですね」

「……ノヴァちゃん?」

「そうですね」

 

 ぺしぺしと左頬に軽い衝撃が何度か走り、我に返る。思い切り生返事をしていたような気がする。怒らせてしまっただろうかと少し心配しながらランさんを見ると、彼女は眉を曇らせていた。

 

「ノヴァちゃん、大丈夫? 具合悪いの? 無理しないで休んだ方がいいよ?」

「大丈夫です。本番は明日ですから」

「だったら、今日は休んだ方がいいと思うんだけど……」

「大丈夫ですから」

 

 じっとランさんと見つめ合う。ヴィクトリアマイルはGI競走だ。明日は、今日とは比べ物にならない観客が詰めかけるだろう。その予行演習も兼ねているのだから、このくらいで根を上げるわけにはいかない。十数秒ほどそうしていると、ランさんが目を逸らした。少し頬が赤い。

 

「まあ、本当に大丈夫かもしれないけど。心配だから、明日も一緒に行くからね」

「そこまで言うなら、仕方ありませんね。ありがとうございます」

「……うん」

 

 心配させないように、と笑いかけたのだが様子がおかしい。

 

「……ランさん?」

「……ううん。大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫……」

 

 パタパタと顔を仰いでいるランさんと、次のレースであるローズさんの京王杯SCが始まるまで会話をしたりして時間を潰す。つい先ほどのレースについて「自分ならどうするか」などトレセン学園生らしく語り合ったり。かと思えば「中間テストってどんななんだろうね」だの、「どんな服が好きなの?」だのと言った、まるで女子中学生のような話をしたり。友人が少なく、前々世の記憶も性別すらわからないほど擦り切れているせいか、なかなか新鮮な体験だった。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 JRA(・・・)のものとは異なる、未だに聞き慣れないファンファーレが響き渡った後、第2コーナーを出たあたりの向こう正面で停車していたゲートへ、ウマ娘たちが収まっていく。私たちはその様子をターフビジョンの映像で見守っていた。

 

 11番のローズさんは先入り組の後の方、重賞の緊張か、ゲート(狭い所)に入る本能的な拒絶反応か、少々そわそわしているが問題はない範囲だ。

 

 大外枠のウマ娘が収まり、係員が退避すると同時に音もなくゲートが開いた。テレビで見るときのようなゲートの音は効果音なので、現地観戦ではスタンドまで聞こえてくることはない。

 

 ローズさんは可もなく不可もないスタートを切ると、中団前目につけて先行勢の争いを見守る体制に入った。東京の1400mは最初の直線が長いので、外枠気味だったローズさんも好位を確保出来た形だ。

 

 おそらく相当細かいやり取りがそこにはあるのだろうが、実のところ私にはよくわからない。ラップ走法の大逃げなどという矛盾するような戦法を取っていたので、スタート直後にハナを切るまでの数ハロンと、決勝線直前のギンシャリボーイ(あいつ)が飛んでくる1ハロン以外で、駆け引きらしいことなんてほとんどしたことがなかった。

 

 なので私にわかることと言えば、「最後外に膨らめば前が開くから、差しやすそうな位置だなぁ」ということくらいである。

 

 そんなことを考えているうちに、レースは最終局面に入った。第4コーナーを抜けようかというタイミングで、ローズさんはわざと外に膨らみ、彼女の前に誰もいない絶好のチャンスを作り出した。そのまま最終直線に移り、坂を抜けていく。

 

『坂を登り間もなく残り200m。3番バイタルダイナモがわずかに抜け出して、200を切りました』

 

 最終直線での攻防に、観客がそれぞれの声を上げる。私もお腹を抱えながら、ローズさんをじっと見つめる。

 

『その後ろからデュオアスピス、ソワソワが接近してきますが、外から11番ミニローズ一気に来た!』

 

 ローズさんは坂を登り切った直後から一気に加速し先頭に迫る。先行勢はスタート直後の先頭争いでスタミナを消費していたためか伸びが鈍く、次々にローズさんの末脚の餌食となっていく。

 

 ……これは勝った。

 

『3番バイタルダイナモ懸命に粘っているが、ミニローズ差し切ってゴールイン!』

 

 確信した通りに鮮やかに差し切り勝ちを決めたローズさんは、観客の歓声に応えるようにスタンドへ手を振っている。周りのお客さんたちも口々に、「格好良かったよ!」だとか、「ライブ楽しみにしてるよ!」と声を掛けていて、推しが負けてしまったのだろう人も「次頑張ろう!」と負けたウマ娘を元気づけるようなことを口にしている。

 

 重賞なのに、負けたからとバ券が舞ったり、「シネー」だなんて柄の悪い野次が飛んだりしないあたり、なんだか調子が狂うと同時に、前世までよりも客層が良いのだなと実感させられる光景だった。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

「先々週はラフィが勝った。先週は私が勝った。今日はローズが勝った。アダラの流れ来てるよ、トモエ!」

「やめてよ緊張するから」

 

 ローズさんがウイニングライブを終えた後、事前にラフィさんたちと約束していた通りランさんと一緒に西門で待っていると、実に上機嫌そうなリツさんの声が聞こえて来た。プレッシャーを感じさせてもおかしくないことを言っているが、トモエさんは言っていることとは裏腹にリラックスしている様子だ。

 

「お疲れ様です」

「んぉ、ノヴァちゃんとランちゃん、どうだった? ローズ、格好良かったでしょ」

「はい。ローズさん、おめでとうございます」

「初めまして、ネレイドランデブーです。ランって呼んでください! おめでとうございます、先輩!」

 

 同じ美浦寮のラフィさんとリツさんはランさんと面識があるが、その2人以外は初対面だ。

 

 ……距離の詰め方が、追込みの末脚並みだよねぇ。

 

「ありがとうございます」

 

 祝福を受けたローズさんはニコニコと笑いながら、ゆらりゆらりと上機嫌そうに尻尾を振っている。重賞ウマ娘というのは、アプリだったら事故でマックEーンにならない限りまず取れる称号だ。しかし、トレセン学園生にとっては、中央のものに限るなら最多でも1年で139人しか取れない、一生自慢できるステータスである。

 

「葦毛が2人……。来るよ、フユ!」

「来ないよ、ネルトラル」

「ジャスタ先輩なら来そうじゃない?」

「流石にそこまで神出鬼没じゃないでしょ……」

 

 ネルさんとフユさんが、何やらスラング的なやり取りをしている。

 

 何を話しているんだろうと見ていると、ラフィさんが話を振って来た。

 

「今日はどうでしたか? ノヴァさん、ランさん」

「スタンドの熱気が凄かったですね。中央の重賞を現地観戦するのは初めてだったので、いろいろとびっくりしました」

「テレビで見るのと目の前で見るのと、全然違いました!」

 

 前世込みでも観戦は(・・・)初めてだ。嘘はついていない。

 

「そうですか、そうですか。明日はGIなので、もっと盛り上がりますよ」

「はい。トモエさんの勝負服がどんななのかも楽しみです」

 

 視界外から両手をむんずと掴まれる。一瞬驚いて耳と尻尾がビンと伸びたが、だれが犯人なのかはすぐに思い当たった。ランさんのいない左手側から私の両手を掴んでいる犯人は、当然のようにフユさんだった。目の輝きが尋常ではない。

 

「よくわかってるね。同志……! この間試着していたのを見たんだけど、清楚さとセンシティブさを併せ持つ素晴らしい勝負服だよ……!」

「はいはい、ステイステイ」

 

 ネルさんがフユさんの首根っこを掴み、ずるずると引き摺って離す。初めてフユさんの奇行を見て目を丸くしているランさん以外は、「またいつものだよ」と笑っていた。




先日はアンケートご協力ありがとうございました。
アンケートの結果や詳細はこちらの活動報告をご覧ください。

投稿が1週間遅れた理由は、本話で描写したローズの京王杯SC、ノヴァの両親がトレーナーを務める子の羽田盃(SI)とかしわ記念(J・GI)がプロットから漏れていたためです。

両親のかかわるレースは理由付けをして描写しないことも出来そうだったのですが、ローズのレースはノヴァが現地で見ないわけがなかったので、ほぼ全て書き直しとなり遅れました。

なお、作中の実況はnetkeiba様の過去映像を参考としました(19年京王杯SC)。



2022/2/12 20:10
ノヴァとランの服装について加筆いたしました
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