秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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第27話:一生に一度切りの祭典

 ダービー前日――リツさんが葵ステークスに出走して2着に終わった(収得賞金は確保した)、5月最後の土曜日――の夜、私は重い瞼を擦りながら、ランさんとの勉強会のために資料作りを進めていた。

 

 テストの返却が終わったばかりであり、月曜日に「もっと早くから勉強しよう」とランさんへ言ってから1週間と経っていない。しかし、鉄は熱いうちに打てと言う。成績への危機感と些細ながらも成功体験が残っているうちに、一緒に勉強をする機会が必要だと考え直したのだ。

 

 ところが、作業に集中しきれないほどの睡魔が私を襲っていた。原因は明白で、純粋に疲労だ。午前中の早いうちに、スタークさんと横浜の公園で体力を使い果たすまで自主練習をして、実家へ顔を出して美月()と遊び、午後1番で予約を取って置いた小学生のころから通っている歯科で歯をメンテナンスして貰い、葵ステークスの発走時刻までに寮へ戻ってラフィさんやランさん、アダラの皆さんと一緒にリツさんを応援するなど、朝から予定を詰めたために正直言って疲れ切っていた。

 

「ノヴァさん」

 

 一際大きな欠伸が出たその瞬間、ラフィさんが私を呼んだ。

 

「ふぁあぃ……。すみません。なんですか?」

 

 少しだけ椅子を引いて、ラフィさんの方を向く。毎晩寝る前にしている髪を梳いて編むヘアケアのルーチンを終えた直後らしく、鹿毛が艶やかに光り輝いている。いつもと少し違うことと言えば、普段はすぐに片づけている豚毛のブラシを握ったままと言うことくらいか。

 

「明日なのですけれど――」

「はい」

 

 ラフィさんは少々逡巡するように1度俯いた後、真剣な眼差しと共に面を上げる。

 

「――もしよろしければ一緒にダービーを見に行きませんか?」

「行きます」

 

 即決だった。現地で襲ってくるだろうストレス性の胃痛のことを答えた後で思い出すが、そこに後悔はなかった。2人でレースを見に行くなど、実質デートである。好機を逃すつもりは毛頭なく、胃痛は事前に薬を飲めば良い。何時まで経っても以前の私のままではなく、常に学習を続けているのだ。

 

「明日は何時に出ますか? ダービーですし、早めに行った方がいいですよね?」

「そこは大丈夫ですよ。指定席を取っていますので、お昼くらいから行きましょう」

「わかりました!」

 

 流石ラフィさんと言うべきか、大変手際が良い。前世や前々世では未成年だと指定席を買えなかったはずだが、そこは競馬とトゥインクル・シリーズの違いと言うことだろう。ランさんと未成年2人で入場出来ていた時点で、今更の疑問である。

 

 指定席が取れているのに今日まで誘わなかった理由は少々気になるが、ラフィさんにはラフィさんの考えがあるのだ。誘って貰えたという栄誉に比べたら些事である。

 

 私は明日を万全な状態で迎えるため、ランさんのためにまとめていたノートづくりを中断した。

 

 ……ごめんなさい、ランさん。ラフィさんとのデートの方が大事なんです……!

 

 遠足を明日に控えた小学生のような気持ちで、私は就寝の準備を始めた。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 初夏の爽やかな風がスタンドを吹き抜けていく。東京レース場の指定席は、いくつかの種類に分かれている。ラフィさんが予約した指定席はA指定席と呼ばれる場所で、最終直線のゴール前区間に設けられた屋外席だ。

 

 今日のコーディネートは、ラフィさんと出会った日に着ていたパーカーとハーフパンツである。この間は『考えなくて済むから』と2日連続で白いシャツワンピースを着た結果、ランさんにもラフィさんにも突っ込みを受けた。ワンピースの方が考えなくて済むので楽なのだが、流石に3度目は本気でセンスを心配されそうなので止めておき、散々迷って決めたコーデである。

 

 ラフィさんは、裾にさりげなくフリルの入った黒いフィッシュテールワンピースである。甘い感じが大変女の子らしくて良い。邪なことを考えるヒトから守らねば、と言う使命感すら湧き出て来る可憐さで、私の『楽だからワンピースにするか』とは全く異なるセンスの良さを感じる。『ファッションの参考にしたいので』と言い張って合法的にラフィさんの写真を撮れて、私は早くも大変ご満悦である。

 

 そんな一幕がありながらも正午前に入場した私とラフィさんは、誕生日に貰ったリツさんお手製のグルメガイドを参考にしてお昼を食べたり、まだ空いているうちに一般席の方まで出向いて、立ち見で平場のレースを見届けたりしてダービーのパドックまでの時間を過ごし、唐揚げとリンゴジュースをおやつに買って指定席へと戻って来ていた。

 

「この唐揚げ美味しいですね。『ありたどり』って初めて聞きました」

「佐賀県の地鶏ですね。有田焼の有田と同じところで育てているんですよ」

「……あっ、その有田なんですか。へぇ」

 

 小学校でやった特産物かるたには、有田焼しかなかったので知らなかった。

 

 ……流石ラフィさんは物知りだなぁ。

 

 名家ともなれば、社交界的な付き合いのためにそういう知識も必要になって来るのだろう。一般家庭出身の身としては――両親ともにトレーナーと言う家庭が一般的かどうかは置いておくとして、感心するばかりである。

 

 そうこうしているうちに、2席1組で設置されているモニターに第11レース――東京優駿のパドックが映し出された。

 

「……始まりましたね」

 

 ラフィさんの声に、勘違いだと流してしまいそうなほど些細な違和感を覚える。つい先ほどまでよりも、わずかに固いような印象を受けたのだ。

 

 1つのモニターを2人で見るために、当然肩を寄せ合う形になる。左隣から漂う甘い柑橘系――多分オレンジの匂いが、鼻腔を通って肺臓を満たしていく。普段なら私の心が馬っ気を出すはずの状況だが、ラフィさんの様子に対する小骨が喉に刺さったような引っ掛かりがそれを抑えた。

 

 どうしてもパドックよりラフィさんが気になってしまい、モニターからこっそりと横顔に目線を移す。いつも優しく柔らかに微笑んでいるラフィさんの表情は何かを堪えるように固く、ウマ耳は萎れていた。

 

「ラフィさん?」

「えっ? あっ、はい。どうかしましたか?」

「いえ、その、なんだか少し、いつもと違うように感じたので。体調は大丈夫ですか?」

「……大丈夫ですよ。はい、大丈夫、です」

 

 自身に言い聞かせるような言い方で私は確信した。明らかに大丈夫ではない。しかし顔色自体は悪くなく、不調の原因を推し量ることはできなかった。

 

「そうですか……。何かあったら、無理しないでくださいね?」

「はい。ありがとうございます」

 

 それからは、パドックにいるダービー出走ウマ娘たちが地下バ道へ消えていくまで、私もラフィさんも沈黙を保ったままだった。

 

「あっ、ごめんなさい。私が誘ったのに、黙ってしまって。皆さん、綺麗な勝負服でしたね」

 

 最後の一人が姿を消して映像が切り替わるまで、じっとモニターを見ていたラフィさんが、我に返ったように口を開く。最後の一つとなった唐揚げは、すっかり冷め切っていた。

 

「そうですね。先輩たち皆、誇らしげでした」

「はい。本当に……」

 

 再びラフィさんは口をつぐんでしまう。

 

 このまま唐揚げに手を付けないわけにはいかないだろうと、私は残っていたそれを口へ放り込んで処理をする。不味いわけではないが、温かくて柔らかい方がずっと美味しかったように思われた。

 

 そして本バ場入場が始まってしばらくが経ったとき、ラフィさんが独り言ちる。

 

「どうして、私は」

 

 弱弱しく漏れたその呟きは、微かに震えていた。

 

「お姉さまたちのように、あそこにいないのでしょうね」

 

 出走者への羨望と嫉妬、自身への悔恨と憤怒を綯い交ぜにしたような視線をラフィさんはターフの上に向けている。膝の上に置かれた両手は相当の力で握られているのか、指の関節が殊更白く浮き出ていた。

 

 前々世では、育成キャラに芝・中距離適性さえあれば当然のように出していたレース。前世では、デビュー戦となった弥生賞、優先出走権を得て出た皐月賞と2戦連続でギンシャリボーイの2着に終わり、3度目の正直を目指す心づもりで挑んでまた2着を取った結果、1度目に心が折れたレース。私自身にとってはクラシックレースとはそう言うもので、思い入れと言う点では、秋の天皇賞の方がよほど大事なレースだ。

 

 しかし、普通のウマ娘にとってはそうではない。『勝てなくても良い。ダービーに出られるなら死んでも良い』と、たったそれだけのことを本気で言うほど思い入れのある子もいる。

 

 ラフィさんは、名家たるメジロ家の一員である。名家の令嬢が背負う責任と言うものを、私が真に理解することなど出来はしない。それでも、偉大な姉たちに続いてメジロ家へ栄誉をもたらすために、ダービーに出たかったのだろうと言うことだけは察せられた。

 

 自身を罰するかのように強く握りしめられたラフィさんの拳に、私は手を重ねる。

 

「あっ、ごめんなさい。変なことを言ってしまいましたね。忘れて――」

「ラフィさん」

 

 突然に拳へ熱が重なり我に返ったラフィさんが、失態を取り繕う様に言葉を連ねた。それを遮るように、翠色の瞳を見つめて呼びかける。

 

「……なんですか?」

「私では、悩み事を吐き出すには力不足ですか?」

「……ダメですよ。後輩に弱音を吐くだなんて――」

「先輩後輩とか、そんなの今はどうでもいいです。私は、ラフィさんの力になりたいんです」

 

 ラフィさんの瞳が弱弱しく揺れ、迷いが拳の力を抜いていく。私はラフィさんの右手を開き、両手で包み込んだ。入寮日にした同じようなやり取りとは異なり、今の私とラフィさんにはわずか2か月ではあるが、一緒に積み重ねてきた時間がある。

 

「私とは、辛いことを分かち合うのは嫌ですか?」

 

 全く反吐が出そうだ。自身が出来ていないことを他者に強要しているのだから。それでも、ラフィさんが前を向く手助けになれるなら、いくらでも自分を偽ってやる。いつか訪れる運命を変えようと言うのだから、この程度は息をするように出来ないといけないのだ。

 

「……帰ってからで、良いですか?」

「はい」

 

 悪いことをした子供のように私の様子を伺うラフィさんに、落ち着かせるように微笑みかける。

 

 その時、前世とは異なる関東GIファンファーレが響き渡った。

 

 私もラフィさんも、ホームストレッチの上り坂直後に設けられたゲートを見る。ラフィさんのウマ耳が――そしておそらくは私のウマ耳も、その瞬間(・・・・)を逃さないと言う様に発バ機の方を向いていた。

 

 18人の出走ウマ娘たちが収まり、係員が離れて態勢が整う。そして。

 

「始まって、しまいました」

 

 18人以外にとってのダービーは、もうとっくに終わっていたのだと改めて突き付けられた瞬間、ラフィさんは蚊が鳴くように呟いた。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 ダービーが終わり順位が確定した後、私たちは伝統の一戦である目黒記念すら見ることなく寮室へと帰って来た。ぼんやりとした様子のラフィさんを左腕で支えながら、一旦休んでもらおうとラフィさんのベッドに一緒に腰かけたとき、ラフィさんはそのまま私の胸の中へ崩れるようにもたれかかった。予想外の出来事にあっけにとられていると、ラフィさんが呟く。

 

「このままで、良いですか?」

「はい」

 

 縋るような声に即答した私は、左腕でラフィさんを抱きしめ、右手の指を首元に来たラフィさんの髪――その編まれていない部分へ通す。ラフィさんの体は暖かくて柔らかくて良い匂いがして、艶やかな鹿毛の指通りは一切抵抗を感じさせないものだ。お互いに普段通りなら、私は興奮を抑えきれずにラフィさんに迫ってしまったかもしれない。しかし、すっかり弱って腕の中へ納まるラフィさんへ私が抱いたそれは、庇護欲だった。

 

 日が傾いて行くに連れて、窓から差す陽光がベッドの上を動いて行く。そして中央棟の屋根に日が隠れた頃、私の腰に腕を回したラフィさんが、ずっと抱えていたものを打ち明け始めた。

 

「トレーナーさんたちと話し合って、納得して決めたはずだったんです」

 

 震える声で、ぽつりぽつりと。

 

「何をですか?」

 

 ラフィさんが少しでも話しやすくなるように、相槌を打つ。

 

「トレーニングで少し遅れを取って、ジュニアのうちにデビューできなかったんです。なのでクラシックレースは諦めるか、出るとしても菊花賞を目標にして、条件戦を1つ1つ勝ちあがって、シニアで重賞に挑もうと」

 

 春のクラシックレースに出るには、ある程度の早熟さが求められる。晩成型のウマ娘(競走馬)は、オルフェーヴル程とは言わずともずば抜けた素質を持たない限り、クラシックレースに出ることすら叶わないことが普通なのだ。

 

「合理的、ではありますね」

「はい。頭ではわかっているんです。マックイーンお姉さまは危うく菊花賞の出走を逃すところでしたし、パーマーお姉さまやタイキ先輩はそもそもクラシックレースに出ていないって。メジロの栄誉のためには、お姉さまたちみたいになるには、必ずしも出なければならないわけではないって」

 

 ラフィさんの声が涙を堪えるそれへと変わっていき、鼻をすするような息遣いを感じる。

 

「わかっているんです。それでもどこか未練があって。だから、けりを付けようと思って席を取って。1人で行くのが怖くて2つとって。でも、自分で自分がどうなってしまうかわからないから誘えなくて」

「私は、今こうしていることまで含めて、誘って貰えて嬉しかったですよ」

 

 抱きしめる力をラフィさんにもわかる程度に少し強くして、それが本心からであることを行動でも伝える。胸元に埋まったラフィさんが小さく震えながら嗚咽を漏らし始めた。

 

「勝負服を見て、出たかったって。今更。もう無理なのに。それで、それで。始まったから終わっちゃって。私、私は――」

 

 漏水した堤防が一気に決壊するように、ラフィさんは声を上げて泣き出す。窓の外がすっかり暗くなり、少しすっきりとした様子のラフィさんが顔を上げるその時まで、私は黙ってラフィさんを抱きしめたまま頭を撫でるように髪を梳いた。

 

 優しい女神様にだって、時には誰かに甘えて休憩する日があっても良いのだから。




弱っている子がいると放っておけずにママみが出る13歳女子中学生(前世込み40歳牡馬)。

ラフィ、と言うより元にさせていただいている実馬について、実際はどのような意図でデビューを遅らせたのか、クラシック路線のレースに出す予定があったのかがわからないので、この点は完全に創作です。
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