「可愛い! 可愛いわ! うちの娘たちがこんなにも可愛い!」
「そうだね。ノヴァも、センスの良い友達が出来たようで何よりだよ」
6月も半ばを過ぎた土曜日のお昼時、梅雨真っ只中でありながら晴れ上がった空の下で、私は美月と一緒に散歩をしながら、お母さんが持っているカメラの被写体になっていた。この間ラフィさんたちとショッピングへ行った時に、洋服代を出してもらった対価である。いつも通りお父さんはサポートに回っていて、お母さんと阿吽の呼吸で撮影道具のやり取りをしていた。
「あっ! お姉ちゃん、ここ、つばめいるの!」
「どこ? あっ、いたいた。もうだいぶ大きいから、ぎゅうぎゅう詰めだね」
嘴をぎゅっと引き絞ったように見えるつばめの子たちが、巣の中から零れ落ちそうなくらいに詰まっている。美月と一緒に少し観察していると、雛鳥たちが黄色い口の中を見せるように大きく開きながらピィピィ大騒ぎし、ほぼ同時に音もなく親鳥が巣に戻って来た。
「かわいいでしょ!」
「可愛いねぇ」
……うちの妹がこんなに可愛い!
私が寮に入ってから、家の近所や小学校の通学路で見つけた些細な変化を一生懸命に話してくれる。天使かな?
美月が「お姉ちゃんと遊びたい!」と臍を曲げないか両親と共に少し心配していたし、もしそうなったら撮影会はまた今度にする予定ではあった。しかし、この愛らしい妹は私と一緒に何かをするだけで満足らしい。何とも出来た子である。
時々近所の人がすれ違い挨拶をするのだが、あちらもお父さんお母さんの様子にはすっかり慣れたものだ。私と美月の周りで実に楽しそうに撮影を続ける両親に、小学校の登校班が一緒だった子のお母さんが、「今日はどんな風に撮るんですか」などと自然に話しているくらいである。
そんなこんなで美月の歩く速度に合わせて、私もほんの数か月前まで使っていた1kmもない通学路やその周りを、あっちへふらふら、こっちへふらふらと見て回る。
1時間以上はそうしていただろうか。美月も一通りのものを見せたようで満足気であり、散歩兼撮影会はお開きとなった。
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買った服は1度クリーニングに出した後、お母さんが寮に送ってくれる手筈になっている。来ていた服をハンガーにかけて部屋着に着替えてリビングに戻り、ソファに座っている美月の隣に腰かける。
「お姉ちゃん、また夕方に行っちゃうの?」
「外泊届、出してないからね」
「そっかぁ」
少し寂しそうな美月が俯き、肩を落としてしまう。
しかし、先月まではともかく今日ばかりは仕方ないのだ。期末試験まで残り1週間であり、ランさんの勉強を見ると約束した以上は、たとえ一晩でも間を開けるわけにはいかない。どれだけ追い込めるかで、ランさんの成績が決まってしまうと言っても過言ではないのだ。泊って美月を甘やかしたい気持ちは山々だし、来月からは泊っていくことも出来るだろうが、今回だけは我慢してもらうほかなかった。
しかし、可愛い妹ががっかりしているのも心苦しい。ですので。
「はい。耳触っていいから、元気出して」
「……いいの?」
頭を下げ、美月の触りやすそうな位置にウマ耳を差し出す。美月は小さい頃から私の耳が大好きで、幼稚園の頃などは隙あらば触ろうとしてきたし、油断するとしゃぶられることすらあったほどだ。ウマ娘にとって耳はデリケートな部分だと知ってからは触って来ることはなくなったが、時々私の耳をじっと見つめていたことを私は知っている。
「いいの。ほら」
かなり無遠慮だった以前とは異なり、恐る恐る伸ばされたのだろう指が耳に触れる。ふにふにと感触を確かめるように軽く摘ままれ、毛並みに沿って何度か指が滑る。かと思えば、時折毛を逆立てるように指が動く。
私のウマ耳は、私より大きな耳だと確実に言えるような子をトレセン学園でも見かけなかったくらいには大きい。昔まだしょっちゅう私の耳を触っていた頃の美月曰く、「とっても大きくて、柔らかくて、すごく良い」らしく、どうやら触り心地抜群らしい。同じ美浦寮で朝の玄関開放を待っているときによく見かけるライスシャワー相手だと流石にわからないが、まさか「耳の大きさ勝負しましょう」などと言うわけにもいかない。
私たちの様子を見たお母さんが、LDKのキッチンの方からこっそりとカメラを向けてくる。音の出ない設定にしているのか、シャッター音が聞こえてこないために、美月はどうやら気が付いていないらしい。
そのまま30分近く耳をもふられ、その間ずっと頭を下げ続けたためか解放される頃には首や肩がバキバキになっていた。
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少々後ろ髪を引かれる思いで美浦寮に返ってきた私は、北棟4階の自室で勉強道具を手に取り談話室へ向かう。ラフィさんはアダラの方で勉強会があるので、今は不在だ。
娯楽室と談話室の違いは、防音加工の程度だと言う話である。各棟に1室だけある娯楽室は、ある程度運動しても大丈夫なように防音加工が施されている。しかし、各棟の各階にある談話室は、そこまでのものはされていないらしい。「ゲームで盛り上がりすぎて大声出しても大丈夫だけど、流石にドタバタしたり台パンしたりするとダメだからね」と、ネルさんがしみじみ言っていた。栗東寮で1度やらかしたのだろう。
スマホに届いていたメッセージ通り、ランさんの居室がある南棟3階の談話室へ入る。
「ごめんなさい。電車1本逃しました」
「おかえり。先にプリントやってるよ」
そこには、この勉強会の主役であるランさん、私の成績が良いと聞きつけてわざわざ栗東寮からやって来たエレジーさん、昼休みに私とランさんが勉強会の日程を決めているときに乗って来たクラスメイト達が揃っていた。
「それじゃあ、いつも通りでお願いします」
「はーい」
皆が口を揃えて答える。『いつも通り』とはつまり、プリントを一通り終えた人から声を掛けて貰い、皆が終わったら解説をすると言うことだ。ただし、もともとランさんのための勉強会なので、解説もランさんの理解が追い付くペースだ。
その様子を見ながら、私はランさんの隣に座る。黙々と皆が問題を解き進め、シャープペンシルの芯が紙に当たり削れていく音が静かな談話室に響いていた。時折、1つ2つ分の音が消え、その代わりにうんうんと悩むような声がする。
今ランさんたちに解いてもらっている問題集は、トレセン学園で副教材として購入した問題集だ。1週間ほど前までは私が
皆が問題を解き終わるのを待つ間私が何をしているのかと言えば、社会の勉強である。いわゆる理科系の科目は、授業さえ聞いていれば大楽勝だ。お母さんから貰ったスポーツ生理学やトレーニング理論の専門書を全く苦にせず読めるのと併せて考えると、知識はあってもまともに記憶が残っていない前々世の影響と考えて良いだろう。しかし、歴史や地理は前世や前々世とは細かな部分が変わっているため、間違えてしまう可能性が高い。実際に中間試験で農林水産省と文部科学省を間違えた以上、きちんと今世に合わせて覚え直さなければならない。
しばらく授業中に取ったノートとにらめっこをしていると、エレジーさんが私に声を掛けてきた。
「ノヴァちゃん、丸付けまで終わったよぉ」
「どうですか?」
「式変形で、不等号の向き間違えちゃった」
「あぁ、うっかりですね」
エレジーさんは、成績が良い組である。解いたプリントを見たが、それ以外は途中式まで含めて完璧だった。ではなぜ勉強会に参加しているのかと言えば、本人曰く1人だとサボってしまうかららしい。
……それにしたって、わざわざ別寮かつ別クラスの私のところに来る理由がわからないけど。
何かしら考えがあることは間違いないだろう。尋ねるべきかと逡巡していると――。
「ノヴァちゃん、終わったよ!」
「あっ、はい。どうですか?」
丁度クラスメイトたちがプリントを終えたようで、それを見てどう解説したものか考えているうちに機会を逸してしまった。
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「では、今日はここまでで」
「ありがとう、ノヴァちゃん」
「ありがとね」
「ありがとぉ。また明日ねぇ」
「どういたしまして。また明日」
時々息抜きを挟んで集中力を保ちつつ、2時間ほどみっちりと勉強をして今日のところはお開きとなった。居室がこの談話室と同じ南棟3階にあるランさん以外が、私に礼の言葉を掛けて帰っていく。今日は私が実家に帰っていたので短かったが、明日はほぼ丸1日勉強をする予定である。
今日の勉強会では、ランさんが1番苦手としていた数学で、初めて最初に問題を解いた時点で6割正解するなど、期末試験へ向けて希望が見えてきた。
足元の基礎を固め、ひたすら問題を解いてアウトプットをさせて、分からなかった問題や解き方に自信がなかった問題に集中して勉強するだけでこれだけ伸びるのだから、やはりやり方がまずかっただけなのだろう。以前に今までの勉強方法を尋ねたら、「いつもまとめノートを作るので精いっぱいだった」と言う話だった。インプットに偏りすぎて、アウトプットが足りなかったと言ったところか。
この調子でいけば、全教科平均点越えも夢ではない。成績の悪い子の方が点数を伸ばしやすいとはいえど、驚異的な伸び率である。
「ねぇ、ノヴァちゃん」
まだ部屋に残っていたランさんが、私に声を掛ける。ランさんの方を向き、私は問いかけた。
「何ですか?」
「本当に、ありがとう」
とても、とても綺麗な笑顔だった。ラフィさんを女神様と信仰する私が、一瞬呼吸を忘れてしまうほどに。
「……そう言うのは、期末試験が終わってからですよ」
照れを隠そうとして、少しぶっきらぼうな言い方をしてしまう。
「そうだね。それでも、ありがとう」
「……どういたしまして」
「うん」
笑顔を見せる価値など私にはないのに、ランさんは嬉しそうに笑っていた。
ノヴァのウマ耳は、とても大きくて薄めの柔らかい耳です。肉厚で触り応えが良いと言うよりは、ふにゃふにゃと柔らかな手触りをしています。
オークスは今週のお昼代が吹き飛びました。