秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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久し振りにレース回です。


第32話:北海道旅行したい季節の模擬レース

 一般的な生徒たちを苦しめる期末試験が終わったからと言って、すぐに夏休みになるわけではない。特にトレセン学園の場合は一般校と異なり、終業式までの2週間の間に模擬レースや選抜レースの予定も詰め込まれているので、なかなか忙しい。

 

 私も模擬レースに参加するため、クラスメイト達と共にグラウンドに来ていた。来ていたのだが。

 

「ノヴァちゃーん、大丈夫(だいじょーぶー)?」

「……溶けそう」

 

 私は梅雨明けの暑さで完全に伸びていた。ランさんが声を掛けて来たので言葉を返すも、口調にまで意識を回す余裕がない。

 

 出走を待つ生徒たちのためにスタンドには臨時のテントが張られており、じりじりと肌を焼くような日差し自体は遮られていた。更にミストシャワーも設置されており、日陰かつシャワーの風下になる位置を選べば、微かに涼しさを感じる。だがしかし、気持ち程度の涼しさだ。そもそも気温が高すぎる。

 

「暑いの苦手?」

「……はい」

 

 馬と言う生き物は、暑さに弱い。そのため、前世において競走馬の調教と言うものは、明け方から午前中にかけて行われるものだった。当然私も前世では比較的涼しいその時間帯に調教を受けていたし、そもそも夏場はオーナーが――亡くなってからは孫娘さんが経営する牧場のある北海道に、避暑と休養を兼ねて放牧されていた。前世の北海道は温暖化の影響でかなり暑くなってきてはいたが、それでも関東に比べたらまだ涼しかったのだ。

 

 今世でもトレセン学園入学前は競走馬だった頃の習慣に従って午前中に走っていたし、入学後の午後の授業も今までは本格的に暑くなる前だから問題なかった。故に、猛暑の中走る経験は今世では初めてのことである。

 

 ……暑い。無理。死ぬ。

 

 夏に走る子たちに尊敬の念を抱かざるを得ない。他の時期とは異なり、暑熱そのものへの適性が要求されるとしか思えなかった。

 

「でも、ノヴァちゃん?」

 

 スレーインさんが言い辛そうに口を開く。普段は降ろしている黒鹿毛の髪をポニーテールにしていて、心なしか涼しげだ。

 

「暑いのダメなら、冬用のジャージから着替えたら?」

「それは、まあ、そうなんですが……」

 

 6月の衣替え――夏服の半袖で露になったラフィさんの白い肌にテンションがものすごく上がり、『夏服ってえっちだよね。薄手だし』などと脳内で供述した時期を過ぎても、私は冬服のまま過ごしていた。梅雨の時期は少し肌寒かったと言うこともあるが、梅雨が明けても冬服のまま過ごしている最大の理由は紫外線対策である。

 

 前世では青鹿毛遺伝子持ちの葦毛だったこともあり、皮膚がんの発病率が遺伝子的に非常に高かった。極めて幸いなことに死ぬまでに発がんすることはなかったし、今世で葦毛のウマ娘ががんになりやすいと言う話も特に聞かない。

 

 ……でも、怖い。

 

 前世4歳の夏、日に日に死の気配が濃くなって行くオーナーの姿が脳裏に過ぎるたび、もし自分がそうなったらと考えてしまう。日焼け止めを塗れば大丈夫だと言うが、トレーニングで大汗をかいて流れてしまうのではないかと心配になる。メーカーはそこまで考えて作っているとわかっていても、ダメなのだ。理屈が頭で理解できていても、精神的に受け付けないのである。そのため、私は日焼け止めをしっかり塗り込んだうえで丈の長い上下を着ていた。

 

「紫外線が嫌なので……」

「それで体調崩したらダメだよ、先生」

 

 どこかへ姿を眩ませていたエフェメロンさんが、「はい」と冷えたスポーツドリンクの入った紙コップを渡してくる。褐色肌なので相当暑そうに思えるのだが、本人はけろりとしていた。

 

 飲み物は熱中症対策のために学園側が準備したもので、テント下のクーラーボックスに入れてある分は飲み放題になっている。それを注いできてくれたのだろう。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 紙コップを受け取り、ぐいと煽る。よく冷えた飲み物が喉を通り、深部から体を冷やしていく。

 

 一息ついたところで、今まで余裕が無くて見ることが出来ていなかった模擬レースの進み具合を確認すると、既に私の2つ前の子が走り始めるタイミングだった。

 

「あぁ、なるほど。ありがとうございます、ランさん」

「本当に大丈夫? 教官に言って、後に回してもらったら?」

「そこまでは弱っていないから、大丈夫です。行ってきます」

「あっ、うん。行ってらっしゃい」

 

 心配そうに眉を寄せているランさんたちに走ることはできると伝え、スタンドのほぼ目の前にある芝2000mの発走位置まで返し馬(・・・)を兼ねて軽めに走って行く。テントの下から出た瞬間に、思わずくらりとするほどの熱が肌の露出した部分を焼き始める。日焼け止めを塗っていなければどうなっていたのか、考えたくもないほどだ。

 

 私が走っている間に芝コースで行われていた2つ前の模擬レースが終わり、ダートコースで1つ前のレースを走るウマ娘たちがバリヤー式発バ機の後ろへ並び始める。それと同時に私が走る模擬レースの準備のため、ゲート式発バ機(・・・・・・・)が芝コースに侵入した。入学から3か月が経過し、ゲートで発走できるようになった新入生が現れ始めたため、今回から新入生たちが走る模擬レースの一部にもそれが使われるのだ。

 

 教官やゲート入りを手伝う職員たち、そして一緒に走る生徒たちに挨拶をしてから、私はゲートの後ろをくるくると円形に歩き回る。その場にいる人たちから「何をしているんだろう」と言わんばかりの目が向けられているが、気にしない。前世でやっていた輪乗りの再現だ。

 

 ラフィさんたちは今日はダンスレッスンの予定なので、この場にはいない。一抹の寂しさを紛らわせるように、歩き回ることでレースへの集中力を高めていく。

 

 日を浴びる芝の濃い匂い、わずかに土ぼこりを含んだ風、発走に関わるヒトの気配。誰も乗っていない背中はあまりにも軽く、記憶の中のそれと比べて、スタンドから聞こえてくる声も随分と小さい。

 

「枠入りを始めてください」

 

 今日の私は1枠1番――1番最初のゲート入りだ。誰の助けも借りずにするりとゲートに入り、他の子が入って来るのを待つ。模擬レースとは言えども緊張するのか、授業でうまくゲートに入れた子でも少し苦戦しているようだ。それでも1つ、また1つと後扉の閉まる音がする。9人目が入ったところで片足を引いて姿勢を整え、わずかな音を聞き洩らさないように聴覚に神経を集中させる。

 

 ほんの少しの間を置いて、前扉の金具が外れる音がした。それと同時に私は駆け出す。金属の軋む音と共に開いて行く前扉の隙間を通り抜けながら、全力で加速する。

 

 試験期間の間はコースを使うウマ娘が少なかったこともあり、芝の状態はかなり良好だ。暑くて他のレースをよく見ていなかったが、この調子だと内枠有利の前残り馬場だったのだろう。外から私に競りかけてこようとする相手はいないようで、独走態勢のままコーナーへ入る。

 

 前世でもそうだったが、私は体格が小さいこともあり、基本的に脚の回転数で勝負するピッチ走法で走る。加速力とコーナリングに優れ、中距離以下の重馬場を得意とする走法だ。加速中、もしくは加速し切ってすぐにコーナーに入るようなコースは、本来私が得意とするところである。コーナー最内の状態が良好と言うこともあり、私は髪が内ラチを掠めるギリギリの位置を通る。

 

 一瞬だけ後方に目をやると、5バ身後ろをストライド走法で追走する栗毛のクラスメイトが1人いた。レース形式では今日初めて一緒に走る子だが、4月にタイム測定で一緒に走った子たちと比べてかなり詰められている。

 

 ストライド走法は、ピッチ走法とほぼ反対の特性を持つ走法だ。1歩で進む距離(ストライド長)が長く、脚の回転数が減る分スタミナ消費が減るので最高速を維持する能力に優れ、中長距離の良馬場を得意とする。

 

 おそらく、この子は本格化を迎えつつある。スタートダッシュとコーナーを相対的に苦手とするストライド走法で私についてくると言うことは、そう言うことだ。

 

 しかし、完全に本格化しているわけではないだろう。せいぜい3合目と言ったあたりか。もし完全な本格化を迎えているならば、もっと詰めてスリップストリームを利用し、最終コーナーで余裕を持って私を抜かしていくはずである。本格化の有無は、ウマ娘の競走能力にそれだけ大きな影響を与える。

 

 だが、私にとってそれは敗北を許容する理由にはならない。こう言っては追走して来る彼女に失礼なのだが、この程度勝てなければ到底あいつには敵わない。

 

 故に前世持ちならではの秘策を使う。バックストレッチに入り姿勢が安定した瞬間、私はギアを変えるように走法を切り替えた(・・・・・・・・)。前世であいつに勝つため、5歳(現役最後)の夏に会得したものだ。前世では2つの走法の間を無段階に調節できたのだが、今はまだウマ娘の体に最適化できていないので、見てわかるような切り替え方しかできない。前回使わなかったのは、まだレースで試そうと思えるほどの熟練度に達していなかったからだ。

 

 私は大跳びで走ることによるスタミナ消費の軽減分を、そのまま走行速度の増加に割り当てる。理想的には最終直線で発揮する最高速度の向上に割り当てるべきだ。しかし、情けないことに今の私では足が竦んでしまう。だから平均速度を上げるような使い方をせざるを得ない。

 

 ハイペースを維持したまま向こう正面を駆けて行き、コーナーの入口に差し掛かる直前に再び走法を切り替える。

 

 第4コーナーに入り、後方のウマ娘たちが仕掛け始め――けれど、困惑したような気配を感じる。末脚が思ったように伸びず、予想よりも速いペースに足を削られていたことに気が付いたのだろう。それでも、私を追走してきた栗毛の子だけはじりじりと近づいてくる。

 

 ……走法を切り替えていなければ、負けていたかな。

 

 最終直線に入り3回目の走法切り替えを行い、そのまま決勝線を駆け抜けた。見掛け上は危うげない半バ身差の勝利だ。

 

 しかし、そこに喜びはない。予想よりも1バ身余計に詰められた。私のレース勘が鈍っていたこともあるだろうが、それ以上に彼女が強かった。言い訳自体は考えられる。本格化途上のウマ娘の能力を正確に推し量るなど、一流のトレーナーでも難しいのだから。それでも、能力の振れ幅まで考慮してレースを組み立ててこその逃げウマだ。反省が必要である。

 

「ねぇ、ノヴァちゃん」

 

 私を追って来ていた栗毛のウマ娘が声を掛けて来る。お胸が大変大きい。

 

 ……いや、何を考えているんだ、私は。相手は右耳飾り(牡馬)のウマ娘だぞ。

 

 変なことを考えて集中が途切れたせいか、全身から汗が噴き出て来る。より正確には、それを認識したと言うべきか。

 

 邪な感情を気取られないように、私の予想を超えてきた栗毛のウマ娘――マルシュアスさんの目を見る。

 

「次は、負けないから」

「……次がいつになるかはわかりませんけど、また逃げ切って見せますよ」

「言ってくれるね」

 

 マルシュアスさんが頭の横に手を開いたまま掲げる。彼女の意図を汲んだ私は右手を掲げて開き、どちらからともなく掌を叩き合わせた。




2023/10/22 23:20
一部修正いたしました(今日は坂路練習をするため→今日はダンスレッスンの予定なので)
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