詳細については各話後書きに記載しています。
このままお読みいただいても問題ありません。
中4週近く空いて申し訳ございませんでした。
ラフィさんたちが合宿に出発した日の翌日、私は普段より30分ほど遅れて起きる。主のいないもう一つのベッドに少し寂しさを覚えながら、いつものジャージではなく、長袖のパーカーとTシャツ、ハーフパンツとタイツに着替えて、玄関へと降りていく。夏にする格好ではないが、春と比べて紫外線が強い以上、これくらい着込んでおかないと不安である。
玄関まで来て最初に覚えた違和感は、ほぼ毎日玄関で外出禁止時間の終わりを待ち構えている見慣れた面々――『いつもの面子』とでもいうべきウマ娘たちが、普段よりも少ないことだ。彼女たちもラフィさんと同じく、合宿をしているのだろう。
そんなことを考えているうちに現れた今日の当番が、眠たげに玄関の鍵を開いた。「二度寝してこよ」と欠伸をしながら呟いた彼女に頭を下げて、日の出のほんの少し後に私は寮の玄関を出る。
湿気と熱を帯びた風が肌を撫でる中、私はトレセン学園からJR府中本町駅へ向かい、始発の1本次の南武線に乗る。南武線には初めて乗ったのだが、沿線に公営賭博の施設が多く治安があまりよくない――らしい。明らかに柄の悪そうな人などもいて少し警戒していたのだが、肩透かしなほどに平和だ。よく考えてみれば、ウマ娘ならば私程度の体格と幼さであっても、身体能力だけは重量級の格闘技選手を圧倒できるので、喧嘩を売ってくるようなヒトがいないことは当然と言えるだろう。もちろん、その競技の練習をしていないウマ娘では、その道のプロと実際に試合をしても技量の差で負け越すことは言うまでもない。
のんびりと40分弱揺られて、川崎市の鹿島田駅で降車する。そこから駈足――ウマ娘基準で軽めに走って15分ほどの場所に、今日の目的地はあった。辺りが開けている分相対的に爽やかな風が吹く多摩川の河川敷、その一角を占める楕円状の設備は、青森産の砂が敷き詰められた1周1200mのトラックだ。近くに立てられた占用許可の看板には、そこが川崎トレセン学園の練習グラウンドであると明記されている。
グラウンドのすぐ傍を通る『かわさき多摩川ふれあいロード』と名付けられた河川敷沿いの道、その小向仲野町信号付近で、私は待ち人たちの乗った車が来るまでグラウンドを眺めていた。私が来る前から既に走っているウマ娘もいれば、交差点すぐ傍にある正門の銘板に『小向寮』と書かれた建物――川崎トレセン学園の寮からたった今出て来たウマ娘もいる。にこにこと笑顔で「おはよう」と挨拶をしてくるので、私も挨拶を返す。
しばらく挨拶返しをしているうちに、聞き覚えのあるエンジン音が南から近づいて来た。目線を向けると、予想通りのナンバープレートを付けた車だ。そのミニバンは緩やかに速度を落とし、私のすぐ傍の路肩に停車する。止まり切ったかどうかと言うタイミングでスライドドアが開くと、小さな影が私に向けて突撃して来た。
「お姉ちゃーん!」
我が家の大天使ちゃんだ。満面の笑みで突進してきた美月を両腕を広げて受け止めると、抱きしめながらその場でくるくると回って勢いを落としていく。ぴたりと回転が止まったところで、腕を緩めて美月の顔を見る。
「おはよう、美月! 良い子にしてた?」
「してた!」
「偉いねぇ!」
右手で髪を梳いてあげると、美月は「むふー」と上機嫌そうに息を漏らす。可愛い可愛い妹を愛でていると、ミニバンの運転席の窓が開いた。
「おはよう、ノヴァ」
「おはよう、お父さん」
「お父さんは車止めて来るから、美月と一緒にお母さんについて行ってくれるかな?」
「わかった」
私がそう言い切ると、助手席からお母さんが下りて来て、お父さんが出発する。
「おはよう、お母さん」
「おはよう、ノヴァ。美月のこと、よろしくね」
「うん」
そう挨拶を交わして先に歩き始めたお母さんの横顔が、私と美月の母としての優し気なものから変貌する。それは、ローカルシリーズの中でもレベルが高いとされる、南関4
「ね、ねぇ、美月。お母さん、前とだいぶ違う気がするんだけど……」
「んー? お母さん、テレビに映るときはいつもこんな感じだよ?」
「そうなんだ……」
以前小学校の課題のために練習を見せて貰った時は、相当配慮されていたのだろう。家族の中で私だけが知らなかった母の姿を後ろから観察しながら、私は美月と手を繋いで母の後に続いた。
⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰
どうして
建前の理由1つ目、それは学園施設の利用優先度の問題だ。
競走
もちろん学園側も可能な限りの配慮をしているが、如何せん生徒が多い以上、現役かデビュー間近のウマ娘が優先されることは致し方ないことである。それに設備が使えずとも、トレーニングについて教官たちに相談するなど学園外で出来ないことはたくさんあるのだ。故に、大半のウマ娘は盆休みやサマーウォークでのリフレッシュを除けば学園に残っている。
しかし、一部のウマ娘はそうではない。学園の施設が使えないならば、いっそのこと学園外でトレーニングをしても変わらないと言う発想だ。ウマ娘への指導ができる人に心当たりがあるのであれば、下手に学園に残るよりも有意義に過ごせるだろう。
私もその1人である、と言うことだ。
このような需要を見越して各種トレーニング設備を整えた、前世で言うところの外厩に当たる施設もある。しかしながら、生徒であれば無料で使える学園の設備と異なり、こちらは利用料がなかなか良いお値段だ。他2つの理由もあり、私は使わないことにした。
2つ目の理由は、トレーナーの視点を持つことだ。
つまり、『そのトレーニングにはどのような効果があるのか』、『なぜそのトレーニングを今行うのか』と言う知識を身につけるのである。たとえ付け焼刃であっても、何も知らずにやみくもなトレーニングを重ねるよりは良いだろうし、自分なりの納得を得てトレーニングをする方が、何を意識して練習に挑むべきかと言う姿勢が整うのではないかと思ったのだ。それに、身内ならそのあたりのことも尋ねやすい。
そして3つ目は、美月のお留守番問題である。
去年までは、私と美月は2人とも小学生だったので、長期休みでも2人で留守番が出来た。小学生2人でほぼ毎日留守番させると言うのは両親としても心配だったようだが、ウマ娘かつ
しかし、私が進学した今年は違う。共働きでトレーナーをしている両親がこうして出勤してしまうと、美月は家で独りぼっちのお留守番である。去年までわざわざ美月を図書室で待たせて一緒に下校していた私としても、今年から学童保育の時間に合わせてどちらかが早く上がっている両親としても、心配で心配で練習どころではない。
『1人でお留守番だなんて、可愛い可愛い
私とお父さんお母さんの意見が一致したことは当然である。
……過保護と笑え……! 美月に自立心が芽生えて嫌がるまでは、全力で
今のところは美月の口から1度も不満を聞いたことがないので、問題はないはずだ。過保護すぎて免疫が付かないのではないかと言う危惧はあるが、小学4年生なら過保護なくらいでまだ良いだろう。
……中学生になったら、いやでも美月はヒトだし、不埒な大人が危害を加えようとしたら私と違って切り抜けられないかも。なら高校生――も心配だなぁ。じゃあ大学生、と言いたいところだけどいくら何でも過保護すぎるし。高校生かなぁ。
最終的には両親と美月とで話し合って決めるだろうが、姉としてはやはり心配である。
とは言えども、理由がこの3つだけなら私が来る必要はない。優先度が低くとも学園設備は利用できるし、知識を付けるなら教官に質問すれば十分であるし、美月のお留守番問題も今こうしているように両親の仕事についてこさせれば解決するのだから。
究極にして最大の決め手は、「お姉ちゃん、帰ってこないの……?」と電話越しに寂しそうに呟いた、
先月まで寂しい思いをさせてしまったと言う負い目もあり、夏休み丸々とは流石に行かないが、ラフィさんたちが合宿でいない2週間に合わせて実家に帰ることにしたわけである。両親にトレーニングを見て貰えば、設備と環境の整った学園から離れるデメリットも相殺できると踏んだのだ。
これらの理由があって、私は今日から2週間、両親が手掛けているチームの練習を手伝いながら、ついでにトレーニングを見て貰うことにしたのである。
⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰
私たちがグラウンドへ降りるスロープを歩いているうちに、バ場の入口となる外ラチの切れ目前に設けられた広場へ10余名程度のウマ娘が集まり整列する。両親のチームに所属するウマ娘たちだろう。自分たちのトレーナーの後ろに子供が2人ついて来ているのか気になるのか、お互いに顔を見合わせて何か話している様子だ。しかし、そのうちの一人は明らかに私を見て手を振っていた。
……誰だろう?
私の疑問を他所に、お母さんは彼女たちの前で足を止め、姿勢を正して声を出した。
「おはよう、みんな」
「おはようございます」
「
そして、朝のミーティングが始まる。短い時間ではあるが、出欠や体調の確認、月曜日と言うこともあり今週の大まかな予定と、今日1日の全体メニューや個人メニューの確認など、話すことは多い。
それらがほぼ終わろうかと言う頃に、お父さんが合流してきた。しかし、お父さんの方は普段と雰囲気が変わらない。それがなおさら、お母さんの雰囲気の違いを際立たせているように感じた。
そんなことを考えていて少し油断していた頃に、お母さんが私たちに話を振って来る。
「それと、みんな気になっていただろうけど、今日からしばらくの間、トレーニングにゲストが加わるわ。ノヴァ、美月」
「はい」
仕事モードなのか鋭い雰囲気の母に気圧されて、ものすごい他人行儀になってしまった。
「キャンドルノヴァです。皆さんのトレーニングのお手伝いと、その合間の時間でトレーニングをしに来ました。今日から2週間だけですが、よろしくお願いします」
挨拶と共にお辞儀をする。戸籍上の名前は別にあるが、ウマ娘がそれを名乗ることは滅多にない。
「えっと、星崎美月です! お姉ちゃんと一緒に、トレーニングのお手伝いをします! 夏休みの間、よろしくお願いします!」
美月が私の見よう見まねで自己紹介をした。頭が下がると共に、ツーサイドアップの長い髪がさらさら流れる。初々しくて大変愛らしい。
「はい、
「何かしら」
両親のチームのウマ娘が、勢い良く手を挙げた。
「ノヴァちゃんは、美空さんの親戚の子ですか?」
「いいえ。血の繋がった娘よ。ノヴァがウマ娘だから不思議に思ったのかもしれないけど、ヒトの夫婦からウマ娘が生まれてくることも稀にあるの。世間一般にはウマ娘はウマ娘から生まれると思われているくらい、とても珍しいけれどね」
「へぇー。ありがとうございます!」
「そんなこともあるんだね」と他のウマ娘たちが小さな声で話している。この手のやり取りも、私たち家族はもう慣れたものだ。
「他にはない?」
お母さんは誰も声をあげないことを確認し、お父さんに話を振る。
「治明さんは?」
「早速だけど、ノヴァと美月にもトレーニングの準備を手伝ってもらおう。バーフニュカ、案内をお願いできるかな」
「任せてください!」
そう答えたのは、先ほど私に向けて手を振ってきたウマ娘だ。黒鹿毛の長い髪をポニーテールにまとめた彼女は、随分と張り切っている様子である。
「僕からはもうないよ。それじゃあ、トレーニングを始めよう」
「はい!」
そう返事を返し、ウマ娘たちがそれぞれの準備に向かう。私の方へはバーフニュカさんと数名のウマ娘がやってきた。
「ノヴァちゃんだよね? 久し振り」
「えっと、お久しぶり、です?」
とても親し気に話しかけて来てくれているのに申し訳ないが、私は全く覚えていない。
「覚えてなさそー」
「あ、あれー?」
「だから言ったじゃん? 先輩。何年も前に1回会ったきりの相手なんて覚えてないって」
「そっかー」
おそらく、以前小学校の課題のために見学に来た際に会ったことがあるのだろう。がっくりと肩を落とされると、忘れてしまっていたことも相まって心が痛む――。
「まあ、これから仲良くなればいいか!」
――間もなく、バーフニュカさんは復活した。
「ノヴァちゃん、美月ちゃん、用具倉庫からミニハードルとかタイヤとか色々出すから、一緒について来て」
「わかりました」
「わかった!」
ここにいる誰よりもやる気満々の声を出した美月がとても可愛らしい。バーフニュカさんも微笑ましいものを見る優しい顔をしており、お互いの表情に気が付いた私と彼女は、どこか通じ合うものがありどちらからともなく笑うのだった。
バーフニュカは元ネタの完全に存在しない架空ウマ娘です。
アプリ版のモブウマ娘は全員が中央所属なので、地方所属のウマ娘には出来れば使いたくないと言うことが理由です。