秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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4回も締め切りを伸ばして申し訳ございませんでした。


第35話:川崎の愉快な人たち

 お母さんからもらった書籍の受け売りではあるが、ウマ娘のトレーニングというものは、脚に走行負荷を掛けるメニューについては午前、もしくは午後の半日のみとすることが一般的である。大昔からの経験則上、そして近年のデータから統計学的に導き出した結果上も、それ以上の量をこなしたところで効果は薄く、しかし程度の軽微重大問わず故障確率が急激に高くなっていくのだとか。

 

 私の推測でしかないが、ウマ娘たちがその名と魂を受け継ぐ競走馬たちの受ける調教が、午前中の2時間程度でしかないことが関係あるのかもしれない。

 

 午前中いっぱい美月と一緒にトレーニングのお手伝いに駆け回った私は、そんなことをぼんやりと考えながら締めのミーティングを眺めていた。

 

「今日のトレーニングはこれで終わりよ。ご苦労様」

「お疲れさまでした」

 

 正午の5分前、練習終わりの挨拶とともに、ウマ娘たちの纏う雰囲気がアスリートのものから思春期の少女たちのそれへと緩んでいく。その様を私はお母さんの隣で見ていた。

 

 「今日の日替わり定食なんだっけ?」と隣の子に尋ねる腹ぺこウマ娘もいれば、「お昼食べたら、ルフロンの水族館一緒に行かない?」と他の子を遊びに誘うウマ娘もいる。少し浮ついた雰囲気の彼女たちの様子を見て、お父さんが思い出したように言葉を発した。

 

「ああ、そうだ。午後はもちろん好きに過ごしていいけど、夏休みの宿題もきちんと計画立ててやること。いいね?」

「嫌なこと思い出させないでくださいよー」

 

 つい先ほどまで真剣な顔で指導を受けていたバーフニュカさんが、お父さんの釘差しにしおしおくちゃくちゃの表情で答えた。その表情筋の限界に挑んでいるような顔を見たウマ娘の内1人が笑い出し、他のウマ娘たちにも連鎖していく。

 

「顔芸、やめてよっ。おなか、痛くなるからっ」

「本当、あんたの顔、どうなってんのよ」

「お姉さん、面白ーい!」

 

 美月にも好評なようで、きゃいきゃいと笑っている。かくいう私も、ほとんど真正面で見てしまったせいで口元を手で隠して笑いを堪えるのに必死だ。私が肩を震わせている間に変顔から戻したバーフニュカさんは、私の様子に気が付いたのか数歩私に近づき、目線を合わせるように屈む。

 

「ノヴァちゃん、笑ってる?」

「……笑って、ないです」

 

 ……辛うじて。

 

 ウマ娘はみんな顔が良い。そしてバーフニュカさんは美人といわれるタイプの顔である。もし彼女について何も知らない状態で、今こうしているように近距離で目を合わせていれば、10人中8、9人くらいはしどろもどろになってもおかしくないだろう。

 

 だがしかし、私は先ほどの変顔を見てしまっているのだ。そのギャップがじわじわと私の腹筋へダメージを与えてくる。バーフニュカさんはすぐ何かしてくるということもなく、数秒ほど見つめあう。そして。

 

「んばぁ」

「ぶふっ」

 

 至近距離で再びしおくちゃ顔を見せたバーフニュカさんを見て、私は堪らず吹き出した。

 

「はい、勝ちー」

「2回は、反則じゃ、ないですか!?」

 

 腹筋の制御が利かず、蹲りながら抑え込んだ口からくつくつと笑い声が漏れる。

 

 私がそうしている間に、バーフニュカさんは両親と話し出した。

 

「美空さん、治明さん。お昼はノヴァちゃんたちと食べますか?」

「えぇ。食堂に行くつもりよ」

「私も一緒にいいですか!?」

 

 バーフニュカさんの耳がピンと伸びる。

 

「いいよ。バーフニュカ以外にいるかな?」

「はーい」

「私も行きまーす!」

「じゃあアタシもー」

 

 お父さんの呼びかけに数名ほどのウマ娘が手や声を挙げ、お昼は大所帯となることが決まった。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 梅ごはんと、けんちん汁と、シューマイ。神奈川の郷土料理3点セットが今日の日替わり定食であり、私のお昼ご飯だ。湯気と共に立ち上るシューマイの匂いとしか呼べない独特なそれや出汁の香りが、朝ご飯を忘れていた胃袋を刺激する。

 

 

 ちなみに、恥ずかしながら今日の朝食をどうするのか全く考えていなかったのは私だけだった。お父さんお母さんと美月は朝出てくる前に食べて来て、両親のチームのウマ娘たちは、昨日のうちに寮の食堂に頼んで軽い朝食を作り置きしてもらっていたのだ。練習の手伝い中に思いきり腹を鳴らしたときは、穴を掘って埋まりたくてしょうがなかった。かわいいかわいい我が妹に会えるからと、我ながら浮かれすぎである。

 

「お姉ちゃん、それで足りるの?」

「あら。ノヴァ、その量で大丈夫?」

「もう2、3人前買ってこようか?」

「大丈夫だよ。今日は手伝いだけで、あんまり動いてないし」

 

 一緒に列に並んでいた美月とお母さんお父さんが、ヒト基準で大盛り程度の分量しかない(・・・・)私のトレイに乗った料理を見て心配してくる。

 

 ……美月はともかく、お父さんとお母さんはトレーナーなんだから、カロリー収支なんて見ただけでわかるでしょ。

 

 そんなことを言いたくもなるが、そこは親心ということだろう。テレビなんかでも、実家に帰ってきた子に山ほど料理を出す親を見たことがある。親とは、きっとそういうものなのだ。

 

 前世ではスタリオンステーション在籍時代は種付けしたらそれっきりであり、成績の悪さから追い出されて孫娘さんの牧場で繋養されていた時も、数年後には動物園の肉食獣たちの餌になっているかもしれない子供たちに情が移らないようにと顔を合わせることはしなかったので、私にはわからない心理である。

 

 それはそれとして。

 

 これでも券売機で売っている中では1番大盛りになるものを選んでいるのである。というのも、川崎の生徒や、川崎レース場で開催されるレースの出走ウマ娘は食べ放題の対象なので、必然的に食券を買うような層は基本的にヒトなのだ。

 

 未だに「夏バテかな」などとちょっと心配そうな家族をどうにか説得し、バーフニュカさんたちと合流して席に着く。

 

「いただきます」

 

 そうみんなで挨拶をして、食事を始める。さわやかな梅の香りと出汁の味わいが染みたごはんがとてもおいしい。

 

 もぐもぐぱくぱくと食べていると、机の向かい側左でサンマーメンをふうふうと冷ましていたバーフニュカさんが話しかけてくる。

 

「ねぇねぇ、ノヴァちゃん。私たちのトレーニングと、ノヴァちゃんのいる中央のトレーニングって、何か違いあった?」

 

 口の中にまるまるシューマイを入れた直後だったこともあり、手のひらをバーフニュカさんに向けて一旦待ってもらう。

 

「あっ、ごめんね」

 

 首を横に振って謝らなくていいと伝え、よく噛んでから飲み込む。

 

「そうですね。やっていることそのものはそんなに変わりませんけど、設備面は結構違いますね。まずコースの大きさが違いますし、坂路もプールもありませんし……」

「あー、小林に行かないと坂路はないね」

 

 ……あれ?

 

「……中央所属だとか、私言いました?」

 

 自己紹介でそんなこと言ったら、人によってはマウント取っていると解釈されかねないので言わなかったはずなのだが。今日トレセン学園のジャージを着てこなかったのも、ジャージで所属が分かるからである。

 

「美空さんから聞いたよ」

「お母さん?」

 

 じとーっとさせた目つきを、向かい側右のお母さんに送る。私の真正面でバーフニュカさんと私の話を聞いていた美月も、私の真似をしてお母さんを見ている。

 

「あの、私から言いふらしたわけではないのよ? 本当よ?」

「本当かなぁ」

「本当だから、ね?」

 

 お母さんは、私の中央合格後最初の仕事休みの日に横断幕を作って、近所一帯に「娘をよろしくお願いします」と走り回って宣伝しようとした人である。横断幕を持ってあとは外に出るだけというところで私に許可を取りに来たし、私が本気で「やめて」と言ったら残念そうにしたとは言えどもやめてくれたが、そういう人なのである。お父さんはもう少し常識的だけど、根っこが同じなのでお母さんのブレーキにはならない。雑談の話題として出していてもおかしくないのだ。

 

「まぁまぁ、ノヴァちゃん。美空さんが自分から言い出したわけじゃないのは本当だから」

「いや、まぁ、言いふらしたとまでは思ってないですよ? ぽろっと言っちゃったくらいはしてそうですけど」

「お父さん、娘からの信用が無いわ!」

「あはは、こればかりは擁護しづらいかな……。僕も他人のことは言えないし」

 

 よよよとお母さんがお父さんに縋りつく振りをする。お母さんもお父さんも娘のことになると箍が緩みがちだと、私と美月はよく知っていた。それを考慮してなお、私にはもったいないくらいに良い親だ。

 

 バーフニュカさんは話を続ける。

 

「実は、結構前に美空さんも治明さんも(すっご)く機嫌が良かった日があってね」

「そうそう、私たちの誰かがGI勝ったんじゃないかってくらいニコニコしてたんだよね」

 

 同席している両親のチームのウマ娘が、相槌を打った。

 

「その日が中央の合格発表の次の日で、ノヴァちゃんがちょうどそれくらいの歳だって私は知ってたから。それで試しに鎌かけてみたら、ぽろっと」

「やっぱり、ぽろっと言ってる……」

「あんな聞かれ方されたら、言っちゃうのよー!」

 

 もはや教え子たちの前で取り繕うこともしなくなったお母さんが、頭を抱える素振りを見せる。とは言えどもこれに関してだけは、お母さんは無罪と言って良いだろう。そもそも、本気で責めるつもりはない。

 

「こんなにあたふたしてる美空さん初めて見た……」

「ねー」

 

 私と美月にとってはいつも通りのお母さんだが、川崎のウマ娘たちにとっては見ることのない姿らしい。

 

「まあ、そんなわけでノヴァちゃんが中央の子だって私が教えたから、みんな中央がどんなことしてるのか、興味があるんだよね」

「えっ? いや、バーフニュカさん? 話広めたんですか?」

 

 咎めるように私はバーフニュカさんを見つめた。彼女はへらっとした身振りと態度で答える。

 

「まあまあ、うちのチームだけだから」

「そ、そうですか。……そうですか?」

「何はともあれ、一旦話は置いといて」

 

 バーフニュカさんが、何か箱状のものを持って横に除けるような仕草をした。

 

 ……なんだか丸め込まれているような。

 

 疑問を抱くも、それを差し込む余地なく彼女は話を続ける。

 

「今年の羽田盃と東京ダービーは中央の子に持って行かれたからさ。南関のウマ娘としては、3冠目まで譲りたくないんだよねー」

 

 そう軽い調子で呟いたバーフニュカさんの瞳の奥には、闘志の炎がぎらついている。前世の私には、4歳の夏までなかったもの。ギンシャリボーイ(あいつ)のような強者だけが持つ、息苦しい程の威圧感を伴う闘志だ。

 

 彼女は何かに気が付いたように自らの両頬を数回叩き、「ごめんね」と謝罪する。そこでようやく、私は私が気圧されていた(・・・・・・・・・)ことに気が付いた。まったく予想していなかったところで当てられたからか。我ながら情けない。

 

「そう言うわけで、中央の子の強さの秘密、ノヴァちゃんのお話から探ろうかなって思うんだよね」

「まだ入学して半年も経ってませんし、チーム所属でもないですよ……?」

 

 首を傾げ、言外にそれでもいいのかと伝える。はっきり言って、大したことは言えないのだ。

 

「それはわかった上でだよー」

「自分たちが気にもしてない当然のことが重要なことだってあるし、地方のトレセンにいる子なら誰でも、中央のお話は聞けるなら聞きたいから」

 

 他のウマ娘たちもバーフニュカさんの作った流れに乗る。承知の上でならば、私自身は話すこと自体は吝かではない。しかし。

 

「それなら良いですけど、その……」

「なぁに?」

 

 お母さんとお父さんに目線を向ける。私はよくても、家族は別だ。何か予定を入れているかもしれない。そう考えてこの後の予定を尋ねようとしたところで、私の様子から何を言うか察したらしいお父さんが素早く口を開いた。

 

「急ぎじゃない書類仕事がそこそこあるし、せっかくだからそっちを片付けるよ。お父さんたちのことは気にしなくていいから」

「美月もいい?」

「私も一緒にお話聞く!」

「じゃあ、そうしましょうか。ノヴァ、よろしくね」

「あっ、うん」

 

 目線を送っただけで、トントン拍子にこの後の予定が決まってしまった。

 

流石(さっすが)、うちのトレーナーさんたちは話が分かるぅ!」

「お父さんもお母さんも、美月も良いと言うなら、いくらでも話しますけど――」

 

 バーフニュカさんたちのテンションが上がっているところ悪いのだが、今この瞬間、何よりも重要なことがある。

 

「――ご飯冷めちゃうので、先に食べていいですか……?」

「あっ、ごめんね。……って、やばい! 麵ちょっと伸びてる!」

 

 慌てて麵を啜ったバーフニュカさんが「熱い!」と悲鳴を上げる。

 

「猫舌なのにサンマーメンなんて頼むからだよ」

「何やってんのさ、バーフニュカ」

 

 おっちょこちょいなバーフニュカさんに、他のウマ娘が笑いながら突っ込みを入れる。つい先ほど彼女が見せた威圧感との差があまりにも大きくて、なんだか可笑しく思えた。




川崎編については長くても次で終わる予定です。
書いてみないとわかりませんが、書いていてしっくりこなかったら次の話の冒頭にはトレセン学園に戻っています。
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