秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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プロローグについて、医学的に無理がある描写の可能性があったため一部改稿をしました。
詳細についてはプロローグの後書きに記載しています。
このままお読みいただいて支障ありません。


第3話:入寮日の出会い

 力なく横たわる私の体から命が零れていく。視界が霞んで見えなくなり、体中が痺れて暑さ寒さも痛みも感じなくなっていく。鉄のような臭いも味もいつの間にか消えていて、最後に残された感覚は音だけになった。耳が捉える周りの喧騒がだんだんと遠くに去っていく。そのうちに真っ暗で、温かくも寒くもなく、無味無臭無音の世界が訪れた。

 

 何もない何も感じない空間をどれほどの時間揺蕩っていただろうか。ふと自分の名前が思い出せないことに気が付いた。自分の身に何が起きているのかわからず恐怖で身を掻き抱こうとして、腕が――腕どころか体そのものが消えていることを感じ取った。私という存在そのものが虚無に拡散していって、何もかも希釈されてゆっくりと消えていっていることを知覚できていなかったのだ。

 

 自身の状態を認識し精神が霧散する恐怖に震える中で、ふと暖かいものの存在を感じた。時間感覚すらない中で久しぶりに感じた温度を求めて、自分でも原理がわからないまま精神力だけで移動する。ギリギリと体中が締め付けられるように痛む。痛みすら今は心地が良かった。無我夢中で進んでいるうちに、ごてんと地面に落ちた。

 

「お爺ちゃーん! 産まれた! 仔馬! 真っ黒!」

「わかっとるわかっとる。何頭取り上げてきたと思っとる」

 

 誰かと誰かが何かを話しているようだ。肺に何か引っかかりを覚え思い切りせき込むと、鼻から水が抜けていく。苦しくて息を吸うと、血と藁と獣のような臭いがした。何度かせき込むうちに呼吸が楽になっていく。久しぶりの重力が私を地面へ押し付けていた。何がなんだかわからないが、本能的に立ち上がらなければならない衝動に駆られる。両足で立ち上がろうとして立ち上がれず、致し方なくとりあえず両手も使って起き上がることにする。

 

「頑張れ、頑張れ!」

 

 ようやくはっきり見えてきた両目で自身の両手を捉えて違和感を覚えた。指がない。いや、中指の感覚だけがある。そもそも、異常に視野が広い。ようやく四つん這いになれた時、今自分の身に起こっていることを理解する。

 

「立った、立った!」

「30分で立ちおった。こいつはもしかするかもしれんなぁ」

 

 光差す厩舎の中、もう2度と会えないはずの人たちの声がした。

 

 ……前世の夢だ。

 

 そう自覚した瞬間に場面が切り替わる。夢の中の私は2歳くらいまで育っていて、生まれた直後は青鹿毛に見えるほど黒かった体毛に白が混じり始めていた。夕日が差す中、芝の匂いをたっぷりと含んだ冷たい風がなだらかな丘を吹き抜けている。

 

「よぅドリ介、お前は何時まで経ってもみすぼらしいなぁ、おい」

「なんて失礼なお爺ちゃん! ドリちゃんくらい賢くてかわいい子はいないのに!」

 

 牧場の経営者でもあるオーナーが、牧場の一角でブラッシングを受けている私へ冗談半分に声をかけて来る。私の面倒を見てくれている孫娘さんがそれを聞いて、私の馬体に抱き着いて反論する。前世の私が牧場にいるとき、いつも見てきた光景だった。

 

 『ドリ介』だとか『ドリちゃん』だとかの呼び方は、前世の私の母が『ハッピーキャンドル』という名前だったからついた幼名だ。名無しは可哀そうだと孫娘さんがつけてくれたことを思い出す。

 

「言いたくもなるだろ。生まれて30分で立ち上がったんだぞ? こいつは期待できると思ったら、飯食わなかったせいで何時まで経っても体はちっこいわ、毛並み悪いわ。最初は高く売れると思っとったんだがなぁ」

「薄切りのりんごと一緒ならよく食べるでしょ!」

「普通の仔馬は乳と生えてる草で満足するんだよ。まったく手のかかる奴だ」

 

 目を細めながらオーナーはそう言う。本気で私を貶しているわけではない。スキンヘッドに白い無精髭とかなりの強面だけれど、意外と優しい人だった。経営のことを考えるなら、馬の生活にすぐ順応できず発育不良だった私を肥育牧場に売るなり処分するなりすることだってできた。それなのに私をそのまま牧場に置いて、競走馬にしてくれた。初めて担当する馬が私だった孫娘さんがしつこくお願いしていたからというのもあるだろうけれど、あまり余裕がない中で私に期待をしてくれた。

 

「見てくれの割によく走るんだから、わからねぇやつだよ」

「だから言ったじゃない。ドリちゃんは絶対走るって」

「仔馬可愛さに目曇ってるやつが良く言う。偶然だろ、偶然」

 

 まだ入厩する前に牧場にいたころ、そして放牧中によく見かけた2人して笑いあって終わるいつもの掛け合いだ。「お前が走ってくれないと、うちは潰れちまうぞぉ」などと冗談交じりに脅されたこともあった。けれど今回はひとしきり笑った後、孫娘さんが寂しげな顔をした。その様子を見て取ったオーナーが話し出す。

 

「明日で入厩だ。しばらく会えねぇぞ」

「……うん」

「ドリ介に送る名前は決めたか」

「うん」

 

 ……あぁ、そうか。この日の夢か。

 

 オーナーが腕を組んで優しい眼差しで見守る中、私の正面に立った孫娘さんが私の顔に手を添えて微笑みながら名前を告げる。

 

「キャンドルノヴァ。君が、夜空に明るく輝く超新星みたいな子になれますように」

「……そうか。いい名前をもらったな、ドリ介」

 

 私がキャンドルノヴァになった日の記憶。一番大切なはずの思い出。なのにどうして、あの人たちの名前が思い出せないのだろう。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

「ノヴァ、起きなさい。もう着いたわよ」

「んぅ……」

 

 お母さんの声で目を覚ました私は、最近買い替えたミニバンの助手席に座っていた。どうやらお母さんが運転する車で揺られているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。とても懐かしい夢を見ていたような気がして、けれど内容を思い出せなかった。

 

「……ノヴァ、どうしたの?」

「何が?」

「泣いてるわよ」

 

 目元を指で拭うと、確かに涙が零れていた。どうしてなのかわからないまま、ポケットから取り出したハンカチで涙を吸い取る。

 

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「そう? ならいいけど……」

 

 お母さんが少し不安そうに眉を寄せる。車を降りるだけなのにどうしてそんな反応をするのか寝ぼけた頭で少し考えて、今日がトレセン学園の集中入寮日であったことを思い出す。車のフロントガラス越しに辺りを見渡すと、車は学園と学生寮の間に1本だけ走っている道路に停車していた。このまま停車していると迷惑になってしまうだろう。私はそう思い至ると、当面今までのようには家族と会えないことに少し寂しさを感じながら、シートベルトを外して車を降りる準備をする。

 

「送ってくれてありがとう、お母さん。行ってくるね」

「寂しくなったら、いつでも帰って来るのよ?」

「うん」

「いつでも連絡くれていいからね?」

「うん。ありがとう」

 

 微笑みながら助手席の扉を開けて車を降りる。ほんの少しだけ、家の辺りと風の匂いが違う気がした。リュックサックをきちんと背負うとくるりと振り向き、扉を閉じる前にあいさつを交わす。

 

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 ばたりと扉を閉じると、お母さんが小さく手を振っていた。私も手を振り返すと、お母さんの運転するミニバンが静かに走り去っていく。角を曲がって見えなくなるまで、私はお母さんに手を振り続けた。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 トレセン学園の建築物の多くは西洋の歴史的建築様式を参考にしたであろうデザインをしている。前々世では2次元の存在であったそれらをオープンスクールやファン感謝祭で目の当たりにしたときは、今の年齢相応にわくわくしたことを思い出す。学生寮も学園の他の例に漏れず欧風な見た目だ。2つの寮舎に分かれており、それぞれ栗東寮と美浦寮と呼ばれている。学園の正門から道路を挟んで寮舎を見たとき、右手側が栗東寮、左手側が美浦寮であると、リュックサックから取り出した入寮案内に記載されていた。

 

 案内と一緒にクリアファイルに挟んでおいた入寮許可証に従い、私は美浦寮の玄関へ向かう。テントと長机が置いてあり、一目見ただけでは数えきれないほどのウマ娘たちが列をなしていたので、玄関の場所はすぐにわかった。前世でも美浦所属だったことを思い出しながら、花吹雪の中を歩いて行く。自宅の辺りの桜はもう散り切ってしまったので、わざわざ遅咲きの桜を植えているのだろう。時々髪や服にまとわりつく花びらを払いのけながら進むと、前々世で(・・・・)聞き覚えのある声がした。

 

「新入生の皆さん、トレセン学園へようこそ! 美浦寮はこちらです! 列に並んで手続きをしましょう!」

 

 列整理のために明朗快活そうな良く通る声を張るウマ娘は、鹿毛のポニーテールに桜色の瞳をしたサクラバクシンオーだった。2次元と3次元の違いはあるが、間違いない。改めて、本当にトレセン学園に来たのだと実感する。以前何度かトレセン学園を訪れたときはいわゆる原作ウマ娘を間近にしたことはなかった。画面越しや遠目から見るのではなく、本当に手を届かせることができる距離にいる事実に感動すら覚える。

 

 委員長の声に従って大人しく列に並び、しばらくすると私の番になった。名を名乗り許可証を見せると、担当のウマ娘が名簿にチェックマークを入れてから鍵を渡してくる。

 

「キャンドルノヴァさんの部屋番号は418です。北棟の4階南側なので、この玄関に入って右側の階段を上ってください。事前の案内通り荷物は玄関に置いてありますので、ご自分で運び込んでください」

「ありがとうございます」

「3時から食堂でオリエンテーションがあるので、遅れないでください」

「はい。わかりました」

 

 手続きを終えて玄関に入ると、無数の段ボールが部屋番号順に整然と並べられていた。その中から数分かけて自分の荷物を見つけると、私は階段を数往復して全ての荷物をこれから過ごす自室の前に置く。

 

 トレセン学園の寮は原則2人1部屋であり、私にとって寮生活は前々世を含めても初めての未知の体験だ。同室の子が良い子であることを祈りながら、覚悟を決めて3度ノックをする。しばらく待っても返事がなかった。もしかしてと思い扉を開けようとすると、予想通り鍵が閉まっていた。不在だったらしい。

 

 出鼻を挫かれた気分になりながら鍵を使い扉を開くと、暗い部屋から育ちの良い子が住んでいそうなすごく良い匂いが香ってきた。部屋に入ってすぐ右手側にあるスイッチに触れ、照明を点灯させる。

 

 部屋の左手側は寮の備品の家具だけが置いてあった。手前からキャビネット、学習机と椅子、ベッドとスツールとベッドサイドテーブルが置いてあり、窓際中央には共用の冷蔵庫がある。こちらが私の使う方だろう。

 

 一方の右手側、学習机の棚はぱかプチが占拠していた。よく見るとメジロ家ウマ娘のぱかプチに混じって、タイキシャトルのビッグぱかプチが置いてある。寝具は淡い色使いで、ふわりとした様子から羽毛布団に見えた。テーブルの上にはルームフレグランスが置いてある。

 

 持ち主はどんな子なのだろうと気にしながらも私は荷物を部屋に運び込み、荷解きを始めた。10分ほど経ったところで扉が開く音がして、そちらを見た私は思わず息を呑んだ。

 

 扉を開けたまま1人のウマ娘が立っている。丁寧に手入れしていることが一目でわかるほど艶やかな鹿毛が腰まで伸び、一束だけ白い前髪がアクセントのように輝いていた。エメラルドのようにきらきらした瞳とぱっちりとした大きな目が印象的で、下がり気味の眉がどことなく優しそうな雰囲気を感じさせる。ぴこぴこと動く両耳を緑と白の縦縞の耳カバーが覆い、右耳には緑一色のリボンを巻いていた。

 

「えっと、新入生の方ですよね?」

 

 鈴を転がすような美しい声が私の鼓膜を振るわせる。

 

「……女神様」

「……はい?」

 

 彼女が困惑するように眉を寄せ首を傾げると、緩く編まれた二房の三つ編みが揺れた。その様子ですらあまりにも可愛くて、思わず段ボールから取り出した本を手から取り落とし、落下したそれが響かせた音で私は我に返った。たった今の私の言動がテンションの上がり切った家族と全く同じだったことに気が付いて、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなる。

 

 しゃがんだままでは失礼だと私は慌てて立ち上がると、戸惑わせたことを謝りながらおそらく先輩であろう彼女に名を告げる。

 

「あっ、すみません! 今日からトレセン学園でお世話になります、キャンドルノヴァです!」

「謝らなくていいですよ。初めまして、キャンドルノヴァさん。私は――」

 

 こちらへ歩み寄りながら、彼女は名乗る。

 

 この日、私は決意した。

 

「――メジロラフィキと申します。どうかよろしくお願いいたしますね」

 

 運命なんて、蹴っ飛ばしてやる。




2021/4/11 17:30
文章が抜けていたので追加しました
(しゃがんだままでは~彼女に名を告げる。)
(こちらへ歩み寄りながら、彼女は名乗る。)
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