なお、本話投稿に先立ち、プロローグに主人公の立ち絵を掲載いたしました。八代明日華(Twitter:@gurivinesyu)様に依頼し描いていただいたものとなります。ぜひご覧ください。
トレセン学園には『聖蹄祭』と呼ばれる行事がある。毎年スプリンターズSの前週に開催されるそれは別名を『秋のファン大感謝祭』と言い、春の感謝祭と異なり催し物が文化系に特化していることが特徴だ。一般の学校で言うところの文化祭に相当する行事である。
そして、文化祭と言うものには定番の催し物がある。飲食系の模擬店だとか、縁日系のミニゲームだとか、体育館の舞台を使ったパフォーマンスだとか、そう言うものだ。
そんな数多ある催し物の中で私の現所属である1年B組が選んだもの、それは――。
「うちに来たお客さん、
「おー!」
「聖蹄祭準備、開始ー!」
「おー!」
――お化け屋敷だった。聖蹄祭約2週間前の放課後、教壇に立った学級委員が拳を突き上げて高らかに宣言し、クラスメイト達もそれに元気よく応じる。およそ怪異と呼ばれうるものは皆退散しそうなほどの陽の気がそこにはあった。
「……おー」
私以外には。
……やっぱり反対しとけばよかったかなぁ。
何をするか決めたのは1学期の終わりなので、後悔するにしても今更の話だ。
正直に言って、私はお化け屋敷が得意ではない。より厳密には、お化け屋敷と言う場が苦手だ。お化け屋敷と言うものはどうしても、お客さんを怖がらせるための雰囲気作りが伴う。そういう雰囲気の場所が、良くないものを呼び寄せないかと言う点が心配で心配でたまらない。
前々世の頃はオカルトやスピリチュアルなものなんて欠片も信じてなどいなかったし、何ならそう言うものを信じている人を内心馬鹿にすらしていた。そんな覚えがうっすらとある。
しかし、今の私は転生などと言うオカルトを2回も経験してしまっている。私の存在そのものが今世におけるオカルトの実在を証明してしまっているのだ。ならば、アプリ版で描写されたような怪異が存在しても全くおかしくない。
……蹴り飛ばして退散させられるなら、まだいいんだけどなぁ。
ゾンビや吸血鬼など対処法が存在するものは、怖いとは思うが震えあがって動けなくなるほどではない。これと言った対処法が無くても物理的になんとかできるなら、ウマ娘の身体能力で切り抜けられるかもしれないのでまだ、まだ耐えられる。最悪でも逃げてしまえばいいのだから。
本当に怖いのは、物理的な抵抗手段がなく逃げることすらできない怪異だ。そうなると私にはもうどうしようもないので、死と同義になる。万が一にもそういう怪異が来ないことをただただ祈るしかない。
お化け屋敷をすることに対する不安がぐるぐると胸中を渦巻いているが、それを大っぴらに表に出したりはしない。皆は楽しみにしているのだから、一応は大人である私が我儘を言うわけにはいかない。
「ノヴァちゃん、どうかした?」
物思いにふけっていた私に、突然学級委員が声をかけてくる。教壇に立つと生徒の様子が良くわかるという話は本当らしい。学級委員の呼びかけに反応したのか、周りの子たちも私に目線を向けてきていた。
「何がですか?」
こういう問いかけに「何でもない」と答えてはいけない。本当に何もないなら、そんな返答はしないからだ。心底何を言っているのかわからないように見せかけなければならない。
「ちょっと元気なさそうに見えたから」
「あー、まぁ、えぇ。今のところ大丈夫です。気にしないでください」
それでも追及してくるなら、心当たりがあるように見せかけつつ両手を振って問題ないとアピールする。そうすれば勝手に
「もしかして、苦手だったりする? お化け屋敷」
「……そんなこと、ないですよ?」
……なんでバレるの!?
前々から今日のためにしていたイメージトレーニングが無駄になった瞬間だった。
どうにか誤魔化そうとするも、周りの子たちはもう私はお化け屋敷が苦手であるという前提で騒がしくなっている。「言ってくれれば他のにしたのにー」とか、「今から変えられないか生徒会に相談しに行こうか?」とか、口々に気遣いをくれる。クラスメイト達は皆、思いやりのある優しい子ばかりだ。
……だから、隠してたんだけどなぁ。
こうなってしまったからには致し方ない。このまま皆がお化け屋敷を楽しむためにどう説得するべきか、頭を捻る時間が始まった。
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結局、お化け屋敷と言う場が苦手なのだと正直に話して、お化け屋敷が完成している期間――保護者も参加できる校内公開日とファンの方々が参加する一般公開日は全日外での呼び込みを、約2週間の聖蹄祭準備期間は小道具を担当することになった。学級委員からは準備期間も会計専任になってもらおうかと提案があったが、計画では会計は他の担当と兼務することになっている。そのため、「公開日両日に最大限配慮してもらっているのだから、これ以上負担をかけたくない」と伝えて辞退させてもらった。
今は、お化け屋敷に飾る生首の製作中だ。1年B組が作業用に借りた南棟1階の談話室に作業ブースを作り、買ってきた被り物に詰め物をして形を整え、絵具で血を塗り足していく。程々の粘度がある赤い絵具は画材問屋の娘であるクラスメイトが調製したもので、おどろおどろしく血餅を表現するにはぴったりだった。あっという間に、目をそむけたくなる血みどろの生首の完成である。
私と同じく準備期間は小道具担当になったランさんが、私の作った生首をまじまじと見ている。
「ノヴァちゃん、血の表現上手いね」
「そうですか?」
「うん。そういう映画見てるの?」
「いや、自分からはみませんね」
ホラー映画は積極的に見ようとは思わないが、苦手と言うほどではない。ホラーゲームも同様だ。所詮は作り物でしかない。お化け屋敷は、怪異が実在するだろう今世で怪異を呼び込みかねない場を作ってしまうから苦手なのだ。
小道具作りが上手いのは、おそらくは今でも見る悪夢由来のものだろう。特に10月、未勝利戦が終わってしまった後の――。
杭で額を撃ち抜かれ、首から大量の血を流す若駒の姿が脳裏を過る。
――やってしまったと後悔するも、手遅れだった。この夢は、今世で屠畜について調べてから見るようになったものだ。私が生きているせいで産まれてきた私の子供たちがどう死んでいったのか知るべきだと思って、小学校の自由研究テーマに選んで、それから。
「――ちゃん、ノヴァちゃん。どうしたの? 顔真っ青だよ?」
ランさんの呼び声で我に返る。辺りを見渡すと、同じ班の子達も心配そうに私を見ていた。
「あぁ、すみません。小学校の頃、自由研究で動物がどう肉になるのか調べたことがあって。もしかしたらその時見てしまったものが、こういうのに活きているのかもしれませんね」
とりあえず、誤魔化す。そう不自然ではないだろう。知識欲旺盛な小学生が屠殺について調べてトラウマになるだなんて、いかにもありそうなことだ。
心配そうにしているクラスメイト――絵具を調製した子が、1つ提案をする。
「やっぱり、今からでも他の班に入れてもらう?」
「大丈夫ですよ。交代したって、昔見たものの記憶が消えるわけでもありませんから」
「でも……」
「大丈夫ですから」
既にかなりの配慮をしてもらっているのだから、準備期間くらいは頑張らないといけないだろう。
「今日はもうやめておこうか」
「そうだね。結構切りもいいし」
班長達がそんな相談を始めた時、談話室の扉が突如開かれた。
「君たち、もう消灯時間を過ぎているよ」
南棟の
「すみません。片付けして、すぐ帰ります」
「うん。夢中になる気持ちはよくわかるけど、時間は守らないとダメ。明日からはアラーム鳴らすとかしてね」
「はい」
完成したものや製作中の小道具を乾燥用の棚に置き、画材一式は絵具を調製した子の指示に従って掃除し、ごみを処分する。棟長も親切に手伝ってくれたため、片付けはあっという間に終わった。
「それじゃあ、君たち。他の棟にも連絡しておいたから、ちゃんと部屋に戻るんだよ」
「はい。すみませんでした」
「すみませんでした」
班長の謝罪に併せて私たちも頭を下げる。こういうのは誰か1人でも時間に気が付けばよかったので、連帯責任だ。
「最初だし、明日から気を付けてくれたらそれでいいよ。廊下はもう電気ついてないから、足元には気を付けてね」
「はい」
棟長に見送られて廊下を帰っていく。最初は皆で歩いていたが、居室が南棟にあるランさんたちと階段室前で別れ、渡り廊下を渡った後で部屋が中央棟にある子と別れ、北棟に辿り着くころには私一人になっていた。
非常用誘導灯の明かりしかない薄暗い廊下、その空間を静寂が満たしている。直前まで皆で騒がしく作業していた反動か、普段は感じることのない不気味があり、無意識に立ち止まってしまっていた。
どのくらいそうしていただろうか。ほんの一瞬かもしれないし、数十分は立っていたかもしれない。曖昧な時間感覚の中、これ以上怖がっていても仕方ないと歩き出そうとして――。
「ひゃっ」
――脚に何かが触れて、思わず変な声を上げてしまう。それはすっかり丸まった私の尻尾の毛だった。
ただ暗くて静かなだけで平常心を失い、些細なことで情けない声を出したという事実に羞恥が込み上げる。
……1回角曲がって、階段上って、もう1回角曲がって、真っ直ぐ部屋まで行くだけ。
一つ二つと大きく深呼吸をして気を取り直し、左手側の壁伝いに階段へ向けて再び歩き始める。私一人分のごく小さな足音だけが廊下に響いていた。
……消灯時間過ぎているとは言っても、準備期間なんだからもっと誰かいても良さそうなものだけどなぁ。
そんなことを考えながら角を曲がると、全く前触れなく影が現れた。完全に虚を突かれ、息を呑んでびくりと固まってしまう。
しかしその影は、よく見るとウマ娘だ。カラスが翼を広げた姿を連想させる綺麗に切り揃えられた長髪、今日空に浮かんでいる満月のような黄金色の瞳。私が前々世から一方的に知っているウマ娘――マンハッタンカフェだ。
「あっ、す、すみません。こんばんは」
「……こんばんは。良い夜、ですね……」
挨拶を返した彼女は、しかしすぐにその目線を私の目ではなく耳の方へ向けた。小道具の詰め物に使った綿が付いているのかと思って触ってみるが、特に何もない。
向かい合ったまま沈黙が続く。その間もずっと、彼女の目は私よりも上の方の2点を交互に見ていた。その目線の動きは、まるで私の背後にいる何か――私よりも大きな何かとそれに乗る何かに目を合わせるようで。
……アイコンタクト?
思い至った瞬間に耳や尻尾の毛が逆立ち、血の気が逆流するように引いていく感覚がした。目の前が暗くなり、立っていることすら出来ずにその場にへたり込んでしまう。
……何かが、いる。
私にはその気配を全く感じ取れない。つまり、私にはどうしようもない何かだということだ。
何か硬いものが繰り返しぶつかるような異音が聞こえ始めた。脚は産まれたてのように力が入らず、手の感覚は薄手の手袋をしたかのように鈍い。息は浅く、まるで呼吸筋が痙攣したかのようだ。
「大丈夫、です……。安心してください……」
それは、マンハッタンカフェの手だった。あやすように私の背を擦っている。私にはどうにもできずとも、怪異専門家と言ってもいい彼女がそう言うのなら、大丈夫かもしれない。そう思うと少し気持ちに余裕が生まれた。そこで初めて、カチカチとした異音が自分の歯の根が震えていることによるものだと気がつく。
「す、すみません、先輩」
意識して、呼吸を深くする。彼女がいる以上、今すぐ何かをされることはないはずだと信じて。
「あなたに憑いている子たちですが……」
……あっ、私個人に取り憑いているんですか。そうなんですね。
聞きたくなかった事実に胃が痙攣し始めているのか、まだ吐くほどではないものの吐き気が込み上げてくる。
「悪い子たちでは、ありません……。あなたのことを、とても心配していて……、守ろうとしています……」
悪霊の類ではなく、守護霊に近いと言うことだろう。彼女のお墨付きに吐き気は少々落ち着き、少しずつ血の巡りが戻ってくるような感覚がする。だがしかし、そういった存在に心当たりはなかった。
「あの子たちは、いつも……あなたの傍にいます……。少しだけでも、信じてあげてください……」
彼女に背中を擦られたまま5分ほど経って、ようやく立ち上がれるところまで体調が回復する。
「すみません。ありがとうございました、先輩」
「いえ……。気にしないで、ください……」
そう言うと、マンハッタンカフェはまた虚空に視線を合わせる。私もその空間を見るが、相変わらず気配は全く感じ取れない。だがしかし、彼女は笑顔で友好的な態度を見せているし、害意や敵意と言ったものがないことは事実なのだろう。
「おやすみなさい……」
「あっ。はい、先輩。おやすみなさい」
マンハッタンカフェと別れの挨拶を交わし、また一人になった。しばらくそのまま立ち尽くしていたが、このままここにいても致し方ないと部屋へと歩みを進める。現金な話だが、北棟に1人で戻って来た時と比べて、少しだけ足取りは軽かった。
専門家の彼女がそう言うのだから、私に何かしら守護霊みたいなものが2体憑いていることは確かなのだろう。私には知覚できない以上不気味さは拭い切れないが、まともな対抗手段の無かった存在から守ってもらえるのだと思えば、悪くはない。何かあった時は、目に見えない彼らに頼ろう。
そう思った途端、壁の中から低くくぐもった音がする。
「ひゃいっ」
頭を抱えて小さく丸まると、音はすぐに減衰して消えていった。
……早速守ってくれたのかな?
数分待って落ち着いてから、今の音はトイレの水が流れる音だったのではないかと気がつく。
今世ですっかり染み着いてしまったビビりは、そうそう簡単には治りそうになかった。