秋の盾をあなたに   作:江芹ケイ

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第7話:衝撃的な言葉

 ラフィさん曰く、多摩川沿いの遊歩道のうち府中市が管理している10km程度の区間は、ウマ娘優先になっているそうだ。トレセン学園を抱える自治体なだけはある。しかし学園生は、優先されていても遊歩道で飛ばして走ることはしないらしい。あまり速く飛ばすと、狭い遊歩道で転んだ時に対向して走ってくるウマ娘とぶつかって大けがをするかもしれないからだとラフィさんは言う。

 

 私たちはそのウマ娘優先区間の東端付近で折り返して、親水公園へ戻って来た。10分程度走っているうちに、恥ずかしさで熱くなっていた頭はすっかり冷えている。時刻は朝の6時を過ぎたあたりだろうか。建物に隠れがちだった太陽が、その高度を上げてきていた。

 

 先ほど一瞬で切り上げた休憩を取り直すため、ラフィさんと私は水場にあるいい感じの高さの岩に腰かける。そこで蹄鉄シューズに履き替えると、ついでにリュックから水筒を取り出した。火照った体を冷ますように風が吹き抜け、魔法瓶水筒の冷たい水が喉を潤していく。心地よい沈黙が場を満たしていた。

 

 ラフィさんにそれを尋ねようと思ったのは、本当にただの気まぐれだった。別に今でなくともよいことだったが、にこにこと上機嫌そうなラフィさんと話をしたくて振った話題だった。

 

「そういえば、ラフィさん」

「どうかしましたか?」

「次のレースは何時なんですか?」

「来週ですよ」

 

 一瞬、頭が理解を拒んだ。来週とは何時か。1週間後である。つまり今週は、競走馬ならば1週前追い切りをしているような週だ。ラフィさんにとってかなり大事な時期である。

 

「来週レースなんですか!?」

 

 理解が及ぶと驚きのあまり耳と尻尾がビンと伸び、思わず裏返った大声で叫んでしまった。まだ昨日今日だけとはいえども随分と面倒を良く見て貰っているので、直近の出走予定がないのかと思っていたのだ。遊歩道を走るウマ娘たちから、なんだなんだと問うような視線を感じる。

 

「はい。まず1勝できるまでは少し無理をしてでも走ろうと、トレーナーさんと決めていて」

「私の相手をしている場合じゃあないですよ! ラフィさんのトレーニングをしないと!」

 

 腰かけていた岩から立ち上がり、ラフィさんに詰め寄る。するとラフィさんは指を組んで、もじもじとした様子で弁明を始めた。

 

「でも、もともと昨日と一昨日はお休みの予定でしたし、その、前の同室の方は先輩でしたから、私も先輩らしいことをしてみたかったと言いますか」

 

 少ししゅんとした様に耳が垂れていてとても可愛い。正直なところ、私も後輩相手に良い格好をしたいという気持ちはわかる。しかし今はそれどころではない。

 

「とても嬉しいですけど、今は練習しましょう! 私も手伝います!」

 

 本格化を迎えてトレーナーが付く日が来るまで、私にはまだ時間がある。ならば今が大切なラフィさんの練習に付き合う方が良いだろう。そう思いトレーニングの手助けを申し出ると、ラフィさんは少しためらいながらもやりたいことを口にしてくれた。

 

「でしたら、ノヴァさんが嫌でなければ、スタートの練習に付き合ってもらってもいいですか?」

「もちろんです!」

「ありがとうございます」

 

 どんなものも魅了してしまうような笑顔が私に向けられる。心臓が跳ねて見蕩れているうちに、ラフィさんは両手を使って腰かけていた岩から軽やかに飛び降りた。休憩は終わりということだろう。

 

「ついて来てください」

「はい! 何をすればいいですか?」

「ゲートの代わりをしてほしいんです。どうするのかはそこで教えますね」

 

 そう言ってラフィさんは、公園の端へ腕全体を使って手のひらを向けた。指で指さないあたりに育ちの良さを感じる。

 

 あまり広くはない公園なので、あっという間につくだろう。そう考えながらラフィさんについて歩き始めてすぐ、1つだけ聞かなければならないことを思い出した。

 

「ラフィさん、来週走るレース場はどこですか? 応援に行きます!」

「えっと、福島の予定なので、ノヴァさんが来るのは難しいと思いますよ?」

 

 前世で福島競馬場には行ったことがないので詳しい場所はわからない。しかしウマ娘の身で府中から行くならば、新幹線が必要になる距離だろう。今の貯金と毎月のお小遣い、今後の出費予定から自由に使えるお金を計算し、私は苦虫を噛み潰す。

 

「テレビ越しでの応援で、すみません……!」

「応援してくださるだけでとても嬉しいので、気にしないでください」

 

 ラフィさんは「そこまで思いつめなくても」と言うような、少し困った感じの笑みを浮かべている。映像と現地では感じ取れるものの質が違うんです。

 

 そんなことを話しているうちに、公園の端へたどり着いた。

 

「ノヴァさん、ここに立ってもらえますか?」

「はい!」

 

 ラフィさんの方を向いて、指示通りの場所にピシッと姿勢良く立つ。するとラフィさんは「失礼しますね」と言いながら両手で私の腰を掴み、遊歩道と平行に立つように私の向きを変える。今日はほのかに石鹸の匂いがした。

 

 ……ラフィさん、私はちょろいので、あまりボディタッチされると勘違いしてしまいます!

 

 私の内心を知らないラフィさんが、私の右手側後方に回り込む。

 

「ノヴァさん、右腕を横にまっすぐ伸ばしてもらえますか?」

「はい!」

 

 指示通りに右腕を真横へ持ち上げる。先ほどラフィさんは「ゲートの代わりをしてほしい」と言っていた。ということは――。

 

「スタートはこうすればいいですか?」

「はい。その通りです」

 

 真横に伸ばしていた腕を水平に曲げた。ラフィさんの褒めるような声が聞こえる。声の調子からしてきっと笑顔だろうと考えると、出来ればこの目で見たかったという思いが湧いてくる。

 

「私はここで待つので、ノヴァさんの好きなタイミングでお願いします」

「わかりました!」

 

 腕を伸ばし直し、そのまま保つ。ラフィさんの息遣い、水の流れる音、風に吹かれてざわめく木々の音、鳥の鳴き声、遊歩道を走るウマ娘たちの足音が聞こえている。よく見るとサイレンススズカとスペシャルウィークも走っているようだ。少し遠くに見えるスズメが飛び立ったとき、腕を曲げた。

 

 ラフィさんが芝を抉りながら飛び出していく。鹿毛の緩い三つ編みをなびかせながら前傾姿勢で加速していくラフィさんの姿が、まだ本格化を迎える前の私とは段違いの速さであっという間に離れていく。しかし100メートル程度走ると、ラフィさんは速度を緩めて止まった。公園自体が1ハロン(約200メートル)程度の距離しか取れないので、無理なく減速しようとしたらそのくらいの距離が全速力を出せる限界なのだろう。

 

 くるりとこちらへ向き直ったラフィさんが、うんうんと頷きながら駆け寄って来る。その時、ふと閃いた。ラフィさんに走って戻ってきてもらうくらいなら、私もラフィさんの後をついて行って向こうでゲート役をした方が、ラフィさんの練習密度を上げられるかもしれない。

 

「私以外のタイミングでスタートできる……。これはいいですね。ありがとうございます、ノヴァさん」

「どういたしまして」

 

 丁度ラフィさんが傍まで戻ってきたので、閃きを提案する。

 

「ラフィさん、ラフィさん」

「なんですか?」

「ラフィさんの後に私もついて行っていいですか? そうしたらこっちに戻ってくるときも練習できると思うんです」

「それはとても助かりますけれど、ノヴァさんは大丈夫ですか?」

 

 少し心配するような声と表情でラフィさんが問う。本格化はウマ娘の能力全般に影響を与える現象だと両親が言っていた。当然持久力だって例外ではないだろう。しかし、私も競走ウマ娘を目指す身である。

 

「大丈夫です! へとへとになっても、それはそれで私の練習にもなるので!」

 

 翠色の真剣な瞳が、じっと私を見つめる。お互いに見つめ合うだなんて、もはや相思相愛ではないかと馬鹿げた考えが頭をもたげてきてしまう。しかし、ラフィさんは私のスタミナを心配してくれているのだ。馬鹿げた考えを振り払い、私もラフィさんを見つめ返す。すると、ラフィさんの表情が緩んだ。

 

「それでは、お願いします。疲れたらちゃんと申し出てくださいね」

「はい! 何百本でもお付き合いします!」

「そこまでやったら、朝ごはんの時間が終わってしまいますよ?」

 

 手で口元を抑え、くすくすとラフィさんが笑った。

 

 

 

 ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ ⏰ 

 

 

 

 私が肩で息をするほど疲れても、ラフィさんは少し息が上がった程度の疲労だった。本格化は私の想像以上にウマ娘の能力を変えるらしい。本格化前にしては凄まじいスタミナだとラフィさんは褒めてくれたが、正直に言ってラフィさんの練習に影響を与えないかどうか、ギリギリのところまで追いつめられるとは思っていなかった。

 

 公園で1時間ほど練習を続けた私たちは、朝ごはんを食べるために寮へ戻って来た。汗をかいたままというのもどうかということで、部屋で汗拭きシートを使って軽く身を清めた後に一度着替える。ラフィさんの使うシートは、赤ちゃんにも使えるくらい肌に優しい華帝のキュアルだった。ベイブリーズから変えたら、もしもの時にラフィさんに貸せるだろうか。そんなことを考えながら食堂へ降りたときには、朝の7時30分を迎えていた。

 

「あと30分しかありませんし、早く食べてしまいましょう」

「ですね」

 

 寮の朝食は各自でご飯かパンか選べるようになっていた。ご飯派なら置いてある業務用炊飯器から食べたい量を茶碗によそい、パン派なら数種類ほどの内から食べたいだけ取っていくようだ。今日のメニューは目玉焼きとベーコン、それにサラダが付くようなので、私としては迷わずパンだ。贅沢を言えばトーストサンドイッチにしたいところだが、のんびりトースターで焼いているだけの時間はないだろう。仕方なく6枚切りの食パン6枚と小分けにされたバターを持っていく。すでに隅の席についていたラフィさんは、クロワッサンを1ダース食べるつもりのようだ。

 

 2人でいただきますと手を合わせた後は、無言で食事を進めていく。喋りながらゆっくりと食事をしていたら、厨房の方々を待たせてしまう。サラダには薄切りのリンゴが欲しかったなと思いつつも、バターを塗った食パンにカリカリのベーコンと半熟の目玉焼き、よく水が切られたサラダを挟んで食べる。結局、5分ほどの余裕をもって私とラフィさんは食事を終えた。

 

 ドリンクバーコーナーには特に時間制限がないらしい。ラフィさんが淹れてくれた紅茶を優雅に楽しんでいると、ラフィさんが声をかけてきた。

 

「ノヴァさん」

「なんですか?」

「今日、というより春休みの平日は9時から夕方までチーム練習なので、申し訳ありませんがこの後はノヴァさんだけで練習してもらえますか?」

 

 本当に申し訳なさそうに、眉をハの字にしてラフィさんが提案した。内心悪あがきにしかならないだろうなと思いながら、見学できないか尋ねる。

 

「見に行くのは無理ですか?」

「うーん、どうでしょう。チームの皆さんは間違いなく歓迎すると思います。ただ、ノヴァさんは一応まだ入学前ですから、これが勧誘扱いになるとトレーナーさんたちにペナルティがあるかもしれません」

 

 今の私はトレセン学園の寮に入っただけで、厳密なことを言うとトレセン学園入学前だ。おそらく、勧誘に関して紳士協定か何かがあるのだろう。粘ってラフィさんに迷惑をかけるわけにはいかないので、私の方から話を打ち切る。

 

「難しそうなら大丈夫です。遊歩道の方で走ったり、部屋で持ってきた本を読んだりするので」

「そうですか? 申し訳ありません」

「ダメ元で聞いてみただけなので、ラフィさんは謝らなくていいですよ。私の方こそすみません」

「いいえ、私は先輩なんですから、後輩のために頑張らないといけないんです」

「先輩に迷惑を掛けたくない後輩心なんです」

 

 2人で少しの間意地を張り合うように見つめ合って、なんとなく可笑しくなってきてどちらからともなく笑いあう。

 

「お互いさま、ということで如何でしょうか」

「そうですね」

 

 その後、ラフィさんの時間が来るまで私たちはのんびりと談笑をして過ごした。




句点の入れどころ、文の区切りというものは、改めて意識すると難しいものです。

2021/05/23 14:20
生徒証のくだりを内容変更いたしました。
(生徒証がないと~入学前なのだ。→チームの~何かがあるのだろう。)

2021/06/20 00:15
レースの日取りについて修正いたしました。
(再来週→来週)
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