詳細については第7話後書きに記載しています。
このままお読みいただいて支障ありません。
ラフィさんと別れてから、私はもう一度多摩川沿いへ向かう。朝に走らなかった西の方も含めて、探検ついでに走るためだ。
再び街道を南下して是政橋に到着した私は、スマートフォンを取り出してストップウォッチを起動する。そして多摩川を左手側に望みながら、舗装路を朝に走らなかった西方へ向けて、自転車程度の速度でのんびりと走り始めた。
ウマ娘の姿は見かけるが、朝と異なり前々世で見知ったウマ娘たちは走っていない。彼女たちはテレビ番組で見かけることが多かったので、みんなトレーナーが付いているのだろう。トレーナーがいるならば、当然トレーナーがいないとできないトレーニングをする方が良いわけだから、遊歩道を走っていないことにも納得がいく。
心地良い風が吹く中、上流へ向かう緩やかな上り坂を20分程度走る。すると、ウマ娘優先区間が終わったことを示す路面標示が現れた。朝にラフィさんと一緒に走っていたとき、東の調布市との境で見かけたものと同じだ。ならばと丁度真横に立っている看板を見ると、予想通りそこは市境であり、この先は国立市になるようだ。無理に優先区間の外で走る必要もないだろうと判断し、私は踵を返して来た道を戻っていく。
私と同じくジャージを着たウマ娘と時々すれ違いながら是政橋まで戻り、そのまま朝にも走ったコースに入った。親水公園には家族連れの姿が見える。朝のように練習に使うのは難しいだろう。10分程度でラフィさんと朝に折り返した地点まで来ると、再び引き返す。
本日5度目の是政橋に到着したところで、ストップウォッチを止めるためにスマートフォンを取り出す。ロック画面を開いたところで、妹からメッセージが届いていたことに気が付いた。内容が気になるがひとまず置いておき、先に遊歩道1往復にかかった時間を確定させる。前世の
現在の時刻は10時を回ったところだ。お昼にはラフィさんとカフェテリアで一緒に食事をする約束をしているが、それでももう1往復するだけの時間がある。しかし舗装路を走っても、気持ちは幾分良くなるがそこまで楽しくないのだ。走るのであればやはり芝に限る。どうせ入学式が終わればトレセン学園の芝で走れるようになるのだから、今は体が鈍らない程度に走っていればそれで十分だろう。
そう判断した私は学園へ戻る前に、息を整えるために河川敷の傾斜に座り水分を補給する。そして休むついでにとメッセンジャーアプリを開いて、妹から来たメッセージを見る。家族グループ宛のようだ。
みつき『トレセン学園どう?』
10分前に受信したらしい。昨日家を出るときは「起きたらすぐメッセージ送るね」と言っていたので、春休みだからとだいぶ夜更かししたのだろう。
曖昧な質問にどう答えるべきかと考えて、昨日入寮してから今までのことを思い返し、妹に返信する。
のゔぁ『女神様がいたよ』
ラフィさんを称えよ。返信を済ませスマートフォンをしまおうかと思った瞬間には、妹から連投で返事が来た。もしかして妹は、この10分ずっとスマートフォンに張り付いていたのだろうか。
みつき『???』
みつき『女神様はお姉ちゃんだよ???』
妹よ。100歩譲ってあなたには私が女神様に見えているのだとしても、それはラフィさんを知らないからそう思えるのです。
のゔぁ『真の女神様を知らないと見える』
のゔぁ『許可貰えたら後で写真撮って送るね』
みつき『はーい』
写真を見れば、だれが真の女神様か妹も納得するだろう。話の流れが一旦切れたことを確認して、私はスマートフォンを仕舞いリュックを背負うと、学園へ向けて駆けだした。
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トレセン学園へ戻ってきた後、シャワーを浴びたり、洗濯をしたり、合間にトレーニングについて勉強をしたりしている間にお昼になる。部屋着にするつもりの白いシャツワンピースを着て、ラフィさんとの約束通り私はカフェテリアの入口で待っていた。自意識過剰だとは思うのだが、他のウマ娘たちがこちらを見ているような気がする。なんとなく恥ずかしくて、俯きながら手を揉んでいるところにラフィさんの声がした。
「ノヴァさん、遅れてごめんなさい」
「全然大丈夫です! お疲れ様です、ラフィさん!」
少し息が上がった様子のラフィさんからは、柑橘系の匂いに混じって、ほのかに無香料系だろう制汗剤の匂いがする。疲れてお腹も空いているだろうし、「早く座りましょう」と呼びかけようとしたとき、ラフィさんの背後にいた知らないウマ娘が、ひょいと顔を出して声を掛けてきた。
「君がラフィの新しいルームメイト?」
「え? はい、そうです」
「なるほどねぇ。これは確かに『妖精さんみたいな子』だね、ラフィ?」
「リツ、余計なことは言わなくていいです。自己紹介したらどうですか?」
ラフィさんは顔を赤く染め、そのウマ娘のことをわずかに厳しくした目つきで見つめた。私のことを妖精と評したことは事実なのだろう。我が世の春が来たかもしれない。
浮足立った気分でいると、名乗るよう保たされた尾花栗毛のウマ娘が、冗談めかして「こわいこわい」とでも言うように一瞬肩をすくめながらラフィさんの横に並んだ。金の刺繍が入った青いシュシュを右耳にしている。
「どうも、初めまして。ラフィのチームメイトで、ブリッジコンプって言うんだ。気軽に『リツ』って呼んでね」
「リツ先輩、ですか?」
「『先輩』はいらないよ。まあ、『ブリ』だと可愛くないし、『コン』だと同じチームのそっくりさんと被るから紛らわしいんだよね」
「わかりました」
変なところからあだ名を取るなと思ったが、事情があったらしい。次は私の番だ。
「私はキャンドルノヴァです。昨日からラフィさんと同じ部屋になりました」
「実は知ってる。午前中ずっと、ラフィその話しかしてなかったから」
「リツ!」
「わぁ、ラフィが怒った! なぁんてね、冗談冗談」
とうとう首まで赤くなったラフィさんが、拳を胸の前で握りしめながら大きな声でリツさんに怒る。ウマ耳が引き絞られているので、相当お冠だ。周りの視線が一瞬私たちに集中するが、ニコニコと笑顔のリツさんはそれを意に介さない。
「それじゃ、私はチームの方でお昼食べるから。ちゃんと後輩の面倒見なよ、ラフィ」
「言われなくてもそのつもりでした。全く」
ラフィさんがぷりぷりと不機嫌そうにしているのを見て、やりすぎたと思ったのだろうか。リツさんが詫びを入れる。
「ごめんって。今度お菓子向きのリンゴ持ってくから許してよ」
「手伝いもしてください」
「ははぁ、仰せのままに。それじゃあね、ラフィ、ノヴァちゃん」
そう言い残して、リツさんは少し遠くにいたウマ娘たちのグループに入っていく。その中には、リツさんそっくりな尾花栗毛のウマ娘が3人もいた。他のチームメイトも見分けるのが大変ではないだろうか。
ラフィさんのチームメイトたちがカフェテリアに入っていくのを見届けると、まだ顔が赤いラフィさんが私の目を見て話し出す。
「……本当に午前中ずっと、ノヴァさんの話をしていたわけではないですからね?」
「妖精がどうとかは……」
「さぁ、早く食べましょう! 私お腹が空いてしまいまして! ね、ね?」
露骨に話題を逸らそうとして、声が裏返っているラフィさんが可愛い。散々リツさんに弄られた後だし、ここはラフィさんの意図を汲もう。
「そうですね。行きましょう!」
「はい、行きましょう、そうしましょう! ついて来てくださいね!」
ラフィさんが暖かく柔らかな手で、私の手を掴んで引っ張っていく。突然そういうことをされるとドキドキしてしまうと、ラフィさんはわかっているのだろうか。
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ラフィさんが勧めるとおりに置いてあった紙エプロンを着た後、お盆を手に取ってカウンターの上に掲示されているメニューを見る。種類が多くて少し迷ったが、ウマ娘盛りの普通のハンバーグにする。前世からニンジンはあまり好きじゃない。時代はリンゴだよ。戦場の様相を呈している厨房の方々へ、カウンター越しに声を掛けて注文をすると、あまり待たずに熱い鉄皿に乗った料理が出て来た。ラフィさんの方を見ると、どうやらにんじんハンバーグにしたらしい。
「パンとかサラダとかはこっちですよ」
ラフィさんについて行くと、サラダ、スープ、パン、飲み物がバー形式で提供されていた。ウマ娘たちが次々に自分の分を取り分けてあっという間に消えていく傍で、厨房からやってきた方が、バットに山盛りにされたサラダ、寸胴鍋いっぱいのスープ、ダース単位の焼き立てパンを補充していく。
「すごいですね……」
「お昼時はウマ娘もヒトも集中しますから。料理人の方々には感謝ですね」
そんなことを言いながら、ラフィさんは容赦なくクロワッサン1ダースを取っていく。パンを持ってきた人が、横で遠い目をしていますよ。朝も食べていたので、ラフィさんはクロワッサンが好物なのだろう。
パンの品ぞろえを見ると、なんと焼き立てのトーストが並んでいた。遠慮なく6枚切りを1斤分と小分けのバターを持っていく。補充しに来ていた人の目がさらに遠くなった。
サラダバーには嬉しいことに八つ切りのリンゴも並んでいたので、トマトやレタスと一緒にリンゴ2つ分を自分の皿に取り分ける。後はオニオンスープと紅茶セットをお盆に載せて、待っていたラフィさんの後を追う。
カフェテリアの内装は洒落た印象を受けるものだ。煉瓦模様の壁紙が張られた柱が立ち、ガス灯のようなランプが柱から伸びている。床は凝った寄木張りのフローリングで、階段2段分高くなったデッキも木製だ。席はごく普通の丸机や長机の他にも、壁際カウンター席や円形カウンター席もある。どんな個人や集団でも、席さえ空いていれば好きな座り方ができるようになっていた。
途中でリツさんと目が合ったので、軽く会釈をする。リツさんはひらひらと手を振り返すと、チームメイトとの話に戻っていった。
「ここにしましょう」
厨房のカウンターや各種バーからそれなりに離れたところで、ラフィさんは腰を落ち着けた。やはりというべきか、窓際の隅の席だ。明るく雰囲気がいい割には空いている。
いただきますと声を揃えて、2人でお昼を食べ始めた。熱々のトーストにバターを塗って頬張る。小麦の香りと濃厚なバターの組み合わせがとても美味しい。ハムもあったし、持ってくればよかった。ハンバーグもナイフを入れた途端に肉汁が溢れ出していく。ヒトの大盛りを超えたウマ娘盛りにかけるような手間ではない。
話すことすら忘れてあっという間に食べ進めてしまった。食後の紅茶とリンゴを楽しみながらラフィさんと話す。
「いやぁ、本当に美味しいですね」
「はい。私も初めてここに来たときは、『学食でこんなに美味しいものが食べられるなんて』とびっくりしました」
2人ですっかり大満足のお昼を終えてゆったりしているとき、そういえばと妹との約束を思い出した。一緒に写真を撮るなら今がチャンスだろう。
「ラフィさん、ラフィさん」
「何ですか?」
首を傾げるラフィさんは、何度見ても絵になる。だが毎回毎回見蕩れているわけにもいかない。
「もし良ければ、私と一緒に写真映ってもらってもいいですか? 妹が同室の子を気にしていて」
「ええ、いいですよ 妹さんがいるんですか?」
「はい。ヒトなんですけど、私よりも優秀な自慢の妹です」
許可が貰えたのでスマートフォンのインカメラを起動し、ラフィさんの傍に寄る。そこでカメラ画面には過去に撮った最新の写真が小さく表示されていることを思い出す。朝に寝顔を撮らなくてよかった。もし撮っていれば、たった今関係が終わっていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、どのくらい傍によれば映るのかわからなくて」
尻尾は根性で抑え込んだが、耳がピクリと動いたのに気が付かれた。立ち上がったラフィさんの疑問に真実を誤魔化しているが嘘ではない答えを返す。
「思い切りくっついてしまえば映りますよ」
可愛らしく「えいっ」と声を出したラフィさんが、右腕で私の腰を引き寄せた。勢い余って私は真正面からラフィさんの首筋に顔を埋める形になり、左腕がラフィさんの腰に回った。
……ふあああぁ!?
今度こそ耳と尻尾が勢いよく伸びた。ラフィさんの柔らかい体の感触と、鼻腔を満たす良い香りが、一瞬で私の処理能力を超える刺激を脳へ叩き込む。そのような中で、柑橘系の香水とも、無香料の制汗剤とも違う匂いに気が付いた。もしかしたら、ラフィさんの汗の匂いかもしれない。
「あっ、すみません。汗臭かったですか?」
「ぃえ、だいじょぶでしゅ」
……心配してくださるのは嬉しいのですが、汗臭いなんてことはありません。これは興奮しすぎているだけです。
正直にそんなことを言えばド変態の誹りは免れない。なけなしの理性で腕をいっぱいに伸ばし、どうにか写真を撮ろうとする。しかし、ぷるぷると腕が振るえてしまいなかなかシャッターを押せない。私が自撮りし慣れていないのを見て取ったのだろう。ラフィさんが左手で私の右手を包むようにスマートフォンを支えた。
「これでどうですか」
息を吸い込むような声にならない声を上げて、私はシャッターを切った。指がずれて連射モードで撮影してしまったが、些細なことである。シャッター音を聞いたラフィさんが腰に回していた手を解くのに合わせて、名残惜しさを感じながら私も少しだけ離れる。
「良く撮れましたね。でもノヴァさん真っ赤ですよ? 大丈夫ですか?」
「人とくっちゅくのに慣れてなくて、ちょっとびっくりしみゃした」
ラフィさんが無防備だからですと言うわけにもいかない。まだ呂律の回らない口で何とか言い訳をする。
「すみません。今度から気を付けますね」
「……いえ、
心の準備ができていれば、堪能できるはずなので。真意を隠しながらそう言って、たった今撮影した写真を見る。慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべるラフィさんと、ぐるぐる目になりそうなほどに顔を真っ赤にした私が抱き合っているツーショット写真だ。
……これを
絶対何か言われるだろうなと思いながら、ふらふらとした足取りでラフィさんの対面の席に戻っていく。遠くから「またデジタル殿が尊死しておられるぞぉ!」という声が響いていた。
2021/08/22 06:40
ノヴァからリツへの呼び方を変更