「…遅いですねぇ、スーパークリーク先輩」
「おそーい」
朝方、寮の入り口。そこでグラスワンダーはスペシャルウィークと仲良く手を結びながら、待ち人であるスーパークリークを待っていた。スぺちゃん当番であるスーパークリークにスペシャルウィークを預ける為だ。
スぺちゃん当番が決まってまだ数日。しかしその数日の間で2人は互いに意見を惜しみなく出し合い、大雑把にしか決まっていなかったルールを完璧に完成させた。
その1つに《スーパークリークが当番の場合は朝の決まった時間に寮の入り口にてスペシャルウィークを預ける》と言った物がある。
これが作られたのには様々な理由があるが――まあ、一言で言ってしまえば当番を迎えたスーパークリークがあまりにも待ち遠しすぎて速く来すぎる為だ。具体的に言えば日が昇り始める位に。
流石にそれでは眠っているスペシャルウィークの邪魔になってしまうからとグラスワンダー提案の元このルールは決定となった。
そして今、グラスワンダーはそれに従い、ちょっと眠そうなスペシャルウィークと一緒に入口で待っているのだが……既に予定していた時刻は過ぎていた。
「(珍しいですね…スーパークリーク先輩がこんなに遅れるなんて……)」
他の何を差し置いてもスペちゃん当番だけは絶対に遅れる事だけはしない彼女が姿を見せない。
その事実に、もしかして何かあったのでは?と少し心配になり始めたグラスワンダーであったが、
「…あのさ、アンタがグラスワンダー?」
そんな折に聴こえたのが1人の女性の声。
その声に反応し、振り返ってみればそこには1人のウマ娘がいた。
最初はどなただろうか?と困惑するグラスワンダーであったが、その顔を見ている間に1人の名前に辿り着く。
そうだったと、彼女の名前は確か―――
「は、はい。グラスワンダーは私ですけれど…えっと、ナリタタイシン先輩…?ですよね?あの、私に何か?」
《ナリタタイシン》
スーパークリークの同室相手であり、一時期はとある理由でこの学園を去るか去らないかと言うレベルにまで追い込まれていたが、その頃にあるトレーナーの勧誘を受けてそのトレーナーのチームに所属。以降はトレーナー指導の下、数多くのレースに出馬し、勝ち続けている注目ウマ娘の1人だ。
当然グラスワンダーも彼女の存在は知ってはいた。幾度か学園内で目撃した事もある。だが互いに特にこれと言った接点もなかった為、今日こうして会話するまでは1度も言葉を交わした事もない関係であったりする。
そんな彼女がどうして自分の所へ訪れたのだろうか?と不思議でたまらないと言った具合にナリタタイシンを見詰めるグラスワンダーに対し、ナリタタイシンはどこかめんどくさそうにしながら―――
「…クリークさんから伝言。今日の当番出来なくなったから代わりにお願いねって」
「―――え?」
――グラスワンダーが予想もしていなかった知らせを告げた。
「はいどうぞ~入って入って~」
「えっと…し、失礼します」
スーパークリークの案内でサイレンススズカはとある部屋へと招かれていた。
其処はスーパークリークの担当トレーナーが管理するチーム部室。スーパークリークを筆頭に数多くのウマ娘が所属していると言うのもあってか、かなりの広さを有している。
内装も整えられており、置かれている道具一式さえ取り換えれば十分に客室としても使用する事が可能なレベルで綺麗な部室だ。
そんな部室に案内されると、部室内に何人かのウマ娘がいる事に気付く。恐らくは早朝トレーニングの為に早めに訪れて、今はそれが終わった後の片付けの最中と言った具合だろう。使ったであろう道具類の後始末をしながら、笑顔で何かを語り合っている。
そんな彼女達も部室へと入ってきたスーパークリークの存在に気付くと笑顔のまま挨拶を交わし、そしてスーパークリークの後ろに居るウマ娘がサイレンススズカである事に気付くと黄色い歓声をあげた。
彼女達が騒ぐのも無理もないだろう。今やサイレンススズカは遠いアメリカで数多くの海外ウマ娘達を相手に勝利し続け、その知名度を大きく広げ続けている大活躍中の注目ウマ娘だ。
その人気はシンボリルドルフのそれと比べれば劣るが、それでも日本国内のみならず海外でもかなりの物だ。
そんな大人気ウマ娘が突如目の前に現れたとあっては黄色い歓声の1つや2つ挙げたくもなるだろう。
スズカもそんな反応に慣れているのだろう。歓声に応える様に笑みを浮かべて手を振る姿はかなり様になっている。そんなスズカの姿に再度嬉しい悲鳴が鳴り響くが、それをスーパークリークが優しく注意すると、彼女達もまた素直にその忠告を受け入れて後始末を終えた道具を片付けると部室の外へと出ていく。
それを見送ると部室の中に誰もいなくなったがスーパークリークは構わずにそのまま部室の奥へとスズカを案内していく。
案内の先に辿り着いたのは部室の奥にある小さな個室。
《トレーナー並びにスーパークリークの許可を得た者以外は立ち入り禁止》と書かれたそれを前に、スーパークリークは懐から何かを取り出す。それは小さな鍵だった。
扉の鍵穴に慣れた動作で差し入れるとカチンっと小さな金属音が鳴り、扉の持ち手をスーパークリークが優しく開くと扉はごく自然に開け放たれる。
「さあ、どうぞ~」
開け放たれた扉の向こう側にあるのは、暗闇。
もうとっくに日が差している時間だと言うのに、其処だけまるで夜の時間に置いて行かれた様に真っ暗だった。
スズカはその暗闇を前に僅かに戸惑いを見せる。
スズカが此処までスーパークリークに付いてきたのは彼女の言葉があったからだ。
《スぺちゃんに懐かれたい?それなら素敵な方法がありますよ~♪》と。
その言葉の意図は不明のままだが、それでも彼女ならばとスズカは付いてきて、そして辿り着いたのが此処だった。恐らくスーパークリークが語る―スペシャルウィークに懐かれる素敵な方法と言うのはこの中にあるのだと理解はしていたが、目の前の暗闇は中へと進む勇気を阻む。
時間にして数秒足らず、スズカは迷ったが――覚悟を決めた様に暗闇に足を踏み入れる。
この先にスぺちゃんに懐かれる術があるからと踏み入れて――
「―――あ、あかん……」
身体が暗闇の中へと入ると同時に聴こえたのはか細い小さな声。
それがなんであるのかを理解する前に、後ろで扉が閉まる音が聞こえて部屋が完全な真っ暗闇の中へと陥る。
「す、スーパークリークさん?」
途端に感じる不穏な気配。
それに嫌な可能性を感じながら震えそうになる声でここまで案内してくれた彼女の名前を呼ぶが、返事の代わりに部屋の電気が付けられる。
暗闇から一気に光へと変わった所為だろう。一時的に視界が見えなくなるが、次第に目が光に慣れて部屋の中が見えて来る様になる。時間にして数秒足らず、光に慣れたスズカの瞳に飛び込んできたのは――
「こ、これは…!?」
其処にあったのは――幼児部屋としか呼称の仕様の無い部屋だった。
幼児向けの玩具、転倒しても安心の柔らかに素材で作られたクッションで覆われた床と壁、そして幾つも並んだ幼児用ベット。スズカにとってそれだけでも十分に驚きの内容の数々だが、それ以上に驚かされたのは幼児用ベットに寝かされている1人のウマ娘の存在だ。
「に、逃げるんや……あぶ」
「もう、駄目よタマちゃん。おしゃぶり外したら♡」
幼児用スモックを着せられ、おしゃぶりを付けられて幼児用ベットに寝かされているタマモクロスが其処に居た。
おしゃぶりを外し、必死に逃げる様に伝えるタマモクロスであったが、それを阻む様にスーパークリークが彼女におしゃぶりを付け直す。決して無理やりではない、優しい手つきで行われるその姿はまさに理想の母親像と言った所だろう。その姿に影響されているのか、はたまた見えない何かが彼女を抑えているのか、タマモクロスは付けられるおしゃぶりに対し、一切の抵抗が出来ないまま再装着させられる。
再装着させられたおしゃぶりを全てを諦めた面持ちで咥えながら、タマモクロスはスズカに先程とは違う感情を込めた瞳で見つめる。
その瞳はさながら―――《ご愁傷様》と伝えるかの様だった。
「え…えっと、あ、あの…す、スーパークリークさん?」
スズカは理解していた。
この先に待つであろう己の結末を。
自分が此処まで案内された意味を、理解してしまった。
浮かび上がる結末。それを拒絶する様にスズカはゆっくりと扉まで下がっていき、ドアノブに手を掛けるがドアは開かない。まさか、とスーパークリークを見詰めれば其処には鍵を手に笑みを浮かべる彼女の姿。
もう、逃げ道は無かった。
「だ、騙したんですか?」
「騙す?そんなわけないわ。私もスズカちゃんの気持ちは分かるし、その手伝いをしてあげたいって気持ちに嘘はないわ。けどね、スズカちゃん。子供に懐かれるって意外と難しいのよ。子供にはそれぞれの好き嫌いもあるし、私達とあの子達から見る世界も全然違うの。けどそれを言葉で教えても全てを理解するのは難しいの。だから――体験してもらうのが一番かなって♡ほら、ことわざにもあるでしょう?《習うよりも慣れろ》って♡」
―――――スズカは悟った。
もう逃げられないと、もう終わりなのだと。
今から迎える結末、きっとそれは――――
「それじゃあスズカちゃん♡これに着替えましょうね~♡(幼児用スモック)」
「い、いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
――彼女の記憶に永遠と焼き付くであろう。
学園のとある部屋。
とある理由でその部屋の主たるウマ娘に関わる人物しか足を踏み入れないその部屋は、多くの研究機材によって埋め尽くされていた。その部屋の一番奥、この部屋の主たるウマ娘――《アグネスタキオン》が手元にある資料を眺めながら小さく微笑みを浮かべる。
「ふ…ふふふ…素晴らしいじゃないか。まさかこんな所に私の知的好奇心を満たしてくれる逸材がいるなんて…」
見詰める先にある資料。其処に書き記されているのは今や学園内で最も噂されているウマ娘。
その名前は―――
「ふふふ!よろしい!早速会いに行ってみようじゃないか!!楽しみだよ――スペシャルウィーク君」
――3歳児となったスペシャルウィークだった。