「――それは、冗談と捉えても良いのかな?モーリス」
「いえ。本気ですよ」
モーリスが提案した内容。
それを聴いたシンボリルドルフは彼女に対しそう問いかけていた。
確かに予定されていたスケジュールの1つに交流を目的としたレースが執り行われる事になっている。
その具体的内容については、開催準備を優先した為にまだ決めておらず、帯広トレセン学園側との話し合いの上で決定しようと未決定のままであったのだが、彼女達はそこに《ご褒美》を求めてきたのだ。
《勝ったらスペシャルウィークをよこせ》とーー
「…それについては承服しかねる。スペシャルウィークくんの一件は当然知っているのだろう?彼女の治療、そして記憶を取り戻した後の今後を考えると中央での経過を――」
「その結果が、先のファン交流会では?」
――やはりそこを突いてくるかと内心舌打ちをする。
先のグラスワンダーのファン交流会での一件は、中央にとって大きな問題となった。
URA上層部による独断、そして企みの影響があったとは言え、彼女が走る事に許可を出したのは中央だ。
その後の騒動を上層部と学園が沈静化させたとは言え、その事実が消えるわけではない。
そしてその消えない事実は、中央にとってまさに急所に刺さる一撃となってしまっている。
だからこそ、シンボリルドルフはそれを口に出された瞬間には沈黙するしかなかった。
反論など出来る筈もなく、ただ悔しそうに唇をかみしめて。
そんなシンボリルドルフの姿を横目に、モーリスは言葉を続ける。
その姿に、一切に同情など抱いていない事を証明する様に、続ける。
「シンボリルドルフ会長。正直な話をさせていただきますと、私は最初は貴女を――いや中央を嫌悪していました」
そう語るモーリスの表情には笑みが浮かんでいる。
けれどもその瞳には笑みで隠しきれない感情が込められており、それをシンボリルドルフへと向けながら続ける。
「スぺちゃんが記憶を失ったと聞いた時、私は中央から此方へ戻ってくるのだと思っていました。今のスぺちゃんに必要なのは高度な医療ではなく落ち着く為の時間なのだと。ですからスぺちゃんのお母さまと中央との話し合いの結果でスぺちゃんが中央に継続して残り続けると聞いた時は…驚きを隠しきれませんでした。けれども中央での高度な治療と回復後を見通してと言う話を聞いて私は何とかそれを受け入れて、自分の意見を我慢しました。ですが……そんな信頼の結果が先の一件です」
――あの日を思い出す。
多忙な生徒会の仕事を終え、少し遅めの食事をとろうとして食堂へ赴いた私の眼に飛び込んだのは、テレビに映し出された走るスペシャルウィークの姿だった。
最初は録画の類だと思った。だって今の彼女が走るなんて到底無理だと知っていたからだ。
だが、それは録画でもなければ再放送でもない。グラスワンダーのファン交流会イベントで行われている目玉レースを生放送で流している物だと気付くと、私はただ呆然とテレビに釘付けになっていた。
《どうして彼女が走っているのか》
《どうして彼女が出走出来ているのか》
《どうして彼女の走りを誰も止めないのか》
そんな無数のどうして?と言う疑問に脳裏を支配されながらも、私はただ願っていた。
無事に走りきってくれと、怪我をせずに終えてくれと、転倒しないでくれと。
ただただ必死に無事を願い続け、そして―――あの直線を見た。
「…実を言いますと、最初は帯広トレセン学園から正式に苦情を出して、スぺちゃんの身柄を我が学園で引き取るつもりでした―――あの直線を見るまでは」
最後の直線での走り。あの走りを前にした私は――思わず呼吸をする事を忘れていた。
それまでのどこか危うさを感じさせる走りは彼方へと消え去り、数多の強敵達を次々と抜かし、そしてグラスワンダーとの一騎打ちを実現させて見せたあの走りに、私は魅せられた。
その走りが、私が…いや《スペシャルウィーク》と言う存在を知る者ならば誰もが知る日本総大将としての走りだったからだ。
「あの直線を見た瞬間、私は察しました。きっと、あの子が記憶を取り戻すきっかけとなる《何か》はレースにあるのだと。だからこそ、私は苦情を取りやめました。私が苦情を出せばきっとあの子はレースから遠ざかってしまうから。ですが、同時に見定めなければいけないとも考えました。中央が今後もスぺちゃんを預けても良い所なのかどうかを」
「…その話から察するに、私達は君のお眼鏡には適わなかったと考えたら良いのかな?」
「いえ。その逆です。まだ一日目ですが此処はとても良い所だと思います。スぺちゃんを今後預けるとしても安心できるとも思えました。それにシンボリルドルフ会長、貴女の事も信じられると私は感じました」
それならばとルドルフは続けようとする。
それならばどうして先の要求をしてきたのか、と。
そしてその言葉をモーリスも分かっていたのだろう。ただし、そう前振りを付けてからモーリスは言葉を続ける。
「――URAに関してはそうではない、と判断しました」
学園とそこに通う生徒、そして秋川理事長と接触し、モーリスは考えた。
良く言えば人の良い人達、悪く言えば騙されそうな人達、それが出会った人々に対する考えだ。
あくまで初日での印象でこそあるが、信頼しても良いだろうとモーリスは判断した。
だがURAに関しては違う。
グラスワンダーのファン交流会の件、その詳しい詳細についてモーリスは情報を得ている。
あの数時間で何が起きたのかを、知っている。
だからこそ、信頼できなかった。
きっとまた同じような事が起きればURAは同じ事をしでかす可能性が多いにあるのでは?と疑った。
それ故に、手を打たねばと考えたのだ。
ただ転校をさせる。それだけならば容易い。
だがそれだとスペシャルウィークが今後中央にて行われるレースに参加するのが難しくなる可能性がある。
恐らくスペシャルウィークの記憶を取り戻すきっかけとなるのは地方のレースではなく、中央が関係する何かだと考えているモーリスにとって中央のレースの参加困難と言う事態は避けたい。
記憶を取り戻すきっかけが其処にあると分かったのに、それを遠ざける様な真似はしたくないからだ。
それに転校に対し、URAが何かしらの反発をしてくる可能性だって存在する。
帯広も所詮はURA傘下の学園だ。URAの決定に対し、意見を述べる事こそできるが反対するのは難しいだろう。
そうなれば帯広へ彼女を連れて来ると言う願いも果たされないだろう。
そこで、今回の件だ。
他校実地交流会としてならばスペシャルウィークは中央に属したままの状態で地方に移れるので中央のレース参加に何も問題はなく、学園行事の一環なのでURAも強く言っては来れない。
まさにうってつけだろう。
「それに、今回は朗報もありましたので」
「朗報?」
それが何を意味しているのかが分からずに首を傾げるシンボリルドルフ。
その様子に笑みを浮かべるモーリスは周囲を見渡し、あるウマ娘を見つけるとその名を呼んだ。
「オースミキャンデイ。ちょっと良いかしら?」
「ふわ?ぼうびまじだがいぢょう?」
やはりあのスペシャルウィークの姉である事だけはある。
皿に大量の食べ物を乗せ、それを頬一杯に食しながら彼女は歩み寄り、その姿にモーリスは小さく笑った。
「……彼女は確か、スペシャルウィークの…」
「はい。スぺちゃんのお姉さんです。スぺちゃんによく似てるでしょう?」
確かにその外見はスペシャルウィークとよく似ている。
細かい部分にまで目を見張れば違いはあるが、知らない人が見れば勘違いするやもしれないと言うのがシンボリルドルフが彼女に抱いた感想だ。
頬を膨らませて食事を食べる姿などよく似ていると、モーリス同様に笑みを浮かべるが、内心では今どうして彼女を呼んだのだろう?と疑問を感じていた。
そしてその疑問は――
「ゴックンーーふぅ…それでどうしました会長?」
「いえ。あの件については私よりも家族である貴女から説明した方が良いかと思いまして」
――あの件?
それはいったい、と追及しようとするがそれより先にオースミキャンデイが「そうですね!!」と動く。
懐から取り出した一枚の手紙。それをシンボリルドルフへと差し出す。
「…これは?」
「うちのお母ちゃんから中央の偉い人に渡してくれって言われてた手紙です!私話すのが下手なので、余計な事言わずに手渡してきなさいって!」
スペシャルウィークくんの母君から?とシンボリルドルフは手紙を開き、その内容を拝見していく。
最初は訝しむ様に、けれどその表情は段々と真剣なものへと変わっていく。
それもその筈だ。スペシャルウィークの母親からの手紙。その内容に刻まれていたのは――
――今回モーリスが提案したレースに対する全面的な同意書だった――