幼少期、サメ映画「ジョーズ」の小説版を読んだ際、海水浴中の女性を襲う描写があまりにもリアルで子供心ながら身震いしたのを覚えています。
「そ……そんな…」
アジト出入り口——ドックへと繋がる最後のワープパネルを踏んだ俺は眼前の光景に唖然とする。
「ふふふ……ツナミさん。絶望の淵に立たされた気分はどうですか…?」
「くっ……」
月明かり差し込むドックを背に、イズミ、ウシオ、シズクの三幹部がまるでここから脱出することを見越していたように立ちはだかっていた。
三幹部のうち一人——ウシオは足元に2匹のグラエナを従え、太い腕を組みながら勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「下っ端共をいくら倒されようと、海へと続くこのルートだけ押さえてしまえば後はこちらの物。まさかここまで簡単に引っ掛かるとは思いませんでしたがね。ハハハハッ」
「シズク……テメェいつもそうやって汚ねぇ手を…」
「これでお分かりでしょう?ツナミさん。やはり貴方は
アクア団三幹部——通称
勤続年数、年齢に関わらず功績を挙げた下っ端の中から選出された
今目の前にいる三白眼の坊主頭——シズクもかつて入団時期は一緒だったが現在進行中の計画——海底洞窟に眠る超古代ポケモン カイオーガの復活に際して目覚ましい活躍を遂げた功績により幹部に就任したという。
この幹部候補生という制度もよく考えられており、「団員に等しくチャンスを与えた上で熾烈な出世競争をさせる」といった意味の他、「仮に現幹部が心身の不調又は失態によりそれまでの業務を執行不可能となった際、後釜選びを容易にする」といった意味もある。
尤も…今まさに団を抜けようとしている俺には最早幹部の椅子などに興味はないのだが…。
「……確かにお前ら3人は優秀だ。頭の回転も速いしリーダーシップもある。だが……」
「だが……何ですか?まさか『気持ち』の強さでは負けていないとでも?」
「……ああ。『今度はマトモな人生を送りたい』って気持ち……その強さは何を以ってしても消せないさ」
「フッ…ハハハハハハハハッ‼︎よろしい。その汚らしい傷だらけのヒンバス1匹で、この状況を切り抜けられるというのなら、ぜひやって頂きましょう。ねぇ皆さん」
「「ええ」」
ウシオが丸太のように太い二の腕をゴキゴキと鳴らしながら合図すると、6匹のグラエナが一斉に口を開け、全方位から一斉にシャドーボールを放つ。
俺はその場に立ち尽くし、迫り来る六発の黒い弾丸の衝撃から、せめてヒンバスだけでも守るべく奴等に背を向けた。
ドドドドドドッ‼︎
機関銃の掃射のような凶悪な音を立てて、俺の背中でシャドーボールが立て続けに爆発したのだった。
「……ようやく仕留め——なっ⁉︎」
シズク達が驚くのも無理はない。俺はヒンバスに「みがわり」を使わせており、奴等の攻撃が生んだ爆風に紛れてとっくに海へ飛び込んでいたのだ。
奴等が最後にドックで見つけたのはシャドーボールで八つ裂きにされた俺の屍ではなく、ヒンバスそっくりの人形の筈だ。
「おのれツナミさん……小賢しい手を……」
「貴方があんなにツナミさんを挑発したからでしょう⁉︎ウシオさん!」
「いいや、あなたも幹部になれたのをいいことにツナミさんに相当な事を言ったではありませんか‼︎全く
シズクはわなわなと肩を震わせてウシオのライフジャケットを掴み八つ当たりするが、ウシオも負けじと反論する。
無理もない。シズクはシズクで折角手にした
いつしか大人同士の、自分の保身を賭けた不毛な責任のなすり付け合いが始まっていた。
「落ち着きなさい!二人とも‼︎」
二人の揉み合いを制したのは、三幹部の紅一点——イズミの一喝だった。
「しかしイズミさん…脱走者の始末に失敗というこの状況……あなたならどう覆すというのですか?」
「安心なさい。もう手は打ってあります」
そう言うとイズミは自分のバックに広がる大海原——ドックとその先の、月明かり照らす水面を親指で指した。
「海が……どうかしたのですか?イズミさん」
「フフッ…貴方達が揉めている最中に、総帥の水槽から連れ出したサメハダーを2匹、ドックから海へと放っておきました」
「イズミさん……いつの間に…」
「どちらも人間の血の匂いはまだ覚えている筈だし、素早さも申し分ない。程なくして足の遅い…しかも手負いのヒンバスに掴まったままのツナミさんに追いつくでしょう」
「成る程…最後の詰めはサメハダーに任せると言う事ですね?しかし総帥にはどう報告すれば……」
「そんな事は簡単です。『ドックで拘束したはいいが海へ向けて逃走を図ったためサメハダーで追尾。無事捕食されました』とでも報告しておきましょう」
「それは名案ですね‼︎
「詰めが甘いと同僚を罵るのは、もう少し現場で経験を積んでからにした方がよろしいのではなくて?シズクさん」
「ウッ…」
「まぁいいでしょう。二人共。総帥の元へ帰投しましょう」
「「
カツ、カツと足音を立てながら、月明かりに照らされた3人の人影がドックから地下階段へと飲み込まれてゆく。
アジトの向こう側の大海では、先程の爆発音に突如目を覚ましたキャモメ達が宙を舞いながらにゃあにゃあと騒いでいたが、やがて事態の収束に気づいたのか静かに水平線の向こうへと飛び去っていった。
* * * * * *
124番水道。ミナモシティ近海。
俺は海流に流されつつもヒンバスのヒレに掴まり永らく洋上を波乗りしていたのだが、静寂の向こうに現れたミナモの夜景を目にすると、思わず叫んだ。
「ヒンバス!見えたか?ミナモシティだ‼︎センターに着いたら真っ先にセンターに連れて行ってやる。だからもう少しだけ耐えろよ」
ヒンバスは俺の呼びかけを聞くと、先程のみがわりのダメージでただでさえ身体にガタがきているというのに懸命に尾ビレを動かし始めた。
「ヒンバス……ありがとうな。お前も俺も、あんな狭い世界で燻っていちゃ勿体無いよな」
(…コクリ)
「なぁヒンバス、
「……⁉︎」
両脚の膝から太ももあたりを襲った衝撃。
少し遅れてやってくる鈍痛。
俺は最初、波乗り中に流木か何かを足にぶつけたのだと思っていた。
しかし、突如泳ぎを止めて俺の方を振り返ったヒンバスは、明らかに唖然としている。
「ヒンバス‼︎何がおかしい⁉︎俺の脚はどうなっている⁉︎」
夜の海の中。俺は必死に自分の両脚を探る。
しかしいくら足元を探ろうとも水をかくだけで、自分の爪先に触れられない。
「ま……まさか——⁉︎」
嫌な予感というのは大抵的中する。
月明かりに照らした俺の両脚は、膝から先を何者かに喰いちぎられていた。