海月の引力   作:山並


原作:pop'n music
タグ:残酷な描写
つよしくんとうたちゃんが海に行く話です

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海月の引力

ある日、うたがぽつりとこぼした。

 

「海に行きたい」

 

と。

 

その日もいつも通りの制服姿で、いつも通り約束よりも遅れてきたうたにつよしはため息一つ吐かず、彼女に会える喜びに溢れんばかりの笑みを漏らしていた。

 

王子様みたいな格好で左ハンドルの赤いオープンカーに乗って、学校の近くの喫茶店の狭い駐車場でそわそわと誰かを待つつよしは、明らかに場から浮いていた。

 

しかし、一年くらいそれが続いていれば街の住人からの目も柔らかくなるものだ。

 

彼が居ることはもはや人々の日常であり、恋する王子様の姿は平和の象徴のようなものだ。

 

その王子の待ち焦がれる相手というのが、うただ。

 

彼女は、街で二番目に偏差値の低い高等学校の女生徒で、日頃の素行も決して良いとは言えない。

ワイシャツを着崩し、その上からブカブカのセータを着ており、夜空をコピーして貼り付けたような黒髪には、埃やなにかよくわからないものがひっついている。

 

見た目も、彼女に付き纏う噂話も不潔だ。

 

彼女の通う学校自体も、良い噂はあまり聞こえてこない。

 

 

しかしながら、つよしは、彼女にまさしく恋をしている。

 

そのきっかけを知ることは人々にはできないが、彼が覚えていれば、それで充分なのだろう。

 

今日も今日とて、どこか不釣り合いな二人は街の小洒落た喫茶店にて、方やすりガラスの向こうに靄がかった町並みを眺めながら、方やその横顔を眺めながら、談笑に花を咲かせていた。

 

うたが海に行きたい、とこぼしたのも、その時である。

 

もう一度、海、と小さくつぶやき、小さく切り分けられたパンケーキを一口食べ、グラスに注がれた水を一息に飲み干すと、それっきりうたは押し黙る。

 

よくも悪くもマイペースな彼女は、会話の流れというものを全く考慮しない傾向にある。

つい先程まで、つよしが、最近密かに人気が沸騰しているシンガーソング・ライターの話をし、彼女もそれを興味深そうに聞いていたにも関わらず、これである。

 

気まずい沈黙を、カフェの主人の落としたレコードの針の音が破る。

 

どう返して良いか考えていたつよしは、紅茶を一口飲むと、ひとまず海のことは置いておいて、流れ始めたジャズの、シンガーの話をし始めた。

 

おおよそ二時間ほど、うたはつよしを振り回し、つよしはなんとかついていく、という会話の追いかけっこを続けたところで、幽鬼のようにふらりとうたが立ち上がると、そのままゆらゆらと歩いて帰っていってしまった。

 

これももはや、見慣れた光景である。

 

ティーカップに注がれた紅茶をつよしが急いで飲み干し、早足で会計を済ませると、喫茶店には店主の衣擦れの音を残して、静寂に包まれた。

 

 

会話だけでなく行動においても、彼女はつよしを放って一人ふらふらと歩く。

目的地すらわからないことも多い。

 

というのも、どうやら、うたは他人とのコミュニケーション能力が、全くといって良いほど欠落しているのだ。

 

なにか訊ねても答えが返ってくることは少なく、返って来たとしても単語だけだったりする。

 

そのうえ声はか細く、歩き方も病人のようで、生気が薄い。

 

ふらふら歩いて、時々走って、突然つよしの近くに近づいてくる。

 

陶器のような肌に、ビー玉のような青い瞳。

 

遠くにあると危なっかしく、近くにあると心臓は鳴り止まない。

 

落ち着かない様子のつよしだが、どこか楽しげだ。

 

夏の夕暮れは、それでも、汗を流すくらいには蒸し暑い。

 

 

日が沈む頃になってようやく、彼女は自身の家にたどりついた。鉄筋コンクリートでできたアパートで、比較的最近に造られたであろうそれは、どこか冷たい表情をしていた。

 

それが夏の夜空から降り注ぐ風の冷たさからくるものだと、うたは言っていた。

 

人気のないそのアパートの階段を、彼女は駆け上り、半分ほど登ってつよしの方を向いてなにか言いかけると、また駆け上がっていった。

 

白いソックスが見えなくなっても階段を眺め続けていたつよしの心にはすでに、海岸に打ち寄せる波の音が聞こえていた。

 

 

「またね」

 

階段の上に別れ際の波が打ち寄せ、蝶番の音とともに引いていった。

 

 

 

三日後の土曜日の早朝。

 

誰かがつよしの家のチャイムを鳴らし、それが目覚ましとなってつよしはベッドから跳ね起きた。

 

可愛らしくデフォルメされたくまのプリントされたパジャマを着たまま寝癖も直さずに、目をこすりながら玄関の扉を開け、訪問者の顔を彼は眺めていた。

 

現実味の薄い光景に、ただ見つめることしかできなかった。

 

そこにはうたが居た。

 

いつもよりやや崩れた、しかし、ほとんど同じ格好で、うたが立っていた。

 

数秒ほど呆然としていたつよしだったが、首をかしげるうたを前に、急いで家の中に引っ込んだ。

 

数分の後、いつも通りの格好をしたつよしが、息を切らしながら出てくる。

 

「こんなに早くにどうしたの?」

 

と、優しい声色でつよしはそう訊ねる。

 

「海」

 

さも当然の会話の流れのように、書かれた手紙を読み上げるような、少し不自然な喋り方で、うたはただ一つだけ単語を返す。

 

少し間を置いて、もう一度そう言うと、更に続ける。

 

「行こう」

 

つよしはうなだれるように頷き、車のキーを取り出し、次の日の行動予定が書かれたメモ帳をポケットの中で握りしめた。

 

 

「歩こう」

 

と、うたは言う。

 

つよしの小さくて柔らかい手を引き、彼女は歩きだした。

 

何度かまばたきをして、つよしはなんとかそれについて行った。

 

 

コンクリートの反射する太陽の光を浴びながら、二人は歩く。

 

 

 

海岸に着いたのは、夕方だった。

 

 

海岸線に沈む夕日を眺めながら、うたはつよしに薬包紙を手渡した。

 

 

夜になり、月明りがうたの黒髪を照らしていた。

 

砂浜に降り立った二人は、自然と手を繋いでいた。

 

その手を握りしめ、うたは言った。

 

「一緒に死んで」

 

あくまでも無感情に。

 

しかし、涙を流しながら。

 


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