印象としては小ぢんまりとしたバーと言ったところだろうか。
カウンターの向こうから「どうぞ」と『HELL』と付く屋号に似つかわしくない容姿の
可愛らしい女性がおしぼりを手渡してくれた。
これが俗に言うママという人なのだろうか。場違いなメイド服がとても似合っていた。
それにしても、あんなに綺麗な人から食事に誘われるなんて夢にも思わなかった。
ホテルのプレオープンも半分を終えたところだったが、夢追社長の細かい指示と
スタッフの人員調整やオープン後のスケジュール管理。上げたら切りがないほどの
仕事が山積していた。流石の私も気晴らしがしたくなり、プレオープン開始から
初めて外に出てみることにした。
カジノを生業としている人間が、こんなことを言うのはタブーなのかも知れない。
けれども、私はギャンブルの女神やら仏様という類のモノを信じていない。
無神論者なのだ。ギャンブル自体は嫌いではないが神頼みではなく、統計と確率を
駆使して戦えば勝てるものだと思っていた。
つまり、今日の出会いも運命の神様の悪戯なのではなく、誰かの企みや計算なのだろうか。
彼女にぶつかってしまったのはホテルを出て直ぐだった。
私自身も空を見上げていて不注意ではあったのだが、彼女自身も地図を見ていたのが原因だった。
しかも悪い事に私が持っていたコーヒーが自分のスーツに零してしまった。
彼女は物凄い勢いで謝ってきたが、私自身にも非が無いわけではないし特に気にしていなかった。
だが、彼女にお詫びにと食事に誘われてしまった。私は人の良心というものを無下に断ることが
出来ない人種だった。結局は断り切れずに現在に至るという訳であった。
「ごめんなさい! 待たせちゃいましたね。」
お手洗いに行っていた彼女が戻って来た。
もし神様が、女神様が存在しているとすれば、彼女なのかも知れない。
戻って来た彼女の笑顔を見て、初めて神様の存在を信じてしまいそうになった。
白雪はホテルのエントランスに立っていたスーツの男に招待券を手渡した。
「いらっしゃいませ。御連れ様は三名様ですね。どうぞ。こちらです。」
スーツの男は丁寧な口調と手ぶりで四人をホテルの奥へと先導するために四人の少し前を
歩き始めた。そのまま彼らは男に着いてホテル内を堂々と進んでいった。
進んで行った先には落ち着いた雰囲気のエントランスホールと豪華なレセプションが
お出迎えてくれていた。
その一角を通り過ぎて、さらにホテルの奥に進むと、そこに突如として煌びやかな
青と黄色のネオンが眩しい大きなゲートが現れた。ゲート上部には『CASINO』の文字。
『長いトンネルを抜けると雪国であった』
情景こそ天と地の差があるが、そんな言葉がぴったりだった。大人な落ち着いた雰囲気を
抜けると、そこは欲望のエネルギーが溢れかえるホールがあったのだ。
「見取り図通りだね。」
フレンがイブラヒムの耳元で囁いた。
「ああ。今のところはな。」
イブラヒムは返事はしたものの、全く別の所に注視していた。
それは防犯カメラと警備スタッフの立ち位置だった。それぞれの場氏は事前情報と
差異はないようだ。
情報が正しいとなると、あとは
イブラヒムは正確な情報の上で胡坐をかくこと無く、より一層と気持ちの引き締めをしていった。
「こちらになります。チップはあちらの窓口で交換可能となっています。」
ここまで先導してくれた男はフロア内の軽い案内を始めた。四人は事前に念入りに見取り図などで
確認をしていたので必要のない情報ではあったのだが、聞かないわけにもいかず大人しく
相槌を打ったり、返事を返したりと男の案内に耳を傾ける素振りを見せていた。
「それでは、ごゆっくりとお楽しみくださいませ。」
説明を終えると満足げな顔で男は元来た道をやけに良い姿勢のまま帰って行った。
「ふー...やっと終わったか。じゃあ。我々も始めるとしますか? 」
叶がネクタイを少し緩めながら軽く肩を回していた。隣の白雪は既に仕事モードのようで、
カジノフロアをゆっくりと品定めするように見渡していた。その間に目が合ったと勘違いした
男たち何人かが熱い視線を返しているようだったが、彼女自身は涼しい顔で受け流していた。
「皆さん! 頑張りましょう! 」
いつもより少し大きな声になっていたフレンが気合を込めて拳を顔の前で力強く握った。
三人は相手にする事なく、散り散りバラバラに所定の位置へと向かって行った。
最初に仕事があるのは叶だった。チップを窓口で交換すると、叶はテーブルゲームのエリアを
ゆっくりと散策して行った。
バカラ...クラップス...ルーレットにポーカー。
プレオープンながら、どのテーブルも熱気と活気に満ちていた。ここに居るほとんどの客は
どこぞの会社の役員やら投資家やらだろう小金持ちの連中が子供のように喜怒哀楽を
包み隠さず解放して楽しんでいる様子は何とも言えぬ光景だった。
普段は難しい顔をしながら書類やパソコンと睨めっこをして、たまには部下の説教をしたり...。
そんなことを想像しながら、そいつらの顔を見るのが叶は嫌いではなかった。
そんな事を考えていたらブラックジャックのエリアに着いていた。
幾つかあるテーブルを見渡すと、その中の内の一卓に彼女は立ってた。
彼女のピンクと黒の特徴的な髪型が目印となり、叶にも直ぐに見つけることが出来た。
「では、ディラーオープン。フォーティーン...。」
彼女は流れるような手つきでカードを手元に引き寄せた。そのままフワリと風にでも
吹かれたかのように表になったカードは『ハートの7』だった。
「トゥエンティーワンです。」
無情にも客の前に置かれていたチップが落胆と悲鳴の渦の中を掻い潜った彼女によって
回収されていった。
気力か資金が無くなってしまったのか、彼女のテーブルから一人の男が悔しそうに離れて行った。
叶はその空いたばかりの席へと腰を下した。もしかしたら、何十分か立って待っていなくては
いけないかもと思っていたのだが、何とも今日は幸先が良さそうだ。
「お手柔らかにお願いしますね、」
叶はご自慢の営業スマイルを浮かべながらチップをベットした。
予定通り姿を見せた叶の顔をさりげなく夜見は確認した。夜見にとってもここからが本番だった。
一度呼吸を整えると、叶に負けぞ劣らずな笑顔を見せつけていった。
「こちらこそ...よろしくお願いします。」
二人の邂逅ごっこをイブラヒムは低レートのビデオスロットを回しながら眺めていた。
スロットの出目など確認することなく、淡々とコインを入れては回し、コインを入れては回しと
流れ作業のように繰り返していた。
「よし...二人がスタンバったぞ。しっかり頼むよ。」
小さな声で手元に仕込んでいたインカムマイク越しに緑仙に呼びかけた。
『しっかり見えてるよー。さぁいよいよだ。』
緑仙の声が聞こえ終わるのと同時に目の前のマシンから騒がしい音が聞こえてきた。
座ってから初めてモニターのリールに目をやると、『BAR』と書かれた絵柄が綺麗に並んでいた。
そして、やけに目出たい音が鳴りやむと、払い出し口からはコインがジャラジャラと
払い出され始めていた。その払い出されたコインを見つめて、イブラヒムは小さく溜息をついた。
「今じゃねぇーんだよなー...。」