設備用のパイプやダクトなどの為の小さく狭い所でメンテナンスや改築などの際に
専門業者が入る以外には普通に生活していれば入ることのない場所だった。
そのスペースには点検口が用意されており、そこから床下に入ることが出来た。
地下一階の床下。そこから地下二階の天井裏へと続いている換気用のダクトが
張り巡らされていた。
そのダクトの迷路の中を二人は一生懸命に進んでいた。
「でび様ー...進むの速いですよー。」
ルイスが匍匐前進で進んでいるのに対し、スイスイと何事もないようにでびるは進んでいた。
と言うよりは飛んでいた。
「んー? 怪盗...もしや酒の飲み過ぎで太ったんじゃないか? 」
「な、な、何言うんですかー! 太ってませんし、お酒ならでび様の方が。」
「哀れ。哀れ。」
でびるは自分のお腹の部分を笑いながら擦っていた。
奇しくもその結果、ルイスの匍匐前進のスピードは上がったのだった。
白熱の勝負が続いていたブラックジャックのテーブルに終末が訪れたのは突然のことだった。
黒服の男がゲームの区切りを見て、夜見に何か耳打ちをし始めた。
夜見は表情を変えることなく頷きを一つ返すと、黒服と共にバックヤードへと姿を消した。
テーブルには新たに若い男のディーラーがやって来た。
「可愛い子から変わっちゃって申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。」
叶は直ぐにテーブルを離れれば要らぬ疑いを掛けられてしまうと考え、ゲームを続行することを
選択した。夜見の時と同じ額のチップを手に取ると、笑顔でそれをベットした。
『敵さんもやるね。いずれ気付かれるとは思ってたけど、予想より早かったね。』
イブラヒムのインカムに緑仙の声が聞こえてきた。緑仙の言う通りに叶と夜見の役目は
チップを荒稼ぎする事でもなければ、最後まで相手を騙し切る事でもなかった。
二人の役目は時間を稼ぐための囮だった。途中で裏に連れて行かれる事も想定していた。
そして、勿論そのための対策も準備していた。
「そうだな...椎名に連絡しておいてくれ。スタンバっといてくれってな。」
ルイスとでびるは、ようやく銀色の迷宮のゴールへと辿り着いたのだった。
「はぁー...疲れた。何とか時間も間に合いましたねー。」
「では、僕の出番だな。行ってくるぞー。」
ルイスが格子状の通気口の蓋を外すと、そこから金庫室内部へとでびるが入っていった。
ぱたぱたと慎重に羽ばたきながら目的の場所へと向かって行った。
床の加圧センサーは問題なかったのだが、金庫内に張り巡らされている赤外線センサーに
当たってしまえば、これまでの苦労が水の泡と化してしまう。
ナイトビジョンゴーグル越しに限られたルートを確認しながら、その小さな体を
滑り込ませていった。
ダイヤモンドが保管されている場所は金庫内にも設置されていた防犯カメラの録画映像を
確認した緑仙から指示を受けていた。
意外と殺風景な金庫内には事務用の扉付き収納棚やラックのようなものが並んでいた。
ラックには段ボールなどが並んでいて、その中には個人情報など書類も保管されているようだ。
でびるは目的の鍵付き棚の前までやってきた。
金庫に限った事ではないのだが、外周のセキリティが強固で複雑なものほど、中に入ってしまえば
途端に緩くなるというのが通説なのだ。
例えば、共通エントランスがディンプルキーで完全オートロック。おまけに管理人も近くに
居るようなマンションの方が、そこを超えてしまえば、個々の玄関や窓が開けっ放しに
なっている事が多いのと一緒だ。
御多分に洩れずにダイヤモンドが保管されているという棚も鍵の構造こそ
少し複雑そうではあったが、その他の仕掛けや四重ロックと言った様子も見受けられなかった。
ゴーグルを上げて、慣れた手付きでピッキングツールを使い始めた。
ホテル側にでびるたちの動きが発覚するまでには、まだ幾分の猶予があるだろうと思われたが、
でびるには急がなくてはいけない理由があった。それはこの邪魔なセンサーにあった。
ただでさえ厄介な仕掛けなのに、更に定期的にセンサーの位置が変わるのだった。
事前に仲間が仕入れた情報によると、切り替えの時間まで残り十五分程だった。
ルイスは万一に備えて、ダクト内で待機していた。腕時計で時間を確認すると、
さっきのお返しよと言わんばかりにでびるに声を掛けた。
「でび様ー。残り十五分ぐらいでーす。」
「直に開くから帰りの準備でもしてなー。」
夢追はスマホを見て固まったと思ったら、突然に事務所を飛び出すとセキリティルームへと
走っていた。状況が把握できないままアンジュも後を追いかけた。
セキリティルームは事務所の隣にあった。部屋の前に着くと夢追は一度立ち止まり、
アンジュにあることを伝えた。
「アンジュ! 手持ちのスマホで良いから、大至急調べて欲しいことがある。『マントゥール
マンション』というウィークリーマンションがホテルの近所にあるか調べてくれ。
もし、あるなら何階建てなのかと、部屋数も教えてくれ! 」
戸惑いながらも「かしこまりました。」とアンジュが返事をすると、それを聞き終える前に
夢追はセキリティルームへと足を踏み入れていた。
「...社長? いかがなさいましたか? 」
いきなり強張った表情の夢追がアンジュを引き連れて入ってきたので、それを見ていた中で
働いているスタッフたちは目を丸くして固まってしまっていた。
「直ぐに地下二階の映像を出してくれ! 」
部屋にある大型モニターには何分割にもなったカメラの映像がランダムに映し出されていた。
夢追の指示を受けたスタッフは急いでモニターの映像を全て地下二階のカメラへと切り替えた。
映し出されていたのは、エレベーター前、廊下、金庫入り口前、金庫内の映像だ。
普段の様子と違う夢追と違い、映像は至って平和なものだった。
どの映像にも人の影すら映っておらず、静止画だと誤解してしまいそうな程だった。
「これはライブ映像なんだよな...。」
「はい。もちろんです。一秒のラグもあるませんよ。」
映像に異変がなく、自分自身に落ち度がなかったことが証明されたと思い安心したのか、
夢追が入って来た時よりも落ち着いた様子でスタッフが返事をしていた。
「社長。ありました。ホテルから十分程の所に『マントゥールマンション』というウィークリー
マンションがありました。五階建てのマンションで各階三部屋。計十五室のマンションですね。」
アンジュはスマホで検索した結果を夢追に伝えた。アンジュにはカメラのチェックもマンションも
何がどうなってるのかさっぱり理解出来ないままだった。
「そうか...あるんだな...そうか。」
でびるの手に確かな手応えが伝わって来た。
「怪盗ー。あと何分? 」
ウトウトと眠りかけていたルイスは慌てて腕時計を確認し始めた。
「え、えっと残り五分以上あります! 」
「ふむ。余裕だな。」
そう言うとキーピックルーツをしまい、でびるは目の前の棚を開けようと慎重に手を掛けた。
手応え通りに扉の鍵開けは成功していた。中には何とも魅力的な光を放つダイヤモンドが
優雅に赤いフカフカの絨毯の上に寝そべっていた。
「...こりゃ想像以上にお美しいお姫様だことで。」
でびるは取り出したハンカチで姫君を起こさぬように優しく包み込むと、胸元に引き寄せた。
その時だった。
けたたましい警告音と共に、でびるが入って来た通気口の開口部分が天井板の隙間から出てきた
シャッターのようなもので閉ざされ始めていた。
「きゃっ! 何!? 」
一瞬の出来事だった。通気口の開口部分は完全に閉ざされてしまい、ルイスは気が付けば闇の中に
一人取り残されてしまっていた。
夢追はスマホで、どこかに連絡を入れていた。
「ああ...そうだ。『マントゥールマンション』の203号室だ。住所はメールで送る。
大至急で調べてくれ。ああ...中に居る奴を連れて来い。
そう言って夢追が電話を切った時だった。
セキリティールーム内に聞き慣れない警告音が鳴り響いた。
「どうした!? 」
スタッフも予行演習以外では初めてのことに慌てふためいていた。どうやら施設内の
どこかの防犯センサーに反応があったようだ。
スタッフが調べると場所は直ぐに判明したのだが、その場所はスタッフを更に混乱させるような
場所なのだった。
「そんな...馬鹿な...。」
「おい。どうした? どこで何があった!? 」
夢追が戸惑っているスタッフに詰め寄って行った。スタッフは歯切れの悪い様子で
信じられないことだが事実として機械が示した場所をありのままに告げた。
「社長...場所は地下二階の金庫室の中の防犯センサーです。」
その言葉を聞いた夢追、アンジュ、そこにいたスタッフを含め、全員がモニターを見つめた。
モニターの向こうでは変わらず、何も無い平和で静かな世界が映し出されたままなのだった。