叶、白雪、ルイスの三人はダイヤモンドを何としても持ち出そうと、
ホテルの出口へと向かっていた。走ることなく、なるべく平常時と同じ速度で歩いていた。
カジノフロアを始め、ホテル内部の見える範囲の部分では日常が続いていた。
フロアの下では大騒ぎになっていようとも、知らぬ振りをしなくてはいけなかった。
今は出来るだけ目立たぬように、普通にエントランスホールを抜ければ良いだけなのだ。
「やっぱり正面から出るのは危険なのでは...。」
ルイスが心配そうに二人の顔を交互に見つめていた。
「客として抜けられるのがここしかありません。おまけに緑仙さんの応答が全くなくて、
『目』も『耳』も失ってる状態です。騒ぎが大きくならない内に一刻も早く、かつ静かに
正面から抜けるしかありません。」
「そうよね...私たちにもチャイちゃんみたいな制服があればねー...。」
叶と白雪の言う通りに三人は丸腰状態なのであった。手探りで霧の深い森の中を歩いて行く
ようなそんな気分だった。
三人の心配をよそにエントランスまで数メートルのところまで辿り着いていた。
「お客様...。」
三人の足をピタリと止めたのは背後からの突然の男からの呼び掛けだった。
目と鼻の先にはエントランスが見えている。この声を無視して走り去れば、
逃げれるのではないか?
「駄目だ...。」
小さな声で呟いたのは叶だった。叶はそれ以上の言葉を発することなく視線を
エントランスの先。屋外に向けていた。
叶の視線を二人が追うと、その先にはよく見れば複数の黒服が待機しているのが見えた。
「挟み撃ち...ってやつよね。これ? 」
自嘲めいた笑みを浮かべながら白雪が問い掛けてきた。
「どーしてバレちゃったんでしょー...。」
「まぁ。とりあえず、ここは大人しく呼び止められましょう。」
そう言うと叶は笑顔で声が聞こえた背後へと向き直った。
「ん? 僕たちのことですか? 」
叶が笑顔を向けた声の主は夢追だった。夢追の傍には外に待機しているのと同じ黒服が
五人程が立っていた。
「ええ。そうです。恐れ入りますが、事務所までお越しいただけないでしょうか? 」
叶の笑顔に負けず劣らずの笑顔を夢追は浮かべていた。
「あら? わたくしたちが何故? 」
白雪も物怖じすることなく、正面からぶつかって行った。
「そう...ですね。お恥ずかしい話なので、あまり大きい声ではお話できないのですが、
わたくしどもの金庫からある物が盗まれてしまいましてね...。」
「ほぉー。それは大変だ。それなら急いで犯人を探さないと。」
叶の挑発じみた言葉を聞いた夢追は表情一つ変えることはなかった。
目の前の三人はもう逃げられないと思っているようだ。
「そうなんです。ですので、皆様に声を掛けた次第で御座います。先ほどフロアで
あなた方を見つけた時に不思議に思ったことがありました。
まず、ブラックジャックで大勝していた素敵な殿方。あれは恐らくディーラーと組んだゴト行為。
ゴト行為と言うものはカジノ側にバレないように行うのが基本。あんなにド派手に立ち回れば、
カジノ側にバレるのは必至。では何故?
それは目立ちたかったから。我々の目を一点に集中させたかったのではないか...。
そして、お隣の黒髪の女性がお持ちの鞄。それは当ホテルが使用している
ボストンバッグと酷似しています。更に、赤いバックパックお持ちの女性は、
地下で目撃された不審者に容姿と持ち物が良く似ていらっしゃる。
これら全てを総括した結果、お声掛けしたということです。」
素晴らしい考察だった。叶は思わず拍手を送ってしまいそうになっていた。
「もし、容疑を否認されるんでしたら、今ここでお二人の鞄の中を見せては頂けませんか? 」
「あら? こんな公衆の面前で、か弱いレディの鞄の中を改めさせるなんて随分ですわね。」
白雪が僅かながらの抵抗を見せるものの、夢追は動じる様子も無く笑顔を浮かべたままだった。
これが所謂『万事休す』と言うことなのだろう。
この状況下で三人に出来ることと言えば、神に祈ることぐらいだろう。
神様もカジノフロアから送られてくる要請で手一杯なのは十分承知だ。
だけど、ほんの一瞬でも良い。一度だけでもエントランスに顔を向けてはくれないのだろうか。
ルイスが両手を強く握り、仲間と悪魔の救済を神に願った時だった。
『ーーーーーー!』
次の瞬間。エントランスホールに『ラッパ』の音色が響き渡った。
「何? この音。」
「『終末のラッパ』...。」
白雪の言葉に小さく返事をしたのはルイスだった。ルイスが発した単語に叶は聞き覚えがあった。
黙示録に書かれている七人の天使が吹くと言われている『終末のラッパ』。
不吉な事が起こる前触れにどこからともなく聞こえてくるという音色。
都市伝説紛いの話だったが、実際に音声が入っている動画を見た記憶があった。
全員が音の鳴った方を向いた。それはエントランスの向こう。外から聞こえてきていた。
「なんだっ!」
先ほどまでの余裕がラッパの音色と共に吹き飛んだ夢追が叫んでいた。
夢追だけではなかった。叶たち三人も状況が把握できずにいた。
エントランスの外の黒服たちがガラス越しでも戸惑い、狼狽えていることが伝わってきた。
もう一度大きなラッパの音色が聞こえたと思えば、外に立っていた黒服が大きく左右に分かれ、
その間に見事な一本の道を作り上げていたのだった。
「おいおい...天使に続いてモーゼまでお出ましかな? 」
叶の冗談が聞こえてしまったのか、神の怒りを表すように眩い光が出来た道の奥から
エントランスを照らし始めた。
しかし、光の先から姿を現わせたのはラッパを持っている七人の天使でもなければ、
杖を持った白髭の男でもなかった。
車だ。赤い車体の高級スポーツカーが黒服の間に出来た道を猛スピードでエントランスに向けて、
突っ込んで来るのだ。
車はスピードを緩めることなく、エントランスの張られていた大きなガラスを突き破り、
そのままの勢いでエントランスホールへと侵入を果たした。
叶たち三人を含め、夢追たちも慌てて回避しようと左右に割れた。
他の客の悲鳴やスタッフの怒号が響く中、エントランスのほぼ中央で赤い車は急にハンドルを
切ると、車体を滑らせながら三人のすぐ近く、ギリギリのところで何とか停車した。
停車した車の運転席側の窓ガラスがゆっくりと降ろされた。
「みんな! 早く乗って! 」
そこに座っていたのはフレンだった。
「フレンさん!? どうして? 」
流石の叶も驚きの声を上げていた。
「良いから早く乗って! 」
フレンに言われるがまま、叶は助手席に、白雪とルイスは後部座席へと乗り込んだ。
「運転は上手くないから、ちゃんと掴まっててねー! 」
フレンがそう言うと車は急発進して、まるでルーレットの中を転がるボールのように
ぐるりと弧を描くようにして広いエントランスを進んで行った。
その道中で黒服たちを蹴散らしながらレセプションの前を通り、カジノフロアの前にある
ゲートに差し掛かった。ゲートの前を通過したのは一瞬のことだったはずだ。
でも、そこでルイスは車内からあるものをカジノフロア内で見つけることが出来た。
「フレンさん! 止めてください! 」
「ええっ!? 」
ルイスの叫びに驚いたフレンは車を急停車させた。叶と白雪はその煽りを諸に食らってしまい
座席に軽く頭をぶつけてしまった。
「もー...どうしたのルイス。」
ぶつけた額の部分を自分で擦りながら白雪は顔を上げた。横に居たはずのルイスは車のドアを
開けて、フロアの方に向かって手を差し出していた。
「でび様ー! こっちです! 」
ルイスの手の伸びる先、カジノフロアの奥からは一生懸命にゲートへ向かって、飛んで来る
でびるがいたのだ。でびるはゲートまであと一歩の所まで来ていた。
「逃がすな! 」
その様子を夢追も黙って見ている訳もなく、バラバラになっていた黒服に大号令を掛けた。
黒服たちもその声を聞き、それぞれの場所から停車している車を目掛けて向かってきていた。
状況的には一刻も早く車を発進させるべきではあった。しかし、フレンがアクセルを
踏み込むことはなかった。それを拒絶するような声が車内から聞こえてくることはなかった。
「でび様! もう少し! 」
「怪盗ー! 信じてたぞー! 」
ルイスは待ちわびていたでびるの手の感触を確かに感じるとフレンに向かって叫んだ。
「フレンさん! 」
その声を聞いたフレンは今まで抑えていた右足を力一杯に踏み込んだ。
エンジンが唸りを上げながら、エントランスに黒い轍だけを残して走り出した。
何人かの黒服が車の前後にしがみついていたのだが、すぐに振り落とされていた。
フレンはエントランスに新たに設計してしまった不格好な出入り口に向けて一段と
スピードを増して、一直線に向かって行った。
夢追も退けなかった。車の進行方向の正面に両手を広げ、立ちはだかった。
「轢けるもんなら...轢いてみやがれってんだよ! 」
ハンドルを握る手に自然と力が入る。フレンだって退けないのだ。
夢追の足が動くことも。フレンの手が動くこともないままに車との距離が縮まっていった。
結果として、車が止まることはなかった。
高級ホテルのエントランスに空いた穴から赤い車が猛スピードで飛び出してきた。
危うく歩道を歩く通行人を轢きかけるも、幸いにも怪我人が出ることなく車道に生還できた。
「でわなー。」と言う声だけを残して、そのままの勢いで走り去っていった。
夢追は割れたガラスの近くに倒れていた。
倒れている夢追の体を覆うように赤い髪の人物がいた。
アンジュだった。
車と接触してしまいそうになる直線に夢追に飛び付き押し倒したのだ。
もし、アンジュが飛びつかなければ、確実に轢かれていただろう。
「何...してるんだ...。逃げられ。」
パシンと乾いた音が嵐が過ぎたエントランスに響いた。
涙を浮かべながらアンジュは夢追の頬を力一杯にはたいていたのだ。
「死んじゃったら...どうするんですか...。」
アンジュは俯いたまま顔を上げることはなかった。
ぽたぽたと床に水滴が落ちていった。
夢追は何も言わすに立ち上がると、ガラスにぽっかりと空いた穴から
一人で外に出て行った。
何気なく見上げた空にはキラキラと星々が輝いていた。
まるで、ダイヤモンドのように。
その中の幾つかの光が流れ星のように降り注いできている気がした。
喪失感と緊張感から解放されておかしくなっているのか、
夢追の近くの地面に向かって、その流れ星が落ちてきているように見えていた。
いや...そうではなかった。
地面に落ちた流れ星に近づいて、夢追はその星を拾い上げた。
「これって...まさか! 」
夢追はもう一度空を見上げた。そこで