それを見て、ようやくフレンは車のスピードを緩めた。
後部座席ではでびるとルイスが再会を喜ぶようにいちゃついていた。
やはり、この二人の神経の図太さには、もはや尊敬すら覚えてしまう。
白雪も膝にバッグを乗せたまま、楽しそうにその様子を眺めていた。
「何で、誰にも言わずに車を取りに行ったんですか...? 」
叶はサイドミラーで周囲を警戒しながらもフレンに話しかけてきた。
「...私は叶さんや白雪さん、イブくんみたいに頭が回る方ではないので、
直感とか自分を信じて動くんです。良くイブくんとかみどりに
怒られるんですけどね。」
車内に一瞬緊張が走った。対向車線から何台かのパトカーが来ていたのだ。
パトカーはフレンたちの車と何事もなくすれ違うとホテルの方へと走り去って行った。
「ちょっとビックリしましたね。えっと何でしたっけ...そうだ。
それで先に車を取りに行こうと思ったんですけど、みどりとも連絡取れないし、
考えても仕方ないと思って一人で行っちゃったんです。」
そう言うとフレンは気まずそうに笑っていた。
「でも、そのお陰で助かったのよ。フレンちゃん。ファインプレイよ。」
白雪は座席の間から顔を覗かせるとフレンに向かいウインクを贈った。
「そうですね...。僕はギャンブルで勝つには運や勘と言ったものは信じてません。
統計と確率。そして少しの技術が全てだと。でもですね...長いことやってると
運や勘とか流れってやつがあるんじゃないかって見せつけられる時があります。
本当に...敵いませんよ。本当に。」
「ないっ!! 」
突然ルイスの叫び声が後部座席から聞こえてきた。
驚いたフレンは路肩に車を緊急停車させた。叶と白雪も何事かと振り返った。
ルイスとでびるは赤いバックパックの中を見たまま青い顔をして固まっていた。
「何!? どうしたのよ? 」
「白雪さん...みなさん...ないんです。ここに入れていたはずのダイヤモンドが。」
三人は三十五階でエレベーターを降りると宿泊予約をしていた3501室へと向かった。
先頭を歩く女は専用のカードキーを扉にかざし、三人は広い室内へと足を踏み入れた。
男は持っていた赤いバックパックを床に置くと一息ついた。
「上手く行きましたね。」
先頭を歩いていた女は笑顔でそう言った。その特徴的な色のツインテールが一段と輝いて見えた。
「ほんまに夜見のお陰やで。よーやってくれたわ。」
男の傍に立っていた白い髪の女は「ふー」と一息つきながら座り心地が良いフカフカのソファへと
腰を下ろした。
「おい。椎名、ゆっくりしている暇はないぞ。あれを装着しとけ。」
バックパックを持っていた男が椎名へといつもの様に渇を入れた。
「へいへい...わかりましたよ。リーダー。」
軽い文句をぶつぶつと呟きながら椎名は立ち上がり、夜見とともにベッドルームへと向かった。
リビングルームに残ったチャイカは赤いバックパックの中を覗き込んでいた。
中にはハンカチに包まれたダイヤモンドが何も知らずに静かに眠っていた。
イブラヒムがチャイカたち三人の姿をカジノフロアで見かけたのは少し前のことだった。
別にフロアに彼らが居ること自体には何ら不思議な事はない、彼らもホテルを脱出し、
集合地点に向かうはずなのだから。
だが、イブラヒムはその姿に二つの違和感を抱いていた。
一つは彼らが向かっている先だった。エントランスやスタッフ用の通用口などに
向かっているのなら良かったのだが、彼らは上階にある客室用のエレベーターホールに
向かっていたのだ。
一刻も早く逃げ出さなければいけないはずなのに何故?
そして、二つ目はチャイカの手にあった。彼が持っているもの。それは赤いバックパックだった。
イブラヒムには見覚えがあった。そうだ。ついさっきだ。ルイスが持っていたバックパックと
瓜二つだった。
イブラヒムの中で、その二つの違和感とこれまでの異変が呼応していった。
金庫室のセンサーが時間通りに反応しなかったこと。通気口にあるシャッターの仕掛けが
伏せられていたこと。ホテル側の対応と反応の早さ。
「まさか...。」
叶たちが向かったエントランス方面がざわついていたが、イブラヒムは構わず
エレベーターホールに向かっていた。
三人が乗り込んだエレベーターは既に動き出してしまっていた。
イブラヒムはスマホを取り出し、何か操作を始めたと思うとニヤリとほくそ笑んだ。
「3501室...スイートルームか。こいつは一層許せないな。」
チャイカたち三人は出発の準備を整え終えようとしていた時だった。
部屋の呼び鈴が何者かによって鳴らされた。
「...リーダー? あたしたちのためにルームサービスでも頼んでくれたん? 」
「んなわけあるかい。だが、大体の見当はついている。」
チャイカはドアに近づくと、外の様子を確認する様な仕草を見せることなく鍵を開けた。
「開いてるぞ。」
チャイカは後ずさりする様にドアから少し離れて訪問者へと声を掛けた。
その声を聞いた訪問者がゆっくりとドアを開けた。
「よく気が付いたね。イブラヒムくん。」
ドアの向こうに立っていたのはイブラヒムだった。
「危うかったですよ。チャイカさん。まんまとあなたたちに騙されるところでした。」
「へー。凄いやんイブくん。よーこの部屋がわかったね。」
椎名の嫌味なのか本音なのか分からない言葉にイブラヒムは笑顔で応えた。
「偶然にもあんたたちがエレベーターに乗るのが見えてね。その後はこれを使ったんですよ。」
そう言うとイブラヒムはスマホの画面を有名なご老公の印籠の如く、椎名に見せつけた。
その画面にはホテルの立面図が映っており、図面内の3501号室のところには四つの光が
点滅していた。
「これは緑仙が準備してくれたんだが、全員のインカムの位置情報が分かるように
なってるんだよ。万が一、ホテル側に監禁されたり、逃げ遅れた仲間が居た時のために
用意したんだが、こんな形で役に立つとは思ってもみなかったよ。」
「はぁー...なるほどね。君たちから情報が拾えるかもと思って、捨てずに持っていたのだが、
それが仇となったってことか。」
チャイカは耳からインカムを外すと、それを床に投げ捨てた。椎名と夜見もそれに続いて
インカムを外していた。
「あんたは最初に情報を持ってきた時点でセンサーの切り替わり時間をずらして伝え、
ダクトでの侵入を提案しつつ、通気口のシャッターの情報を伏せていた。
それと、これは推測だがホテル側に俺たちの情報を流してたんじゃないか?
そうすることで、俺たちの行動を掌握しつつ、ホテル側も自分たちが都合の良い方へと
誘導してたんじゃないか? 」
「すごーい! 完璧ですよ。イブラヒムさん! 」
嬉しそうに笑顔で拍手をし出したのは夜見だった。
「うむ。鋭いじゃないか。その通りだよ。ちなみに緑仙くんの潜伏しているマンションの
情報も流してある。緑仙くんの存在は我々にも邪魔だったものでね。
申し訳ないが、今頃はホテル側に捕まってしまってるかもな。」
「...なるほど。」
それを聞いたイブラヒムは胸元から拳銃を取り出し、三人に向かって構えた。
「それでどうするつもりだい? 我々を順番に撃つのか? 」
「ああ...。」
チャイカもイブラヒムも微動だにせず、真っすぐにお互いの目を見ていた。
「無理だな。一年前、仲間を救えなかった君に仲間は撃てんよ。」
チャイカの挑発にイブラヒムの口元が僅かに歪んだ。
「ところで、君は我々が何故最上階にいると思う? 」
チャイカは手元にはボールペンのようなものを握っていた、その先端には
赤いボタンのようなものが付いていた。チャイカはそのボタンを静かに押してみせた。
赤いボタンが押されるのと同時にチャイカたちの背後にあったスイートルームの名物でもある
展望用の大きな窓ガラスに幾つもの火花が上がるのと共に破裂音が室内に響き渡った。
大きな窓ガラスは呆気なく粉々になり、夜の街へと降り注いで行った。
窓ガラスが街の灯りを反射させ、キラキラと光り輝きながら落ちていった。
それはまるで流れ星のように。
「これは私からの餞別だ。良い景色だろう。割れたガラスの値段込みで『百十万ドルの夜景』って
とこかな? 」
チャイカたちは少しずつガラスが無くなった窓へと後ずさりしながら近づいて行った。
よく見るとチャイカはダイヤモンドが入ったバックパックを背負わずに手に持っていた。
理由は簡単だった。三人は既に何かを背負っていた。
「そう言うことか...。」
それに気が付くとイブラヒムは三人に向かって走り寄った。
「跳べー! 」
近づいてくるイブラヒムを見たチャイカは二人に向かって叫んだ。椎名と夜見はチャイカの合図で
窓に向かって全力で走り出し、そのまま外に向かって跳び出した。
チャイカもそれに続いて窓の外へと跳び出して行った。
イブラヒムも手を伸ばしたのだが、寸でのところでチャイカを掴むことが出来なかった。
イブラヒムが外を見てみると三つのパラシュートが目に入った。
ベースジャンプ用のパラシュートだ。ホテルの三十五階の高さはベースジャンプにおける
ギリギリ跳べるであろう高さなのだった。
イブラヒムは最後に自分の腕に掛けた。拳銃を構えると直ぐにチャイカたちに向かって二発の
銃弾を放った。
放たれた銃弾はチャイカの近くを通過したようだが、チャイカの体やパラシュートに
当たることはなかった。
しかし、チャイカは狼狽していた。こんなことが起こり得るのか。
「なん...だと。」
銃弾はバックパックの持ち手を吹き飛ばしていた。持ち手の部分だけをチャイカの手に残し、
夜の闇へとバックパックは呑み込まれていってしまった。
「イブラヒムー! 貴様ー! 」
チャイカがその後に何か叫んだようだが、その姿と共に風に乗って街の中へと消えていった。
「俺からも餞別だ。チャイカ。こっちは『三千百万ドルの夜景』だ。」
ガラスの無くなった窓から遠くで唸るエンジン音と誰かの叫び声が聞こえた気がした。
イブラヒムが部屋を出たのは、それから直ぐのことだった。
もうここには用はなくなった。一刻も早く脱出をしなければならなかった。
エレベーターホールに向かおうとした時だ。
エレベーターが一機、三十五階に到着したようで扉が開いた。
「やはり...ここにいらっしゃいましたか。」
エレベーターの中から降りてきたのは夢追だった。
その手にはしっかりと拳銃が握られていた。