笑うトランプ   作:夏野 雪

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◇19

 拳銃を構えた夢追がエレベーターの前に立ちはだかっていた。

「下手な言い訳は考えなくて良いですよ。貴方があいつらの一味だってことは

防犯カメラの映像で秘書が確認済みなんでね。」

どうやらカジノフロアでルイスたちと話しているところを確認されているようだ。

「...この短時間で良くここまで辿り着けましたね。」

「ええ。それに関しては神様が味方してくれたようですよ。外に出た時に空からガラスが

降ってきたんですよ。そのガラスの厚さが通常より厚くなっていたんで、直ぐにわかりましたよ。

その破片がスイートにしかない展望用の窓ガラスだってことがね。僕のお気に入りなんですよ。

なので、急いでここまでやって来たというわけですよ。」

確かにチャイカが脱出のために割った窓ガラスはエントランスの真上に位置していた。

天運という概念がこの世に存在しているのであれば、今は夢追に傾いているように思えた。

「ご足労頂いて申し訳ないんだが、ここにダイヤモンドはないんだよ。俺も裏切られちゃってね。

ダイヤモンドはもう()()()()()だ。残念だったな。」

ダイヤモンドの消失を伝えれば、多少なりとも夢追が動揺するのではないかと

イブラヒムは思っていた。

しかし、夢追は動揺する素振りを見せずに、逆にそれを喜んでいるような笑みを浮かべていた。

「そうですか...。それなら猶の事、貴方を帰すわけには行きませんね。貴方を捕らえて、

監禁でも拷問でもして仲間の情報を吐いてもらいます。確実に全員探し出して見せますよ。」

笑顔でそう言うと夢追は拳銃のハンマーを下した。

イブラヒムは例え、ここで捕まったとしても仲間の情報を守り切る自信はあった。

だが、はいそうですか。とここで諸手を挙げて捕まるわけにはいかなかった。

イブラヒムも素早く拳銃を夢追に向けた。

「これで...互角です。自慢じゃないけど、俺も射撃には自信があるんだよな。」

夢追はしばらく何も言わずにイブラヒムに拳銃を向けたまま動かなかった。

イブラヒムもまた拳銃を向けたまま動かなかった。

長い廊下に相対する二人を包む沈黙と緊張だけが悪戯に濃度を増していった。

「...貴方はギャンブルはお好きですか? 」

最初に口を開いたのは夢追だった。その言葉は余りにも意外なものだった。

「は? まぁ...嫌いじゃないが? 」

「それならギャンブルを営んでいる僕から一つアドバイスを贈らせて頂きます。

貴方はギャンブルで勝つために一番重要なことは何だと思います? 」

夢追は不敵な笑みを浮かべたままだった。何を考えているのだろうか。

「一番重要なこと? 技術や経験とかか? まさか運とか言わないよな。」

「もちろん。そう言ったものも大事ですよ。ですが、勝つために必要なことは

トランプカード(切り札)は最後まで取っておく』ことですよ。」

イブラヒムが口を開こうとした時、背後から扉が開くような音が聞こえてきた。

夢追からも目を離さぬよう、少し首を後ろへ向けて音の鳴る方を確認してみると、

その音がなった場所は廊下の突き当たり、エレベーターホールとは真逆の位置にある

非常階段へ通じる扉だった。

廊下側からは開かないようになっているその扉が開いていた。

そして、その扉の向こうには夜空を背景に一人の女性が立っていた。

赤いショートヘアーを夜風に靡かせながら拳銃をイブラヒムへと向けていた。

「彼女が僕のtrump card(トランプカード)。とってきの切り札ですよ。僕の優秀な専属秘書なんですよ。」

アンジュ微かに震える手で拳銃を握りしめていた。しかし、その目には確かに決意が

宿っているようにも見えた。

「さぁ。これで二対一。どう足掻いても貴方に勝ち目はありません。

怪我をしたくなければ、大人しく銃を捨てて捕まって下さい。

貴方も漢なら、あんなか弱い女性に銃なんか撃たせてはいけませんよ。」

夢追の言う通りだった。イブラヒムに逃げ道はもう残されていなかった。

可能性のことだけを考えれば夢追を撃って、エレベーターに駆け込むことが

逃げ切れる可能性が一番高そうではあった。

でも、俺が大人しく捕まれば誰も傷つかずに済ませることが出来るかもしれない。

イブラヒムはそう考え始めていた。手に構えていた拳銃を下ろそうとした時だった。

アンジュとイブラヒムが見つめている先にあるエレベーターホールのランプが

一か所点灯したのだった。

そのランプはエレベーターの到着を知らせるためのランプだった。

考えてみれば、三人が拳銃を突き付けあっている場所はホテルの廊下なのだった。

このフロアの利用客が現れたって何らおかしくない状況だ。

今までとは違った緊張が三人を包み込んでいった。

間もなくして、当然のようにエレベーターの扉が開くと中から一人の人間が

三十五階のフロアに降りてきた。

その人物の手には一台のノートパソコンが握られていた。それには一枚のシールが貼られていた。

それは可愛らしいパンダのシールだった。

「あれー? 何だか楽しそうな事してるじゃないですか。」

「無事だったのか...緑仙。」

緑仙はニッコリとイブラヒムに微笑みかけると夢追に向けて拳銃を構えた。

「赤髪の秘書さーん。聞こえるかな? 君がイブくんに発砲したら、おたくの社長さんも同じ目に

合うことになっちゃうから撃つんなら、よーく考えてからにしてね。」

そう言いながら緑仙は夢追の後頭部に拳銃を突き付けたのだった。

「アンジュ...僕の事は気にするな。構わずに目の前のやつを撃つんだ。」

夢追は落ち着いた声で優しくアンジュに語り掛けていた。それは出来るだけ彼女を動揺させずに

イブラヒムを撃たせるたいという強い思いからの工夫だったのだろう、

アンジュは無言のまま両手で拳銃を握りしめたまま動けずにいた。

自分は社長のために目の前の男を撃つべきなのだろうか、それとも社長を守るべきなのだろうか。

きっと社長は撃つことを切に願っているはず。そんなことは長い付き合いのアンジュには

分かっていた。分かってはいるのだ。

「アンジュさん...一つ良いですか? 」

イブラヒムが夢追に銃を向けたままアンジュに呼び掛けた。顔も向けずに前を向いたままで。

「...なんです? 」

「アンジュ! こいつの話なんか聞かなくていい。君は僕の言うことを聞いていれば良いんだ。」

夢追は必死にイブラヒムの言葉を遮ろうとしていた。アンジュが夢追のことを

理解しているように、夢追も彼女のことを良くわかっているつもりだった。

彼女の持ち合わせている優しさと優柔不断さを知っていた。

イブラヒムは夢追の焦りを見抜いて、アンジュへと語り掛け続けた。

「さっき、あんたの社長さんがギャンブルで大事な事は『トランプカード』って言ったよな。

でも、俺はそうじゃないと思ってる。ギャンブルで一番大事なことは『()()()』だと思ってる。」

「『引き際』...? 」

「ああ。それまでどれだけ勝っていようが、どれだけ強い切り札を持っていようが、

どれだけラッキーが続こうが、引き際を見誤ってしまえば何の意味もなくなる。

一瞬にして消えちまう。だがら一番大事なことは引き際なんだよ。きっと...。」

イブラヒムはアンジュに向かって話しているつもりだった。

だけど、アンジュの後ろに一年前の自分の亡霊が薄っすらと見えていたのかもしれない。

「アンジュ? 撃ってくれ...これは社長からの命令だ。」

これまでアンジュが夢追の仕事上での指示を守らなかったことは一度もなかった。

彼女は優秀な秘書だった。

「社長...ごめんなさい。私には撃てません...貴方を見捨てる何て出来っこありませんよ。」

真っすぐに前に向けられていた銃口が、まるで彼女の頬から零れ落ちる涙の様に気が付けば

床へと向けられていた。

アンジュはそのまま崩れ落ちるように床へと座り込んでしまった。イブラヒムは彼女のそんな姿を

直視する事が出来なかった。

なぜなら、イブラヒムには彼女の決断の過酷さと尊さが痛いほど理解できたからだ。

そんな真夏の太陽の様な彼女の真っすぐな眩しさを受け止めることが出来なかった。

その姿を見ていた夢追もまた項垂れる様に拳銃を下した。

イブラヒムと緑仙は再会を果たすと、夢追たちを残してエレベーターに乗り込んで去って行った。

 

「本当に危なかったんだよなー。マンションのエントランスと部屋の前にカメラ置いといて

正解だったよ。」

あの時、緑仙が見た映像はマンションのエントランスと部屋の前をうろつく黒服たちの姿だった。

緑仙は急いで映像と音声接続を切断し、ノートパソコンだけを持ち出すとベランダから

一足先に逃げ出していたのだ。

逃げ出した後はノートパソコンを使用してホテル内の映像を監視していたのだが、

イブラヒムが残っているのを見つけて、迎えに来たというわけだった。

「もう捕まっちまったかと思ってたよ。チャイカたちがマンションの情報をホテル側に

流してたって言ってたから焦ったよ。」

イブラヒムと緑仙は既にホテルを脱出して、歩いて第二集合地点へと向かっていた。

「まぁ。ダイヤモンドはどっか行っちゃったけど、あんなトラブルがあってもみんなが

無事だったんだから結果オーライなんじゃない? 」

ダイヤモンドを巡る顛末をイブラヒムから聞いた緑仙が笑いながらイブラヒムの肩を

ポンポンと軽く叩いていた。それは緑仙なりの労いのつもりなのだろう。

「緑仙。おまえギャンブルで一番大切なことって何だと思う? 」

イブラヒムは夜空を見上げながら、ホテルの廊下での出来事を思い出していた。

「えっ? 何だよいきなり...。まぁ。そうだな...やっぱり運じゃない?

運だけは誰もコントロール出来ないじゃん。それならそれを持っている人が

誰よりも有利なんじゃないの? 」

「なるほど。確かにそうかもな。」

「元名ギャンブラーとしては何が一番大切だと思ってるの? 」

イブラヒムはニヤリと笑うと、迷うことなく即答した。

「そりゃもちろん...()()()()()()()()()()()()()に決まってんだろ? 」

 

 

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