描かれなかった鬼滅   作:夢幻遊人

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 このお話において、胡蝶家は平家の流れを汲む名門で、長年一国を支配してきたという設定にしました。
 そうなると、その娘であるカナエとしのぶは「浮世離れ」あるいは「世間知らず」というイメージが普通であると思います。

 確かに、姉カナエのセリフは、「『支配者として民衆を大切にしなければならない』という教育を受けていた」という説明で何とかなりますが(もちろんこれはカナエをバカにしておりません。現在でも誰もが頭がいいと認める大学を出て、リーダーとなるべき人達の中にも、人の痛みも知らない「どうしようもない」のがいることを考えれば、はるかにマシだからです)、しのぶには「普段の生活に困らなくてよい反面…」と、庶民の生活を把握していなければ言うことのできないセリフを言わせたからです。

 そこで、なぜしのぶがこのセリフを言えたのかということを書こうと思いました。


ぎゆしの戦国草紙 エピソード1

 しのぶは、薬学が好きであった。自分が調合した薬で傷ついた者や病に苦しむ者を直接救えるというのは、何とも言えない喜びや醍醐味を感じるからであった。

 そのため、しのぶはとにかく薬となりそうなものを集めることに夢中となった。

 もちろん、しのぶも最初は親の目もあり、人にやらせていたが、次第に知識を得るにつけ、自分で直接集めたいと思うようになった。

 

 しのぶの熱心な願いに、当主である父親は「それでは自分の身は自分で守れるようにせよ」と命じた。しのぶは体つきが小さいから武芸には向かない。そのうちあきらめるだろうと思ったのであったが、あきらめるということを知らないしのぶは逆に身の軽さを生かした突き技を身につけ、並の男では太刀打ちできないほどの強さも手に入れてしまったのであった。

 

 こうした結果、心身を鍛えられたしのぶは、益々薬学にのめり込んでいったのであった。

 その様に、さすがの父親も白旗を掲げ、しのぶの自由に任せることにした。ただし、あくまでも胡蝶家の支配領域の境界に近づいてはならないという制約の下ではあったが。

 

 しのぶの方でも、それが自らの身を守るための措置であることを理解していたし、その制約を無視すれば、それこそ二度と自由にさせてもらえなくことは火を見るよりも明らかであったことから、その点は細心の注意を払っていたのであったが、事件は発生してしまうのであった。

 

 

「珍しい薬草に夢中となり、こんな山の中まで来てしまいました…」ふと、しのぶが気付くと、辺りは山林で、太陽は西に沈みかけていた。

 

「…まずいですね。正確な位置が分からないので何とも言えませんが、境界に近づきすぎてしまったかもしれません。父上にバレたら大変です…」

 太陽が沈んでしまっては身動きするのも難しくなってしまうが、野営できるような用意は全くしていなかったため、しのぶは急いで山を降りようとしたのであった。

 しかし、それが(あだ)となってしまい、しのぶは足を踏み外し、したたかに転んで足をくじいてしまったのであった。

 

 …自らの処置によって歩けるようにはなったことから、骨折まではしていなかったようであるが、痛みもあって動けるスピードは格段に落ちてしまっていた。

 

「…日が落ちれば、どんな動物が出てくるとも限らないし、敵方の間者(かんじゃ)などに見つかってしまうかもしれない…」しのぶの最大の武器はそのスピードであった。そのスピードに大幅な制限が加えられてしまった現在、しのぶはよい獲物でしかなかった。

 

 このまま動かず、明日の朝まで待つか、それとも一晩中動いてでもどこかに助けを求めるか…判断を迫られたしのぶであったが、火もないまま動かずにいれば、それだけで夜の寒さで体力を奪われてしまう。そんなことになるくらいなら、リスクはあっても動いて助けを求めた方がよいと判断したしのぶは足を引きずりながら山を降りたのであった。

 

 そうすると、目の前の藪がガサガサと動いたのであった。

 

「何者か!」相手が人であれ、動物であれ、まず相手をひるませなければ、しのぶに次の手はなくなってしまうことから、その声は必死であった。

 

「…人の声がしたかと思えば、こんなところに若い女がいるとは…あれ…その服は正絹(しょうけん)…まさか胡蝶の姫様では?」こんな乱世、特に若い女性が正絹でできた服を着ているということ自体が、まさにステイタスシンボルなのであった。

 

「もし、『そうだ』と言ったら?」一見して着ている服が正絹であると見抜くということは、只者(ただもの)ではない。万が一、相手が敵方の間者であれば、それこそしのぶは何をされるか分かったものではない。…そんなことになるくらいなら、名門胡蝶家の名折れとなる前に潔く自害して果てるつもりであった。

 

 するとその男は、礼儀正しく膝を折り、(こうべ)を下げながら「(それがし)は、この辺りを治めていた☆☆殿の家臣であった□□と申す者。胡蝶家には恩がございます…」と名乗ったのであった。

 

「□□殿…申し訳ありませんが、聞き覚えがございません」

 

「さもありましょう。何せ姫様がお生まれになる前、※※◇年の頃でございますれば…」

 

「※※◇年、この辺りは…妾の記憶と一致します。敵の間者であっても、ここまでは知らぬはず。そなたの話に間違いはないようです…」しのぶは、少なくともこの数十年、誰が、いつ、どこを支配しているかを記憶していたのであった。

 

「これは、これは…何ともご聡明な姫様でいらっしゃる…」しのぶの頭の良さに舌を巻いた□□であったが、しのぶが足にけがを負っていることに気付くと、背負子(しょいこ)に乗るよう勧め、しのぶも最終的にそれに従ったのであった。

 

 

「☆☆殿の家臣であったのは、はるか昔のこと。今となってはこの辺りの農民や(きこり)たちと変わらぬ暮らしぶりでございますゆえ、何かと行き届かぬ点は何とぞご容赦のほどを…」

 

「このような足を引きずって一晩中歩き回ることを考えれば、極楽のようです。…そう言えば、□□殿のお子らは?」しのぶは□□の言葉遣いや立ち居振る舞いがきちんとしていることから、なぜこのような生活を送っているのかと疑問に思ったのであった。

 

「我らには子ができなかったのです」

 

「そうでしたか…失礼なことを尋ねてしまいました」しのぶは自らの言葉に配慮がなかったことを心から反省したのであった。

 

「…さあ、食事ができました。姫様のお口に合わないとは存じますが…」□□の口調は本当に申し訳なさそうなものであった。

 

「そのようなことはありません」しのぶは出された食事を口にしたが…あまりの()()()に吐き出しそうになってしまった。しかし、これはしのぶに対する嫌がらせでも意地悪でもないことは明らかであったことから、吐き出すことなど人の道に反する。そのため、しのぶはほとんど飲み込むようにして食べたのであった。

 

「…正直、(わらわ)は初めて口に致しました。これは何というものなのですか?」あまりの衝撃に食欲が吹き飛んでしまったため、間を持たせるために尋ねたのであった。

 

「姫様ならば、当然のことと存じます。…それは(あわ)(ひえ)でございます」

 

「粟と稗…」しのぶは絶句してしまった。それもそのはず。粟と稗といえば、胡蝶家で飼っている小鳥の餌として与えているものなのだから。

 

「姫様…庶民にとりましては、米は言うに及ばず、麦ですらぜいたく品でございます…」

 

「妾らは、その領民たちが納める年貢で生活しているというのに、何というぜいたくを…」しのぶの瞳から一筋の涙がこぼれたのであった。

 


 

「しのぶは誠、貴重な体験をしたのだな…」義勇はしのぶの話を正座したままピクリとも動かず、真剣に聞いていた。

 

「はい…領民たちの暮らしを少しでも良くさせることが妾らの務めと心得ておりまする…」

 

「もし、某が間違った道を進もうとしたら(いさ)めてくれ。もしも…もしも、しのぶの諫言(かんげん)すら聞かぬようなら、そなたの手で成敗してくれぬか…」

 

「義勇さんが敢えて領民を苦しめるなど、あろうはずもございませんが…万が一そのようなことがあったとしたら、それは妾の知る義勇さんではありません。…きっと鬼の手先に落ちぶれたのでしょうから、言われずとも妾が成敗致しまする。されど…されど、そんな義勇さんを愛してしまった妾も同罪。領民たちに対し、死んで詫びるほかありませぬ…」

 

「…しのぶは、某自身の罪すら己一人で背負わせてくれぬのか」義勇はしのぶの覚悟に舌を巻いた。

 

「領民たちに仇なす者を討ち取るは、冨岡家御台所(みだいどころ)としての務め。…されど、妾は義勇さんの妻でございます。夫が地獄に墜ちるというなら、ともに責め苦を受けるまででございます」

 

「某は、後ろ指さされるようなことはしておらぬが、(いくさ)で人を殺した。おそらく地獄行きは免れまい。だからこそ、しのぶには極楽に行ってもらい、某を引き上げてもらおうと考えていたのだが…」

 

「義勇さんのおられるところが、妾の極楽でございまする…」しのぶの表情は、むしろ清々(すがすが)しいのであった。

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