原作のストーリーにはなるべく触らないようにしていますが、第5章クリア推奨です。
○○○
ロドス執務室にて、フードとバイザーを被ったロドス指揮官のドクターとCEOアーミヤの前に、書類を持った1人のフェリーンの少年が立っていた。
とある年少オペレーターが描いた彼の似顔絵
「あとは私とドクターがサインすれば、あなたは戦闘オペレーター候補として訓練を受け、結果次第では配属されることになります。あなたは既に私達の研究に協力してくれていますから治療費や生活費は気にしなくて良いんです。それにわざわざ戦闘オペレーターにならなくても、働ける部署はたくさんあります。それでも、良いんですね?」
「はい。それが今の俺にできることです。」
「…わかりました。では数日で書類をお渡しします。…あの、ラクリマさんの場合、民間出身という扱いになるので訓練生卒業後1年以内の異動は無条件で許可されます。訓練中も同様です。ですから…重く考えず、何かあったら相談してください。」
「ありがとうございます。」
○○○
レユニオンによる龍門近衛局占拠、そしてその奪還と市街・郊外におけるレユニオン掃討作戦が終幕に向かっていた頃、ロドス本艦の医療部に、ある1人の感染者が緊急搬送されるという連絡が入った。
「なぜそれをこの状況でわざわざ妾に報告する?負傷者の手当で目が回りそうだということが分からんのか?」
ブラッドブルードの医師ワルファリンはコータス族の見習い医師アンセルに見向きもせず苛立った声を上げる。
今回の作戦の負傷者は基本的に各小隊に配属された医療オペレーターが治療を行っている。
しかし現在龍門市街・郊外にはオペレーター以外の負傷者も多く、特に感染者は民間医療機関では治療を受けることができず、各小隊のオペレーターだけでは到底間に合わないためロドス本艦が可能な限り受け入れていた。
医療オペレーターの半分は小隊に配属されているため人手不足、おかげで医療部はパンク寸前、現在ロドス本艦医療部では建前上ワルファリンが指揮を取るということになっているが、今自分が診ていない患者の対応に関してあれこれ言う余裕はどこにもない。
ワルファリンはケルシー医師と共にロドスの医療系の基盤を作り上げたロドスの古参。アンセルは怯んで言葉を詰まらせたが、その患者はヘリでこちらに向かっている。すぐに迎え入れる準備をしなくてはならないのだ。
「そ、それが…前代未聞で…どう対処すれば良いか見当もつかないんです。なので助言をいただきたいと思い……」
「…チッ、状態は。」
眉間に深いシワを寄せながら問うと、アンセルは少し周りをみてから小声で一言。するとワルファリンの態度が一変、動きを止め、アンセルをまじまじと見つめた。
「それは本当か?」
「はい。私たちも驚きましたが…向こうで取れるだけのデータはとっています。これです。」
ワルファリンは向けられた端末の画面を上から下まで目を通し、もう一度舌打ちした。
「行きたいのは山々だが今の妾は見ての通りだ。……癪だが、誠に癪だが、アだ。あいつを呼ぶといい。あいつなら私の欲しいサンプルとデータを取ってくれる。それにあいつなら喜んで来るだろう。」
アは正直絡みづらいオペレーターだがワルファリンがそう言うなら致し方ない。礼を言って彼を探しに行こうとしたアンセルに、データを自分にも寄越すよう伝言しろと言ってからワルファリンは治療に戻った。
「え?支配から外れた源石寄生体?おいおいマジかよ、やっぱロドスに来て正解だったってことか?待ってなすぐに準備するから、えぇと血液サンプルと組織サンプルは必須だからこれと、あとはこれとこれと…イヒヒ…」
○○○
「こっちです!もう到着しています。」
防護服を着て向かったアもアンセルも”実物”をみて思わず息を呑み……そこにどういう感情があるかはそれぞれだが……アは他の医療オペレーターから渡された資料を受け取った。
「骨髄、脳にも多少の侵食あり、ただし発見時に意識を確認。体の侵食は…まぁ見りゃ分かるか。まるで薬品ぶっかけられたみてぇな見た目だな。」
蒼白い皮膚、まばらに生えた体毛、あちこちから生えている源石。苦しそうに顔を歪めて荒い呼吸をしているそれは思ったよりも小さかった。首から上は比較的体毛が多く形も原型を留めており、フェリーン族とわかる。
「なるほど…うーん、こりゃ困ったなぁ。」
色々な計器を見ながらアは悩ましい顔つきをした。
術者の制御がないせいで体内に植え付けられているアーツが暴走し、身体を急速に侵食している。そして、恐らく本能的に、この患者自身のアーツがそれに抵抗している。だいたいそんなところだろうか。
「…よし、おいお前、ナイチンゲールを呼んでこい。まずこのアーツをなんとかしねぇと話にならねぇ。」
医療オペレーターは憤慨した。
「ナイチンゲール先生に向かってなんて物言いを!それに医療アーツなら我々で……」
「そうか。んじゃお前はこいつの体内の、こいつのものじゃないアーツだけを消滅させて、元の身体を復元することができるって言うのか?侵食されている部位から、こいつを一切傷つけることなく植え付けられたアーツだけを消し去る。そんなことがお前にできんのか?」
アが喧嘩腰で詰め寄って医療オペレーターが言葉を詰まらせていると処置室の自動ドアが開き、存在そのものが幻なのではと思わせるようなサルカズ女性医師が現れた。
「おやおや、噂をすればナイチンゲール”大先生”じゃねえか。随分と良いタイミングだな。」
「先程アーミヤさんに、作戦中アーミヤさんが保護した感染者の救命を行うにあたって私の力が必要になると言われました。」
「さすがCEOのねーちゃんだ。んじゃあ早速こいつに植え付けられてるアーツだけを消してくれ。あと源石汚染を一箇所に集めてくれると助かるわ。こんなことあんたにしかできねぇだろ。その後は俺がどうにかするさ。」
「わかりました。ではこの子から少し離れてください。」
「じゃあ俺たちはその後の処置の準備をするとしようか。まずはできる限り結晶と異常器官をを摘出するからその準備、輸血パックもな。俺はちょっくらラボに戻って別の薬を取ってくる。…認可?固いこと言うなよ、実験サンプルにしたいわけじゃないんだろ?心配すんなって、俺がやるからには死なせねーから。」
○○○
ロドス本艦、特殊患者治療室。そこに寝かされた、全身包帯だらけで呼吸器をつけているフェリーンの少年が瞼を開けた。
「こんにちは、この言語が理解できますか。これは13度目の呼びかけです。」
どこからともなく機械音声がそう問いかける。少年は目だけを動かして部屋を見渡し、かすれた声を振り絞った。
「誰…?」
「応答を確認。担当オペレーターに連絡します。本システム、PRTSは本艦のあらゆる管理を行っています。」
「ここ…どこ…」
「ここはロドス・アイランド本艦特殊患者治療室です。」
「ロドス……」
「治療時にあなたとの意思疎通ができず、我々への脅威となる可能性が否定できないため、あなたは拘束されています。またこれは、意識が回復したあなたの予測不能な行動による傷の悪化を防ぐ目的もあります。担当者によってあなたが我々にとって脅威ではないと判断された場合、拘束は解かれます。あなたが我々の期待しない行動を起こした場合、対象無力化システムが作動し、最低3時間、あなたの意識を喪失させます。なお、これによる健康への影響はありません。」
「俺は…どうなるの…」
「あなたを保護した当時の状況記録と、現在のあなたの精神状態より、その質問はあなたの身体の状況に対するものではなく、今後の境遇に対する質問であると判断いたします。あなたの今後についての情報はありません。また、あなたが極度の不安を感じていることが検出されております。ご安心ください。現段階では、我々はあなたの脅威ではありません。」
少年はもう一度部屋を見渡した。ネズミ色のタイルで統一された小さな個室にはゆったりとした音楽が流れており、ほのかな花の香りが漂っている。枕元には頭ほどの大きさのウサギのぬいぐるみが置いてあった。
患者を落ち着かせるための医療スタッフの工夫は、少なくとも彼の警戒心を弱めることには成功した。
「識別コード確認。ススーロ医師、入室を許可します。」
アナウンスと共に扉が開いてヴァルポの医師が足早に少年の顔を覗き込み、優しく話しかる。
「君、私がわかる?よかった…私は君の担当医師の1人、ススーロです。君の名前を聞いても良い?」
少年は彼女を数秒見つめた。
「ラクリマ…」
「ラクリマ、良い名前だね。訳がわからなくなってると思うし、君は絶対安静だから、これだけ伝えておくね。私達は君を助けたい。君に人として生きてほしい。だから安心して、ゆっくり休んで。何かあったら、声を出してくれればPRTSが反応してくれると思うし、声が出せなかったらこのボタンで呼んで。あ、PRTS、この子の両手の拘束を解除して。」
「承知しました。」
「悪いけど、まだ身体は固定させてね。無意識に寝返りとかするとまずいんだ。」
「俺は…どうなるんですか…?」
「レユニオンがロドスのことをどう広めてるかは知ってる。治った後のことは私からはなんとも言えないけれど、君を見捨てるようなことは絶対にしないから。」
どうか安心して、と言い、ススーロは一旦部屋を出ようとした。
「識別コード確認、ア、入室を許可します。」
「ア先…じゃなくてアさん。ちょうど良かった。彼はまだ起きているよ。」
「おう。」
ススーロと代わってアが入ってくる。
「よぉ、アーツの支配から解放された気分はどうだ?まったく、あいつはほんとにすげーよなぁ、あんなに完璧にできるとは思ってなくて強めの薬を用意してたんだが、見事にやっちまったからな。あーわりぃ、こっちの話。あまりに感動したんでつい。」
アはニヤニヤと笑いながら白衣のポケットから数種類の粉薬を取り出してテーブルに置いてから注射器を取り出した。
「ちょいと失礼。……よし。こいつをあと2週間は打たないとお前の身体がもたないんだ。あとその薬は毛が生えやすくなる薬だ。今のお前は全身ハゲだからな。同じフェリーンとして同情するぜほんとに。毛根の絶滅は免れてるから俺の薬を2週間飲んでりゃ元通り。良かったな。」
特に返事を求めていないのか、反応に困っている彼を気にすることなく薬を水に溶かして彼に飲ませた。
「あの…」
「あー?」
「俺は…本当に…大丈夫なんですか?」
アは少し真面目な顔になった。
「お前を操ってた術者のアーツはもう感知できないと複数の術師が言っていた。お前を治した奴もヤベー奴だし、中枢神経への汚染も消えてる。初めから何もなかったみたいにな。だから今のお前はお前だ。余計なことは気にしないこった。」
「俺は…俺……」
「ん?」
足先を刺激して知覚テストをやろうとしていたアが彼を見ると、焦点が合っていなかった。
「おっと、じゃあまた今度にするかぁ…相当な負担がかかってたからな。もう寝とけ。」
○○○
「…では次に、先日の龍門での作戦時に保護した例の感染者について、担当のア……は欠席か。まぁ良い、ではススーロ医師、」
「はい、ケルシー先生。現在、彼の容態は回復に向かっています。治療前後における各検査の結果から、変異前の肉体を100%復元することに成功したといって良さそうです。また身体のどの部位においても汚染は確認できず、昨日の血液検査では血中源石密度は0.29u/L 、融合率2.7%、症状はとても安定しています。」
「にわかに信じがたい事実だ。」
「はい。どうやら鉱石病もとい源石及びアーツに対して強い耐性があるかもしれないとア医師…アさんが言っていました。」
「それは興味深い。……そんな目をするな。よりにもよってこの私が患者を研究材料として見るわけないだろう。…多少協力してもらうことにはなるかもしれないが。それで、ドーベルマンが彼に事情聴取したと聞いたが?」
「確かに試みた。だがすぐに泣き出して、事情聴取どころではなかった。」
「お前が強面だったからではなくてか?」
「……そんなに恐ろしく見えるか?だいぶ物腰柔らかくしたつもりだったが…。」
「冗談だ。彼は少なく見積もっても龍門で意思に反して無差別に多くの人を襲い、何度も傷を受けてそのたびに治癒されている。遭遇したアーミヤによれば意識があるまま操られていたという。それで精神状態が正常だった方が恐ろしい。」
「わかっているなら、治療だけならまだしもよくアを担当につけましたね。」
「確かに彼の性格は良いとは言えない。だがこういう患者は下手に気遣われる方が負担になることもある。アは良い意味でも悪い意味でも遠慮と気遣いが乏しいから、むしろ良い関係になれると思っている。もちろん、普通の優しさも大切だ。」
「ケルシー先生、」
「どうしたハイビス。」
「前にイーサンさんから聞いたんですけど、レユニオンの底辺階級の人たちの食事は劣悪だそうで、寄生兵になってからはその食事すらもしていないと思います。だから、心理療法の一環として私がその子に栄養バランスを考えた食事やお菓子を作るのはどうでしょう?意識が回復してからも療養用のゼリーしか飲んでないならきっと喜んでくれると思います!」
「一理ある。だが君が作るのは……なんというか……」
「どーも、遅れてすいやせんでした。頼まれた薬は完成したぜケルシーさん。んで、今何の話?」
「彼の心を開くために、私が食事を作るのはどうかという話です!」
「あぁ……どうりでみんな渋い顔してるわけか…。でもよ、良い作戦だと思うぜ。ちょっと俺に任せてくれよ。」
○○○
灰色の病室でまた目を覚ました。ここに来て何日経ったかはわからない。ただ少しずつ、自分の身体が元に戻っていることを実感し始めていた。
けれど、生き伸びたことの喜びはこれっぽっちも湧かなかった。
「エル…おじさん…おばさん…母さん…」
あの時の光景は目に、体に焼き付いている。また自分だけが生き残ってしまった。よりによって自分が。
寝ている時は悪夢にうなされ、起きている時は過去がじわじわと背中から這い上ってくるようで。
どうして自分は完全に支配されなかったのか。むしろ支配された方が楽だったのに。どうして助かってしまったのか。自分には何もないのに。そんなことばかり考える毎日が過ぎる。
死にたくないと思いながら殺されに行って、結局助かったのだから笑えてくる。
あのペッローの女性…確かドーベルマンと言ったあの人の質問に、最初は答えようとした。しかし感情が抑えきれなくなって、後になって罪悪感が押し寄せてきた。助かっても誰かに迷惑をかけるばかり。
不意にインターホンが鳴った。前まではPRTSの自動認証で勝手に入ってきていたが、彼が目覚めてからは仕様が変えられた。
入ってきたのは初めて見る、大柄で温厚そうなペッローの男性だった。
「やぁ、初めまして。ロドス重装オペレーター、"ウン"。よろしくね。」
「はい…。……重装?」
「そ。アに頼まれたんだ。」
そう言ってウンはワゴンを部屋の中に入れた。ワゴンには小さな土鍋が乗っていた。
「そろそろ食べても大丈夫だろうって。俺、こう見えていくつか料理が作れるんだ。といっても、今日はおかゆだけどね。」
少年の鼻がヒクヒクと動いたのを内心で嬉しく思いながら彼の体を起こし、ベッドのテーブルの上に土鍋を置いて蓋を開けた。
「君の好みが分からなかったから、無難に白だしにしてみたんだ。足りないといけないと思って多めに作ったから、無理せず残してくれて全然構わないからね。」
米はほとんど原型のままで、ウンがこのためだけにブレンドした白だしにサラサラとした崩れやすい米が入っているような龍門風の粥。
「君の口に合うかどうかだけ教えてくれるかな。熱いから気をつけて。」
スプーンですくって、少し息を吹きかけてから口に運んだ。
「美味しい…です…」
ウンは微笑んだ。
「よかった。じゃあ、食べ終わった頃にまた来るよ。」
しかしウンが部屋を出ようとした時に少年が食べながら泣き出してしまったので、結局食べ終わるまでベッドの横に座ってリー探偵事務所時代に起きた珍妙な出来事をいくつか話したのだった。
「だいぶ食べれたね。よかったよかった。」
「その…すみません…迷惑かけて……」
「迷惑だなんてそんな。喜んでくれて俺も作りがいがあるよ。お粥はシンプルだけど、だからこそいくらでもアレンジできるからね。明日は乳粥なんてどうかな。少し前、アのやつが熱を出した時に作ったことがあってね、口には出さなかったけど耳がピコピコ動いてたから気に入ってくれていたと思うんだ。それから、元気になったら龍門料理を振る舞ってあげるよ。」
「ありがとうございます……」
少年はほんの少しだけ笑顔をみせた。
それから2週間ほど経ち、フェリーンの少年ラクリマは通常の病室へ移され、自力で歩けるようになるまで回復した。体毛も順調に生え始め、包帯が少しずつ取れていく。
ある時、検診を終えた後にケルシー医師が彼の元を訪れた。
「あなたは……」
「あぁ。君のこれまでの検査結果を見させてもらった。どの数値も正常値に近づいているし、鉱石病に関する値はとても安定している。当分はまともに動けないだろうが、時間が経てば自力で生活を送れるようになるだろう。」
「そう…ですか。」
「さて単刀直入に言わせてもらおうか。君を保護した際、状況が状況ということもあったが小型航空機を使って君を搬送した。そして、全ロドスの中でも最高峰の医療アーツを扱うナイチンゲールが丸1日動けなくなるほどの処置を行い、アが12時間かけて君の身体から鉱石や異常部位をほぼ全て摘出、臓器の繋ぎ合わせ等を行い、更に4日間寝ずに実験を続けて君専用の薬を開発した。もちろんそれぞれに他の複数のオペレーターも関わっている。加えて鉱石病の治療。もし一般的な収入の市民が同じ治療を受けるとしたら、果たして何年分の稼ぎを使うことになるだろうな。」
大きな不安の一つだったので、ラクリマは黙って掛け布団を握る。
「我々ロドスは治療の対価として、金だけではなく”それ以外のもの”も受け付ける。君の場合はここで働けば良い。どの道君は感染者だからここを出ればろくな目に遭わないだろう。治ったから放り出すほど冷酷ではない。」
「俺も…ロドスとして戦うんですか?」
「我々はあくまで製薬会社だ。確かに戦闘オペレーターの方が給与は良いかもしれないが、他に仕事はいくらでもある。それに医者の立場から見ても、君は、少なくとも今の君は戦いの場に出るべきではないと思う。」
「そうですか…」
「ともかく、君の生活は保障する。そこは安心して欲しい。必要なら教育も受けられる。将来の可能性、というものにも我々は価値を見出しているんだ。」
ケルシーはしばらく彼の資料を見直した。
「ところで、君の担当のアについてだが、今後も彼で問題ないか?」
訊かれて不思議そうな顔をしたので関係は悪くなさそうだ。
「彼は性格にやや難があって他のオペレーターからは距離を置かれているんだが、やはり君には彼が適していたようだ。…しかし君は運が良い。ナイチンゲールのアーツでメフィストのアーツとその侵食を消滅させることができたのもそうだが、それだけでは不十分だった。君の異常器官の摘出、普通の医者なら数回に分けただろうくらい深刻だったのに、彼は一度でやってしまった。君の回復が順調なのもそのお陰だ。もし異常器官を残してしまえば感染状況が悪化したり、再び侵食される可能性もあったからな。まさに不幸中の幸いというやつだ。そして皮肉にも、ロドスに来て早々反感を買っていたアのあっぱれな手捌きを見せつける機会を君が作ったというわけだ。」
ケルシーは資料をファイルにしまい、彼を見た。
「ひとまず私からの話は終わりだ。君から私に話すことはあるか?」
ラクリマは少し黙って、縋るような目でケルシーを見上げた。
「…エルピスっていう名前の子が、ここにいませんか?フェリーンの女の子です。」
「…PRTS、フェリーン、女、本名エルピス、データはあるか。」
「検索完了。全ロドスにおいて指定された条件に該当するデータはありません。」
「…だ、そうだ。」
予想していた彼は視線だけを下げた。
「家族か?」
「…そんな感じです。」
「そうか。…そうだ。思い出した。君の定期検診のついでに、君の血液を少し余分に取らせて欲しい。君にはどうやらアーツや源石に対して耐性、あるいは適応力があるらしい。もしかしたら我々の研究に役立つかもしれない。」
「それは大丈夫です。…あの、ケルシー先生。」
「なんだ。」
ラクリマは何かを迷って、ケルシーは資料に何かを書き加えながら待った。
「俺の母さんは、感染者でした。」
「そうか。」
そんなことは知っているが、と心中でつぶやいて、はたと手を止めた。
「何だって?君はレユニオンに捕らえられた元非感染者ではないのか?」
「俺は感染者じゃなかった。母さんが感染者で、俺は感染してませんでした。レユニオンに入る前は街に出たこともあります。」
ケルシーはファイルからしまったばかりの資料を慌ただしく取り出して、その全てをもう一度見直した。彼の感染源は母子感染ではなく、100%メフィストあるいはその家畜によるものだと結論づけられている。
「…父親は?」
「わかりません。俺は…俺は研究所で生まれたと、母さんが言っていました。小さい頃はここみたいな施設で暮らしてました。」
「鉱石病の母子感染率は理論上100だ。フェリーンなら生まれて数年で数値に異常が出る。それを防いだとなれば鉱石病完治に大きく近づくことになるかもしれない。何か覚えていることは?」
「母さんは、なぜ母さんや俺があそこにいたかは話してくれませんでした。ただ…注射をされたりすることはありましたけど、それだけで他は何も…。研究所の人が文字を教えてくれたり、本を持ってきてくれたりしたのを覚えています。食べ物も、毎日満足するまで食べられました。」
「ではなぜレユニオンに?」
「ある時施設が何かに襲われたそうです。母さんに抱かれたまま逃げたのは覚えています。そのあと何年かスラムに住んでて、その後レユニオンに。」
「なら君の母親はレユニオンにいるのか?だとすれば先の騒動で保護しているかもしれない。立て込んでいたからデータベースへの反映が大幅に遅れているんだ。」
「母さんはもう死にました……」
「…そうか。」
「……ロドスのオペレーターに殺されました。」
これにはさすがのケルシーもこの後どう言葉をかけるべきかと詰まらせる。
「チェルノボーグ事変の少し前です。物資輸送の護衛をしていて、その時に。他の仲間が遺体を持ち帰ってくれました。…怒ってないです。きっと、母さんもそのオペレーターを殺そうとしていたんです。」
「…達観だな。」
「俺だって、たくさん殺しましたから。…感染者の母さんが死んだから、俺を庇ってくれる感染者がいなくなった。そしてロドスを倒すためと俺を煽って、騙して、感染させて、家畜にした。本当はロドスに殺されたっていうのも嘘かもしれない。非感染者だった俺を家畜にするための……」
感染者を手にかければ他の感染者が疑念を抱きかねない。おそらくロドスに殺されたというのは本当だろう。
それまで弱々しかった彼の瞳が一瞬にして煮えたぎり、声が僅かに強くなったことを感じたケルシーは、この話を続けるべきではないと判断した。
「ラクリマ、話を戻すが、」
「は、はい。」
「君の遺伝子情報を詳細に調べないと確実なことは言えない。だが君はおそらく…遺伝子組み換え体なんだろう。それで辻褄が合う。君が異様な耐性を持っていることも、君が研究所で不遇な扱いを受けなかったことも。」
ヒトの胚の遺伝子を組み替えること自体はそれほど難しいことではない。しかし、まず源石・アーツに耐性のある種族からそれらに関わる遺伝子情報を見つけ出してその部分だけを切り取り、元の種族と同様もしくはそれ以上の能力を持たせたい他の種族の遺伝子に組み込む。それが母体に着床し、成長し、なおかつ目的の能力が発現した上で健康に発育しなければならないとなれば相当な時間と労力と費用を要するだろう。
そして組み換えられた遺伝子が子孫にも受け継がれるのか、そもそも普通の生殖が可能なのかも重要であるため、少なくともこれらが確認されるまでは被験体が健康である必要がある。
だが必要時以外母親といさせたことや娯楽を与えたこと、また彼から研究所に対する嫌悪感も感じられない。むしろ懐かしそうに話している。
「君の話だけを元にすると、もしかしたら本当に良かれと思ってやっていたのかもしれない。我々ならそんな手段は絶対に使わないが…。襲われたのは、政治が絡んでいたのかもしれない。そもそも遺伝子組み換えは大陸中でとても厳しく規制されているし、鉱石病の完全な治療は…色々とあるからな。」
既に心身が疲弊している彼に遺伝子を組み換えられた自然ではない存在だと伝えるには早すぎるかもしれないと分かっていた。しかしひた隠しにするのも残酷だ。
「皮肉なことだが、君の源石への耐性が君のアーツではなく遺伝子によるものだとしたら、君の血液や細胞から新たな薬が作れるかもしれない。そうなれば話が変わってくるな。」
「…どういうことですか?」
「君は我々にとって希望のひとつというわけだ。」
あくまで可能性の話。けれど、今はどんなことであれ彼に生きる意味を与えた方が良い。間違いでもない。
「先程君の治療の費用について話したが撤回しよう。研究への協力。これで十分な対価になる。もちろん君の人権を脅かすようなことはしない。それに君には他にも頼みたいことがあるしな。君くらいの歳のオペレーターがいるとむしろ助かることもある。それもまた後で伝える。」
「はい…」
「ところで、」
「は、はい。」
「ウンが君に療養食を作っていると聞いたが?」
「え?あ、はい。…あんなにあったかくて、美味しいものを食べるのはとても久しぶりで…」
彼の表情が少し柔らかくなる。こちらも上手くいっているようだ。
「そうか、それは何よりだ。ではそろそろ失礼する。」
彼の遺伝子についての詳しい解析を行うため、ケルシーは足早に病室を離れた。
○○○
どうして、こんなことを
みんなを返して
お前さえ来なければ
「……っ!……。夢…」
心拍が早い。最悪の目覚めだ。
身体の包帯は全て取れて今日で退院となったのに、その始まりは随分と縁起の悪いものだった。昨日、アやワイフーも加えて盛り上がったウンの宴での楽しい思い出も台無しだ。
朝食を済ませ、言われた通り病室で待っていた。今もまだ、自分はどうなるのか、どうあるべきなのかわからなかった。
「失礼します。おはようございます、ラクリマさん。」
「あなたは…あの時の…」
「覚えててくださったんですね。ロドス・アイランドCEO、アーミヤです。」
身体が自分のものではなくなり、誰かを見かけるたびに抗えない殺戮衝動に駆られるがまま襲っていた時に遭遇したのがアーミヤだった。そして、彼の残っていた心を感じ、彼の感情に訴えかけ、アーツで精神支配を振り払ったのも彼女だった。
「CEO…?CEOって、1番偉い人…?」
「もちろん私の一存でロドスが動いているわけではありませんが、書類上はそういうことになります。本当はもっと早くお会いしたかったんですけれど、色々と後処理に追われていまして…ようやく一段落ついたので、今日は私がここロドスを案内します。それと今後のこともお話しします。」
そしてアーミヤは食堂、購買部、各作業場、宿舎の共用休憩室などを案内し、最後に彼を療養庭園に連れてきた。
「ラクリマさんの病室にも使っていたアロマオイルは、あそこの温室で育てた花を、この庭園の管理者でもあるパフューマーのラナさんが調香したものなんです。」
近代的な施設から一変、どこかの貴族の庭の一部を切り取ったような空間を前にして、ラクリマの表情も少し緩む。
「さて、ラクリマさんの今後についてお話しします。」
「あ、はい。」
「ロドスには子供達もいます。特に最近のチェルノボーグや龍門での一件で、それなりに多くの子供達を保護しました。家族がいる子もいれば、そうでない子もいる。幼い子にとって、大人が付き添うことももちろん大切ですが、ラクリマさんくらいの年代の方のほうが馴染みやすいことが多いんです。特に新しく保護した子達の中には直近に家族を失っている子も多くいます。ラクリマさんにはそういった子達のケアをして欲しいんです。」
「ケアって…でも俺……」
戸惑うラクリマに、アーミヤは微笑みかける。
「特別なことをする必要はないんです。あの子たちには友達が必要なんです。もちろんただ遊ぶだけではありませんよ?例えば…購買部にあった一部の商品、ブラシや角磨きなどは年少オペレーター達が作っているんです。些細なことのように思えるかもしれませんが、多くのオペレーターは子供達にも支えられているんです。それに、ラクリマさんの教養テストの結果を見させてもらいました。ラクリマさんなら子供達の授業のお手伝いもできると思います。」
ここで働くと聞いていたのでもっと違うものを想像していた。子供の相手をしたことがないわけではないものの、普通の生活を知らない自分に相応しいことなのだろうか。それでも、それが自分に与えられた役割ならば。
「やってみます。」
「では、こちらの書類にサインをお願いします。そうしたら、まず制服選びですね。本来なら人事部との面接が必要ですが、今日のこれを代わりとします。勤務は明日からです。一緒に頑張りましょう。」
サイズを測って制服を支給された後は宿舎に案内された。エリートオペレーター以外は相部屋が基本だが、ラクリマの場合は精神疾患である可能性が非常に高いとして、理由は本人に伏せられたまま個室となった。
「はぁ……」
夜になり、久し振りの疲労を感じていたラクリマは早めにベッドに横になる。しかし一度起き上がって、今日説明されたことをメモしたノートを1から整理し始めた。
こんなに文字を書く日が来るとは思わなかったが、これからのためだ。どんなことでもやり遂げなければならない。そんな思いでペンを動かしているとあっという間に夜がふける。
灯りを消し、清潔なベッドに入った。何もかも慣れない。助かった喜びも、やはり湧いてこない。目を閉じてしばらくすると、少しずつ意識が朧に包まれていった。
「っ…!!」
眠りに落ちる寸前、ラクリマは飛び起きた。心臓は早鐘を打ち、身体が震える。肩で息をしながら、部屋の電気をつけたのだった。
○○○
「ラク兄、宿題手伝って…」
「良いよ。算数?」
サヴラの少年にせがまれて、今日もラクリマは彼の宿題を見る。そしてその周りに他の子供達も集まって、いつもの勉強会が開かれた。
ラクリマも研究所で文字の読み書きや多少の教養を教わっていた程度で、例えば旧チェルノボーグや龍門などの一般市民に比べれば無知に等しく、勉強には苦労していた。けれど、他のことを忘れて集中できるので嫌いではなかった。
勉強会の後は療養庭園に行き、庭園や温室の手入れを手伝う。その間ラクリマは庭園内のパフューマーのラナの仕事部屋へ行き、調香や毎日数人のオペレーターのカウンセリング等をしている彼女の手伝いをしていた。
「今日は終わり。ラクリマ君、お茶でもどう?」
「あ…い、いただきます。」
ラナは花茶を淹れて、それにラヴァから貰ったはちみつクッキーを添えた。
「あの子達もすっかりあなたに懐いたわね。手慣れているみたいで安心したわ。」
「…スラムにいたとき、いろんな子と遊んでましたから。」
ラナはよく彼を誘っては、他愛もない話をした。ラナは豊かな教養を積んでいるので、ラクリマの勉強を見ることもあった。
ラクリマ自身はあまり自覚していないが、退院してから数週間で彼は随分と変わったように見えていた。子供達といる時は笑顔を見せるようにもなった。
しかし時折疲れたような、何かに焦るような表情を見せることが気がかりでもあり、ラナは他のオペレーター達と情報を共有しながら彼を度々お茶に誘っていた。
○○○
「検査は終わりだ。結果はまた後で知らせる。」
定期検診を終えて、足早に療養庭園に向かう。きっと今頃、広いとは言えないあの庭園を走り回っているからだろう。またラナさんがお茶を出してくれるかもしれない。いつも香りがちがうあのお茶を気に入っていた。
廊下を歩きながら、一人でふっと笑った。こんな風に、楽しみができる時がまた来るなんて。
「ラク兄!」
「遅いー!」
「ごめんごめん。今日は何して遊ぶ?」
ウルサスの子供を肩車したり、シャボン玉を飛ばしたり。そんな時だった。
「あれ…?」
ふと、異変を感じた。
「どうしたの?」
子供達の声が、いつもより少し遠い気がする。それだけではない。少しずつ、身体の感覚が鈍っていくのを確かに感じた。
「まさか……」
それは初めてではなかった。
「どうしたの?」
「ちょっと…ちょっとトイレに行ってくる…!」
全身の毛が逆立った。一刻も早くここから離れなければならない。戦闘オペレーターに対処してもらうか。しかし説明する時間があるだろうか。PRTSの防御システムの範囲内に行く方が早いか。
子供達を置いて走り出す。息が苦しくなる。せっかくチャンスを得たと思ったのに、やはり自分には無理なのだろうか。視界が白くなっていき、身体がさらに重くなる。
誰かに声をかけられた。戦闘オペレーターではない。だめだ。ひたすら走ったが、いよいよ息が吸えなくなって足が動かなくなり、転んでしまった。そして、ストン、と意識が遠退いた。
○○○
「バッ…バケモノ…!射撃隊早く撃て!撃て!」
いたい
いたい
いたい
しぬ
いたい
しねない
「腕を吹き飛ばしたのに…!また生えただと!」
「そんな攻撃じゃ無理無理!さぁ家畜たち、チェルノボーグのクズどもを皆殺しにしろ!!」
○○○
「ん……」
全身が弛緩した心地良さの中、おもむろに目を開けると見慣れた灰色の天井。理解するのに数秒かかって、そして飛び起きた。
「わわ、ラクリマ様、急に飛び起きないでください。心臓に悪いですよ。」
ベッドの脇にLancet-2がいた。目覚めるまで待機していたらしい。
「俺は…俺はどうなったの!?誰かにケガを…」
「怪我?ラクリマ様が眠っている間に新たに負傷したオペレーターはおりません。」
「じゃあ…俺は……」
言いかけて、部屋にアが入ってきた。
「おう、起きたか。栄養点滴しようと思ってたんだが起きたんなら…そうだなぁ、食堂は営業時間外だし、ウンのやつは寝てるだろうし…」
「ア様が規定の時間に点滴を行わないからです。では私が購買部にて販売されている夜食をお持ちしましょう。それでは行ってまいります。少々お待ちください。」
首をひねって時計を見ると、深夜1時だった。
「あのなぁラク、俺さ、一応お前の担当なんだ。気絶するほどの睡眠不足になってるんなら、ススーロでもなんとかしてくれるだろうし、俺に言ってくれりゃ睡眠薬なんていくらでもくれてやれるってのに。」
「す、睡眠不足?」
「自覚なかったのかぁ?全く。自由になったからって、何徹したのか知らねえけど気絶するって相当だぞ?まぁ他人のこと言える口じゃねぇけど。」
アは白衣のポケットから小さなプラスチックのケースを取り出して、脇の机に置いた。中にはカプセル剤がひとつ入っていた。
「飯食ったらそれ飲みな。最近改良を加えたんだ。夢も見ずに眠れるはずだぜ。明日、起きたら感想聞かせろよ?」
「じゃあ…俺は…ただ寝てただけ?」
「あぁ、派手に寝落ちしただけだ。だけってことはないけどさ。」
「良かった…また…また前みたいになるんじゃないかって……」
安堵して、身体を震わせながら布団の上でうずくまった。アは困ったように目を逸らして頭を掻きながらLancet-2早く帰ってきてくれと胸の内で訴えた。
それから3日ほど休養し、その間子供達や面識のあるオペレーター達が見舞いに来た時は少し恥ずかしそうに礼を言った。
ラナはこの一件を重く見て、彼が復帰した日の夕食後に彼を療養庭園にある自室に招いた。
「今お茶を淹れるわね。今日はどうする?良い茶葉が手に入ったからミルクティーはどうかしら?」
「それでお願いします。」
彼女のカウンセリング室の壁照明は明るさが調整できる。夜だからか暗めに設定されており、木のテーブルにある淡い桃色のアロマキャンドルの光がゆらゆらと室内を照らしている。木造を模した天井や壁も相まって子供達が読んでいた絵本に出てくる魔女の家を連想した。
ラナは出来上がったミルクティーを少し冷ましてからカップ入れて彼に出した。ラクリマは一口飲んでため息をつく。落ち着いているようにも、疲れているようにも見えた。
「体はもう大丈夫?」
「はい。ご心配をおかけしました。」
ラナも自分の分を用意して、一口飲んだ。
「あの子達も、たった3日間だったけど寂しがってたわ。宿題どうしよう、ってね。」
「それ寂しがってるんでしょうか…」
「ふふ、どうかしら。でもわたしに、眠りやすくなるお香はないかって聞いてきた子もいたわ。」
ラナは穏やかに微笑む。そして少し間を置いて切り出した。
「今回のこともあるし、あなたが私の手伝いや子供達の相手をしているところを見るに、あなたには個室ではなく相部屋の方が良いのかな、って思うことがあるんだけど…」
「それはだめです。」
ラクリマは即答した。即答してから、そうした自分にも驚いた。
「あの…俺は…ひとりで良いです。」
「そう、あなたがそう言うならきっとそれが最善ね。でもラク君、ア君に追加の睡眠薬を貰わなかったそうね。確か1日分しか貰っていなかったと思うけど。」
「…はい。もう元気になりましたし。」
「ラク君、不眠症は一日では治らないわ。特に、心が原因のものは。それに、それで不眠に苦しんでいる人たちは、普通は睡眠導入剤を欲しがるの。ちゃんと服用量を見ておかないと、勝手に多く服用して、最悪薬なしでは眠れなくなるほど悪化することもあるくらいに。」
ラクリマは押し黙ってカップを見つめる。
「ラク君、私も医療オペレーターだから、あなたの情報は共有しているの。ア君から目が覚めた時のことは聞いているわ。あなたがここに来たばかりの時のことも色々なオペレーターから話を聞いてる。…ラク君、あなたは眠ることが怖いのね?」
ラクリマは答えず下を向いたままだったが、大きな耳を伏せさせた。
「そしてあなたは、自分がいることで周りに迷惑をかけていると思っている。そして、せめてこれ以上誰かに迷惑をかけないように一生懸命頑張っている。だから眠れないことを誰にも話さなかった。今回のことはあなたからのSOSだと、私は思ってるの。」
「そう……ですか……」
「えぇ、そうよ。私はあなたじゃないから、あなたの辛い思い全てを理解することはできないわ。でも、一緒に頑張ることはできる。そしてそれは私だけじゃない。ここのみんなは、何かしらの事情を抱えているか、辛い過去を背負っているか、覚悟を持った人達よ。だから困ったらだれかが助けてくれる。いきなりみんなを信じることは誰だって無理だわ。でも、少なくとも私のことは、自分を良くするために"使って"くれて良いの。」
ラナはそっとファイルを取り出した。
「それは…」
「あなたの資料。ススーロから引き継いだものよ。」
「引き継いだ…?」
「あなたはきっと、悲観的に捉えてしまうと思ったから伏せていたの。でもそれは間違いだったのかもしれない。少なくとも今は違う。…ラク君、あなたに与えられた仕事は、もちろんお給料が発生するれっきとした仕事だけれど、あなたへの治療でもあるの。そして私は、あなたの担当医療オペレーターなのよ。」
「え……」
「ア君とは違って、私は他の沢山のオペレーターのことも任されているけれど。だからね、迷惑かけてるだなんて思わないで。みんなの心に寄り添うことが、私の、自分で決めた私の役目なの。私はあなたを否定しない。強要もしない。今の私は、あなたに頼ってもらうためにいるの。そして私はそれに対してできる限りのことをするわ。」
「…俺がチェルノボーグで、人を大勢殺してても、ですか。」
「えぇ。そうじゃなかったらこんな風に話したりしないわ。」
ラナはさらりと言ってのけた。それから沈黙が少し続き、ラクリマがか細い声で呟いた。
「…眠る時、同じなんです、感覚が、あの時と同じ…」
「操られていた時のことね。」
「そう…でも…あれは…確かに…確かに俺が殺した…みんなを…」
○○○
母親と研究所から逃げ出して、なんとか小さな街にたどり着いてスラムをさまよっていたときに、そこに住むとあるフェリーンの家族に拾われた。幼い一人娘を持つ夫婦の父親が感染者で、隠れて住んでいたのだ。
暮らしは厳しかったが、研究所暮らしだったラクリマにとって毎日新しい発見があって、新しいことを知って、それは充実した日々を送っていた。
「ただいま、母さん、おじさん、おばさん、エル。」
「ラク君がいて助かります。今日も…ほら。」
ラクリマは感染者ではないので街へ出て簡単な仕事をすることができた。掃除、接客など正規の雇用ではないがお金のためにいろんなことをした。
とても多いとはいえないが生活の足しになることは確かで、ラクリマが成長するにつれてできる仕事も増えてくる。
「ラク、遊びに行こう。」
彼らを匿った夫婦の1人娘、まだ感染が確認できない、ラクリマとあまり変わらない年齢の少女エルピスとは仲が良かった。彼女やスラムの他の子供達と遊びに出かけることも彼の日課だ。そして彼女の両親とも、そして親同士もすぐに打ち解け、一つの家族であるかのような生活だった。
「エル、見て、」
ある日、ラクリマはエルピスに首飾りを贈った。淡青色の小さな楕円形の石が付いているだけのシンプルなものだ。それでもエルピスは大喜びだった。
「どこで買ったの…?お金は…?」
「色んな人にちょっとずつお金を貰ってたのを貯めてあったんだ。幸せのお守り。」
「そうだったんだ…ありがとう!大事にするね!」
後日、エルピスは廃品を漁って、両親に教えてもらいながら小さなクマのぬいぐるみを作ってラクリマに贈ったのだった。
貧しくも豊かな生活は、近々大掛かりな"感染者狩り"が行われるという噂が流れたことで崩れ始めた。
「母さん逃げよう、街で色んな人が検査されてる。きっとここにもくる…」
「でもどこに…」
荒野に逃げたところで野垂れ死ぬだけ。エルピスの両親は半ば絶望していたが、ラクリマの母親は息子が鉱石病を発生することはありえないと分かっていたので、本当にスラムまでやってきたら親子であるということを気づかれないよう息子の元を離れると決めていた。
しかし、検査官は来なかった。代わりに、彼らがやってきた。
「私たちと来れば衣食住は保証する。そして共に戦おう。全ての感染者のために。我々が幸せに暮らせる大地を取り戻すのだ。」
…この頃のレユニオンは、非感染者であっても感染者の家族であるなら引き入れていた。そして、いつ狩られるかわからないスラムの感染者は、軒並みレユニオンとなったのだった。
「母さん、…気をつけてね。」
「大丈夫よ。明日またアーツを教えてあげる。愛してるわラク。」
レユニオンに加入してしばらくの間はスラムとさほど変わらない暮らしをしていた。しかし、感染者達は徐々に戦いに駆り出されるようになり空気もヒリついたものとなっていく。
「ラク君、最近また背が伸びたわね。クシが小さく見えるわ。」
「うん…」
母親がいない間は同じく非感染者であるエルピスの母が子供達の面倒を見ていた。エルピスやラクリマなどの街を出歩ける非感染者達は情報収集役としての役割を与えられており、近頃大きな作戦が控えているらしいためか連日駆り出されて疲れていた。
「ラク、やっと休めたんだから、一緒にお昼寝しよう。」
「うん。」
母がいない不安をかき消すように、彼女と寄り添って瞼を閉じる。疲労もあって深く眠っていた時、激しく揺さぶられて目を覚ました。
起こしたのは何度か話したことがあるレユニオンの組員だった。
「ラク君…」
「…なんですか?母さんは、一緒じゃないんですか?」
組員は一度深呼吸をした。
「君のお母さんは死んだ。」
一緒にいたエルピスやその母がほぼ同時に口を両手で覆った。ラクリマは全く動かなかった。
「遺体はなんとか持ち帰った。…ごめんな。守ってやれなかった。ロドスに襲われて、それで……。ロドス…感染者の裏切り者め……」
彼に手を引かれて歩いている時も、ラクリマはどこかを見つめたまま一言も話さなかった。そして、何体かの遺体が安置されているところに連れてこられ、組員が被せられていた布を半分めくる。ラクリマはそれが自分の母親であることをしっかりと認識した。
「母さん…」
ただそう呟いた。棒立ちのまま、動かない母親を見下ろしていた。
「母さん…」
今朝はいつも通り一緒に過ごして、別れ際に頭を撫でてもらった。研究所でも毎日抱っこされながら撫でてもらっていたから、思春期手前の今でも母親に撫でられることはこれっぽっちも恥ずかしくない。
彼女は、母は常に自分の息子のことだけを考えていた。そして非感染者の息子をレユニオンに受け入れてもらうために術師となって、任務で死んだ。
頭の中で母親の声が流れた。そして脳裏に焼き付けようともしなかった、母との日常の光景が走馬灯のように流れた。
「母さん……」
肩に力が入り、掌を強く握って腕を震わせながらラクリマはひざまずく。嗚咽を漏らしながら母親の胸に顔を埋めようとして、冷たさにゾッとして離れる。汗と土と、金属と油と血の匂い。
その後は言うまでもなく、ただひたすら声を上げて泣いた。
母親の死。それが全ての引き金になったのだ。
「ラク君…あなたは1人じゃないわ。ね?」
エルピスとその両親が、泣き疲れてへたりと座り込む彼をどうにか慰めようと背中をさすり、言葉をかける。そこへやってきたのが彼だった。
「やぁ、聞いたよ。お母さんのこと、残念だったね。」
前触れなく幹部が現れ、エルピスの両親は驚きの声を上げた。
「メフィストさん…!どうしてこんなところに?」
「どうしてって、同胞が家族を失ったんだ。幹部である僕が労いに来るのは当然のことだろう?さて、近いうちに大きな作戦があることは聞いていると思うけど、恐らくそこでもロドスと交戦することになるだろう。そう、君のお母さんを殺したロドスとも。」
ラクリマの耳がピクリと動く。
「前から君には興味があったんだ。君には僕の部下になる資格がある。きっと優秀な”部下”になれる。君なら、僕の下にくれば、すぐに奴らを倒す力が得られるだろう。どうかな。僕の部下になって、同胞のため、そして感染者でありながら我々に牙を剥くロドスの奴らに罰を与えるために、戦わないかい?」
「でも…俺は…」
「大丈夫。僕は特別なアーツが使えてね、他人に力を渡せるんだ。その後はそいつ次第でどんどん強くなれる。どんな攻撃にもびくともしないくらい強く、ね。」
「本当に…強くなれる…?母さんを殺した奴らを…俺は……」
「なれるさ!さぁ、そうと決まればおいで。あぁ君たちも後で来るといいよ。今は気分が良い。」
底辺階級故にメフィストがどのような人物なのか全く知らない。今まで話したことすらなかった。そしてラクリマは彼の薄暗く広い部屋へ向かった。
「そこの椅子に座って待ってて。」
30分ほど待たされるとメフィストが帰ってきて聞いたことのない言葉のようなもので何かを言った。すると暗闇から唸り声が聞こえて、人の形をした何かが猛烈な勢いでラクリマに飛びかかり彼の右肩に噛みついた。
「うあぁっ!!」
「すぐなれるよ。」
「あ…あっ……」
噛まれた箇所から何かが流れ込んでくる。鼓動が一気に早くなって全身の毛が逆立つ。今すぐこの人から離れなければならないと全身が警鐘を鳴らすもラクリマの力では微動だにしない。
「君は感染者じゃないからね。少し強引な方法にさせてもらったよ。これで君も僕の忠実な下僕…僕の代わりにあの感染者の裏切り者どもを、非感染者のクズどもを皆殺しにするんだ!」
「がっ…あぁ!!」
ラクリマはなおも噛み付いている人の頭を両手で鷲掴みにすると、その手のひらからアーツを闇雲に放出する。噛み付いていた人の頭が破裂し脳が飛び散った。
「へぇ、やるね。」
「うぅっ……」
人を殺してしまったという事実を受け入れる余裕もない。ラクリマはよろよろと歩いたが、両手両膝をついた。身体がいうことを聞かない。
「さぁ、これで君も仲間入りだ。」
メフィストがそっと息を吹くとラクリマの全身の筋肉が痙攣し始め、嫌な音を立てながら膨張する。痛みに叫びながら醜悪な姿に変わっていくフェリーンの少年を満足そうに眺めた。
「あっはは!良いね…!やっぱり僕の目は狂ってなかった!感じるよ…僕のアーツが君の身体に馴染んでいく…!こんなことは初めてだよ!みんな前の身体が腐り落ちて僕のアーツで作られた新しい身体に置き換えられるけど君は違う!君は僕の家畜になるために生まれたんだ!君は僕のお気に入りのペットにしてあげよう!」
メフィストの声が、耳からではなく頭にガンガン響く。視界が少しずつ狭くなり、睡魔に似た感覚で思考が鈍っていく。
「がぁぁっ!!」
「…あれ、」
「こ…こ…れ…何…何を…」
「へぇ、この段階でまだ意識があるんだ。ますます面白くなってきたよ。そうだ、ちょうど良い、チェルノボーグ陥落にむけて部下を増やしたいと思ってたところだからね。"種"役にしようと思ってたこいつは君が殺しちゃったから代わりに君にやってもらおうか。」
四つん這いで痛みに悶えている間も身体は変化を続け、あちこちの皮膚が内側から裂けて鉱石が突き出る。
遠のく意識を必死に繋ぎ止めているといつのまにか目の前に困惑した表情の非感染者達が連れてこられていた。それに混ざって、エルピスとその母親までもが皆と同じように両手を後ろに縛られ口にガムテープを貼られた状態で座らされていた。エルピスは変わり果てたラクリマを見て目を見開いた。
「レユニオンに非感染者はいらない。もっとも、この娘じゃ耐えられず腐るだけだろうから今後もスパイとして活動してもらうことにするよ。さぁ、じゃあそいつから。やり方はわかるだろう?」
メフィストがエルピスの母親を指差した。身体が勝手にエルピスの母親に向く。その時、彼女の父親がいないことに気づいた。
「おじ…お…おじ…さんは……」
「何言ってるんだ、君がさっき殺したじゃないか。頭をボンって、中々爽快だったよ。」
ラクリマと同じくらい、エルピスやその母が衝撃を受けた顔をした。
「さ、最初の仕事だ。」
身体がビクンと痙攣し、自分でも驚くほどの速さでエルピスの母に飛びかかった。自分の牙が彼女の皮膚に食い込む前に、万力を込めて身体を止めた。
「やめ……ろ…」
「良いね!せっかくならそうこないと!噛み付くのが嫌なら、生えてるそれを直接埋め込んでも良いよ。」
エルピスの母親から無理やり引き離され、手が勝手に自分の身体に生えている鉱石のトゲひとつを握って捻りながら引き抜いた。
意識が遠のくほどの激痛、その間に身体はエルピスの母にそのトゲを突き刺そうと両腕を振り上げた。
「やめろ……!!」
辛うじて間に合い、トゲは手前で振り下ろされた。エルピスは塞がれた口で何かを訴える。エルピスの母は震えながら目を瞑っている。
「どう…し…して…こん…なこ…と…と…望んで…っ」
「焦ったいなぁ、さっさとやれ。」
メフィストに息を吹きかけられると先程より強い力が身体を流れ、突き動かす。
縺ッ繝、繧ッ縺、繧ュ繧オ繧サ
「やめ……お…や…めろ……」
もう一度、よろよろと両手を振りかざす。
縺シ繧ッ繝弱き縺。繧ッ縺ォ
「んがぁっ!」
吠えて、力を込めると意識が遠のいてしまい、気づけば両腕は振り下ろされてざくり、と感触が腕を伝ってエルピスのくぐもった悲鳴が響く。ラクリマは恩人でもあるエルピスの母親の胸に源石を深々と突き刺していた。
「そんな…」
「それで良い。」
深々とトゲを刺されるとエルピスの母はすぐに痙攣して白目を剥く。十数秒悶えると変化が始まった。
「さ、他のみんなも。」
絶句し立ちすくんでいた彼はグイッと目に見えない力に引っ張られ、再び源石を引き抜く。抵抗する気力を失って、動かされるまま同胞を増やす。エルピスもどこかへ連れ去られてしまった。
その後は暗い場所に閉じ込められ放置される。時折周囲から獣の唸り声のようなものが聞こえるのでここが飼育小屋らしい。全身が金属の塊になってしまったかのように重く、腕を少し上げるだけでもかなり苦労する。意識ははっきりしていて寝ることができず、起きたことを受け入れることもできず咽び泣いた。
次に日の光を浴びたのはあのチェルノボーグ事変の時。
地元の治安部隊に身体を撃たれ、その痛みに叫んでも身体は止まらない。
肉を裂かれ、肉を裂いた。
骨を砕かれ、骨を砕いた。
無抵抗の市民を相手に、どんなに頑張って身体を止めようとしても結局自分が振り下ろす腕に潰されて、残るのは飛び散った内臓と肉塊だけ。
途中ロドスらしき集団と会敵したが、その時はもう、仇などどうでも良くなっていた。終わりの見えない絶望の中で、もう自分が何を思っても無駄なのだと悟った。
チェルノボーグでの戦いは終わり、また暗闇に閉じ込められて少し。長い間歩かされて着いたのは高層ビルが立ち並ぶ大都市、龍門。そしてまた、頭に響く。
繧ウ繝ュ繧サ
繧ウ繝ュ繧サ
「うあぁっ!!」
「駄目だ!今の装備じゃこの化け物は殺せない!!」
いたい いたい もう
やめて 繧ウ繝ュ繧サ
「グレネードを使う!その間に撤退だ!」
やだ
ああ いた
繧ウ繝ュ繧サ いたい
あし
あ あし
繧ウ繝ュ繧サ とれた
あし
はえる
繧ウ繝ュ繧サ
また はえ はえた
また
繧ウ繝ュ繧サ
しねない
また しんだ
「こいつらキリがない…!」
「私が動きを鈍らせます。その間にお願いします、ブレイズさん!」
あつい
繧ウ繝ュ繧サ
なかま
しんでる
繧ウ繝ュ繧サ
なかま
繧ウ繝ュ繧サ
みんな
繧ウ繝ュ繧サ
なんで
しんだ?
繧ウ繝ュ繧サ
どうやって
誰が
繧ウ繝ュ繧サ
あの あのひと
なら
繧ウ繝ュ繧サ
おれ ころ
される
繧ウ繝ュ繧サ
やっと
ころ ろされる
繧ウ繝ュ繧サ
「アーミヤちゃん上!!」
「間に合います!」
「こいつらなんて力…」
「ブレイズさん!7時方向!」
「ちっ…!」
繧ウ繝ュ繧サ
だめ
繧ウ繝ュ繧サ
だめ
繧ウ繝ュ繧サ
もう
繧ウ繝ュ繧サ
やだ
「止まった…?」
「は………や………く………」
「っ…!こんな子供まで……ごめんね。」
こわい 繧ウ繝ュ繧サ
こわい
こわい
こわい 繧ウ繝ュ繧サ
こわい
繧ウ繝ュ繧サ
こわい
こわい
「ブレイズさん待って!!その子は、もしかしたら私のアーツで…」
「え!?なに!?」
「とにかく、その子は私に任せてください!」
はやく 繧ウ繝ュ繧サ
はやく
はやく
はやく 繧ウ繝ュ繧サ はやく
はやく
はやく
繧ウ繝ュ繧サ
「諦めちゃ駄目!私の声を聞いてください!!」
だれ 繧ウ繝ュ繧サ
だれ
なんで
なんで 繧ウ繝ュ繧サ
はやく
繧ウ繝ュ繧サ はやく
はやく
「チャンスはまだあります!私のアーツを受け入れてください…!お願いです!あなたを助けたいんです!きっと助けてみせますから…!」
たす
たすけ 繧ウ繝ュ繧サ
だれ
おれ?
繧ウ繝ュ繧サ
「希望を捨てないで!あなたはそれを望んでなんかいない!」
はや
はやく もう
繧ウ繝ュ繧サ
おさえら
れない
繧ウ繝ュて
「あなたから強い恐怖を感じます。死に対する恐怖。あなたは生きていたい。死にたくない。解放されたい。私は、私たちはそれを助けたい。」
繧ウ繝ュて
あたま
あたま
い繝ュ繧サ へ
へん
「あなたの心を私に預けてください。あなたを操っていた術師はもういない。今なら私のアーツで上書きできる。あなたを助けられるんです!」
繧ウ繝ュて
おれ は
「そう…それで良いんです……」
い繝ュて
しに たく ない
「アーミヤ、他は片付いたわ。…身体が…溶けているの…?」
「この子の感情に私のアーツを乗せて暴走しているメフィストのアーツを押し返します。溶けているのは源石によって構築された部位でしょう。」
い繝ュて
いきて
「あ…あが……」
「そう、その調子です……今までよく頑張りましたね…」
「そして気が付いたらここにいた、というわけね。」
身体を震わせながら嗚咽を漏らすラクリマの隣に座り、その背中をさするラナ。
「あの感触がいつも手にあって……あの声がいつも耳元でなってるみたいで……助かったのに嬉しいと思えなくて……母さんを殺した人がいるかもしれない…俺が殺した人の家族がいるかもしれない……また乗っ取られるかもしれない……俺に殺された人は死んじゃったのにこんなことばっか考えて………」
「うん。」
「俺は何もできない…寝れなくてまた色んなひとを困らせて……どうして…俺なんだ…俺がもっと早く死んでいれば…生まれてなければ母さんだって死なずに済んだのに……でも…死ぬのは……俺は……」
「ラクリマ君は死ぬことが怖いの?」
ラクリマは黙って頷いた。
「ならこれからも生きていけるわ。あなたは多くの命の上に立っている。それを自分でもわかっているけれど一人で背負いきれず苦しんでいる。でも今のあなたは、独りぼっちなのかしら。」
「でも…俺は…何のために…みんなに迷惑をかけるだけで……」
「ラクリマ君って、美味しいものを食べる時、すごく幸せそうな顔するわよね。」
「え…?」
「明日は何を食べようか、あの子達と何をしようか。それだけで良いの。何か大層な理由をつける必要はないわ。生きることにね。生き残ったから何か特別なことをしなくちゃいけない、なんてことはないの。」
黙ってうつむく彼の頭をそっと撫でた。このくらいの年頃の子供は撫でられることを好まないことが多いが、彼は無意識に耳を伏せてそれを受け入れる。
「そしていつか、生きていて良かったと思えたなら、そのときあなたが言う"罪"を償えた、ということにすれば良いんじゃないかしら。」
「……そんな日が、来るんでしょうか。」
「1人では、無理とは言わないけどそれに近いと私は思うわ。裕福な家に生まれて何不自由なく育って、何を失うこともなかった私ですら色んな人に助けられてばかり。もちろん、何もかもを他人に頼るのは良くないことよ。いずれ失敗するわ。でも今のあなたはもう少し誰かに頼っても良いと思うわ。そしていつかはあなたが頼られるような存在になれば良い。ちょうど今、子供達の勉強を手伝ってるみたいにね。」
ラクリマは再び黙って、濡れた目を擦る。
「ミルクティー冷めちゃったわね。温め直してくるわ。」
ラナが戻ってくるまでの間、ラクリマは時折しゃくり上げながら母親のことを考えていた。もし今自分のそばにいたらなんて言うだろうか。
考えてもわからなかった。
「お待たせ。ラクリマ君、辛いことを話してくれてありがとう。もちろん、私が勝手に口外することはないわ。ケルシー先生にもね。」
「はい……。…あの、ラナさん。」
「何かしら?」
「……眠れるようにするには…どうすれば良いですか。」
「そうね。時間がかかると思うわ。確か、眠りに落ちる時の感覚が、身体を勝手に動かされる時に意識が遠のく感覚に似ていて、それが恐ろしい、で良いのよね?」
「………はい。」
「もし、本当にアーツが暴走するってなっても、前の状態ほど悪くなる前にみんなが治してくれる。難しいかもしれないけど、一度頑張って寝てみたら?」
「頑張って、ですか。」
「そう。いっそのこと特殊患者治療室を使ってみる?多分空いているし、当分使う予定もないわ。あそこならPRTSの防御システムがあるから万一があってもお互い安心でしょ?」
冗談めかしく言うとラクリマが真剣に頷いたのでラナはクスリと笑った。
「あなたの腕のサーベライズマシンが異変を感知できる…それに、ロドスの医療オペレーターはすごい人たちばかりだわ。」
「とっくに予測されてる…ってことですか…じゃあ今俺が使ってる部屋は……」
「そう。そうね。あなたを信頼していないわけじゃない。あなたにこれ以上辛い思いをさせたくないの。仮に暴走してもみんなが止めてくれる。だから1回寝てみるの。そして次の日普通に目覚めたら、大丈夫だったってこと。それを繰り返せば、寝ても良いんだって身体も覚えるでしょう。最初は辛いと思う。でも今回だって、気絶したけど何も起こらなかったでしょ?」
ラナは立ち上がって、部屋の角のキャビネット棚から褐色のガラス瓶と木の棒のようなものを取り出した。
「部屋にこれを置いておくと良いわ。ラベンダーといくつかの花の匂いを混ぜたアロマオイルよ。それから、」
ラナは「BGM3」と雑に書かれているCDも彼に渡す。
「特殊患者治療室に流れていた曲と同じものよ。不眠症の人によく渡しているの。部屋にプレイヤー、あったでしょ?」
「ありがとうございます。あの、お金は……」
「言ったでしょ、あなたはまだ治療中なの。あなたの研究協力で治療費は賄われるって話は聞いてるでしょう?」
「はい……」
そしてラナはアロマセットの使い方を簡単に説明した。
「これでも無理そうだったらア君にお薬をもらうことね。」
「はい。あの、……。ありがとうございました…。」
「ふふ、いつでもお話を聞くわ。遠慮なく来てね。」
ミルクティーを全部飲んで、ラクリマは自分の部屋に戻るとCDを再生し、アロマオイルをセットしてから涙の跡が残っている顔を軽く洗う。
「大丈夫…みんなが何とかしてくれる……」
そう言い聞かせながらベッドに入る。疲れていたらしくさほど時間が経たないうちに眠気がじわじわ迫ってきた。
ここに来て初めてあの時のことを鮮明に思い出し、言葉として口から出したというのに、今は辛い気持ちにならない。
「みんなの分も…エルの分も生きなきゃ…」
今日は眠れるかもしれない。そう思って瞼を閉じた。
つづく