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「よーし、ノルマ終わり!」
今日の年少オペレーターの仕事は食堂で使われる布製コースター作り。機械を使わないためそれなりに時間がかかる作業も談笑しながら進めれば早く感じる。年少オペレーターの中では年長にあたるラクリマのノルマは他の子供達より多いものの、いつも周りよりも早く終わる。
「いいなぁどうしてそんなに早くできるの?」
「うーん、…昔、一緒に住んでた女の子とクマの人形をよく作ってたんだ。だからかな。こういうのは慣れてる。ほら、手伝うよ。」
最近では過去のことを話すことへの抵抗が無くなってきている。過去を聞かれれば、どこか他人事のように話していた。
仕事が終わって夕食を食べに食堂へ。
「よぉ…ラク…」
列に並んでいると毛並みボサボサのアが話しかけてきた。
「ア…何日寝てないの?」
「5日…流石にしんどくなってきたな。」
「ウンさんが任務でいないとすぐそうやって徹夜するんだから…」
「新しい活力剤を試す良い機会だぜ。」
「ウンさんに言っとこうかなぁ…」
「あーあーどーせチクられなくたってバレますよ。全く、お前に睡眠不足についてとやかく言われる日がくるとぁな。で、最近も身体に異常はないか。」
「うん。夜も寝れてるよ。」
「そう…なら良いけどさ。仕事も慣れたかー?」
「うん。このあとも訓練室の掃除があるんだ。」
「ご苦労なこった。ついでに俺のラボも整理してくれよー。」
「なんで。しかもなんか危なそう。」
「あながち間違いじゃねーな。一歩間違えたら一日中体からスイカのにおいが噴き出るかもしれねぇ。」
普段は研究室にこもっているアと定期検査以外で時間が合うのは夕食のときくらいで、アはその夕食も時間通りに摂ることは少ない。久しぶりの彼との会話を楽しんでいるうちに仕事の時間が迫ってきたので慌てて平らげた。
「もう閉まる時間が近いぞ。」
「なら最後は本気で行くよ!」
黒い長髪のフェリーンの女性と、金髪のクランタの女性の組み手。フェリーンの女性が一方的に攻撃していて優位に見えたが、クランタの女性も一切体勢を崩すことなく的確に捌いている。
「うわぁ…」
「すごいだろ。あの2人と渡り合えるオペレーターはそうそういない。フェリーンの方がブレイズさん、クランタは二アールさんだ。」
掃除用具を持ったまま見惚れているとたまたま近くにいた戦闘指導オペレーターが解説を始めた。
「…掃除待ちされているが、まだ続けるか?」
「おっと…もうそんな時間…?」
「もうすぐ閉まるとついさっき言っただろう。」
「じゃあ終わりにしよっか。ごめんねー、お待たせっ!って、君!!」
距離約20メートル。彼女は2歩で跳んでくる。
「あの時の子だよね!良かったぁ元気になってたんだね!」
頭を無遠慮にわっしわっしと撫でられながら、ラクリマはなんとか彼女の記憶を脳の奥底から引っ張り出すことに成功した。
「…チェーンソーの人?」
「そう!エリートオペレーターブレイズ!よろしくねっ。」
「お前と知り合いとは。私はマーガレット・二アール。カジュミエーシュの元騎士だ。リズからお前の話は聞いている。」
「ラ、ラクリマです。」
当人達に悪気はないのだろうが、ブレイズと二アールの2人に正面に立たれて縮こまるフェリーンの少年は哀れに見えた。
「お二方、この子は訓練生じゃないですよ。」
指導オペレーターによって少年は解放され、掃除を始める。
「ねぇ二アール、あの子のこと、どう思う?」
「残念ながら、志願するだろうな。そういう目をしていた。無論、ロドスの戦闘オペレーターへの道はそんなに甘くない。だが、どうだろうな。」
「私たちには見守ることしかできないか…助けた子が戦闘員に志願するって、なんか複雑なんだよね。まぁ、アーミヤちゃんが止めてくれなかったら、私はあの子を殺してたんだけど。」
「だからこそ、か。それならいっそお前が彼を鍛えたらどうだ?」
「無理無理、そんな時間あたしにはないよー。」
彼女らが感じた通り、掃除中もその後もラクリマの頭には彼女達の組み手の光景が延々と繰り返されていた。
あの2人は今までどれだけの鍛錬をして、どれだけの人を守ってきたのだろう。そう思うと高揚してくる。
憧れだった。今のままでも、十分役に立っているはず。わかっていても、強くなって誰かを守るという魔性の魅力には敵わない。
「今更誰かを守りたいなんて、笑っちゃうかな…」
ラクリマは寝る前にいつも、彼らに向かって一人で話している。
「エルだったら…笑われるな…そりゃそうだよ…」
彼女の頭に焼き付いている自分の姿はただの化け物であるのだから。
「…でも…今の俺にできるかもしれないことなんだ…母さん…母さんなら応援してくれるかな…」
母親の声や顔、ふわふわな毛並みを思い出して少し切なくなったが、もう泣くようなことはない。
彼が行動に移したのは翌日だった。
「私に武芸を教えろと?」
「はい、ワイフーさんは拳術に長けているとアが言っていましたし。」
「それはつまり戦闘オペレーターを目指すということですか?」
「そうです。」
「ならば基礎からしっかり叩き込まないと!いいでしょう、その役、引き受けましょう!」
ラクリマは一応レユニオンで戦闘員だったものの身体が支配されていただけなので完全な素人。ワイフーは、まず立ち方や拳の握り方などから教え始めた。
「肩に力が入りすぎです。それともう少し顎を引いて。」
「は、はい。」
正式なオペレーターや訓練生ではないので、空いた時間を利用して稽古に励む。拳術だけでなく、筋肉の鍛え方なども同時に教わっていた。
「ワイフー、」
「これはこれはケルシー先生。こんにちは。」
「あぁ。ラクリマを探しているんだが、見たか?」
「今シャワー室だと思いますよ。」
「そうか。君が個人的に武術を教えていると聞いた。」
「はい。今まで素人に武を教える機会はあまりなかったので、発見もたくさんありました。彼に基礎を教えることは、私自身の基礎を見直し理解を深めることに繋がる。とても有意義な時間です。」
「それは何よりだ。何か違和感に思うようなことはあったか?」
「違和感…ですか。そうですね……強いて言えば不自然、でしょうか。」
「続けてくれ。」
「彼は保護された後しばらくは寝たきりだったというのは知っています。普通、一度寝たきりになると筋肉はかなり衰えるはず。加えて彼は退院後も目立った運動をするようなことはなかった。それなのに、単純な身体能力は優れている部類に入る。間違いありません。わたしのトレーニングメニューの半分以上を既にこなせるんです。これが才能というやつなのでしょうか…」
「目の付け所は完璧だ。これからも彼を見てやってくれ。」
ワイフーと別れたケルシーはラクリマを待つ。
「あれ、ケルシー先生。どうしたんですか。」
「あぁ、君に話がある。来てくれるか。」
ラクリマは言われるがまま医療区画の一室へ向かう。
「さて、まずは研究対象として君の血液を日頃から分けてもらっていることに礼を言おう。そして、まだ少ないが一定のデータを得られた。提供者の君にも知る権利がある。」
ケルシーはいくつかの書類を机に出したが、ラクリマが理解するには難しすぎる内容だ。
「アとワルファリンが共同で君の血液を研究していくつか薬を完成させた。まだ臨床試験をするには早すぎるが、幾らかの感染生物に対して投与した結果、症状の改善は見られず、既存の薬の方が効果が高いことがわかった。」
「そうですか…」
「まだ終わりじゃない。感染が急激に進行している生物に投与した結果、進行が遅くなり、病状が安定した。似たような効果の薬はある。しかし君の血液から作った薬は全ての点でそれらの薬を上回った。鉱石病の完全な治療薬にはなり得ないが、病状をコントロールする上でとても重要な役割を持つかもしれない。感染の進行を遅らせることは寿命を伸ばすことに直結する。それだけでも大きな希望になる。私たちが鉱石病の特効薬を開発するまでの時間を稼げるかもしれないのだから。」
「そうですか…少し安心しました。何もなかったらどうしようって…」
「それは無い、と思ったから協力を依頼したんだ。君の源石への耐性、それは遺伝子によるものだけではない。レユニオンの少年の家畜から生還したことで、君の身体にはいわゆる抗体のようなものが生まれたのだと私は思っている。まだ立証はできないが。ともかく、これからも協力を頼む。」
「はい、もちろんです。」
ケルシーはファイルから別の書類を出して彼に手渡した。
「これは…?」
「君が求めているものだ。目指すのだろう?それに対して私は意見することはできても干渉することはできない。その書類に必要事項を記入すれば正式に訓練が受けられる。他の仕事が免除されるということだ。もちろん、半年ごとに更新する必要がある。成長の見込みがなければこれまで通りに戻ってもらう。」
「ありがとうございます…!」
「訓練に没頭するのも良いが、たまには子供たちのところに顔を出してやれ。」
翌日の能力テストで人事部を驚かせた後、ラクリマは本格的に訓練を始めることになった。
「戦闘オペレーターになるということは、命の危険を背負うことになるということだ。理解した上だな?」
「はい、ドーベルマン教官。」
「そうか…この短期間でよくここまで回復したな。その精神力は買ってやる。」
「この前はすみませんでした…」
「別に謝ることではない。ところで、訓練を始める前にまずはお前の武器を決める必要がある。」
「あの、そのことなんですけど…」
数日後、訓練所に通うオペレーター達は、訓練エリア内をあっちこっち移動をするフェリーンの少年を目にすることになった。
「肩の力を抜いて。腰が引けすぎている。」
ある時は射撃訓練場でクロスボウを構え、
「目を逸らすな!一点に集中しすぎるな!」
「は、はい!」
ある時は他の訓練生と同じようにドーベルマンにしごかれ、またある時はワイフーと組み手をしていた。
「なるほど、面白い考えね。私は嫌いじゃないわ。」
「だからラナさんに、薬のこととか、医療アーツのことを教わりたいなって…」
「いいわ。でも、欲張るのは良いけどちゃんと息抜きの時間も作らないとだめよ?」
パフューマーはそう言いながら彼に医療アーツ入門と書かれた本を手渡した。
「まずこれを読んでみて、それから本当にやるかどうか決めるといいわ。」
「ありがとうございます。」
温室を去ると足早に艦内を進んで今度は工房へ。
「こんにちは。ヴァルカンさん。」
「あぁ、まずは…それだな。」
最先端の機器と、それと不釣り合いな昔ながらの巨大な鍛治台と加熱炉が彼女の仕事場に案内され、台の一つに置いてあったクロスボウを手渡された。
「以前敵から押収したものを改良した。構えてみろ。……問題なさそうだな。」
「ありがとうございます。」
「それから、」
ヴァルカンは鍛治台から、L字の縦棒が下に少し突き出たような形の手首より少し細い棒状の金属鈍器を専用ホルダーと一緒に持ってくる。
「トンファーだ。念のため構えてくれ。」
ヴァルカンと相談し、選んだ近接武器がこれだ。なるべく相手を殺したくないという意思がこの武器を決めた。立ち回りが拳法と似ているのでヴァルカンから見ても彼に合っていると思える武器だった。
「問題なさそうだ。君は確か感染者だったな。それはアーツ伝導率も良い値だから、君ならアーツユニットとしても使えるだろう。もっとも、術師が使うアーツユニットには到底敵わないが。あとこれも。」
彼女はさらに、サバイバルナイフと黒い刀身のマチェットを鞘に入れて差し出した。
「これは…」
「武器としてだけが用途じゃない。常備した方が身のためだ。手入れを忘れないように。」
「…ありがとうございます。」
工房を後にし、早速試すべく訓練所へ。するとドーベルマンと二アールが立ち話をしていて、ラクリマを見るとニアールから歩み寄った。
「久しぶりだな。ケルシー先生に言われて、少しの間君を訓練することになった。私も忙しいから毎日というわけにはいかないが、できることはしよう。」
「あ、あなたが、ですか?」
「私なら、戦いながらアーツで傷の治癒もできる。もちろん、決定権は君にあるが。」
「お願いします…!」
訓練を始めて日が浅い彼がニアールに鍛えられることを知った者は皆羨むだろう。その日から、ラクリマは毎晩睡眠を恐れる余裕もなく死んだように眠った。
「居眠りを許すとは。私なら張り倒すところだが。」
休憩時間が過ぎても訓練所のベンチでラクリマが寝てしまっていることに気づいたドーベルマンがニアールにそういうと、彼女は微笑んだ。
「許してやってくれ。私も少しやり過ぎた。」
「…やはり動くか、この子は。」
「あぁ、ケルシー先生が言っていたことは正しいと思う。アーツの扱いも不気味なほど慣れるのが早い。」
彼の中には彼のものではない力がまだ残っている可能性があり、ケルシーはそれを飼い慣らすために彼の訓練を推した。
「既に行動予備隊に入れるくらいの実力はあるとみて良いだろう。それにこの子は貪欲だ。良い戦士になる。ただ…」
「どうした。」
「私は教えるという経験はあまり多くないからそう感じるだけかもしれないが…」
ニアールは躊躇った。そして首を横に振る。
「いや、憶測で物を言うのは良くないな。そろそろ再開させるとしよう。」
ニアールは彼を起こして、小休憩を挟みながら訓練所が閉まるまでの2時間、彼を稽古づける。
「今日は終わりにしよう。」
「はい…ありがとう…ございました……」
「…ラクリマ。」
「はい。」
「私やドーベルマン、他の指導オペレーターが君たちを訓練するのは、君たちの命を守るためだ。いいな。」
「…はい。」
ラクリマは様々な訓練を続け、みるみる実力がついてくる。ニアールが任務でいない時はワイフーや他のオペレーターに頼んで手合わせをしてもらうこともしばしば。
ジェシカに拳銃の扱い方を教えてもらい、クルース、アドナギエルと一緒にクロスボウの射撃訓練を行ってからいつものシャワーを浴びる。宿舎の共同スペースでスポットに借りた漫画を読んでいると、ヘアバンドで髪を上げたTシャツ姿のアがやってきた。
「あれ、アにしては早いね。」
「俺だって休みたい時もあるんだよ。最近はブラッドさんと実験詰めだったからなァ。」
「俺が言わなきゃまだラボにこもってたんだろうけどな。ラク君は真似しないでね。」
「あ、ウンさん。」
「余計なこと言うなって…」
「…ねぇ、あんまり強過ぎない安眠剤みたいなのって、あったりする?」
アとウンは目をパチクリさせた。
「そりゃあるけど、どうしたんだ?また眠れなくなったのか?」
「いや、その…4日後の護衛任務に同行させてもらえることになって…」
「そりゃあすごい!前に調達に出た時は護衛じゃなくて護衛される側だったよね。」
「はい。鉱石病に関する研究をしている生化学研究所からロドスと協定を結ばないかと持ちかけられたそうで、会談に行く幹部の護衛を他のオペレーターと一緒に担当するそうです。」
「おめーが戦闘オペレーターかぁ、想像つかねーなぁ。ま、薬の方は任せとけ。ついでに最近配合割合を変えた新しい活力剤、いわゆるエナジードリンクを作ったからそれもおまけするぜ?」
「あ、ありがとう…」
「大出世だね。じゃあ帰ってきたら久しぶりに夕飯をご馳走しよか。アも一緒にね。」
ラクリマの顔がわかりやすく輝いた。
「楽しみにしてます!」
翌日から訓練時間を短縮して任務に備える。そこまで大きな任務ではないため当日の集合時間と集合場所しか伝えられておらず、実感が湧かないものの前日は一日中緊張していてアの薬を貰っておいて良かったと心底思ったのだった。
「…では今説明した通り、各訓練生はエリートオペレーターの指示に従うように。」
「ラク君また会ったね!!今日は私ブレイズが隊長よ。よろしく!」
「補佐のフロストリーフだ。」
ラクリマをはじめ、バニラ、スチュワード、ビーグルと経験が浅いオペレーターが多いので、その引率役としてエリートオペレータのブレイズが選ばれる。これは、時に破天荒な行動をするブレイズにどこまで着いていけるかどうか試すためでもあった。それにフロストリーフも加わり、このメンバーで非戦闘員であるロドスの幹部1人を護衛する。
アーミヤは仕事の都合上この日は欠席、事前視察ということになった。
「ラクリマさん、でしたっけ。バニラと言います。BSWから来ました。」
「よろしくお願いします。」
「ラクリマさん、生き物、好きですか?」
「え?えぇ、まぁ。」
「私、ロドスでもペットを飼わせさせてもらっていて…これが写真です。可愛いですよね!」
「…これハガネガニ?」
「ツヨシくんです!そしてこっちはドスグロちゃんと言って…」
「いやでもこれ感染生物…」
「可愛いんですよ!是非会いに来てください!」
そうこうしている間に、ウルサスのとある移動都市から少し離れた所にあるドーム型の研究施設に着く。
「未知の組織よ。目的がわからないから警戒を怠らないで。常に気を張って。」
入り口と終わられる金属扉の横にあったインターホンを押して待機していると扉が空いて、金髪で丸い耳の青年が迎え出た。
「ロドス御一行様ですね。応接室へご案内します。」
ロドスの廊下を真っ白にしたような内部の一室に案内され、幹部2人はソファに座り、護衛たちはその周りに立って待っていると先程の青年が現れた。
「お待たせしました。こちら、当施設の所長です。」
青年の後ろから中年の男が会釈をして現れて、ブレイズとラクリマが息を呑み、遅れて幹部2人と他のオペレーターが二度見した。研究所の所長はラクリマと同じ毛色、顔のパーツの特徴も共通するものが見て取れる。斑点模様と耳の形は異なるがどう見ても親子だった。
「初めまして。クティノスと名乗っています。」
「…初めまして、ロドス・アイランド製薬常務取締役です。」
「ふふ、私はね、あなた方のことを聞いて胸が高鳴った。自分達以外にも感染者のために活動する、しかも企業。ただ、こんなところにある研究施設にこもっているから中々コンタクトが取れなくて、今日会えて光栄です。」
クティノスは上機嫌そうに微笑んだ。
「私は運が良い。あなた達と接触した目的は2つ。その内の1つが君だ。」
クティノスは真っ直ぐラクリマを見る。
「少し前にたまたま部下が君を見かけたと聞いて心底驚いたし、嬉しかった。君の方から来てくれるとは実に運が良い。」
「彼とは…彼のことをご存知で?」
ラクリマの心臓も早鐘を打っていた。
「もちろんだよ。ラクリマ君、見たところ記憶が無いようだね。もう何年も前のこと、仕方がないことだ。君の識別名はTest06-Model FelineⅡ。私のお気に入り。」
「…なんて?」
「試験体6番、容姿タイプフェリーンⅡ型。鉱石病の根源を断つため胚にゲノム編集を施した、その実験体のひとつ。フェリーンⅡ型は生物学上私の息子になるから、それまでの実験体から自信がもてる研究成果が出た後にそれを元にしてゲノム編集を行った。君が産まれた時のことは覚えているよ。その容姿と、鉱石病の克服。二重の感動を味あわせてくれた。ラクリマという名前は君の仮母が付けた名前。遺伝子上赤の他人であるとはいえ代わりに産んでくれた彼女にも敬意を払わないといけないと思ってその権利を与えたんだ。」
「それは…」
ラクリマが思わず口を挟み、彼に視線が集まる。
「それは…じゃあ…俺の母さんは…?それに…モデルって…それって…」
「母さん…母さんね。癇に障るが仕方がないことだ。まさかいきなりT06が来てくれるとは思っていなくて、今日全て話すつもりはなくて資料を用意していなかったんだ。地下施設がある。案内しよう。百聞は一見にしかず、だ。」
「ちょっと待って。」
クティノスとロドス幹部が立ち上がるとブレイズが口を挟んだ。
「今日はあなた方とこちら側の幹部同士の対談。ラクリマ君はその護衛任務に着いただけ。ラクリマ君を召喚するということは条件に無いはずよ。そしてこの任務における指揮権と行動責任は私にある。」
そしてブレイズは膝をついて、動揺している彼の両肩に手を置いた。
「ラクリマ君、私達が確認してくるわ。あなたはフロストリーフと一緒にここに残って。本艦に戻っても構わない。事情は私から説明しとくから。フロストリーフ、頼めるかしら。」
「もちろんだ。私もその方が良いと思う。」
「あの…俺…、一緒に行きたいです…」
ブレイズは驚いて彼を見上げる。
「俺は…俺は大丈夫です。」
恐怖もある。しかし自分は何のために存在しているのかを知りたいという気持ちが勝った。
「…わかったわ。あなたがそう言うのなら。」
変な気遣いはむしろ負担になるかもしれないと判断したブレイズは同行を許可し、一行はクティノスの案内で地下施設への斜行エレベーターに乗る。
「ここは昔ウルサスの軍事施設だった。06、君を失った後に廃棄されたここの一部を改造して新しい研究施設を作ったんだ。」
「…何が、あったんですか。母さんと逃げたことは覚えてます。」
「彼女は元気にしているか。」
「…死にました。」
「そうか、残念だ。君を守り抜いてくれた礼を言いたかった。君が生まれた場所は襲撃されたのだ。私の研究は、ある人たちにとっては都合が悪いのさ。あの襲撃で01〜04までと、複数の仮母と研究員を失ってしまった。幸いデータは守れたが、ここまで取り戻すのには苦労した。06は研究員が仮母と一緒に研究所の外へ逃したと聞いていたが、まさか生き延びているとは思わなかった。おかえりT06MFⅡラクリマ。」
エレベーターの扉が開くと薄暗い廊下が続いていた。廊下には研究員と思われる白衣を着た者や、被験者と思われる感染した人が歩いたり立ち話をしている。
「鉱石病の母子感染を防ぐ、その実験のために感染者の女性を使っているということですか。」
「雇っていると言ってほしい。彼女達には我々と同レベルの衣食住を与えている。家族がいれば一緒に住まわせて他の仕事をさせている。もちろん未婚既婚に関わらず少なくとも一度は試験体達を産んでもらうことになるんだが、それをきちんと説明しても彼らは縋り付いてくる。その理由は、あなた方ならわかるでしょう?」
彼は廊下を進んで所長室と書かれた部屋に一行を招き入れた。その広い部屋には様々な機器と資料が並び、何人かの研究員が作業を続けていた。
「おかえりなさい、父さん!」
高い、子供の声。
「ここにいたのか。お客さんが来ているから他の部屋に行ってくれ。」
「あの子…!ラクリマ君にそっくり…」
バニラが思わず口にすると、クティノスは微笑んだ。
「そうだ。あの子の、イルジオは源石耐性以外いじっていないから私の本当の息子だ。…さて、本題に入ろうか。」
彼はコンピュータを少しいじり、プロジェクターを起動させて白い壁に資料映像を映し出す。
「私がロドスに要求するのは研究場所と設備、そして情報だ。私はその対価を2つ提供できる。一つは私達の研究データ。ここに映しているのはその一部。鉱石病の母子感染を防ぐためのゲノム改変も、この試験データと、後は設備と技術があればすぐにできる。後者なら心配する必要はないはず。そうでしょう?」
「…もう一つは?」
ロドス幹部の問いに頷き、彼は襟に付けていた小型マイクに何かを呟いた。
「もう一つの説明はもう少し待ってくれ。…諸君の顔を見たところ、ゲノム改変には抵抗があると。確かに、子供の遺伝子を改変するということは、両親の遺伝子を計100%受け継いでいるわけではなくなる。しかし、この技術があれば感染者も子を作れる。子供が感染するリスクを考えることなく子を残せる。それがどれだけ彼らにとって希望となり得るか、あなた方ならわかるはず。」
費用の問題はあるが、と言いつつ体表に結晶がある女性が笑顔で赤子を抱いている映像を映した。
「私はね、見つけたんだ。オリジニウムが影響を及ぼす遺伝子の部位を。そこを特別なタンパク質で切り取って、代わりに別の無害な塩基を入れる。たったそれだけだ。この方法では後天的な鉱石病には効果はない。しかしこのゲノム編集を施せば、体内に直接侵食してくるようなことでもない限り感染はしないんだ。」
「…あなたの奥さんが鉱石病になったから、子供がそうならないように実験をしたってこと?それで、ラクリマはさっきの子のための実験だから奥さんじゃなくて人工授精とかで受精卵を他の人に移植したってこと?」
フロストリーフが口を挟むと彼は笑みを深める。
「ある程度の勉強をしているようで関心した。だが違う。人工授精ね…良い考えだ。だがそれには私の妻の卵子が必要だ。残念ながら、妻はもうこの世にいない。」
少し昔話をしよう、そう言って彼はパイプ椅子に座った。
私はウルサスの国民だった。良い家の生まれでね、裕福な生活を送っていて、両親は私の勉学にも惜しみなく投資してくれた。私は研究者になりたかった。ウルサス帝国直属の研究者に。
容易な道じゃない。高校に入ってからは友人と関わることもなくなり、勉強漬けの日々を送った。
裕福な家だったから、親が許嫁を連れてきた時も、初めは邪魔に思った。だが、彼女は…彼女は私に尽くしてくれた。私も次第に安らぎを感じるようになった。
彼女といることに割く時間が増えた。しかし不思議なことに私の成績は伸びていった。心の安らぎが私の成長を促したのだ。そして、私は飛び級で大学を卒業し、遂に悲願の、帝国に認められた研究者の1人になったのだ。
…私は、たくさんの人を助けたいと思った。医者とはまた違う方向で国民に貢献したいと。それが、私が生体化学を学んだ理由だ。
しかし、帝国が求めているものはそうではなかった。あの研究所が私に求めたのは生体の改造。兵器の製造だ。所詮生物も、複雑な化学反応を連続的におこしているだけの物体である。それがあそこの考えだった。
様々な感染生物の兵器利用のための研究…そう、オリジムシや犬だけじゃない。ウルサスにとって感染者も家畜にすぎない。いや、感染者だけじゃない。もはや自分達にとって都合が悪くなければ、そして良い素材であればそれは研究対象だった。
あそこでどれだけ脳組織の切除をしたことか…術師が操るための生体兵器、感染者の増幅されたアーツをさらに活性化させるための研究…
私は疲弊した。感覚がおかしくなってしまう。昔は私も感染者を人と見ていなかった。そう教育されてきたからだ。だが彼らも元を辿れば我々と同じだったのだ。そんな人たちの臓器を切除したり薬を投与する日々に耐えられなくなってきた。
そんなときだ。私の支えだった妻が身籠った。初めは実感が湧かなかったが、この手で胎動を感じた時、私は久しぶりに…いや初めてだったかもしれない。私はそこに命を感じた。科学的な生命体の発生ではなく、概念的な命を感じたのだ。
そして、すべてがどうでも良くなった。たとえ今までの努力をすべて捨てることになっても、私は帝国の軍事力に貢献するよりも家庭を守りたいと思ったのだ。そして私は同僚の反対と圧力を押し切って辞職した。
給与は良かったし、元々裕福だったから、どこかに…シエスタにでも引っ越してしばらくは家族でゆっくり過ごそうと思って帰宅した。ドアを開けてすぐに血の匂いに気づいた。妻が倒れていた。顔を削がれた妻が…
…続けよう。体温は生きたままの状態と変わらなかった。わたしが帰宅する直前に殺されたのだ。わざとだろう。愛国心を示さなかったみせしめか、情報を外に漏らされることを恐れた彼らからの警告か、それとも妻がいなくなれば辞職を取り消すとでも思ったのだろうか。
これからの家族との未来を思い描いていた私を嘲笑うように。
幸いなことが3つ。私は辛うじて理性を残していた。我が子の誕生を心から楽しみにしていた。そして妻を心から信頼していた。
私は死期帝王切開を試みた。母体が死ぬことを前提とした、あるいは死んだ状態で行うものだ。医療器具など必要ない。ナイフで腹を切り裂き未熟な胎児を取り出した。
赤子はどうやっても泣かなかった。呼吸をすることはなく、心臓も止まった。私は諦めなかった。私の自室は研究室のようなものだった。そして、一個体として死んでも、細胞すべてが活動を停止し崩壊するまでには時差がある。
私は赤子の組織を採取し保管した。どうするかって?簡単なことだ。
受精卵とは、母方の半分の遺伝子を持つ卵子と父方の半分の遺伝子を持つ精子が融合し、双方の遺伝子を半分ずつもつ、新しい遺伝子を宿したもの。それが子宮内膜に着床することでやがて胎児になる。
そして私たちの身体を構成する細胞。そのほぼ全てには核があり、そこには遺伝子の100%がある。私の皮膚の細胞の核には、皮膚だけでなく私の身体の設計図がそのまま入っているということだ。
卵子の中にある母方の遺伝子。これを完全に取り除く。そして…例えば、私の皮膚の細胞から採取した私の完全な遺伝子を挿入する。これを胚と呼ぶ。
胚も、受精卵も内部に完全な遺伝子を持っているということには変わりない。そう。擬似的な受精卵を作り出すのだ。そして、中にあるのは私の完全な遺伝子だから、そこから発生する胎児はその設計図通り作られる。母体がなんであろうと、私と全く同じ遺伝子をもつ子供が生まれるのだ。
ここまで説明すればもうわかっただろう?フェリーンⅡ型はあの時採取した胎児の細胞から作ったクローン。試験体のフェリーンⅡ型は他にも改変しているから完全なクローンとは呼べないかもしれないが、我が子の身体を元にした、我が子と等しい存在。06、ラクリマ。君が母と呼ぶ存在は、私の妻の代わりに君を育てたにすぎない。もちろん感謝はしているが、君の親は私と、私の亡き妻なのだ。
「私は私と妻の子を復元するだけでなく、あの時私が手をかけてしまった、そのせめてもの償いをするために、ゲノム編集による鉱石病の母子感染の防止を同時に並行して研究した。その両方を実現したのが君。あの時研究所を襲撃したのも私の事をかぎつけたウルスサスの師団だ。」
しばしの間、沈黙が流れる。クティノスは当時の思い出を浮かべ、ロドス幹部とオペレーターたちは彼の言葉を頭の中で反復させ、ラクリマの頭は母親との思い出と今彼の口から出た真実がごちゃごちゃになっていた。
「俺は…クローン……」
「そうだ。その体も私の息子が成り得るはずだったものを複製し強化したものだ。」
「でも…母さんは…俺と同じ模様で…」
「似ていたが、違う。君のそれはヒョウ柄にしては斑点がつながりすぎている。それとも父譲りということになったのか?それなら耳の形が全然違うだろう?耳の模様も。私とも君の代理母とも違う。それは君の生物学上の母親、私の妻から受け継いだものだ。」
「そんな…」
産みの母も育ての母も記憶にある通りの母。しかし血が繋がっていないどころか、もうこの世にはいない、生まれてもいない胎児の複製体が己である。バクバクと動く心臓が、他人の物のように感じられてしまう。そもそも今ある"自分"とは何なのか、今までの己の意思とは何だったのか、アーツの支配から解放される以前に、生まれた時から自分は他人だったのか。
ラクリマは何もしゃべれなくなってしまった。そんな彼に対しなんと声を掛ければよいか、誰もわからなかった。
「…さて、私が今の研究をしている経緯を話している間に、諸君に提供できるもう一つのことについて、その準備ができたようだ。」
ぷしゅ、と自動扉が開くと簡素な黒い戦闘服を着た青少年たちがぞろぞろ入ってくる。
「…この子たちは?」
「薬を作るだけでは解決しない。たとえロドスや私たちが鉱石病を完治させる薬を作ることができたとしても問題は解決しない。そうでしょう?…兵力、兵力だ。最終的にはどんな綺麗ごとよりも役に立つ。正義も理不尽も、力がそれを突き通す。ロドスもそれをわかっている。だからあのチェルノボーグの一件にも関わった。ちがうかな?」
「なぜそれを…」
「私の子たちは優秀だからね。それに、私は用心深いんだ。」
「あっ…」
ビーグルが思わず声を出して、慌てて自分の口を押さえたが遅かった。彼女の視線の先にいたのは、ラクリマと全く同じ容姿の青年だった。
「あぁ、試験体05だ。06と同時に胚を作った。先に移植した彼が05だ。生まれたのは06のほうが数日先だったがね。…ふむ。」
クティノスが立ち上がって05と呼ばれた青年の顔を見て、それからラクリマを見る。
「人というのは面白いね。肉体年齢に差があるとはいえ、同じ遺伝子なのに顔つきが違う。」
「年齢が違う?でもさっき生まれたのは数日差って…」
「成長ホルモンを使った。」
スチュワートの質問に対する答えに、ブレイズとロドス幹部は憤慨した。
「聞き捨てなりませんね。母子感染を防ぐための研究にそれが必要なんですか?それとも遺伝子を改変したことによる影響を手っ取り早く調べるためですか?」
「いい線にいっているが、私はそんなに短気じゃないし鉱石病でもないから焦る必要もない。成長ホルモンを投与したのは1年ほど。早く力をつけてほしかった。」
「…結局あなたも兵器転用するのね。」
「お嬢さん、みたところ感染者の戦士か。それならそう思われても仕方ないね。でも、私にとってこの子たちは物じゃない。それでも、力が必要なんだ。傭兵では信頼がおけないしね。だから試験体04以降には遺伝子的に筋肉を増強、アーツ適応力を高めている。他種族の遺伝子の一部を挿入したんだ。遺伝子解明と方法の確立に苦労したよ…。04はあの時師団に殺されてしまったが、ここにいる05と07~024はそのおかげで良い戦士になった。」
「…ウルサスに復讐する気ね。」
「そうも解釈できる。私は"皇帝の利刃"を凌ぐ戦士を育て、感染者を強制労働させている源石採掘所や生体兵器研究所を潰す。毒を持って毒を制すのだ。だがまだ足りない。この子達は確かに強い。だが、まだだ。私の本当の目標はサルカズの遺伝子を用いて、源石と共存し強靭な身体能力と卓越したアーツを扱う戦士を生み出すこと。もう少し…もう少しで実現できそうなんだ…!ロドスとの情報交換、今のこの子達の訓練、代わりに君たちが必要な時にこの子達を貸す。忘れるな、私は鉱石病の母子感染を完全に防ぐことに成功した。ロドス諸君にも大いに貢献できると考えている。」
「…ロドスは戦争屋ではありません。」
ロドス幹部の言葉にクティノスは眉をひそめた。
「あなたがしていることへの完全な否定はできません。しかし私は、あなたが弊社に求めていることは弊社の理念に反するものだと思います。もちろん最終的な決定権はアーミヤさんにありますが…それに、あなた方と関係を持つことは我々ロドスにとってリスクが大きすぎる。ウルサス師団がロドスを攻撃する理由になりかねません。」
「…御社の理念とは、感染者の救済ではないのか?」
「それもそのうちのひとつです。あくまで、このテラの傷を癒す、そのうちのひとつにすぎません。」
クティノスは腕を組んで考え込んだ。理念の相違、理念の相違。
「我々ロドスにある、感染者に対する情報や医療技術は、もしかしたら提供できるかもしれない。しかし、それはあくまで一度の取引に過ぎないでしょう。それについては私だけの判断ではできないので、後日の連絡を待っていただけないでしょうか。」
クティノスは黙って考えにふける。その間ラクリマは俯いたままでいるものの、目線だけ上げてもう1人の自分をチラチラとみていた。対するもう1人の、試験体05は無感情な目で見返していた。
彼らは彼ら自身がどういう存在なのかを知っているのだ。そしてそれが彼らにとっての常識で、異質なのは自分の方なのだ。
ラクリマが必死に頭を整理しようとしているとクティノスが先に結論を出した。
「理念の相違が招く災いはもう散々だ。わかった。君たちから取引内容が提示されるのを待とう。」
「では……」
「ただし、T06MFⅡは返してもらう。」
ラクリマはハッと顔を上げた。
「拾ってくれたことには感謝する。しかしその子は私が作った。その遺伝子も、半分近く私のもの。私が父親だ。君たちに所有権はない。さぁ、おいで06。」
「お言葉ですが、」
ロドス幹部が遮った。
「訓練オペレーターラクリマは弊ロドスとの雇用関係にあります。そして今の彼は契約内容に沿って勤務中。今の彼は我々の管理下にある。」
「なら解約してもらおうか。」
「契約時にあなたのサインはいただいていません。あなたは契約に関わっていない。故にあなたからの解約の要求を受理することはできません。」
「なら本人から解約してもらう。06、ここがお前の帰る場所だ。戻ってこい。」
視線がラクリマに注がれても、何の結論も出せない。頭がパニックに近い状態になって物事を考える余裕も無くなっていた彼の頭をブレイズがわしゃわしゃと撫でた。
「あなたはあなたよ、ラクリマ。あなたの意思で、今生きている。そうでしょ?いくらアーミヤちゃんでも、あの時のあなたが心の底から死にたいと思っていたら感情を利用できなかったはず。それに、あなたは戦闘オペレーターになる必要はなかった。でも自分で決めた。」
「ブレイズさん…」
「…遺伝子は身体の設計図って言ったわね。そしてこの子の身体の設計図はあなたの子供と同じだと。」
「そうだ。」
「ラクリマ君、果たして心の設計図まで同じなのかしら。私は違うと思うわ。あなたは私や他のロドスの人と同じ、ただの感染者。それ以外の何者でもない。そうでしょ?」
ラクリマの大きな耳とクティノスの耳がほぼ同時にピクリと動いた。
「…まて、お嬢さん、今なんて?」
「え…?」
「……そうか!」
「ラクリマ君…?」
混沌としていた頭の中が一気に晴れ渡った。そして一歩踏み出し、クティノスを真っ直ぐ見た。
「俺は感染者だ。レユニオンの幹部の1人に、無理やり源石とアーツを身体に植え付けられて感染した。あの時…あの時にあなたが作ったT06は死んだんだ。俺はT06MFⅡじゃありません。俺はロドスの感染者のオペレーター見習いのラクリマです。」
「感染…感染……?しかし06は耐性が…それは05で確認している…アーツを体内に植え付ける…?そんなことができるのか…?」
クティノスはブツブツと独りで話し続け、不意に目を瞑って天井を仰ぐ。
「…06、君に何があったかは知らない。だがやはり、君は私のものだ。私が作ったんだ。それに君は…君はもしかしたら………私は君を取り戻す。もう二度と、奪わせない。誰にも。ロドスの諸君、最後通牒だ。06を返してくれ。」
「嫌だと言ったら?」
「奪い返す。」
クティノスが合図するとそれまで不動だった試験体達がロドスの一行を囲んで警棒やこん棒のようなものを構える。ブレイズも合図して、ロドス幹部を背中で囲んだ。
「こっち側は私ひとりでやる。背中はあなた達に任せたわ。」
バニラとフロストリーフは斧を、スチュワートは杖を構え、ビーグルは背負っていた盾を下ろす。ラクリマもホルダーからトンファーを抜く。ブレイズは背中のチェーンソーを構えなかった。自分より年下の子供たちを両断する冷徹さは持ち合わせていなかった…
「仕方ない。だが実力を試すいい機会だ。全員捕えろ。」
彼らが動く前に、ブレイズが目の前にいたアスランの青年に上段回し蹴りを繰り出す。
「…あれ、」
青年は片腕で受け止めた。
「軽い。背中のそれを使った方が良いんじゃないか。」
「言うねぇ。」
青年はハッと彼女の脚を離して距離をとる。
「…熱い。アーツか。気をつけろ。」
ペッローの青年が警棒で殴り掛かるが、ブレイズに触れる前に彼の手から警棒が弾き飛ばされる。
「一人ずつでいいの?情けをかけてあげてるだけで、手加減するとはいってない!」
青年たちがさっと二つに分かれた。ブレイズのほうに10人、彼女の背後に8人。それぞれ2人が先陣を切る。
「ビーグル!」
「はい!援護お願いしま…」
サルカズの青年の後ろ蹴りをビーグルが盾で受け止めると盾ごと後ろに吹っ飛んだ。スチュワードがサルカズの青年にアーツの波動を放つも片手ではじかれ、電気アーツのようなものを撃ち返される。しかしラクリマのアーツの障壁が彼を守り、フロストリーフの斧が青年をかすめた。
「助かり…ラク!」
スチュワードの警告で、ラクリマは辛うじて背後から振り下ろされた警棒を、トンファーをクロスさせて受け止めた。
「T06、なぜ裏切る。」
「T05…」
同じ顔をしたもう一人の自分が体重で圧をかけてくる。
「ここは俺の居場所じゃない…」
クランタの青年と鍔迫り合いをしていたバニラをすり抜けたサルカズの青年が、今度は身動きができないラクリマに電気アーツを放出する。そこへビーグルが割って入ってアーツを盾で受け止め、その間にラクリマは05を受け流して蹴り飛ばす。間髪入れずにラクリマを突き飛ばしたループスの足元でスチュワードのアーツが破裂し、ループスはよろけた。
その間反対側ではブレイズが相手の警棒を奪って一人を投げ飛ばし素早くもう一人の背後に回って後頭部を殴り気絶させると、腕をつかまれて斧が手から離れたバニラのほうに警棒を投げて彼女をつかんでいたサルカズに隙を作らせる。
敵が多く、予想以上に強い。ブレイズがいなければあっという間に全滅だっただろう。そのブレイズは大きめのナイフを手にしたペッローの攻撃をわざと腕にかすらせて鮮血を周囲にふりまき小規模の熱爆発を起こして彼らを牽制する。
「今よ!エレベーターまで後退!!」
ブレイズはチェーンソーを取り出し、ロックされた扉を紙きれのように切り裂いた。何度か飛んできたアーツの攻撃をラクリマとスチュワードの障壁で防ぐ。
「逃げ切れるでしょうか。」
ロドス幹部の言葉にブレイズは口角を上げた。
「エリートオペレーターの勘ってやつ?エレベーター乗る前に応援呼んであるんだ。あとは上に出て、もう一度合図すればすぐに来てくれる。」
「…ブレイズさん!」
「どうしたの、ラク君。」
「追ってきません。別の道でエレベーターホールに先回りされたのかも…」
「それはありえるわ。警戒を怠らないで。」
ラクリマの予想通り角を曲がった先に待ち構えていた。
「これ持ってて!」
バニラにチェーンソーを押し付け正面から突っ込んでいく。
「こっちからも来てます!」
ビーグルが指さした、今自分たちが走ってきた通路を三人の青年が走ってくる。
「ビーグルは彼を守って。スチュワードは援護、後の三人で迎え撃つ。」
フロストリーフの指示にうなずき、各々構える。
「ラク君伏せて!」
スチュワードのアーツがラクリマの頭上をかすめ、先頭をにいた青年は防御の体制をとって受け止める。残りの二人が前に出るとラクリマとバニラで一人ずつ受け、フロストリーフはその間をかいくぐって最初の1人に斧を振るった。
相手は遺伝子強化をうけた強者。しかしラクリマに無駄な緊張はなかった。こん棒と蹴りをよけると左手のトンファーは長い方を前に、右手は短い方が前に来るように回転させる。そして床を蹴って懐に潜り込み、こん棒を持っている方の手を左手のトンファーで押さえて右手とそのトンファーにアーツを乗せる。
「寸勁っ!」
ワイフー直伝、最小限の動きからの強烈な突きがみぞおちに直撃。横隔膜が痙攣して呼吸が一時的に封じられ、続く上段蹴りをまともに食らってダウンした。
一方のブレイズも一人、また一人と戦闘不能に追い込んでいく。
「ここまでとは…」
「あれ、クティノスさんも他の人もいたの?…ははーん、さてはエレベーターはここだけなのね。」
「たったひとりで…。」
「うん。あと4人。たしかにいい動きだけど、経験が足りなすぎる。」
「地上施設には倍の数いるぞ。それでもいくか?」
「ならあたしだけ上に行って、全部片付けたらあの子たちを迎えに来れば良い。応援の部隊も向ってることだし。用心深いのよ、あたしたち。」
「ブレイズさん!」
敵を退けた4人が幹部を連れてエレベーターホールに入ってくる。
「…用心深いのはわたしもだよ。」
「え?」
クティノスは端末を操作した。すると突然照明が真っ赤になる。
「君の部下と視察人をここに残したいならそうすれば良い。侵攻された時のためにここに続く隠し廊下があるのだよ。エレベーターは裏にも一基あるし非常階段もあるし、どちらもそこのエレベーターとは出口の場所が違う。君たちと会うことももうないだろう。それでは。君たちも生き埋めになる前に外に出た方がいいぞ?」
「みんな早く乗って!!」
全員斜行エレベーターに駆け込んだ。
「外で待ち伏せされてるかも。警戒を続けて。」
ブレイズがボタンを押して扉が閉まりかけたとき、唐突にラクリマが扉をすり抜けた。
「ちょっ…!!」
慌ててブレイズがボタンを押して扉を開けようとしたが反応がない。
「壊したの…!?いつのまに…!」
チェーンソーを取り出す間もなくエレベーターは地上へ向けて動き出した。
「急げ!時間がない!エレベーターには負傷者と私の息子を!動けるものは階段へ…」
「待てっ!!」
「06…わたしと心中する気か…!!」
彼を逃がしてはいけない。その技術を広めてはいけない。誰かを説得出来そうな理由は思い浮かばなかった。ただの直感、偏見かもしれない。所長の彼だけを押さえても誰かが後を継ぐかもしれない。それでも彼を許せなかった。綺麗事を並べて結局は、あのメフィストと同じことをしているじゃないか。
「押さえろ!」
さっきの4人と復帰した3人の合わせて7人。非常階段には研究者達がゾロゾロと向かっている。ラクリマはホルダーから手榴弾を取り出しピンを抜いて投げた。
気づいて散り散りになる試験体部隊。その隙に懐から丈夫な素材でできたスタンプ型注射器を取り出し、左腕と右太ももにそれぞれ2箇所ずつ打った。
【劇性増強剤・ドリアン(ラクリマ用特別調薬携行型)】
「うぅっ……」
打った箇所の痺れを堪え、地面に転がっている"訓練用"手榴弾を飛び越し駆け抜けると階段を登りかかっていた研究者を引きずり下ろして廊下に放り投げる。
人殺し?何を今更。さすがに感染者や動けない試験体達が乗ったエレベーターを破壊する気にはならないが。
「手榴弾は偽物だ!早く取り押さえろ!」
打った箇所の痺れが熱に変わって全身に広がり疼きだす。まるであの時みたいだと苦笑した。
研究者の1人が拳銃を構え発砲し、弾丸が頬を掠める。部隊の誰かが投げたナイフが脚に刺さる。この程度の痛みでは止まらない。
刺さったナイフを引き抜いて拳銃を奪うと続けざまに発砲して3人の研究員の足を撃ち抜いた。
まだだ。向かってくる試験体の1人のアーツを受けて拳銃が破裂し火傷する。その手も、ナイフが刺さった脚も、すぐに元通りになって、トンファーを構え直すと発勁で目の前の試験体をエレベーターホールまで突き飛ばした。
「受けたのに…物理的な力がさっきの比じゃない…!」
それでも相手が多すぎる。研究者達を、あの所長を逃してしまう。
「09、014、020、アーツで動きを封じろ!そいつは自分に医療アーツを使っている!手加減不要だ!」
3人がそれぞれ別の性質のアーツによって沼に全身を沈められたかのように身体が重くなる。そして目の前には棍棒を振りかざした巨漢のフォルテの試験体。避けられない。けれど肉体はあの時並みに熱く、活気づいている。
その棍棒が振り下ろされる前に地面を蹴って首を伸ばしその腕に噛み付いた。
「こいつ…!」
…ありがとう、メフィスト。
「019!おい!」
アの薬のおかげで力はみなぎり、あのときの感覚も思い出した。
フォルテの実験体はそのまま地面に崩れ落ちて痙攣する。感染させたり心身を支配するような力はもうないが、身体の自由を奪えれば十分だ。
「未知のアーツだ!迂闊に近づくな!」
「無理だ!時間がない!いますぐにでも止めろ!」
身体は紙のように軽く、頭はスッキリ冴えている。これはアの薬の効果だけではないだろう。のこり5人。早く倒して研究者を……
一度に向かってきた彼らを前にしても、一切の不安はなかった。
「所長!今のうちに早く!」
「………。」
クティノスはラクリマに釘付けになっていた。
「所長!!」
「完成だ……間違いない…体内の源石を媒介にしてあのレベルのアーツを、しかも複数を同時に使っているのに感染の進行が見られない…!自爆…自爆を止めろ…!」
「そんな無茶な!!05!無事だったか!あっちはいいからお前もなんとか言ってくれ!」
「06が、あの子が…まだ詳しく検査していないから確証はない。だが、あれこそ私の理想の…!!失うわけにはいかない!私の、私のものだ!」
「お父様、もう本当に危険です!早く上に行かないと…!お父様がいなくなったらあの子は…!」
「05、お前がイルジオの面倒を見ろ。お前は早く階段に…」
ドサ、と重い音と苦悶の呻き声で遮られる。
「06…!あぁ素晴らしい力だ!あの子達が束になっても勝てなかった!!君の望むものはなんでもくれてやる!だから私と来てくれ!ラクリマ!」
「…俺の欲しいものは、欲しかったものはとっくになくなったよ。」
薬の効果が切れかかっている。それでも目覚めたアーツは消えていない。あとは階段を登っている研究員をはたき落とし、そして上に行きながら階段を破壊して…
「えっ、」
突然、真っ暗になった。自分が意識を失ったのかと思ったが、他の誰かも声をあげる。薬の効果と目覚めた力があっても、ラクリマは未熟な訓練オペレーター。時間をかけすぎた。
直後、耳をつんざく亀裂音がそこら中から響く。激しい地鳴りと共に身体がどこかに叩きつけられ、そして何もわからなくなった。
○○○
「はい、おみあげ。シュークリーム、前食べたいっていってたよね。」
「いいの?ありがとう!ラク大好き!」
「今はこんなものくらいしか買えないけど、大人になったらみんなお腹いっぱいになれるように頑張って働くから。」
「…でも、私もきっと感染してる。お父さんとお母さんはへいきっていうけど…だから、食べ物買ってくれるのもうれしいけど、お別れする前にもっと…」
「お別れなんてしないよ。母さんも言ってたけど俺はきっと感染しない。だから働いて、その…エルにもっと……し…幸せっていうかその…もう少しマシな生活を…させたいなって…も、もちろん俺の母さんも、エルのお母さんとお父さんもだけど…俺は…俺はずっとエルと…」
○○○
繧、繧ュ縺ェ繧ュ繝」
…目を開けた、のだと思う。真っ暗で何も見えない。どうしてこうなったんだっけ、としばらく考えて、状況を飲み込んだ。
体の感覚はある。だが全く動かせない。自分がどういう向きで埋まっているのかもわからない。
呼吸は苦しくない。痛みもなく、体にかかる圧力はむしろ心地良いほどで。心もとても落ち着いている。
そっか、俺死ぬんだ…
ぼんやりとした頭に、それはごく自然に浮かんできた。
ここに残ると決めたときに覚悟はしたが、もしかしたらという淡い期待を抱いていた。でも、これで良かったのだ。本当ならとっくに死んでいるはずだったのだから。それに今までも、そして今も大勢の命を奪ったのに自分だけ助かるなんてできない。
俺…役に立ったかな…ブレイズさんやみんなは無事だろうか…
何人逃がしたかはわからないけど…大きな打撃は与えたはず…
感染者に希望を与えるふりして戦う人形をつくるなんてだめなんだ…
同じ人形の俺が止めた…きっとそれが、俺が生き延びた意味だったんだ…
…そういえば、スポットさんにまだ漫画返してないや…
宿題をてつだう約束もしてたな…
帰ったらウンさんがごはん作ってくれるんだっけ…
アに薬の感想いわなきゃだ…
今日のメンバーでうちあげするって…ブレイズさん言ってたな…
はぁ…
死にたくないなぁ…おれ幸せだったんだなぁ…
ラナさん…おれ生きていたいって思えたよ…
ウンさんのりょうり…たべたかったな…みんなに食べさせたかった…
エルも…エルのおとうさんとおかあさんも守れなかった…
ロドスにきてからも…結局誰もたすけられなかった…
やくに…たてたよね…?みらいの誰かのやくに…
いきのこったいみ…あったよね…?
…。
かあさん…
やっぱり…かあさんはかあさんだよ…
かあさん…ぜんぶしってたんだね…しってたのに…
…。
ごめんなさい…おれ…かあさんがまもってくれたのに…
エルにも…おじさんとおばさんにあやまらないと…
でも…そのまえに…すこしだけでいいから…
かあさん…あいたかったよ…
さみしかったよ…
かあさん なまえ ありがとう……
たくさんのひとがよんでくれたよ
ともだちたくさんできたよ…
おれ
しあわせだったよ かあさんが
まもってくれた おかげで
あったかい…
ちゃんと…あやまりにいくから…
ゆるして
くれなくても
えるに
あやまりにいくから
だから
もうすこし このまま…
ラク…!
かあさん…おれも…だいすき…
はや……昇圧…を…!
はなしたいこと…たくさんあるんだ…
輸血急げ!細かいこと気にしてたら死んじまう…!
かあさん…? かあさんはどこ…?
内部の損傷は私のアーツでなんとかします…
ここはどこ…?
麻酔準備…!切開して応急処置して本艦までもたせてみせる…!
「アー……?」
ラク…!?
「か…さ…ぅあ……ど…」
「ラク!ラク…!俺の言ってることがわかるならしゃべるな!」
「麻酔準備できました!」
「よし、ラクから目ぇ離すなよ。いつ呼吸困難になってもおかしくねぇ。おいラク、いいか、もう1人で寝れるだろ?もしお前がまた目覚められたらお前は助かったってことだ。いいな?それじゃ、いい夢みろよ。」
麻酔で再び意識が落ちる直前、ラクリマは握られていた手を握り返し、微かな笑みを浮かべた。
○○○
崩落現場から救出された生存者以外の感染者は各地のロドス保有施設に順次移送され、救出された重傷者は特殊患者治療室に運ばれる。
ラクリマのクローンであり、生存者である試験体05の病室には彼をそのまま幼くした少年が見舞いに来ていた。
「…イルジオ。」
「05兄さん…父さんの右腕と右足がなくなっちゃった…」
「俺を庇ったんだ。それで生きてるだけマシだ。…06はどうなった。」
「ロドスの人は教えてくれないの…どうして気にするの?どうして…」
「生き埋めになって助かったのは06の近くにいた俺と父さまとあいつだけ。直前に、06は何かのアーツに目覚めて自分の体を強化していた。俺たちにも影響があったのかもしれない。」
「あの人が助けてくれたの?だから協力したの?」
「さあな。…悪い、もう休ませてくれ。」
崩落時すでに地上にいたが特別に滞在を許されているイルジオ以外は脅威になる可能性があるとして最低限の情報しか与えられず、またイルジオも含め監視と制限が続いている。
そして、オペレーターたちの決死の救命活動により一命をとりとめたラクリマは彼らとは別のフロアの集中治療室に、酸素マスクを着け体を固定された状態で寝かされていた。
「う…」
「…わかるか?」
「けるしー…せんせ…」
ラクリマはせき込んだ。なかなか治まらない。
「落ち着け。ゆっくり深く吐くんだ。…麻酔が切れるタイミングを見計らって来てみたが、本当に目覚めるとは。君の物理強度には間違いなく優秀の評価が付くだろう。」
ケルシーはいつものように資料を手に取って、彼の意識が定まるのを待った。あるいはそのまま落ちてしまうかもしれなかったがそれでもかまわなかったし、むしろこんなに早く目が覚めることの方が異常だ。
それでも彼は、しっかりとした視線を送ってきた。
「ラクリマ、はじめに言っておこう。粉塵を吸い込んだせいで気管支炎を起こしているし肺にも損傷がある。返事はするな。黙って聞け。」
全身打撲、頭蓋骨骨折、肋骨5本とその他十数か所の骨折、内臓破裂等臓器の損傷、肺挫傷。最初に保護した時よりもずっと酷い状態であると告げられる。
「君は運が良いのか悪いのかわからない。君がクローンであり、そしてもう一人の君のクローンが君よりかは軽傷だったから君は助かった。T05MFⅡ、彼の血液と臓器がなければ間違いなく死んでいただろう。」
クローンであるから薬を使わなくとも拒絶反応が起きない。つなぎ合わせればすぐに再生が始まる。よって肝臓以外の臓器でも部分移植によっていわゆるちぐはぐ状態にすることが可能になった。
前代未聞である複数の臓器の部分移植は、ケルシーとア両名が執刀医になって摘出と移植を同時に行う前代未聞の処置によって成功を収めることになった。
救出時からぶっ通しで救命活動を続けていたアは休養していた。
「ラクリマ、まだ大丈夫か。」
「はい…」
「なら今話そう。ラクリマ、君がしたことは確かに英雄的行為だったかもしれない。だが、君はブレイズに従う義務があった。君がしたことは命令違反だ。ブレイズがその気になれば簡単にエレベーターを破壊して君の元へ行けただろう。そうしなかった理由は?君1人の勝手な行動のためにチーム全員と護衛対象を危険にさらすことになるからだ。彼女にとってこれがどれだけ残酷な決断かわからなかったのか?」
そして崩落後、単独で地下に戻り瓦礫を切り裂きながら貧血になるまでアーツを使ってラクリマを探し出した。
「君の、自らが複製体であると聞かされた後の精神状態を考慮しても、あの判断は賢明とはいえない。幸い君は命拾いした。二度とこんなことはするな。」
「ごめんなさい…」
彼が衰弱していなければ、少なくともあと数十分は説教を続けていただろう。ケルシーはため息をついた。
「あの研究所、一人の科学者が建てるには規模が大きすぎる。しかも2つ目だ。機密情報になるから深くは教えられないが、あの研究所のデータベースや関係者への聞き取りで、裏で君の制作者を煽り資金資材の援助を行っていた者がいることが分かった。今後ロドスだけでなく、大陸の脅威となりうる存在だ。ロドスに近づいたのも彼の企みがあってのことだろう。君の独断によってその計画の内のひとつがとん挫した。ロドスに付け入る隙を潰し、将来のリスクを排除した。一定の評価には値する。」
無駄じゃなかった。今の彼にはその言葉のほうが大事なのかもしれない。
「だが、体は大事にしろ。クローンであることが使い捨ての道具になる理由にはならん。遺伝子なんぞ血筋と同じ、多々ある個性の内の1つに過ぎない。それと、君は君が思っているより慕われていることを忘れないでほしい。」
「はい……あの…ケルシー先生…」
「どうした…ゆっくり話せ。声もあまり大きくするな。聞こえている。」
「俺に…やっぱり…あるんですね…あいつの…メフィストの……」
「今までは推測だった。だが今回の件で確信した。君が生き埋めになった際、無意識に、というより意識を失っている状態でなんらかのアーツを使って肉体へのダメージを軽減した、のだと思う。残っている意思が君の死を回避するために。しかしその意思が君を再び蝕むとは考えづらい。既にロドス屈指の術師が感知できないほど君と同化しているんだ。もし君に影響を与えるというならとっくに起こっている。」
「はい……」
特に不安がる様子も見えず、彼の精神の回復がうかがえる。
「…詳しくは後だ。今は休め。当分は面会できるオペレーターは制限する。今の君は風邪も命取りだ。ブレイズには治ってから謝りに行け。それと言い忘れていた、その点滴に痛み止めは入ってるが、つらいと感じるようなら呼んでくれ。」
ケルシーが部屋を出て、静かになる。灰色の天井、動かない体。まるで時が戻ってしまったようだ。でもあの時と違って穏やかな気持ちだった。
また生き残っちゃったな…。
その事実にこんなにも安心する日が来るなんて、と思ったが、可能性があるならそれにすがりたいというのはあの時と変わっていない。
そんなことを考えていると誰かが自分の身体をごそごそと触っていることに気がついて、そこで初めて自分が眠っていたことに気がつく。
「ア……」
「おっ、動くなよ。包帯変えてるんだ。…なーんでこんなことまでやらなきゃいけないのかねぇ、担当だからって、別にこれは誰でもできんだろーが。」
いつもの彼。前も同じようなことを言っていたが、巻き方はとても丁寧だ。
「ケルシーさんがお前と話したって言うから少し張り込んでみたけど、結局3日寝てたな。」
「そんなに…?」
「その身体でもう既に話せる方が驚きなんだが。…ったく、お前は俺の研究と実験の時間をどれだけ奪えば気が済むんだ?お前を治すのは2度目だが、3度目はないかもしれねーぞ。」
「…ごめん。」
「…よし、終わった。水はそこにある鳥籠についてるあれみたいなやつから飲め。無理に頭動かすなよ?気持ち悪くなったりとか、そーじゃないんなら意識して飲め。なんでもいいから胃とか腸に刺激やっといた方が良い。」
「うん。」
「正直、お前がどれくらいで回復するのかは見当もつかねぇ。特に内臓の方はな。もしかして腹減ってたりする?」
「ううん、今は特に…」
「じゃあまだだな。またウンに頼んでやるよ。両腕骨折してるお前にあーんするのは俺の柄じゃねーし。どっか痒くなっても無理に動かすんじゃねーぞ。あと尻尾。お前尻尾も骨折してるんだから気をつけろ。」
「うん…ねぇ…移植の話は…聞いた…もう1人の方は…」
ラクリマが少し苦しそうに、途切れ途切れに話すとアは少し呆れた顔をした。
「おめーなぁ、この後に及んで他人の心配かー?…05だっけ?頚椎も脊椎も折れたから一生車椅子だな。内臓はそうでもなかったからお前に移植できた。ちょっとずつ切り取っただけだから健康に影響はない。イカれた所長は右手右足が潰れて切断。チビは無傷だ。…お前の近くにいたやつはみんな助かった。それ以外は死んだ。お前がやったのか?」
「わからない…ただ、あの子が…悲しむんじゃないかって一瞬……」
「ま、その辺は俺の知ったこっちゃないけどさ。そんじゃ、もういくぜ。」
「あ…待って。」
「なんだ?」
「もらった薬…すごかったよ。あれの…おかげで…助かった。」
アは耳を伏せて笑った。
「だろ?なかなか認可降りねーから今度証言してくれよ。でも、もう特攻には使わないでくれ。」
「うん。約束する。それと…」
「まだなんかあんのか?」
「ありがとう。あの時、手、握っててくれて。」
「…記憶にねーな。人違いだろ。んじゃ。治してもらってありがたく思うんなら無駄口きかねぇで寝るんだな。」
「…うん。」
彼に言われるまでもなく、少し言葉を発するだけで体力がごっそり持っていかれたことが自分でもよくわかる。目を瞑るとスッと意識が遠くなって、ラクリマはまた2日間眠り続けた。
次に目が覚めると、部屋には鳥を模した折り紙が束になって吊るされていた。噂を聞きつけた子供達が作ってくれたらしい。部屋には心落ち着く花の香りも漂っている。
その日以降ラクリマは毎日目覚めるようになり、起きている時間も安定してきたのでお待ちかねもやってくる。
「やぁラク君…無事で本当に良かった…」
「ウンさん…すみません、心配かけて。」
遺伝子完全一致の相手からの移植と、持ち前の丈夫さも相まってこの日から療養食を食べても良いという判断が下された。
「…なんだと思う?」
「乳粥ですか?」
「正解。カルシウムもたくさん入ってるからね。お腹にも優しいし。」
米をミルクと少量の砂糖でドロドロになるまで長時間煮込んでから香辛料でほのかに香り付けしたもの。ウンはペッローだが以前アに作った際にフェリーン好みの味付けを会得したらしく、ラクリマもこれが好きだった。
「苦しくなったらすぐに言ってね。」
慎重にリクライニング式ベッドを起こして彼の酸素マスクを外す。療養食のレパートリーだけでなく介護スキルも身に付きそうだった。
レンゲですくい、うちわで仰いで冷ましてから彼に食べさせる。
「…大丈夫?」
「はい…美味しいです。本当にありがとうございます。」
「気にしないで。」
ラクリマだけでなくウンも以前彼に食べさせたときと重ねる。彼の表情は柔らかで、以前よりも幼くみえる。きっと心を開いているということだろう。
「あの、ウンさん、」
「なんだい?」
「今度、作り方、教えてくれませんか。」
「もちろん。いつでも声かけて。」
ラクリマがもう十分だと伝えたので口をゆすがせて、アから預かった認可済みの薬を飲ませた。
「あと2時間くらいしたらアがくるから。」
頭を撫でようとして、下手に触るなと言われていたことを思い出し頬を撫でる。
「おやすみ。ゆっくり休んで。」
「はい。ありがとうございます。」
ラクリマは嬉しそうに微笑んだ。
○○○
ロドス本艦、ドクター執務室にアーミヤから新しい書類が提出された。
「物理強度"優秀"、戦場機動"普通"、生理的耐性”標準”、戦術立案”普通”、戦闘技術”優秀”、アーツ適正”卓越”。この子が戦闘支援オペレーターを志望?」
「はい。動ける支援オペレーターになりたいそうです。近接戦闘はニアールさんとワイフーさんが訓練していますし、その他クロスボウや拳銃の訓練の成績も基準をクリア、医療アーツもそれなりに扱うことができるようです。」
「…その医療アーツと、ここに書いてある特異なアーツ…対象に直接触れるか、感染者であれば血中の鉱石を媒介にすることでアーツを流し込み神経伝達に一時的な障害を与える能力は特殊感染者だったときの名残りか。」
「本人による証言や様々なテストの結果、そう判断されました。このアーツは既に無害化され、ラクリマさんと共存関係にあるといえる、とケルシー先生もおっしゃっていましたし、問題ないと思います。本人もあまり使いたくないと。」
「そうか。」
正直、こんな子供は艦内オペレーターか後方支援オペレーターになって欲しいものだとドクターは漏らす。
「万能、悪く言えば器用貧乏。とはいえ対応できる物事が多いことは強い武器になるな。高い能力を持っていながら支援オペレーターに志願するところ、覚悟もあるようだ。」
「それは…はい。確かにそのようです。療養中に、自らができる最善のことをについて熟考した結果この結論に至ったということですが、備考欄を見てください。」
「両肺の計3割を切除。なるほど、確かに前線に出るにはハンデとなる。…で、今彼は任務中だっけ。」
「はい。復帰後はじめての任務です。ニアールさんとスカイフレアさんのチームの支援要員として参加しています。明日には戻るはずです。」
○○○
「助かりました…一時はどうなるかと…」
シエスタ郊外の火山で不審な動きがあるとシエスタ市長からの正式な調査依頼。蓋を開けてみると、オリジムシの特異個体、通称ポンペイの兵器利用価値を調べるためにサルカズ傭兵集団がその捕獲を試みていたのだ。
ある程度予想されていたので強襲担当のオペレーターも参加しており危機に陥るようなことは無かったが、戦線から少し離れたところに待機していた医療・支援チームの元に複数のアーツバードとそれを操る術師が襲来。ラクリマがクロスボウでアーツバードを撃ち落とし、襲撃者と渡り合って応援が来るまでの時間を稼いだ。
「連れてきて正解だったな。よくやった。」
「マドロックさん達が来てくれたおかげですよ。」
「だが私が到着するまで持ち堪えた。相手も支援隊は手薄だと油断していたとはいえサルカズ術師相手に、医療チームを守りながらタイマンを張れるとは上出来だ。」
ニアールとマドロックに褒められたラクリマは素直に照れる。
「ところであなた、術師に転職する気はおありで?是非とも私の元で鍛錬すると良いですわ。」
やや食い気味の某火炎系アーツの術師にニアールは呆れた顔をした。
「スカイフレア…彼がさっき使ったアーツは…」
「えぇ知っていますとも。ですがこの子はきっと素晴らしい術師になるでしょう。べ、別に彼の特異的なアーツに興味があるわけではありませんわ。」
「支援隊が許さないだろう。なぁ、」
支援隊の護衛を行なっていた他のオペレーターも頷いた。
「是非今後も我々の元にいて欲しいです。」
「…さぁ、報告は我々の仕事だ。ラクリマ、お前はもう休め。」
ロドス本艦からの迎えが来るまではシエスタ側が用意したホテルでゆっくり過ごし、戻るとアーミヤとドクターが待つ執務室に向かった。いわゆる新人面談というやつである。
「お疲れ様でした。トラブルがあったようですが無事で何よりです。仮オペレーターとしての任務は2度目ですが、今後の考えに何か変化はありましたか?」
「確かに今回もちょっと危なかったですけど前と違って1人じゃなかったですし、ニアールさんを相手にする時と比べれば全然…。」
それはそうだ、とドクターは頷く。
「怖くないと言ったら嘘になりますが、前線の人たちに比べればずっと安全ですし、それに…なんていうか、充実した気分です。やっと、誰かの役に立てた。…なので、これからも続けさせてください。」
しっかりとした口調と目線。これからの自分を見据えた彼はもう折れることはない、と思わせるような雰囲気にアーミヤも微笑んだ。
「…わかりました。コードネームも、この書類にあるもので大丈夫ですね?」
ラクリマが頷くとアーミヤは書類にサインをしてドクターに手渡し、ドクターが最終チェックをしている間にアーミヤは机に伏せて置いてあった写真を手に取る。
「ラクリマさんが任務中、放浪していた旧レユニオンのメンバー数人がロドスの事業所に保護されました。その内の1人が、以前ケルシー先生が検索した条件に一致したという報告がPRTSからありました。」
アーミヤに差し出された写真を受け取って、その中に砂だらけのフェリーンの少女を見つけたラクリマは膝が抜けたようにへたりと地面に座り込む。彼女はよく手入れされているシンプルな首飾りを着けていた。
「あなたのことを聞いた彼女を泣き止ませるのに15分はかかったそうですよ。自分はまだひとりぼっちじゃなかった、と。」
「ラクリマ、」
書類チェックを終えたドクターに呼ばれて、ついさっきまでの成長した雰囲気から一転、ぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「ロドス特別支援オペレーター、コードネームT06MFⅡ。おめでとう、訓練生卒業だ。療養期間を除けば稀に見る早さだ。さて、昇進祝いと、今回の任務に予期せぬ危険が発生したその補償として、10日の休暇をあげよう。好きに過ごすと良い。」
「ありがとう……ありがとう……ございます……」
「明日は何をしようか」 完