ソードアート・オンライン インテグラルファクターX ーアインクラッド・メモリーズー 作:No 77777
正式サービス開始
2025年5月4日
「……はあ、調子に乗ったな」
「うん、思ったより疲れたね」
今、リクとコハルはベンチに腰掛けて休憩中である。
二人は上野駅を出た後、予定通りデートで上野恩賜公園を見学することにした。 様々な建物や偉人の像を見て回った後に不忍池でスワンボートに乗ったのだが、ノリに乗ってペダルを力いっぱい早く漕いでしまい、バテてしまったのだ。無理もない。帰還者は二年以上も寝たきりで体力が落ちており、ようやく日常生活ができるレベルになったのだ。疲れやすくなったのは当然である。
「ちょっと喉乾いちゃった。何か飲み物買ってくるけど、リクは何か飲みたいものある?」
「そうだな。スポーツドリンクを頼む」
「うん、分かった。ちょっと待ってて」
コハルはベンチから立ち上がると、飲み物を買いに行った。
(あ、こういう時って、彼氏の方が行くべきだったんじゃ……)
コハルの姿が見えなくなってからリクはふと思った。だが、もしかすると今日は特別な日だから気を使ってくれたのかもしれない。それなら少しは彼女に甘えてもいいだろうと思い、ポケットからスマホを出して時刻を確認する。
十二時二十五分。午後一時まであと、三十五分であった。
「あの日サービスが開始したのも、一時だったな」
リクの口から、そんな言葉が溢れた。
* * *
2022年11月6日
時刻は十一時半、少年が自宅のリビングで昼食を摂っている。メニューはカップ麺とサラダ。昨日予めコンビニで買っておいたものだ。
なぜそんなに早い時間帯に食べるのか? なぜそんな簡素な食事なのか? それはやりたいことのために、時間に余裕を持っておきたいからだ。
ソードアート・オンライン。通称SAOと呼ばれる世界初のフルダイブ型VRMMORPGが今日の午後一時にサービスを開始する。このゲームを遊びたい人達は、初回ロットの一万本の内の一本を手にするために必死になっていたのだ。見事に手にした人々はさぞ幸運であろう。
今昼食を取っている少年――
SAOは八月上旬から十月上旬の二ヶ月間にベータテストが行われており、それをプレイする権利が応募した人たちの中から抽選で千人に与えられる。しかも正式版パッケージの優先購入権を得られるという特典付きである。
駆はMMORPGが好きなわけではない。体を動かすゲームはプレイしているが、SAOは仮想世界に入って体を動かすという、今までにないものだった。そこに惹かれてダメ元で応募してみたが、見事に当選した。
応募はネットで一人一回のみ。総数は十万人近くに上る。当たる可能性が運だけで左右される上に百人に一人の確率なので、難関大学に合格するよりも厳しい。まさかその狭き門を掻い潜ることになるとは駆自身もビックリであった。
「ごちそうさまでした」
食事を終えた駆は手を合わせて言うと、手際よく片付けを始める。
現在、家にいるのは駆一人だけ。駆は両親と双子の姉の四人暮らしで、両親は揃って買い物へ、姉は気晴らしで友達と遊びに出かけている。仮に誰かいたとしても、食事の後片付けは最低でも自分で台所の流しまで持っていくのが大地家のルールなのだ。とはいえ今は、カップ麺のスープを流しに、割り箸や器をゴミ箱へ捨てるだけなので手間は掛からないのだが。
片付けを終えた駆はトイレに向かおうとしたが、リビングの棚に飾られた数々のトロフィーと優勝カップに目が行く。
駆は、姉と共にプロを目指していたテニスプレイヤーであった。姉弟揃って才能に恵まれ、かつては互いに励まし合い、共に大会を優勝して栄光を手にしてきた。
だが今はもう、それを手にしているのは姉だけである。
三年前の学校の帰り、テニス部の仲間たちと共に途中にある公園の前を通ろうとした時であった。
入口からサッカーボールが転がってきたのだ。それはそのまま道路へと向かっていった。
駆は何か嫌な予感がした。それは的中し、ボールを追うように子供が出てきたのだ。まだ幼いこともあって、左右を確認せずに道路に飛び出した。明らかにボールしか見えていない。さらにタイミングの悪いことに、車が子供に向かってくる。
気づいたときには、駆の体は勝手に動いていた。
通学用カバンとテニスラケットを投げ捨て、車にぶつかりそうになる子供に向かって走った。やがて姿勢を低くして子供を歩道の方へと素早く押し出した。そして……
駆の右肩に衝撃が走った。
その場にいた仲間たちが呼んだ救急車で、駆は病院へと運ばれた。命に別状はなかったが、後に医師から残酷な事実を突きつけられた。
右肩はもう、元には戻らない、と。
もう過去のことだと割り切ったつもりでいた駆だったが、なぜか今日に限って昔の栄光の象徴が気になってしまった。気がづけば、元に戻らない右肩を左手で触っている。
高校に入ってからは普通の高校生になろうと思って今どきの若者らしいことをしていたが、心から楽しむことはできなかった。
本当は分かっているのだ。ただ夢を諦めざるを得ないことから目を背けていることを。これからVRの世界に入ろうとしているのもそうなのだ。
(いや、ネガティブになるのはよそう)
駆は気持ちを切り替えた。ベータテスト時代、仮想世界での未知なる体験で感じた、久しぶりにワクワクしたあの気持ちに偽りはない。
それに、もしかすると……
ふふ、楽しみにしてる。
最終日に出会ったあの少女が今日、向こうの世界で待っているかもしれない。あの日戦い方を教えてほしいと頼まれて指導し、初めてモンスターを倒したときの彼女の笑顔は今も覚えている。
別れ際に再開を期待する言葉を交わしてから一ヶ月、彼女と浮遊城を冒険するこの日を心待ちにしていたのだ。たとえ現実から逃げているのだとしても、今は楽しむことにしよう。
トイレを済ませ、時間潰しにリビングでコッップ一杯分のジュースを飲みながらテレビを見ると、丁度ニュースでSAOの話題が取り上げられていた。
数日前の映像だろう、ソフトを購入できた人たちが集まって嬉しそうにパッケージを自身の笑顔と共にテレビカメラに向けている。他にもスタジオにゲストとして呼ばれた芸能人やコメンテーターが和気あいあいとしたトークを聞いているうちに、時刻はサービス開始の一五分前になっていた。
体調は万全、不調でログアウトする事態にはそうそうならないはず。そう判断した駆はテレビの電源を切ってコップを片付けると廊下に出て階段を上がり、自分の部屋へと向かう。
中に入ると、予め自分の勉強机の上に置いてあった濃紺の流線型のヘルメット――ナーヴギアを両手で取ってベッドに腰掛ける。電源を入れて被ると顎の下でハーネスをロックしてシールドを下ろし、そのままうつ伏せで横になって開始時刻を待つ。
シールドの左上に表示されている時間は午後十二時五〇分。残り十分の間に駆は思った。あの少女は約束通りに来てくれるのか? もし再開できたら、まずは何をしようか? どんな冒険が待っているのか? 自分はどれほど向こうの世界で強くなれるのか? そんな期待と不安の感覚を感じているうちに、時は来た。
午後一時。ソードアート・オンライン、正式サービス開始の時刻である。
駆は待ってましたと言わんばかりにナーヴギアの内側で笑いながら瞼を閉じ、仮想世界へ旅立つための言葉を唱えた。
「リンク・スタート!」
言った途端、視界が真っ暗闇になった。この時点で視神経からの入力はキャンセルされたのだ。目の前はすぐに真っ白になり、奥から色とりどりの光の棒がこちらに向かってくる。否、まるでこちらが向かっているような感じである。向こうの世界へ引っ張られているのをイメージして作られたエフェクトだろう。
それが終わると各種感覚の接続テストの画面が一つ一つ出現し、それぞれOKマークが表示される。一つでも異常があるとゲームのプレイに支障が出てしまい、最悪の場合はダイブすらできないこともある。
だが駆はベータテスト時に何度も行っており、その度に異常なしという結果になっているため、当然問題はなかった。
次に言語の選択だが、当然日本語。選ぶとログイン画面が表示され、出現したホロキーボードでアカウントとパスワードを入力する。
最後に待っているのはキャラクター登録であり、ここでSAOで活動する借りの肉体――
βテスト時に登録したデータが残っていますが、使用しますか?
ベータテスト時のステータス自体はリセットされてしまったものの、使用していたアバターだけは引き継げる。また一から作るのは面倒なので、これも当選した人たちの特権である。
何より、外見が違っていては目的の人物に見つけてもらえない。なので駆は迷わずYESを選択した。
ウインドウが消えて画面が灰色になると、
Welcome to Sword Art Online!
と表示された。仮想世界に入るための準備が終わったということだ。青白い光と共に吸い込まれるようなエフェクトが発生し、それがしばらくの間続いた。大方、駆と同じように開始時刻とほぼ同時にログインしているプレイヤーが多いせいで回線が混雑しているのだろう。
やがて真っ白になって瞬時に風景へと変わった。視界に映るのは広大な石畳、周囲を囲む街路樹、瀟洒な中世風の町並みであった。更に正面遠くには黒光りする巨大な宮殿が見える。ベータテスト時に見慣れた第一層の主街区『はじまりの街』である。
ついに浮遊城アインクラッドに戻ってきた。
SAOのプレイヤー、リクとして。