ゆっくりと本でも読もうと考えていたのに、突然来た紫さんのせいで私の予定は儚く消えた。それにしても同じ日に二度も来るなんてことは今まで一度も無かった。
急いている様子を見るに相当緊急性の高い厄介ごとを引っ提げてきたのではないかと思う。
嫌な予感というものは得てして当たるもの。その例に漏れず私の予想は見事に当たってしまったようだ。
「貴方、地上に出るのが解禁になったからと言って地上にちょっかいを出してない?」
そんな紫さんの言葉。そんなことを聞いてくる意図が全く読めない。話もつかめない。
私が地上に出ることはおろか、地霊殿から出ることすらあり得ないというのに何を言っているのだ。そう思っても仕方ないと思う。紫さんもそのあたりの事情は知っているはずなのだが。
「そんな愚かしい事はしませんよ。私はただ平和に暮らせればそれで良いのです。地上に興味は無いですね。それとも何ですか? 地上で私を見たとでも?」
それこそあり得ない。わざわざ私に扮する者がいるとは思えないからだ。覚という種族の扱われ方を見れば、それに似せるメリットは皆無であろうという事は容易に分かる。
だから紫さんがこれ程までに急いている理由が分からない。約定の破棄の後まだ数時間しか経っていない上に私は全く地上に干渉した覚えがないからだ。
「……ええ、まあそういう事よ。フランドールを覚えているかしら? ……そう、そのフランドール・スカーレットであっているわ。あの子の部屋に古明地さとりを名乗る妖怪が侵入した、と紅魔館の連中がお怒りなのよ」
もちろんレミリアを除いてだけれど、と付け加える紫さん。
待て待て待て。これに関しては本当に身に覚えがないぞ。紅魔館に行ったのだってもう数年も昔。それも一度だけ。フランドール・スカーレットにだってあの時一度しか会っていない。
私は完全に無罪。冤罪もいいところだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。私が紅魔館の地下に? 行くわけないじゃないですか。そもそも地下に行くまでに咲夜さんやらに気づかれますって」
「確かにそうなのだけど……これは十六夜咲夜から聞いた話なのよ。あの人間が、わざわざ貴方を殺すためだけに嘘を吐くとは考えにくいでしょう? まあ彼女自身もフランドールから話を聞いたようだけど」
咲夜さんが私をぶち殺すためだけに嘘を吐くかどうか、か。可能性としては割と捨てきれないのではないか? あそこまで冷徹な人間はなかなか見ないと思うが。
まあ今回はそうではなさそうか。自分の嘘に主の妹を巻き込むとは流石に考えにくい。
で、レミリアさんはどうせ私ではないと分かっていながら知らないふりをしているのだろう。あの吸血鬼もあの吸血鬼で良い趣味していると思う。分かっているならばそう言って私を助けてくれればいいものを……。
「もしかしてあれじゃないですか? フランドールさんの幻覚。あの子は確かかなり気が触れてましたよね。虚像でも幻視したのではないですか?」
私の中ではこれが最も可能性が高い仮説だ。会った時は会話すらもまともに通じなかった子。レミリアさんに言わせても気が触れていて危険な妖怪。
あまりにも長く一人でいたせいで所謂イマジナリーフレンドが構築されていてもなんら不思議ではない。それが私の姿である可能性は極めて低いと思われるが。
何故一度しか会っていないような弱小妖怪を幻視するのか。そのメカニズムは私でもいまいち分からないことだ。
「しかしこのままでは埒が明きませんね。レミリアさんを呼んでください。どうせ暇でしょうから今すぐにでも」
咲夜さんも少なからず紫さんの事を警戒しているだろう。故にフランドールさんの話、その全てを語ったとは思えない。あくまでも地底に殴り込むための足を確保するために、仕方なく打ち明けたものだと思われる。
幻想郷の危機になり得ることならばすぐにでも動くと考えていたのだろう。咲夜さん側の誤算は紫さんがワンクッション挟んだことかと思う。
紫さんとの付き合いの浅さが垣間見えるような甘い認識だ。紫さんが考え無しに行動することはまずあり得ない。状況証拠がある場合は別だが、ただ伝え聞いただけの話ではそんなにすぐ行動せず、まずは裏をとることから始めるだろう。
紫さんの能力故にいざとなれば即行動することも可能だからだ。わかりやすいスロースターター。それでも間に合うからそうしている典型的な強者だ。
▼▼▼▼▼▼▼
唐突に地霊殿に召喚されたレミリアは全く驚いた様子も無く、怒った様子も見せなかった。こうなるであろうことが事前に分かっていたような様子……否、実際に分かっていたのだろう。
「さて、何のご用件かしら?」
余裕綽々、と言った風に気取って尋ねるレミリア。
と言っても良いのは外面だけ。内面はかなり緊張しているようだ。何せ紫はレミリアの天敵。いくらさとりが同席していると言っても紫の前で失言は許されない。
故に心臓はバクバクだが何とか上辺だけは取り繕って澄ましているようだ。それが分かっているさとりも指摘するような事はしない。
さとりが厭味を言うのは基本的に敵対している時のみだ。だからレミリアも含め、友人と呼べる者たちがそれなりにいるのだろう。
「ええ、その事であっていますよ。それにしても……ふむ、紫さんから聞いた事以上の事はレミリアさんでも知りませんか。……いやそうでもない? もう少し思い出せませんか?」
予想とは異なり、レミリアも紫とほとんど同じことしか聞いていなかったのかと一度は落胆したさとりだったが、どうやら何か手掛かりになりそうな記憶が見つかりそうになったらしい。
もう少し思い出せと言われたレミリアは何を思い出せばいいのかがよくわかっていないようだ。
さとりからすれば咲夜との会話を今一度思い出せば良いと言ったつもりだったようだが、明らかに言葉足らずである。
これで文句を言われるのがレミリアなのだから理不尽にもほどがある。結局はさとりが強引に思い出させる方法で解決することにしたようだが。
「想起……………………ふむ、ふむ……なるほどわかりました。どうやら犯人はこいしで間違いなさそうですね。証言が明らかにおかしいですから」
咲夜が紫には語らずレミリアにだけ語っていた事実、それはフランドールが名前を思い出せなくなっていたから記憶を弄られたのだろう、というものだ。
「こいし……さとりの妹だっけ。心は読めないんだったわよね。どんな能力を持っているの?」
「無意識を操る程度の能力です。普段生きている中で使っている意識とは対極に存在する無意識。故に普通ならばあの子に気づけるはずはないんです。あの子が自ら干渉すれば話は別ですがね。恐らくフランドールさんはこいしと関わったんでしょう。普通ならあの子の名前も思い出せないはずなんですがねえ」
それこそよほど彼女と親密でない限りは。会えば記憶が戻ってくる。だが会わなければそこだけ記憶が抜け落ちる、そこにいるのにまるでいないかのように扱われるのだから普通の感性を持つ者たちならばまず精神はもたないだろう。
それでも笑っていられるこいしの事がさとりにはいまいち理解できない。覚妖怪
「へぇ? もしかしたらフランと相性がいいのかもしれないわね。姉同士、妹同士で丁度良いんじゃない?」
「咲夜さんはじめ紅魔館の皆さんは決して許さないと思いますけどね……おや、この神力は?」
「守矢の二柱ね。今日の地霊殿は千客万来だわ。と言っても普通に中庭の方に抜けて行ったみたいだけれど。用があったのはあの地獄鴉ね」
スキマを覗きながら情報を追加する紫。
他人のペットに手を出しておきながらその主には何一つ言わないどころか顔も見せない徹底ぶり。不可侵条項など知らない二柱は今日も無断で地底に降りてきたわけだ。
紫にレミリア、そして守矢の二柱、と普段地上から人の来ない地霊殿に対して今日は千客万来だと言った紫。しかし談笑する三人はまだ気づいていなかった。もう一人、音も無く近づいてくる者がいることに。
▼▼▼▼▼▼▼
「やあいましたねパルスィ殿」
「誰……ああ戒ね。こんにちは。こんなところで会うなんて珍しいじゃない。普段ここを通る奴なんていないわよ? 部外者で言えばこの前の人間たちが最後ね。何しに来たの? 貴方の事だからただの散歩ではないと思うけれど」
正直に言えば私の事をこんな風に呼ぶのが戒くらいしかいないから声をかけられた瞬間に誰かは分かっていた。まあこれも一つの挨拶のようなものだ。
それにしてもこの子がこんな
「えぇ実は地上との往き来が自由となったんですよ。今朝付で約定の破棄が為されました、という報告を。……いえいえ、パルスィ殿も関係なしではいられないかもしれません。橋を通る者はまず間違いなく増えるでしょう」
うわ、面倒くさい。
この橋はいわば自分しか知らない秘境のような存在。好きだからここにいる。自分だけの場所だと思っていたのに、そこに大量、とは言わずとも今まで訪れなかったような奴が来るようになるのだ。誰だって良い気はしないだろう。
しかし遂に例の約定が破棄されたか。八雲紫とこいしだけ特例でいたとはいえ、いずれはこれと同じノリで完全撤廃になるのではないかと思っていた。それでなくとも萃香やさとりも地上に出ていたし、つい最近では人間を入れるために一時的に破棄されていたし。
とても面倒だがこれも一応はさとりが決定したこと。何も知らない私たちがどうこう言える立場ではない。それに彼女の性格を鑑みると決して乗り気ではなかったのだろうことが伺える。
本来この約定だって八雲紫を地底から締め出すことが目的だと聞いたことがある。結局はこいしの事を踏まえて八雲紫だけが特例になるというわけの分からない結果になったと言うが。
だがこれに関してはそうなって良かったのではないだろうか。八雲紫がいなければさとりはもう少し楽に生きられただろうが、彼女には少し波乱万丈なくらいが丁度良い。
それに外の情報が手に入るのもありがたいことだ。洋菓子も洋酒も八雲紫がいなければまだ地底には入っていないだろう。
上二人に恩があるからこそこう言ったことにも文句は言えない。流石に仇で返すほど腐っているつもりはない。こんなことを考えるのは恩義に篤い鬼との付き合いが長いからだろうか。
「そんな嫌そうな顔をしても既にさとり様と八雲様が決定なさった事。もう覆りませんよ」
「分かっているわ。それにしても地上、か。私にはまだまだ遠いわね」
地上と地底。精神的な距離がまだまだ遠すぎる。昔は私も地上にいたはずなのに、今となってはそれすら思い出せない。地上の空気も、空の明るさも、月の力も、流れる風も……すべてがもう遠い存在として記憶の彼方にあるだけだ。
今更地上に出たいとは思わない。思えない。数年前地上に出た萃香も結局は地底に帰って来た。それは幻想郷が私たちの求める世界ではないという確たる証拠。少しの迷いはあったらしいけれど。
「その心理的距離もさとり様が埋めてくださるかもしれませんよ」
「貴方にはそれをする気が無いのね」
「私程度ではできないというだけです」
さとりは凄い。見た目はただ幼い妖怪なのに、その頭から生み出される考えは私たちには理解できないようなものばかりだ。神が与えた不公平? 努力の差? 答えは恐らく後者。
常人ならば倒れてしまうような量の仕事を睡眠時間一刻というハードスケジュールでこなすような子だ。今までしてきた努力は計り知れない。
それでもやはり完璧というわけではない。時々動物に埋もれて休憩している時もある。
さとり曰く『こうでもしないとやっていけませんよ』らしい。私は恐らくそれをしてもやっていけないと思う。
「いずれはパルスィ殿も地上と地底を結ぶ懸け橋の姫となるやもしれませんね」
それはそれは……あまりにも夢見た者の意見のようで想像もできない。そもそも私は誰かと積極的に話せるような性格でもない。どちらかと言えば内気。付き合いのある奴か、よほど馬が合う奴でもない限りはお喋りをする気にもなれない。
あの人間二人とはできればもう話したくないかな。あれは地上の顔のような奴らだと思うが、そいつらと馬が合いそうにないのだから地上と地底を私が結ぶことは不可能だろう。
何百年経って世代が変わればまた何かあるかもしれないけれど。
地上と地底をよく往き来していて社交性もありそうな妖怪か。
こいしは次はいつ帰ってくるのだろうか。
こいしちゃんは原作以上にフラフラしているのでほとんど地霊殿に帰って来ません
戒について
戒はさとり様が使役する式神で、性能は藍とは比べ物にならないほど低いです
使役者の実力も紫様とさとり様では桁違いなので、柔軟性が高いのは実は戒の方です。紫様が使役する式は束縛力が強すぎるのです
さとパルいいよね。大好きです