胸糞悪いというより気分悪いが正しいかもしれません
「異常者は健常者と同じ空間で生き続けられないのです。そして貴方は間違いなくこちら側の存在でしょう?」
笑みを零しながらそう告げる。私は性格が悪いと自覚している。真実を突きつけて現実を直視させることに少なからず愉悦を覚えてしまう質なのだ。
実は彼女の相方である宇佐見蓮子も一般人から見れば異常者の類だ。そしてマエリベリー・ハーンもその事は誰よりも理解しているはずである。だがしかし、私の言葉に今この場で咄嗟に反論することはできない。宇佐見蓮子(と早苗さん)が
こんな事をすれば後で紫さんに何を言われるか分かったものではない。私が行おうとしているのは幻想郷の禁忌とされている妖怪化の扇動に等しいからだ。正直に言えば別にする必要も無い。この娘の心は理性の枷を外せばすぐにでも妖怪へと変じそうなほどに揺らいでいるのだから。
幻想に触れても悲鳴をあげないほどには慣れている。外の世界に居ながら目の前にある異常を黙止できるほど感覚が麻痺している。放っておいてもいずれは妖怪に近い存在へと変じていくだろうという確信はある。
それでも『唯一無二の親友と貴方とでは生きるべき世界が違うのだ』というのを直接的に伝えて絶望を味わわせてしまう。妖怪とは本質的に悪なのだ。いくら普段温厚を装っていても、人間を虐めて愉しみたいという本能とも言うべき部分はどんな妖怪でも変わらない。
それがフランドールや宵闇の妖怪のようにむき出しなこともあれば、私や紫さんのように演技で隠していることもある。所詮妖怪は妖怪としてしか生きていけないのだ。
「この時代に生きていることが間違っている。過去はきっと貴方を歓迎するでしょう。世の中の最も偉大なナニカとして。さぁ、想像してみてください。誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも権威がある自分自身を」
今にも崩壊しそうな精神を繋ぎとめているのは親友との絆か。美しいものだ。壊してみたらいったいどんな表情を見せてくれるのだろうか。
しかし、続く言葉はレミリアに阻止された。
「貴方らしくもないわ、さとり。普段の貴方ならもっと冷静なはずでしょう?」
「分かってないですね。この娘はこの時代に存在してはならないモノなのです。私たちの姿を見てもそれほど驚かない。それどころか自分と友人の差異にも鈍感。もはや人間として生きるべきではないでしょう」
神になれる器でもない。もはや妖怪となる以外に生存する道はないとここで敢えて断定する。私たちの会話は当然彼女にも聞こえているので、彼女の中の不安は大きくなる一方だ。しかしそれで良い。彼女の中で感情が揺らぐほど彼女の中の妖怪の部分が勢力を増す。
もしここで彼女が人間として生きる道を選んでしまえば紫さんが消えてしまう可能性すらある。未来を変えて過去を正常にするためには彼女を妖怪に堕とすしかないのだ。
「残酷なものね」
「えぇ。私たちは今、決して触れてはならないはずの禁忌に触れているのですから」
たまらず逃げ出した彼女を眺めながらレミリアの呟きに応じる。
時を渡り、その先に干渉する。唯一絶対神が存在すればそれだけでも私たちを本当の地獄に落としただろう。それほど罪は重い。だが彼女が私たちをこの時代に送り込んだ、その意図を考えれば今の私の行動もあるいは運命に定められたものなのかもしれない。今の私がいるからこそ過去に彼女が存在できているのだと。
彼女の意図するところは私には量り得ない。だからこそ自由に動くことができるのかもしれないし、下手に運命に抗う事がないのかもしれない。
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「どうです、感動的でしょう。今の貴方がいるのは私のおかげかもしれませんよ?」
「話を聞いた限り、痛む心が貴方にあればもう少し感動的に聞こえたかもしれないわね」
さとりが一通りの事情を語り、紫が過去を思い出した。
しかしさとりには一つ気になる事がある。マエリベリーがどのようにして過去に渡ったのか、という点だ。紫の話によれば夢の中でいつの間にか迷い込んでいた、ということらしいのだが、それでは明らかに説明不足だ。
そもそも夢の中で過去に迷い込んでは目覚めて現実に戻っていたということを幾度も経験している彼女のことである。精神だけでなく肉体までもが過去に渡ってしまうためには、たまたまでは済まされない何かがあったに違いない、というのがさとりの考えである。
「貴方は何か隠しているでしょう? だからこそ曖昧に話を終わらせた上で今心を閉じて私の能力を遮断している。違いますか?」
「何も違わないわね。貴方の推測は正しい。私は人間として決して許されることの無い罪を犯した。だからこそ人間としての生き方ができなくなったのかもしれないわね」
さとりの推測に対し、紫は逡巡もなく是と答える。そこまで見透かされるのは彼女にとって想定内だったのだろう。それほど彼女が古明地さとりという妖怪を買っているとも言える。
「でも私がそれを明かすことは無い。これは私の、私だけの罪でなければならないから」
八雲紫には誰にも言う気の無い秘密があった。と言っても先刻思い出したばかりの秘密だが。
~~
まだ八雲紫がマエリベリー・ハーンとして生きていた頃、彼女は自分の人生を大きく狂わせることになる妖怪と出会った。それがさとりである。
幼く、害も無さそうに見える
だができなかった。
『自分は本当に人間なのか?』よぎってはならない疑問が頭をよぎる。普段の彼女ならば決して抱かなかったであろう自分自身への不信感。自らの存在の否定。妖怪的な本能の赴くままに行動していた
手を伸ばしてはならないという理性。見知らぬ世界へ足を踏み入れてみたいという本能。対立する二つの感情に挟まれてどうしようもなくなった彼女ができたことはただの現実逃避。逃げることによって選択を後回しにしたに過ぎない。
後回しにして恐怖から逃げて、しかし本当の恐怖はその先にあった。
「ねぇ蓮子……昨日のあれ、何だったと思う? 天鳥船神社にいた人」
ただの興味だった。蓮子にも唯一見えていたという、メリーたちと同年代くらいの女性について彼女がどう思ったのか、それを知りたかっただけだった。
しかし蓮子から返って来た答えは髪を梳かしていたメリーの手を止めるのに十分な威力を持ったものだった。
「何言ってるのよメリー。天鳥船神社ってあれでしょ? 航海安全祈願か何かでトリフネに内蔵されてる社。メリーなら夢で行けるかもしれないわね。まさか夢と現の境があやふやになって来たとは言わないでしょうし」
彼女の背中に嫌な汗が走る。背中だけではない。こめかみの辺りからじわりと滲み出る冷や汗を止める術はなかった。頭を冷やしてくるなどと適当な言い訳をして部屋を出る。向かう先は勿論住吉神社だ。
大きな鳥居をくぐって人っ子一人いない境内を進む。昨晩とは打って変わって見える境界の量が異常に多い。
夢なのか、現実なのか。ここまであやふやになったと感じたことは今まで無かった。そこにはいつも蓮子という証人がいたからだ。蓮子と一緒に夢のような出来事を経験した時には必ず蓮子を同じ夢に誘っていた。蓮子が夢に出てくる時にはいつも同じ夢を見ていたはずなのだ。
何かがおかしい。自分の体験も、蓮子の言葉も、そして今目の前に広がっているこの光景も。
絶句。まさにそれだった。昨晩まで古びていながらもしっかり建っていた天鳥船神社は跡形もなく消え去り、不自然なまでに平らな土地が残っているばかりだった。参道の石畳は途中で切られたかのように砂の地面へと変わり、階段は切り立った崖へと延び、鳥居のあった場所には場違いな竹が生えている。
天鳥船神社は確かに無かった。そしてこれが彼女を不安にさせた。何故ならば、確かにここに何かがあったということは明らかだからだ。メリーはそれを覚えていて蓮子は覚えていない。そもそも何故ホテルに泊まっているのかさえ忘れた様子だった。
呆然としながらそこに突っ立っていた彼女は思い出してしまった。昨晩目の前で言われた言葉。誰も認識してくれない現実で投げられた言葉。
「『異常者』まさにその通りね。何もかも間違っていたのかもしれない。私はきっと、あの子の横に並び立って良い存在ではなかったんでしょう。
…………私が消えてしまえば……あの子は私の事も忘れてしまうのかしらね」
蓮子だけでなく世界全体から彼女の存在は消滅するのだろう。そう考える始めるや否や急に頭が熱を持ち、今まで考えもしなかったような思考がムクムクと湧いてきた。
(誰からも忘れ去られてしまうのならば、今の私が何をしたとしても関係ないのではないか?)
彼女が無事にこの世界から消えられる保証はないが、何故か彼女はそれができるのだと信じて疑わなかった。今だけの解放感、全能感に中てられているだけなのかもしれない。頭に冷静な部分が残っていれば抑止できた思考なのかもしれない。
しかし、今の彼女を止めるものは何処にも無かった。思考の暴走に水をかける理性は影を潜め、肉体の暴走に口出しして静止させてくれる親友はここにはいない。
彼女が手を突き出した先、まるで初めから分かっていたかのような手つきで空間をなぞった先に新たな次元が現れた。蓮子に言えば面白がったかもしれない。論理的にははるか昔に証明された超弦理論。しかし未だに観測するまでには至っていない四次以上の高次元空間。メリーは今、全ての人類の夢とも言える超空間に手を伸ばしたのだ。
そして、それはもはや彼女が人間を超えた存在になってしまったのだということの証明にもなる。
一抹の寂しさを感じながらもそこそこの諦観を抱いて目の前に開いた空間の中に手を伸ばす。中に何かが入っているかもしれないと思ったからだ。当然何も入れていないのだから何も入ってはいない。当たり前かと入れた腕を抜こうとした矢先、制御しきれなくなった空間が急に閉じてしまった。今しがた初めて使用した境界操作の能力。操作自体に不自由は無くともその力の大きさに慣れているはずもなかった。
「痛っ! ……ってあれ?」
痛いと感じたのも束の間、まるで嘘だったかのように切れて無くなっていたはずの腕先が生えていた。
(高次の空間に切り離されたから三次元に戻った時には影響が無かったのかしら)
この力と性質を応用すれば自分は同時に二箇所に存在できるのではないか? そのような常人ではあり得ないような思考も出てくる。境界をくぐることによって全く別の場所へ瞬間移動ができることは過去の経験から既に知っていたからであろう。
入り口を目の前に作り、出口を少し離れた場所に作る。やり方は教わらずとも分かっていた。腕を入れてみると離れた場所から腕だけが現れる。手を振れば思い通りに手を振る。何とも不気味な光景だが、今の彼女は興味が先走っていた。
今度は自らの意思で境界を閉じる。少し先では持ち主を失った腕が地面に落下する。そこから身体が生えれば仮説は当たったのだが、残念な事に落下した方の腕は光の粒となって霧散し、無くなっていたはずの腕が自分に生えていた。一瞬消えてまた生える。
(古のドッキリみたいなものに使えそうね。そうと決まれば……)
現在時刻は午前七時四十分。月曜日だということもあって駅前では通勤通学の人々でごった返しているが、生憎と今から起こる阿鼻叫喚を予測できるような者はここにはいない。
七時四十五分。本当に一瞬の出来事だった。その場に居合わせた目撃者が二桁以上いたにもかかわらず、その全ての証言は事件の惨状から見て取れる情報以上の物を引き出さなかった。
曰く『急に目の前の人の首が飛んだ』
次に来るリニアを待っていた人々の列の一角。少なくとも三十人の首が一瞬で吹き飛んだ。切り取られた首から血は噴出しているが、飛んだはずの首が何処にも見当たらない。足の踏み場もないほどの血と吐瀉物の海で隠れているわけでもない。
駅に設置された複数台のカメラを確認しても犯人らしき人物は一切映っておらず、スーパースローで見ても首の行方は追うことができない。当然こんな映像を放送に乗せることはできないので、顛末だけを聞いたような事件に特に関係の無い者や遺族たちは警察に無能のレッテルを貼り、目撃者たちは精神病に罹る者が後を絶たなかった。
一方そのころ、別の場所では少女が一人慌てふためいていた。
「ど、どうしよう。これって確かこのホテルの最寄り駅よね……。何故か
とりあえず教授には休みの連絡を入れておいて……適当に観光でもしたらタクシーでも捕まえて帰ろうかな」
そして元凶の少女も。
「このサイレンはもしかして……。あぁ! どうして消えてくれないの?! 早く消えて元あった首に戻りなさいよ! 戻ってよ! ねぇ……!」
彼女の目の前には三十余りの生首が無造作に転がっている。どこの誰とも知らない男女の首。光となって消えるはずだったそれは、数分が経過した今もまだ彼女の前に転がっている。彼女の悲痛な願いも虚しく、それらが消えてくれはしない。
「……逃げなきゃ。証拠が残らないように」
ハッとしたようにそう言うと彼女はそそくさと生首たちをスキマに押し込み、吐き気を催しながらも自分も中に入り込んだ。
彼女は自分の能力だけでなく自分自身をも誤解していたのだ。彼女の腕が急速に再生したのは彼女が妖怪となってしまったからである。切り取られた腕が消えたのは世の理故である。全く同一なモノは同じ時空間に存在してはならないという絶対的な掟がある。
彼女は全てを間違った。余り有る強大な力を手にし、その勢いのまま余興のつもりで数多の命を奪った。彼女の初めての殺人である。これから幾度となく行っていくであろう
永遠の未解決事件を置き土産にして彼女は旅立った。
と言ってもスキマの中で必死に嘔吐をこらえながら横になっていただけである。
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~独白筆記帳~
夢。恐ろしい夢だと思った。夢の中で目が覚めるなんてことはしょっちゅうあったし、その場所が見知らぬ森林だったりすることももはや慣れていたけれど、目を開けていきなり三十余の生首が自分を見つめている光景は流石に見慣れていなかった。
死んでいるはずのそれはしかし、私を取り囲んでじっと見つめていた。まるで私を恨んでいるかのように。いえ、実際恨んでいたのでしょう。
夢の中だという確信があった。明晰夢はそれまでもよく見ていたから違和感は何も無かったわ。でもいつもと決定的に違うモノがあった。私は基本的に悪夢を見なかった。夢の中で怖い思いをすることはあっても、それはいつも何かしらの冒険の結果だったから。
でもあの時は初めからホラーだった。急いで立ち上がって逃げ出そうとしたわ。でもできなかった。首だけのくせにどこまでも追いかけてきたの。今の私なら瞬時に動かぬ物体へと変えられたでしょうけれど、当時の私の心は恐怖が支配していて逃げる以外の選択肢を思いつかなかった。
走り続ければ当然疲れるものよ。ついに立ち止まってしまった私はもはや歩くことも叶わないほどに疲弊しきっていた。もうどうにでもなれと思ってへたり込んだけれど予想に反して首たちは何もしかけてこなかった。見た目通り攻撃手段を持っていなかったんでしょう。何故追いかけて来られたのかは知らないけれど。
襲ってこないと分かれば恐怖は幾分和らいだ。同時にこの世界が自分の元居た世界とは全く同じではないと悟った。明らかに人の手が入っていないような天然の森なんて存在しているはずがなかったもの。その時も私はこれが夢の中の出来事であると信じて疑いはしなかった。夢の中で怪我をしたことがあるくらいにリアルな夢は見慣れていたから。
夢でないと自覚したのは数日経ってからようやくだったかしらね。それまでずっと生首とにらめっこをしていたように記憶している。不思議とお腹は空かなかった。
あまりに長い夢にようやく違和感を覚えた。そんなときに現れたのが腹を空かせた人喰いの妖怪。名前は忘れたわ。もうとうの昔に死んでしまったし。
どうやら生首たちが発する血の臭いに釣られてやってきたみたいだったけれど、その中心にいた私には大層驚いたみたいね。見たことも無いほど力の強い妖怪だ、と言われた。周囲の生首も、私が人間を食べた後の残骸だと思っていたみたい。
あちらはあちらで衝撃を受けていたけれど、私の方も少なくない衝撃を受けていた。何となくそうじゃないかと思っていたところに決定打をぶち込まれたからね。
『妖怪』
衝撃的ではあったけれどそれを否定する感情は湧いてこなかった。何故かすんなりと納得することができた。私はいつ人間をやめてしまったのかしらね。どのタイミングで妖怪へと変じてしまったのかしら。さとりに諭された時はまだ人間だったはずなのに。
生首は全部彼にあげた。あれらに付き纏われるのも精神衛生上よくなかったし丁度良かったわ。何故か滅茶苦茶に感謝されたけれど私は何もしていないし、それどころか厄介ごとを押し付けただけ。
妖怪にとって人間は食料。それを痛感した。妖怪になって三十年はまともに人間なんて食べなかったけれど。いつの間にか関係の無い話題になってしまった。
今日はさとりのおかげで様々な事を思い出せた。記憶を記録としてしたためているうちにまたそれに付随する記憶が思い起こされた。自然に零れた涙などいったいいつぶりだろうかと思う。
全てを捨てたつもりだったのに思い出してしまった。あの子との、いつまで経っても褪せない冒険の記憶。願うなら、今日は夢の中で未来へ戻ってみたいものだ。それが不可能だと分かっているからこそ、こうして記録に願望を映して満足することしかできない。虚しいものね。
『人間と妖と~』の冒頭に出てきた1時56分4秒なんていう微妙な時刻。数瞬の沈黙をここでだけ
ここでのダッシュは英文的な用法で直前の語の説明として置いています。つまりこれらを合わせれば ”
さとりがいなければ紫もいなかったであろうという世界線。メリーにとってさとりは悪ですが紫にとっては?