満月にはまだ遠い月を眺めながら咲夜の淹れた紅茶を啜る。ここ最近何かがおかしい。私の周りだけでなく人里周辺もだ。あの伊吹が出てきていた時のような異様な空気が幻想郷中を包んでいる。あの時は彼女の関係者以外では私が気づくのが一番早かったと聞いているし、おそらく私はその手の脅威に対して敏感なのだろう。
私だけが気づいていて他の者は気づいていない。いや、違和感自体は覚え始めていることだろう。何せ最近の宴会の頻度はガクリと落ちた。酒が買えないせいだろう。その事に対して霊夢も魔理沙も不満たらたら。解決に乗り出さないのはこの事態を異変だと思ってもいないからだ。困ったものである。
カップを置いてホッと一息つく。即座に継ぎ足そうとする咲夜を制止して月を眺める。今日は三日月だ。
「あと12日……かしら」
「何か言いました?」
「いえ、何も」
満月まであと12日。恐らくそれがリミットになるだろう。酒が遠くなったことによる妖怪の暴走。最も力が強くなる満月までに対処できなければ人里に被害が出始めるだろう。既に湖の妖精たちは荒っぽくなり始めているし、里に住む妖怪にもストレスが溜まってき始めているらしいことも聞き及んでいる。
山も酒が自前で用意できる天狗や河童なんかを除けば酒の供給を人里に頼っているような妖怪ばかりだ。天狗が何とかしてくれるだろうという楽観ではいけない。捨て身の覚悟ならばか弱い人間でさえ脅威になり得るのだから。
「そろそろ冷えてきたし中に戻りましょうか。それと……明日にでも久々に宴会でも使用と思うから霊夢たちにも伝えておいてちょうだい」
お節介かもしれないが、彼女が気づけない以上誰かがガイドを引いてやらねばならない。正しい道に進むために彼女を導いてやらねばならない。彼女は強いが万能ではないのだから。
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「いったいこれはどういう事なの? お燐」
呆れ半分に私がこうしてお燐を問い詰めているのは彼女が連れてきた者たちが原因である。パルスィだけを連れてきなさいと散々言ったにもかかわらず結局はキスメと萃香がいないくらいでほぼいつも通りの面子が揃っているのだ。
普段ならばもっときつい言葉で反省させているところだが、今日はお燐に休みを与えていた手前そう強く出ることもできない。ボランティアという名の時間外労働だから。
「あぁ、お燐は謝らなくても良いのよ。悪いのは後ろにいる奴らだものね」
しょんぼりしているお燐にそう声をかける。実際は勇儀たちの同行を断れなかったお燐の優しさが悪いのだが今はそれを言うべきではない。優しさを咎めるのもどうかと思うし。
「おいおい、ひどい言われようだね。私たちだって用事があったから来たってのに」
確かにここは用事が無ければ特に来たい場所でもないだろう。陰気臭いし怨霊も地底の中では別格に多い。怨霊に関しては本来は全部ここに収容しておかねばならないのだけれど。そのうち四季様が咎めに来そうだ。
「用事? 酒以外に貴方たちの用事なんて……」
「これさ」
彼女が手に持っている物は私が先ほど紫さんに渡したのと同じ物、木片だった。勇儀が紫さんから譲り受けたというのは絶対にあり得ない。となると地底にあった物はあれ一つではなかったのか。
「それ、どこで?」
「さあねぇ。旧都に行きゃいくつかあるみたいだが見慣れない物だったんでさとりにも見せておいた方が良いかと思ったんだよ。しかしその反応、心当たりがあるようだね」
狭い世界で生きている弊害か、旧都の事情は詳細には知らないし情報が回ってくるのも時間がかかる。そのギャップを突く意図は無かっただろうが、奇跡的に上手くはまったおかげで地底の対応が遅れた。犯人が分かっているだけに惜しい事だ。
勇儀が持っているもの以外にもまだ同じ物があると聞いて少し嫌気がさした。しかも先ほどから頭の片隅にある違和感が拭い去れない。
この屋敷で回収した木片は一月以上前からここにあった。旧都の方にも恐らく同時期からあったのだろう。しかし勇儀が気になると言って持って来たのは今日。私がこの屋敷の物を回収したのも今日。紫さんがそれ関連で降りてきたのも今日だ。
今日一日で立て続けにこの木片関連の事が起こっている。ずっと前からあったにもかかわらずだ。頭が痛くなってきた。
「とりあえずそれが地底にあるのは好ましいことではありません。貴方たちの視覚情報を騙す類の術がかけられていますし危険ですのですぐに全部回収してもらえませんか?」
面倒だと渋っていた勇儀だったが私の回収してくれたらお礼に良い酒あげる、の一言で颯爽と去っていった。これにはパルスィもヤマメもあきれ顔だ。分かる。単純すぎていつか詐欺師に引っかかりそうだから。心配なのは詐欺師の方なのだけれど。
戒に昼食の準備を任せて私は一人で一度部屋に戻る。先ほどの違和感とは別に引っかかることがあったのだ。
私の背丈の倍以上ある本棚には私が集めた様々なジャンルの本が置いてある。その一角、私が書いた本とは別にもう数十冊小さめのノートが入っている。私の日記帳だ。見開きで一週間、一冊で一年分の日々の出来事が綴ってある。
探すのは一月半ほど前……あった。丁度私が例の木片を見つけた日だ。取り留めもない一日として書いているが、今改めて読み返すとかなり異常な日である。そしてそこから三日後か。酒が急に高くなったと勇儀からの文句が入ってきている。
そうだ。木片が現れたのと同時に酒が高くなった。果たして偶然といえるだろうか? 紫さんにさえ解けない不可解な問題。私自身何がどうしてこうなっているのかは分からないが、この二つの間に何かしらの関係がありそうだと推測できる。勇儀が回収してきてくれたあとどうなるか。
そんなことを考えながら、皆のいる部屋に戻る途中で厨房を覗く。
「急に人数が増えてごめんなさいね。私も何か手伝った方が良いかしら?」
「いえ、大丈夫ですよ。さとり様が催眠をかけた妖精たちが想定以上の働きをしてくれているので、むしろ人手が余っているくらいです。昼食を運ぶのは……勇儀様が帰ってこられた後ですね」
戒にはたくさん迷惑をかけているけれどあまり労ってあげられない。この子がそれを拒否するからというのもあるが、予想以上に何でもできるようになってしまったからというのもある。様々な仕事を任せて軽く礼だけ言う、なんてことがかなり多い。
「ありがとう、助かるわ。そうね、今夜寝る前に私の部屋にいらっしゃい。…………あぁいえ、説教とかではなくお礼よ。毛づくろいしてあげる」
部下への労い。ついでに
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「疲れていますわね」
私がそう言うと目の前の少女は憎々しげに睨みつけてくる。決して私に敵いはしないのに、いっそ清々しいくらいに遠慮なくビシビシと敵意を向けてくる。
やがてそれが無駄だと悟ったのか、大きなため息を一つ吐いたのちに首肯する。
「誰もこの事態が異変だと思いやしない。霊夢でさえ……霊夢でさえだ。私はもうどうすればいいのか分からないよ」
本当に憔悴しきっているようだ。私自身は内容が内容だけにこうなっても仕方がないと考えていたが、あくまでもそれは私が霊夢を見てきたが故のもの。たかが数年間、特に異変時の霊夢ばかりを見ているような者にとって今の状況は頭を抱えたくなるのだろう。
しかしよく考えてみてほしい。今回の異変の性質は過去萃香が起こしたものによく似ている。あからさまに紅い霧が出たり春になっても雪が降っていたりといった異変らしい異変ではなく、何かよくわからないが宴会が続いていたり、酒が買いにくくなったりしているという気づきにくい異変なのだ。
前者ならば霊夢に限らずただの人間であっても容易に異変と認識することができる(月を隠す術の時は人間には感知しにくかったようだけれど)。だが今回のような異変は一見するだけでは内容にたどり着けないのだ。そしてその手の異変の場合、解決は私たち事態を知る者が動き出さねば始まらない。
萃香の時は彼女自身が最終的に霊夢たちの前に現れてくれた。それはつまり、あれほど彼女の妖気が濃くなっていても人間側がそれを理解できなかったからに他ならない。目に見える異変以外を異変と認めるのはなかなかに難しいということである。そしてその黒幕を追う力が彼女らには無いということでもある。
「目に見えない何かを指さしてそこにいると主張しても誰も信じないのと同じこと。彼女たちにとって異変とは目に見える形になっているところから始まるのですから。ですが幻想郷はおろか地底にまで拡大してしまったこの異変を何とかして解決させなければならないというのは私も貴方と同意見ですわ」
私と同意見だと言ったのが相当嫌だったのか、疲労の中でも顔を顰めているのがよくわかる。当然気づいていないふりをして話を続けさせてもらうのだが。
「そこで私考えました。それならばいっそのこと目に見える物で霊夢たちを釣れば良いのではと。餌はこれ」
傍から見れば色とりどりのUFOにも見える不思議物体。今は込められていた力を上書きして消しているので、ただの木の破片に見えているはずだ。
「私にはただの木屑にしか見えんがね。これを餌にして誰が喰いつくというのか」
「あぁそうでした。貴方の目は物の過去ではなく未来を視るのでしたわね」なんてわざと大袈裟に言ってみる。どうせ嫌われている身。彼女の見た目的にも煽り倒して泣かせてやるくらいが丁度良い。
次いで私が取り出した物を見た彼女は目を丸くして低く唸っている。知らなければUFOに見えるのだから、この木片と青色のUFOが同じ物だなんてそりゃ思えないだろう。
「この木は一応宝船の破片。この物体も同じ。これを集めれば宝船が完成する、と霊夢に言えばどうなるかは分かるでしょう? 解決は時間の問題ですわ」
この木片と酒の値段の関係。それはここ一週間の地底での観察から明らかになった。さとりが関係を指摘した時はそんな馬鹿な、とも思ったが、現にこれを全て回収しきった後の今の地底では適正価格で呑めるようになっているのだ。
ただし関係があるというのが分かっただけで、木片がどのような力を持っていたのかについては分かっていない。ただ集めて無力化すれば効力を失ってくれる。それだけしかわかっていないが、異変解決にはそれだけわかれば十分なのだ。
「そんなちんけな欠片ごときが原因だなんて馬鹿馬鹿しい。とお前が相手でもなければ言っていたかもしれん。何か根拠があるんだろう? いや、私に話す必要はないよ。知るだけ無駄なことだ。私はこの異変が解決されればそれで満足だからな。私以外の損得など勘定するだけ時間の無駄になる。お前はそう思っていないだろうがね」
よくお分かりで。私はとにかく相手の損得、というよりは損を計算するのが好きだ。相手にとって嫌な事をするというのは戦闘にも通ずる所があるからかもしれない。或いは全く別の感情に突き動かされているからかもしれない。
「貴方以外ならば、家族はどうなるのかしらね? もしかしたら貴方の家族……そう、あの陰気臭い魔女なんかはこれを所持しているかもしれない。今すぐ捨てるように頼んだ方が良いのではなくて?」
「は、馬鹿馬鹿しい。私が何でもお前の言いなりになるとでも思っているなら勘違いも甚だしいよ」
「へぇ、言うようになったじゃない。さとりに何か吹き込まれでもしたのかしら? 幼子の一人くらい私の相手でもないけれど……」
外から帰ってきたらやたらさとりと親密になっていた。そこから生意気具合もうなぎのぼりになったが実力が追い付いていない。所詮は口だけのおこちゃまであることを教えてあげても良い。そう思って口を開いた直後、誰もいないはずのこのテラスに突如として聞き覚えのある声が響いた。
「やめておけ小童ども。無駄に争っているといざという時に力を使えぬぞ?」
振り返った先にいたのは背の高い女性。立派な翼に星の散りばめられたマント。霊烏路空その人であった。
しかし声は同じでも言葉遣いが全くと言っていいほど違う。纏っている力も普段の妖力ではない。
「霊烏路空ではないわね。八咫烏か?」
「いかにも。
八咫烏を見に宿している時の空とは全く異なる。喋り方も、力も、知性も。全てが格上で勝負すらさせてもらえないだろう。同じ土俵に立つことすら許されない絶対的な強さの境界がここにある。
「何故八咫烏がここへ?」
「吾は小娘の主から嘆願されたのでここにいる。かの娘には吾も良くしてもらっているからな。信者には報いるのが神というものよ」
「さとりの願い?」
「然り。それだ、その木を一つ寄越すがいい……よし。ではまた会おうぞ」
思わず手渡してしまう。とても反抗する気が起きなかった。幾百年ぶりに感じた恐怖。あれが……あれこそが神格。神奈子や諏訪子よりさらに上位に存在する神の威厳。さとりはそれをお遣いに使うというのか?
あれが暴走すれば止められる者は幻想郷にはいない。癪なことだが神々の住まう土地である月まで行かねば対抗できる者はいないだろう。
何故さとりがそれを一つだけ求めたのか、その真意を問えぬままに彼女は姿を消してしまった。
未だ頭を抱えて蹲っているレミリアを置いて、私もスキマを開く。数刻もすれば咲夜がレミリアを回収しに来るだろう。私は今日はもう寝てしまいたい気分だ。
八咫烏を単独で動かすのは少し憚られたのですが、お空のままだと確実に紫様にナメられるので。一人称と二人称が古臭いくらい
パワーバランスが漫画やソシャゲのインフレじみてきましたが、作中に登場する神の中での最上位はこれで打ち止めになるはずです。最強の妖怪は紫様、人間は霊夢と決めていますのでこれ以上のインフレは起こらない……はず
最後お嬢様が頭を抱えて蹲っているのは八咫烏が太陽の化身だからです。場所は紅魔館のテラス