家にずっといたのならもう少し早く書き上げたかったのですが遅くなりました
さとりの見立て通り、ナズーリンや寅丸星をはじめとした聖輦船乗組員によって聖白蓮は長年の封印から解かれた。正確には霊夢たち人間の協力があったからこそ白蓮を解放することができた。尤も人間側は協力したつもりでもなかっただろう。だが彼女らが集めた飛倉の破片が白蓮の解放に必要不可欠なものであったことは疑いようもない事実なのだ。
知らぬ間に妖怪に味方をする者の復活の片棒を担がされていたことを知った霊夢は不機嫌になり、復活した者が魔法使いであったことを知った魔理沙は興味を持ち、それまで妖怪と連戦してきた早苗は何か新境地を開いたようであった。
三人がそれぞれ違う思いで対峙した白蓮戦。流石の大魔法使いでも三人相手にスペルカードルール下での戦いを挑んで勝とうというのは些か浅慮だったと言わざるを得ない。
初戦でありながら霊夢たちに苦戦を強いたというのは白蓮のセンスだろう。だが、結局は経験と努力の差が大きく響く形となった。
白蓮が敗れ、聖輦船が命蓮寺として運営を始めることで異変は終了したかのように思われた。人里には活気が戻り、適正価格になった酒を買いに来る妖怪たちも次第に戻って来た。数日も経てば以前までと何ら変わらない平和な人里がそこにはあった。
しかしその平和に納得できない者が一人。
「だーれも私の正体不明に腰を抜かさないなんてつまらないわ。私のおかげで僧侶が救われたといっても過言じゃないのにあいつらは感謝の一つもしやしないし」
封獣ぬえである。彼女はもとより白蓮の復活に協力するようにさとりから指示を受けており、彼女にしては珍しくその通りに行動していた。さとりのことは大嫌いなぬえだが再び地上を拝めたのは彼女からの貸しがあったため。小さな借り一つ返さずして何が大妖怪か、というプライドがあったからこそ逆に素直に行動したのだった。
指示通りに彼女なりのやり方で異変の規模を大きくし、解決者が元凶に辿り着くよう仕組んだ。ぬえは村紗たちの話を盗み聞きして、どうすれば白蓮が復活するのかを知っていたからだ。全てを理解できずとも大雑把な流れを理解すれば白蓮は復活させられる。それさえ終われば彼女は何にも縛られることが無くなるのだ。
彼女は船をバラバラにして正体不明の種を仕込み不思議なものに群がる人間の習性を利用してそれを一か所に集めさせた。本来ならば船の欠片を幻想郷中にばらまく必要すらなかった。ただ静観していれば勝手に白蓮は復活してくれただろう。
しかし彼女はそんな退屈な手段を好まなかった。ただ平凡に過ごすだけの日常のどこに面白みがあろうか。どうせなら自分も一枚噛んでやろうと思ったのがこの異変の始まりだったのだ。
白蓮は確実に復活させなければならないが事を大きくして幻想郷中を震撼させてみたい。その結果が例の木片である。
実はこの木片、正体不明の種の他にも酒の売買を抑制させるような術が仕込まれていた。様々な妖術を使いこなす彼女は流石長年を生きた大妖怪らしい。後にその規格外さが紫や隠岐奈からひどく警戒される事にもなるのだがそれはまた別の話。
宝船をバラバラにするだけでは単なる邪魔でしかないが、この術を仕込むことによって村紗たち仏教徒へも貢献したことになるだろうという彼女なりの自己満足だった。とはいえその術しかかけなかったということは、ぬえが仏教に対してその程度の知識しか持っていないということでもあるのだが。
彼女の術は正常に働いた。酒の売買は大幅に減り、禁酒が当たり前になった。
結果だけを見れば彼女は目的のために非常に献身的に動いたし、白蓮復活にあたっても大きな貢献をしたと言えよう。
しかし彼女は報われなかった。自分の能力は人間相手にも驚かれることが無く、折角追加した妖術も誰にも気づかれることなくいつの間にか効力を失っていた。
誰もぬえの暗躍に気づくことは無い。昔ならばそれでよかったかもしれない。妖怪の仕業だとバレてしまえば退治という名目で消されてしまっていたからだ。
だが現在の幻想郷はそうではない。よほど規則に反するような事をしなければごっこ遊びで勝負するだけ。負けてもそれ以上の事をされはしない。地上に出てまだ日は浅いが、ぬえはそれを理解していた。自分の存在が知れ渡っても構わない。真の姿さえ秘匿できれば正体不明は保たれる。
それに幻想郷が彼女を恐れるならば、という前提があることが彼女を苦しめた。過去都を恐怖に陥れた手法ではもはやここの人間は動じない。それほどまでに人間が妖怪慣れしている土地なのだ。
ならばどうすれば自分を恐れてくれるだろうか。そんなことを考えながら、彼女の身体は自然と知り合いのいる方へ向かっていった。
半刻ほど後、地底にある屋敷の一室では少女が頭を抱えていた。
「あの異常事態の真犯人は貴方だったんですか。私の出した条件は……あぁ、覚えていたうえでの行動ですか。本当に質が悪い。あれのせいで地底がどれほど混乱に陥ったのか知っていますか? 知らないでしょうね。敢えて内容を言う事はありませんが私が疲れてしまう程度には大変だったんですよ」
ぬえの話を聞いたさとりは当然初めに文句を言う。一応建前上は村紗たちに協力することを条件に地上へ出したのだから、彼女たちの計画を邪魔するように動いたぬえに呆れていたというのもあるのだろう。彼女の行動によってさとりが受けた精神的な被害も少なくない。
しかしさとりが本心から怒っているのかといえば別にそうではない。なまじ他人の心が読めてしまう分、ぬえに特段の悪意があったわけではない事が分かったからだ。ぬえはただ単純に、彼女の恐ろしさを人間に知らしめつつ目的を達成したかっただけだった。
こういうのばかりだ、とさとりは思う。紫にしても映姫にしてもぬえにしても、悪意のほとんど無い迷惑が彼女を襲い続ける。彼女の心労を慮ることのない波状攻撃が彼女を苦しめ続ける。
だがさとりの疲労のピークが徐々に近づいていることには本人ですら気づいていない。それほどまでに彼女は疲労に慣れてしまっているのだ。彼女の周りにいるのが強者ばかりだということ、自分でできる仕事はあまり他人にやらせないことなどがその原因であろう。
その性格についてはお燐にも一度怒鳴られたことがある。ペットに怒鳴られるほど重症であり、その時はさとりもできるだけ他人を頼ろうと心に決めたはずなのだが結局はあまり変わらない。未だに地霊殿に舞い込む仕事のほとんどはさとりがこなしている。
疲れているのにそのように見せていないというわけではない。限界近くまで疲れているのにそれを自覚できないのだ。そのくせペットの疲労には気づいて休むよう言いつけるのだからまったく皮肉なものだと言わざるを得ない。
「私が疲れていることに驚いているようですが、別にそれほど珍しい事でもありませんよ。私は常に心労に苛まれているようなものですし」
地底のトップが実は一番心労の絶えない地位であることを知っているのはごく少数に限られる。地上でも同じ現象が起こっていることを知っているのは紫によほど近しい者たちだけ。地底と地上のトップ同士で胃薬同盟なる同盟を組むほどに他者からの胃への攻撃は激しい。*1
「それよりも貴方の事です。貴方の動機は分かりましたし不本意ですが納得もしましょう。しかし場合によっては私が今の貴方の願望を認めることはできかねます。単刀直入に問いましょう。貴方は今度は単独で異変を起こそうというのですか?」
それがさとりにとって最も望ましくない展開だった。今までの不満をぶつけるために異変を起こすとするならばルール外で戦いを挑む可能性もないわけではない。ぬえが元々地底にいた妖怪だという事が割れてしまえばとばっちりを喰らうかもしれない。
そんなことは流石に御免だ。だからこそここでぬえに釘を刺しておかなければならないと考えたのだろう。
しかしぬえはそんなことを考えていない。そんなことをしても苦労と結果が釣り合わず、自分ばかりが割を食うであろうことは分かり切っているからだ。彼女はさとりが想像していたよりもはるかにしたたかな性格であるようだった。
「なるほど。彼女らの異変の後始末に乗じて自らを……。恐れてもらうのに一番手っ取り早いのは人間を殺すことです。これは今の幻想郷の規則的に難しいですがね。これでなくとも人間から恐れられる条件は存外に単純なものです。自らを認知させればいい。いっそのこと正体不明の仮面を脱ぎ捨ててもいいんです。貴方は誰よりも不気味な能力を持っているんですから」
人間は確かに正体不明に怯える。しかし此度の異変の時の正体不明は幻想郷の住人たちにとっては理解しがたいものであったり不明過ぎたりした。正体不明の物体にぬえの影を見ることができるものが一人たりともいなかったのだ。
さとりが言いたいのはそこをもっと明確にすること。ぬえが術を施した物であることを理解させれば恐れは自然とついてくるだろうということだ。幻想郷では「全く得体の知れない物」が溢れているがゆえにそれ単体では人々を脅かせることが難しい。
例えば吸血鬼が紅い霧を幻想郷中に撒いたとして、何も知らない時の人間はこれを異常気象か何かだと捉えるかもしれない。或いは誰かが悪戯にばら撒いたと考えるかもしれない。しかしこの段階では原因が一切分からず、幻想に慣れている人間は「不気味だなぁ」で済ませてしまう。
ここで元凶が吸血鬼であると判明すると人間の中で犯人像が一気に明瞭になる。異常気象の可能性が消滅し、この広大な土地を覆うほどの霧を発生させることのできる存在、ここでは吸血鬼への恐怖を覚え始めることだろう。
ぬえは相手が自分を知らないからこそ本領を発揮できる妖怪であるが、幻想郷のような環境ではそれが枷になってしまう。だからさとりはそれを捨ててしまえばいいと言っているのだ。アイデンティティを失くせと言っているのではない。根底を変えずに、表向きの生き方を変えろと言っているのである。
ぬえでなくとも幻想郷では生きるためにアイデンティティのほとんどを失っているような妖怪がたくさんいる。その最たるものは吸血鬼や人喰い妖怪の類だ。里の人間を襲えない彼女らは自らの存在意義をギリギリで繋いでいるだけ。それらに比べればぬえの直面している問題なんて小さなものだろう。
「ずっと正体不明でありたいならば貴方の居場所は何処にもないでしょう。外の世界で暮らして消滅を待てばいい。ですがそうではないんでしょう? 地上で暮らしたいのならばやはり生き方を考えなければなりません。貴方なら容易に答えに辿り着けるでしょう」
ぬえは言動が幼く見えることもあるが決して頭は悪くない。さとりや紫をさえ騙し通せたのは能力の強力さだけではなく彼女の賢さあってのものだろう。
「そうそう、地上に戻るならこれも持って行ってください。もう地底には不要ですから」
さとりから手渡された木片にはぬえも見覚えがある。ぬえはそれに正体不明の種だけを仕込むと地霊殿から去っていく。
その真意を唯一理解するさとりもやれやれと頭を振りながら自室に戻っていった。
大規模な異変はもう解決されたというのに安寧はまだ訪れなさそうだ。
知らない方が幸せでいられるといえば、美味しく飲んでいたはずのスープの中に小さな虫が浮かんでいるのなんかを発見してしまうと途端に喉を通らなくなる現象は稀によくあるでしょう