今までが可愛くなさすぎたというのもありますが
もうこの世に覚妖怪は私以外存在していない。
はるか昔に起こった迫害により覚妖怪は人間だけでなく妖怪にまで狩られ、ついには私とこいしだけになった。地底に逃れてきた私にを待っていたのは追いうちだった。実の妹のように可愛がっていたこいしが覚としての生き方をやめてしまったのだ。
その日から私と同種族の存在には会ったことがない。妖怪が外で生きられないような時代になって久しいというのに、だ。
こいしが私の目に映らなくなった日の事は今でもはっきりと思い出せる。あれはまだ地獄がここにあった頃、私がこんな未来をまだ想像もできていなかった頃の事だ。
こいしはその昔、覚妖怪とは思えない程美しい心を持っていたと思う。同族の心は読めなかったからあの子の本心はついぞ知ることが無かったが、話を聞き、対峙した妖怪や人間への対応を見る限りではとても純粋で優しい子だったはずだ。
あの子にとって最大の成功は私を姉として慕いついてきたこと。私があの子の姉だったからこそ今もこうして生きていられる。私以外の覚妖怪はもう全て消されてしまったことを考えれば、私以外について行ったあの子の未来はなかったと考えてもあながち間違いではあるまい。
しかし、あの子にとって最大の失敗は覚妖怪としてこの世に生まれて来てしまったこと。あまつさえ妖怪という長命な種族に生まれ、その中でも最大の嫌われ者に生まれてしまった優しい子。そんな子の未来がどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
私にとって最大の失敗はこいしを分かってやれないこと。今も昔もあの子の心は読めないが、昔のあの子ならばもう少し感情を、気持ちを理解してあげられた。
私の留守の間に置手紙だけを残して私の前から去ってしまったあの日、出かける前にあの子の顔を一目でも見てあげていれば今が変わっていたかもしれない。数日経って戻って来たあの子が空っぽになっているのを知覚した時のあの感情を私は決して忘れることがないだろう。
何よりも大切にしているはずだった。何よりも気にかけているつもりだった。でもあの子にとって私は支えの一つにもなりはしなかった。
あの子の帰ってくる場所に私がいる必要はもはや無いに等しい。あの子から見た私はただの知り合い。周りより多少知っている程度。そこに愛はない。……だって私つい最近あの子に殺されかけたらしいですし?
あの子はもう私を必要としていない。私だけがあの子を想い続けているという儚い一方通行。この数百年で嫌というほど繰り返してきた虚しさだ。
時間が私を変えた。あの頃の悲しみや悔しさのほとんどを私はもう持っていない。でも、だからこそこうして冷静に考えることができるようにもなったしあの子との新しい付き合い方を模索することもできた。
これで良かったのだ。あの子は嫌われたくなくて、自分の望みを叶えるために覚妖怪をやめた。寂しいがむしろその過程で消滅しなかったことに感謝するべきではないか。
私はあの子が分からない。昔よりも長い時間あの子を見ているはずなのに今は昔より理解できない。あの子の居場所も抱えている感情も、大切にしている物も何もかも。
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「次は何する? ポーカーでもしようか?」
「嫌よ。貴方ずっと表情崩さないんだもの。しかも私より心理戦に長けてるし」
「えー、つまんないの。あ、じゃあ本でも読む? 世間知らずなフランちゃんにはちょうど良いんじゃない?」
古明地こいしは空気を読まない。気を遣わない。躊躇なくズバズバと心を抉るような内容を言ってくるのだからその相手はもろに精神的ダメージを負う。
フランドール・スカーレットも普段は何の躊躇いも無く相手の心を抉るような発言をする。ただこいしとは違い、悪魔らしく純然たる悪意を含む。しかし人妖問わず、真に心に傷をつけるのは悪意のない暴言である。フランドールはその点において決定的にこいしに劣っていた。
しかし双方共に互いに対して劣等感を抱くような心は持ち合わせていなかった。だからこそ誰よりも良い関係を築けているのだろう。
こいしもフランドールも数か月前と比べて自分が変わったことを自覚していないが、その心の在り方は実はかなり大きく変化している。
初め、二人が出会う前までは、どちらも相手の話を聞かずに珍妙な返事をするばかりであった。しかし今はしっかりと会話が成立している。相手の話を聞いて、考えて、答えられているのだ。これは実に大きな成長と言えるだろう。
会話が成立しているという事は、自分の思うままを伝えるだけでなく自分を律して言葉にしているということに他ならない。一度自分を見つめなおす習慣がついていれば理性を失って狂気に飲まれることも格段に減る。フランドールはこいしに出会ったことで理性を育めたのだ。
フランドールだけではない。こいしも失っていた大切なもののいくつかを取り戻すことができた。そのうちの一つが今彼女の手にしている本である。
その本は百年ほど前にさとりがこいしのために書いた物であり、そのため非常に分厚い見た目に対して内容は薄い。内容量以外はフランドールの部屋に何冊かある児童書とどっこいどっこいである。
さとりがこの本を書いた理由はただ一つ。こいしに世間の広さを知ってもらいたかったからだ。閉じられた空間でしか生きていけない妖怪達にとって外の世界を知る手段は書物か流れてくるものであり、多くの妖怪にとってはそのどちらも興味の無いものだった。
さとりは少数派であったため外の世界の広さを知っていた。その知見を活かして妹のために読みやすくまとめたのがその本なのだ。現在の外の進歩レベルから見れば些か古いが、幻想郷が狭くて外が広いのは昔から変わらない。内容は薄くともこいしの成長には役立つだろうというなかなか浅はかとも言える考えだ。結果的にそうなったので良し。
さて、その本であるが、フランドールからの評価はあまり芳しくないようだ。
それもそのはず。つい十数年前までは外の世界に住んでいたフランドールである。地下に幽閉されていたとはいえ多少の情報は入って来ていたのだろう。本の内容の薄さと情報の古さはいかんともしがたい。
「でも活版で刷ったものでもないのに綺麗な字ね。お姉様とは大違いだわ」
「そうでしょそうでしょ! お姉ちゃんは昔からずっと本を書いてるしいろんな書類とにらめっこしてるからね」
姉をディスる妹と姉を自慢する妹。姉への感情は両極端だ。
「どんな本を書いてるの? 全部こんな本?」
「全然違うよ。もっと難しい本。えーっとねぇ……確か『春は別れの酒瓶で』とか『地獄紀行』とかの小説だったかな……どうしたの? フランちゃん」
「そ、それってもしかして佐戸愛子の? え、どうしよう。サインとかもらえたりしないかな」
何を隠そう、フランドールは推理小説家である佐戸愛子のファンである。正確に言えば推理小説として贔屓にしているのが佐戸愛子の作品なのだ。ちなみにミステリー小説ならばアガサクリスQのものが好きらしい。
紅魔館の不思議な図書館にある小説コーナーにはわざわざ買わなくても新しい本が入ってくる事がある。佐戸愛子の小説は幻想郷移転時にドバっと入って来た物で、アガサクリスQの小説はここ数年で徐々に数を増やしている物だ。
佐戸愛子の新作がここ十年以上出ていないのは作者の死でなく単に多忙が理由らしいと分かってフランドールも多少安心したようだ。同時にキャラクターがブレブレになっているが、本来の彼女はむしろこっちなのだろう。
彼女の持つ不気味な知性もそれらの本から来ているのかもしれないし、他者の心理把握に関しても多分に影響を受けているのかもしれない。
佐戸愛子と言えばフランドールなど一部のコアな推理小説を好んでいるような者ならば当たり前に知っている名前だが、当然こいしはさとりのペンネームなど知らない。たださとりが度々時間を見つけては書いている小説のタイトルを知っているだけに過ぎない。
キョトンとしているこいしを差し置いてフランドールは一人考えを巡らせている。どうすれば新しい小説を書いてもらえるか、どうすれば彼女のサインをもらえるか……。気が触れているとは言われるが、彼女は姉よりもよほど慎重で計算高い。
しかしそれも良い事ばかりではない。レミリアならば地霊殿に押しかけてさとりに直接話をしに行っただろう。紅魔館の住人がそれを許すかどうかに関係なく、彼女は彼女の欲望のための行動を厭わない。
それができないフランドールはどこからか羊皮紙を取り出すとサラサラと何やら書き付け始めた。英語なのでこいしにはフランドールが何が書いてあるのかは分からないが、どうやらかなり達筆らしいというのは分かった。
「フランちゃんも字が上手いんだね。なんだか意外」
「私は昔世界を変えるような本を書きたかったから。今はもうそんな子供っぽい事考えないけど」
フランドールが世界を変えたかったのは随分と過去の話だ。
自分が何故に地下に幽閉されているのかさえ詳しく知らなかった時分、幼い自分を差し置いてチヤホヤされている姉を知ってから彼女の心は随分と荒んだ。ただ毎日食事だけを与えられ、娯楽と言えば読み古した本ばかり。何故生かされているのかすら分からない。
外でのびのびと羽を広げている姉と違い、狭苦しい地下牢に押し込めらている自分の惨めさを自覚するのは幼い子供にとっては耐えがたい苦痛だった。
初めての能力の暴走はそんなときに起こった。溜まるストレスが彼女の能力を開花させた。まだ蕾であった段階である程度歪だった心は開花したことで完全に捻じれた。
しかし理性がなくなったわけではない。鋼鉄の檻が破壊され、それについて父母に怒られている間も彼女は自身のしてしまったことを自覚していたし悪いとも思っていた。そしてそれが幽閉するに足る能力であることも幼いながらも理解できてしまった。精神だけは五つ年上の姉をも凌駕するほどに育っていたのだ。
しかしだからこそ彼女は世界に対する恨みを募らせた。先天性の能力のせいで自分は何も悪くないのに幽閉されなければならない理不尽。
世界を変えたいと考えた。恨みつらみをふんだんに混ぜ込んだ文章と強力な魔力。そんな恐ろしい本を夢見て彼女は不自由な暮らしをやり過ごしたのだ。魔法を覚え、それを実験する。それに疲れたら紙に何かを書き付けては不満げに燃やす。そんな繰り返し。
だがそんな日々は唐突に終わりを告げた。パチュリーという魔女が屋敷に住みつき始めてからというもの、フランドールは彼女のものよりもはるかに高い魔力が込められた本を何冊も見た。
しかしそのどれにも世界を変える力など無いと判明したのだ。彼女は再び生きる意味を失ったのだ。無気力という言葉がぴったりなほど彼女は無気力になった。飲食すらまともにしない日もあったくらいだ。
誰が来ても扉は開けないし会話もしない。そんな生活が百年あまりも続けば心は乾いてしまう。育て上げた精神は崩壊し不安定になった。
得た知識だけが彼女に残り、傍から見れば簡単な会話すらまともにできない気狂いへと変貌してしまったのだ。
フランドールにとって不幸だったのは姉を含め誰も本当の彼女を知らなかったこと。まだ日が浅い咲夜は当然の事、百年以上館に居座っている魔女や実の姉でさえ今でもフランドールを気の触れた可哀想な子だと認識している。
少し前までは確かにそうだったが、波長の合うこいしと出会ってからは人の話に耳を傾けることができるようになった。自分の主張を押し通すだけが正義でないことを思い出した。
「私が書きかけていた本、まだここにあるんだよね……っと埃被ってるけど」
「うわぁ、禍々しい本だね。内容は分からないけど」
「まぁ内容は読めなくて良いのよ。恥ずかしいことしか書いてないし。この本は私の魔力がかなり籠められているから読んだら発狂するわよ? 人間の書いた奇書なんて目じゃないくらいに。まさに怪書。妖魔本としても八雲に没収される程度ではあるんじゃないかな」
「そんな危ない物をねぇ。よくバレないね」
「馬鹿ばっかだからね」
フランドールは寂しく笑う。バレていないのは誰も彼女に興味がないからであるということを知っているからだ。
彼女をまともに気にかけているのは姉であるレミリアくらいのもの。他の者たちはフランドールの動向にこそ気を向けるが彼女の気持ちには気を向けない。
本当に家族と呼べる存在にだけ愛されているというのは彼女らの大きな共通点でもある。
「じゃあこれ、お姉さんに渡してきてちょうだい」
「何? もしかしてラブレター?」
「ただのお手紙よ。忘れず渡してね?」
「はいはーい。じゃあね~」
こいしが突然現れて突然消えるのはもう慣れた。彼女が来ると無意識に鍵を開け、去るとまた無意識のうちに鍵を閉める。気づいたときには部屋の中にいて、気づいたときには既に自室に錠がかかっている。
そんな日常。寝て起きて読書をして、たまにこいしと話をして……正常時の彼女はどこまでも平凡な幽閉少女である。
この二人がまともに会話できるようになるなんて! ※ただしこの二者間に限る
ペンネームと本のタイトルはいつも通りパッと浮かんだものなのでドストレートです