痺れを切らしたパチュリーによりヒントどころか答えに近いものを得た阿求は、礼だけ言ってアリスと共に里へ帰って行った。
「どう見る? パチェ」
「犯人様の動機が楽しみたいだけなのならば、おそらく探偵の実力に合わせてくれるでしょう。どんな道筋を辿っても解決までは漕ぎつくと思うわ。レミィは?」
「さぁて……未来なんていかようにも変わり得る。たとえ今のままでは探偵が負けるとしてもね」
レミリアが見るのはいくつもの分岐の先に現れるであろう未来。そのひとつひとつが、ほんのわずかな出来事によって変化し得る。あらゆる行動の結果により数ある運命は徐々に絞られてゆく。今までの阿求の行動が自らの未来を作るきっかけとなる。
今レミリアが見ているのはそんな未来たち。阿求が敗北している未来が全体の九割を超える絶望的な状況も、それを作ったのは阿求自身である。
事実、阿求は断片的な情報以外何も知らない。犯人の手口も、詳細な場所も、時間帯も、そして犯人の動機が本当に彼女の考えている通りなのかも。
「まぁ解決できなくても仕方ないと思うわ。探偵の初動が遅すぎた。もう少し早くにここに来ていれば急ぎつつも焦らずには済んだでしょうに」
彼女が動き出したのは既に六人の犠牲者が出た後のこと。全員命に別状が無かったと言えどあまりにも遅い。小説の通りに事が進むならば、タイムリミットは明日の正午。
レミリアは小説の内容なんて知らないが、自身の見たものによりそれを確信している。パチュリーももちろんそれを知っている。
知らないのは当事者たる探偵だけだ。阿求だけはまだあと二日程度余裕があるだろうと思い込んでいる。これまで一日一件のペースで事件が起こっていたからだ。無知が思い込みを生む。誤った思い込みは油断を生む。そしてその思い込みを訂正してくれる友人は既に失踪してしまっている。
現実の探偵は小説家の操り人形ではない。自らの得た情報だけで犯人を追いつめなければならない。阿求はこの件でその難しさを嫌というほど実感するだろう。少なくともレミリアはそう確信していた。
「ま、今更私たちには関係の無いことね。咲夜、食事の準備をしなさい」
咲夜はかしこまりました、と一礼してから姿を消した。一時間もすればまた呼びに来るだろう。静かになった図書館にはしばらくの間パチュリーの本を捲る音だけが響いていたが、やがてレミリアも暇を自覚したのか、まだ読んでいなかった本を手に取った。
佐戸愛子。この人間の書いた本を手に取る度にレミリアは薄気味悪さを感じる。ごく最近入って来たという本をひょいと裏返してみれば、案の定出版年は
幻想郷の性質上、たどり着くのは外の世界で忘れ去られたものばかり。それは幻想郷の結界を通す以上この大図書でも変わらない。ここにある外来書はすべて外の世界で読み古されてボロボロになったもの。それをパチュリーが見た目だけ修復しているものだ。
しかしこの著者の本だけは完全に新品のような状態で入っている。紙の匂いも質感も他のものとは比べ物にならない。パチュリーがそのことについて何も言わないのもレミリアにとっては不審なことだった。もっとも、彼女にとっては本が読める状態であるならば何でもいいのかもしれない。
もう既に内容を知ってしまった本をなんとなく眺めながら食事の出来上がりを待つ。騒がしい事も多いレミリアだが、実は静かな場所も嫌いではない。そうでもなければとっくにパチュリーを紅魔館から追い出していただろう。
後から思い返せば刹那が如き時間なのだろうが、今この瞬間だけはゆったりと時間が過ぎているように感じられる。永い時を生きる彼女たちにとって、生きていることを実感できるだけのひと時は重要なのだ。
頬を机につけて手足も伸ばす。そんな楽な姿勢でただぼんやりしていたレミリアだったが、次の瞬間急に起き直った。その拍子に広げられた翼によって机上の本が数冊床に落ち、パチュリーはレミリアに不機嫌な顔を向けた。
そんなことは気にも留めずに驚いたような、それでいて興奮したような顔でレミリアはパチュリーに話しかける。
「パチェって本はどこまで読む?」
「そりゃ全編一通り読むわ。内容も忘れはしない。あとがきまで読むこともあるわね。たまにだけれど」
「それじゃあ気づかなくて当然か。これを見なさい、パチェ」
そう言ってレミリアがパチュリーに突きつけたのは例の本のカバー裏。普通に小説を読むならばまず気にならない部分でありわざわざ見ようとも思わない部分である。レミリアが気づいたのは手持ち無沙汰だったがゆえだ。
黒で縁取られた真っ赤な表紙だ。『前方後円墳になる村』というタイトルが小さく書かれており、文字の下には前方後円墳らしき絵が描かれている。しかしその絵が前方後円墳だと考えられるのはタイトルがあるからにほかならず、何も知らない者が見れば別の物を想像するだろう。
「まるで典型的な鍵穴表現でしょ? 真っ黒いシルエット。しかも首の部分が古墳のそれよりはるかに細い。それにほら、表紙だけじゃなくて裏表紙にも読めないけど何か書かれてるわ」
真っ赤な表紙に対して裏表紙は真っ黒だ。真ん中あたりにはアーチ状に赤抜きで文字が書かれている。端のほうの文字が少し歪んでいるのもあってレミリアにはとても読めないらしい。
「まさに鍵穴、か。阿求を向かわせるべきではなかったかもしれないわね。レミィの言う通り、どうにも良くない予感がするわ」
レミリアにはさっぱり理解できなくとも世界中の本を読み漁って来たパチュリーにとってはこの文章の解読程度わけなかった。先ほどまでの気だるげな様子とは打って変わり、目を瞑ってブツブツと独り言ちながら何か考え事を始めた。
この推理小説の内容を思い出しているのだ。犠牲者が七人に失踪者が一人。今現在分かっている犠牲者は六人だが襲撃が起こったのは五件だ。あと二人の犠牲者が出るであろうとパチュリーは予測している。実際にそうなるだろう。しかし場所は? 小説で分かるのは形だけ。挿絵も一切ないのだから人里の規模と小説内の村の規模を比較することもできない。
「そう言えばレミィは犯人が誰かも分かっているのよね」
「それが分からないのよね」
パチュリーがぽつりとこぼした独り言に返したレミリアの言葉。それに最も驚いたのはパチュリーだった。平たく言えば未来が見えるという強力な能力で、今回の事件についても探偵と犯人の勝敗が見えているような発言をしていたはずだ。それにもかかわらず犯人が分からないというのは理解しがたいことだった。
「何? 知らない奴が犯人だってことかしら?」
「それすら分からないのよね。見てやろうと思うほど遠ざかるようで犯人像を結ぶことができない。まるで私の能力が操られているような気にもなるし、正直に言えば不快極まりないわね」
基本的にプライドの高いレミリアにとって能力が自分の思う通りに働かないことへのストレスは大きかった。
阿求が見える。横たわった小鈴の傍で頽れる彼女が見える。だがそこまでだ。にわかに暗い影が彼女たちを覆ったと思えば分岐の本源へ戻っている。
こんなことは初めてだった。見ようと思った物が見えない。運命が別の分岐へ繋がらない。まるで死の直前を見ているかのように、唐突に暗転して運命が見えなくなる。あり得ない。幻想郷という土地で、八雲紫が管理する人里の中で人間は妖怪に殺されない。しかし全く幻想郷に関りの無かった者が犯人だったら? 掟を知らない者が犯人だったらどうだろうか。
もはやレミリアに分かるのは探偵の敗北だけだった。犯人が何の目的で事を起こしたのかという問題以前に犯人の顔さえ分からない。結果以上の情報が何も見えてこないのだ。
「阿求は必ず挫かれる。とにかく八雲には話を通しておきたいところね」
何が正しい未来なのか分からない。レミリアはただ、自分の能力を信じたうえで人里壊滅の危機を紫に伝えることしかできないと判断した。運命を操る能力ですら介入できない絶対的な運命を彼女は感じ取った。
それが正しい判断であるという自信も彼女にはないが、とにかくこの状況から逆転の一手を打てるとすれば八雲紫にほかならないだろう。稗田は幻想郷の中枢を担うべき人間であり、彼女を寿命以外で失うのは幻想郷のシステムにも影響が及ぶ可能性がある。
「やつほど自由気ままな妖怪もいないわ。何処にいるのかなんて分かったものじゃない。レミィも分かってるでしょ?」
「そうね。ならばもういっそのことこちらから手を打った方が良いかもしれない。手柄を立てればもう少しここでの待遇も良くなるかもしれないからね」
吸血鬼異変で圧倒的な力量差の前に敗北を喫してからというもの、レミリアは令嬢としての生活から長らく遠のいていた。仲間や眷属、小間使いもそのほとんどが消し去られ、館に仕えていた者の中で残ったのは耐え抜いた精鋭二人だけ。
今の生活に大きな不満があるわけではない。吸血鬼異変後の取り決め通り、紫は定期的に食糧としての人間を攫ってくるし、きちんと好みの血液型に合わせた新鮮な血液も支給してくれる。それこそ外の世界で血液不足が騒がれる程度には大量の血液が仕入れられているわけだ。
「これ以上何か望むものがあるのかしら? 別の世界へのアクセスなら私も興味があるけれど」
「具体的に何かと言われると確かに難しいわね。でも心理的な問題よ。私たちは世間一般からは大きな異変を二度も起こした迷惑者として認識されているでしょう? それが外出時なんかには枷になるのよね」
生活スタイルが幻想郷とまったく違うことも理由ではあるのだろうが、レミリアも咲夜も外に出れば奇異な目で見られる事がある。それが気に食わないのだ。八雲紫に圧倒的な力量差で敗北した後、彼女たちはもう幻想郷で暴れないことを約束させられた。吸血鬼にとって約束が絶大な効力を持つことを紫も知っていたのだろう。
そこからレミリアはその約束に盾突くような事をしていない。この間の紅霧異変だってスペルカードルールを世に広めるために頼まれてやったボランティア活動でしかなく、幻想郷を真の恐怖に陥れてやろうなどという気は一切なかった。だというのに紫やさとりといったごく一部の者以外からはお騒がせ妖怪のレッテルを貼られている。この境遇に納得がいかないのも当たり前だろう。
「だから慈善活動でもして人里からの評価を上げようというわけね。殊勝な事ね。応援しているわ」
「違うでしょ。貴方も一緒に来るの。紅魔館のブレインとしてこの事件の解決をするのよ。幸い貴方は元となった小説を一通り読んでる。何があるか読めない以上、貴方の知識は必要不可欠よ」
「嫌よ。面倒くさい。心配しなくても誰も死にゃしないわ。いざとなれば八雲紫が割って入るでしょうし」
レミリアの訴えも虚しく、パチュリーは解決に赴く気が一切ないようだ。それもそのはずで、彼女は別に今の生活を変えたいとも思っていない。さらにレミリアが見えているような運命など一つも見えないうえに紫の実力も知っている。人里の人間が危険に晒されるような状況になればなるほど人間の安全はより強固なものになるだろうと考えている。
親友からの突き放しにレミリアは数瞬呆然とする。まさか断られるとは思わなかったからだ。正気に戻った後もレミリアの考えは変わらない。今度はどうすればパチュリーを駆り出すことができるのかについて考え始めたが、こちらも妙案が浮かばない。
「そも他人を頼りすぎじゃない? 本と現実が同じになる保証はないし、そうなったら私にの方が足手まといに――――あら咲夜、食事の時間……ん? 何かあったのかしら?」
気づけばもう小一時間は経っており、食事に呼びに来てもおかしくない時間ではあった。
しかし呼びに来たはずの咲夜の様子がおかしい。何故かとても焦っているようで、顔面を蒼白にしながら息を切らしている。レミリアも咲夜の異変に気付いたのだろう。呼吸を整えさせながら話を促す。
「い……」
「い?」
来た時から息も絶え絶えで蒼白だった咲夜の顔がさらに青白くなった。
「妹様が行方不明です!」
咲夜の口から力なく、しかしはっきりと発せられたその言葉は、レミリアはもちろんパチュリーを動かすにも十分すぎる威力を持っていた。先日の脱走以来、フランドールの部屋の鍵の開閉を管理しているのはパチュリーだったからだ。
何故気づかなかったのか分からない。フランドールの部屋の鍵は確かに開錠された跡があったのだ。それもパチュリー自身の魔法によって。
得体の知れない恐怖が彼女の首筋を撫でた。
いよいよ事件も佳境に入って来た感があります
主人公って誰でしたっけ、となるような章になっていますがもうしばらくお付き合いください
お待たせしてしまって本当に申し訳ございません