「ねぇ探偵さん、ちょっと私についてこない?」
そんな声が聞こえたのは小鈴の両親が騒動を起こしている真っ只中だった。私はまだ鈴奈庵に残っているが、小鈴の両親は共に娘を探しに出て行ってしまった。
里中が騒がしくなっている中でも幼い少女が発したような声はよく通り、私の耳にスッと入ってきた。しかし、走り回っている者たちにはそんな声を聞く余裕もないらしく、相変わらず目を里の隅々まで光らせているだけに見える。
はじめ声のした方を見た時には誰もいなかった。
外の騒ぎの声を何かと聞き間違えたのかとも思ったが、どこからか蝙蝠が集まってきたかと思えば次の瞬間にはそこに幼い少女が佇んでいた。
「レミリア・スカーレット……?」
「違うわよ」
そう、違う。この少女はレミリア・スカーレットではない。しかし見れば見るほどレミリアに似ているように思えて仕方がない。目立つ違いと言えば髪色と翼の作り。金色の髪はともかく、宝石をぶら下げた枝のようなカラフルかつ頼りない翼は、吸血鬼と言われてイメージする姿と一線を画している。
「私はフランドール・スカーレット。赤子も泣き叫ぶ、誇り高き吸血鬼よ」
赤子は何もせずとも泣き叫ぶものだとツッコむのは野暮だろうか。
「貴方が今回の探偵さんなんでしょ? 名前は……なんだっけ?」
「……稗田阿求です」
しかしこの少女がフランドール・スカーレットなのか。噂通りならば、スペルカードルールの外での戦闘では幻想郷最上位に位置する恐るべき吸血鬼。単純なパワーでは姉のレミリアをも凌駕するという悪魔の妹。しかも持っている能力は理不尽な破壊の力。
今までどうして問題にならなかったのか不思議になるほど弩級の厄災だ。それが今私の目の前に佇んで私を見ている。
怖い。
蛇に睨まれた蛙。鷹の前の雀。脚に力を入れているのにまるで身体を支えているような気がしない。動かすこともできない。磔刑に処されているかのごとく、指一本動かせずに恐怖ばかりが身も心も支配していく。頬を伝う汗は外気の暑さによるものではない。
コレだ。目の前のコレこそが本来縁起に載せるべき災厄。人に絶望と恐怖を与える真正の
「そっか。それで探偵さん、私について来るの? どうなの?」
結局名前を聞かれたのに意味は無かったらしい。あるいは興味が無かったか。フランドールの口調は砕けているし、敵意を持っているわけでもないだろう。そうだというのに感じるプレッシャーは他の妖怪たちと比べても桁違いだ。制御が効いていないだけかもしれないがそれでも恐ろしいのは変わらない。
彼女について行くか、行かないか。実質選択肢など無いに等しい。この恐怖に打ち勝って彼女の誘いを断ることができるのならば、私はきっとこんなに弱くない。
「……貴方が犯人なんでしょうか?」
「来るの? 来ないの? 早く決めてちょうだいよ」
私が勇気を振り絞って何とかひねり出した質問に返答などなかった。
聞いていない。この妖怪にとって興味の無い言葉は右から左なのだろうか。分からない。何も分からないが今はコレを無視するわけにはいかない。
ついて行く、と返事すれば彼女は満足そうに先導し始めた。ついて行った先は里のほぼ中心部、井戸だった。犠牲者の妻たちはいつもここで漫談を楽しんでいたという話がある。そしてここを中心として何かしらの魔法陣が形成されているのでは、と今朝の私は考えていた。もっとも、今の幻想郷にはそんなふざけた魔法陣を起動できるような妖怪はいないらしいので、その仮定は崩れ去ったと言っても良い。
「貴方が犯人なんでしょうか?」
フランドールが立ち止まったので、私は先ほどした質問をもう一度投げかけてみる。
今度は質問に答える気になってくれたのか、彼女は私を嘗めるように見た後、品定めするように私の顔をじっと見つめてきた。私の身体はやはり動かない。まるで何かの魔法をかけられたかのように顔を引き攣らせたまま棒立ちになってしまう。
周囲には帰りを急いでいる人々がいるというのに、まるで私とフランドールだけの世界になってしまったかのように、誰も私たちの事を気に留めない。それは時間にして僅か数秒のことであっただろう。しかし私には一刻にも感じるほど長い時間そうしていたように感じる。
彼女は質問に答えるわけでもなく、私の方に歩み寄ってきたかと思うと唐突に私を米俵のように抱えて井戸に飛び込んだ――――――――
急激に身体にかかった負荷と気持ちの悪い浮遊感によって私は意識を瞬時に手放してしまったようだ。どうやら今の私は薄暗い部屋のベッドに寝かされているらしい。やけに蒸し暑い部屋だ。初夏とはいえ、夕方から夜にかけてはまだ涼しいはずだ……と考えていると少し頭が痛む。意識を飛ばした後、目覚めて間もない脳ではちょっとした考え事をするだけの余裕もないらしい。
痛むこめかみをさすりながらちょっとでも先ほどまでの事を整理しようとしていると、部屋の扉を開けて犬耳の女性が入ってきた。
「おや、もう目が覚めていらっしゃったのですね。いやはやまったく、人里の最重要人物にこのような扱いをしてしまうなど……八雲様にどのようにお伝えすれば良いのやら……」
私が人里の最重要人物なのかはどうかはともかく、この犬耳妖怪の口から非常に気になる単語が出た。
「八雲……八雲紫を知っているんですか?」
「えぇもちろん。……名乗っていませんでしたね。私は
古明地さとり。その名前が出た途端に思わず身構えてしまう。つい半日ほど前に散々言われたばかりなのだから仕方がないだろう。
しかしここで彼女の式神が出てくる理由が分からない。私は先ほどまでフランドールといたはずだ。私の記憶は絶対なのだから勘違いということも無い。フランドールは何処へ消え、何故この妖怪が私のもとへやってきたのだろうか。
「では行きましょうか。さとり様が貴方を待っていますよ」
「待ってください。そもそもここは何処で、何故私はここに寝かされていたんですか?」
「ここは地霊殿です。ご存じでしょうが地底の中枢です。核と言い換えても良いでしょう。貴方がここに寝かされていたのはさとり様の指示です。貴方は気を失っていましたからね。フランドール殿が少々無茶をしたようで……誠に申し訳ございません。
さて、もう質問が無いようでしたらさとり様のところへ案内いたしますが」
聞きたいことが無いわけではない。フランドールが今何処にいるのか、古明地さとりは私と会ってどうしたいのか、そもそも何故私をここに置いておく気になったのか。だがそんなことは今この場で聞くような事ではないだろう。どうせ古明地さとりに会えばすぐさま解決する。
解決……そうだ。私は探偵として事件を解決している途中にフランドールに出会った。結局彼女は私の質問に答えることなく何処かへ行ってしまったわけだが、彼女の行動からして一枚噛んでいるのは確実だ。そうでなければあそこで私の質問を無視する理由が無い。一度目はともかくとして二度目は絶対に彼女の耳に届いていたのだから。
万頭狼戒と名乗った少女は考え込む私をじっと見つめている。私がついて行くかどうか悩んでいる、とでも思っているのかもしれない。
「私は彼女に会いたくありません。できれば地上へ帰していただきたいのですが」
どうせ会うことになるだろう。だって目の前の少女は式神でしかないのだから。それでもささやかな抵抗くらいは見せておかなければならない。会いたくないのは事実だし。
「それはなりません。さとり様の指示ですので多少強引にでも連れて行きますよ」
やはり。妖怪相手に私が何をできるわけでもない。大人しく彼女について行く。無駄に長い廊下を歩いている途中、彼女は地底について簡単に教えてくれた。
かつてここに地獄があったことは既に知っていることだったが、さとりがその頃からここに棲みついていたというのは初耳だ。確かに今にして思い返せば初代の頃から覚妖怪の姿を見たことは無かったか。
地底はならず者たちの巣窟だ。これまで幾度かさとり政権を終わらせようと立ち上がった者たちがいて、尽く消されていった。現在そのような争いが無くなったのはさとりが表舞台から姿を消したからだそうだ。
さとりは自らの死を偽装して身を引き、地底から大きな争いを無くすことに成功した。今表に立って地底を纏めているのがこの式神。さとりへの反乱を目論んだ者たちのリーダーだったという。実際はさとりに敗れて良いように扱われているのだが、元の部下たちはそんなことなど知らない。さとりが死亡し、かつてのリーダーが地底を治めているという表面上の事実だけに満足して生活している。
「何故古明地さとりはそこまで敵を作ったんでしょう。やはり性格の問題?」
「いえ、さとり様が嫌われていたのは彼女が覚妖怪であったため。それ以上の理由などありはしませんよ。自分の心の内が勝手に覚られてしまう、というのは誰にとっても気分の良いものではありません。貴方もそうでしょう」
確かにそうかもしれない。あの性格が苦手なのかと思っていたが、思い返せば心を読まれることを自覚してすぐに気分が悪くなったような気がする。嫌われ者の棲まう地底においても最も嫌われている妖怪というのは存在そのものが嫌悪の対象だったというわけだ。
「もしそこまで嫌われている彼女がまだ存命であることが地底に広まってしまえば現体制は崩壊するのではないですか?」
「間違いなく。ですからあの方は私が本当の統治者になれるよう手を尽くしてくださっています。まだまだ道のりは遠そうですが」
古明地さとりが何を考えているのか分からない。何故未だに裏で地底を牛耳り続けているのだろうか。死んだとされたならば即座に統治者の席を式神に譲るべきだったはずだ。初めから上手くできる者などいないのだから、この式神が多少雑な行いをしたとしても昔ならば許されただろう。
最も不可思議なのは今になって席を譲ろうと苦心していることだ。するならばもっと早くするべきだったし、しなかったのならば現体制が崩壊するまで続けても良い。昔に戻るだけだが、あの妖怪ならば力で黙らせることもできるだろう。実際に千年近くもそうしてきたわけだし。
私に言わせれば何もかもが中途半端だがもちろんあの妖怪のことだ。何か人間には予想もつかないようなことを目論んでいる可能性も否定できない。
「それを貴方が考えたところで何にもなりませんよ」
廊下の角を曲がって古明地さとりが現れた。てっきり客間で椅子に座って待っているものだとばかり思っていたからこの出会い方には少々驚いてしまう。お手洗いにでも行っていたのだろうか。
「少しペットたちに癒されていただけです。……先刻ぶりですね、稗田阿求。そちらから出向いていただけて光栄ですよ」
何が『そちらから出向いていただけて』だ。ほぼ強制的だったではないか。こういうところにこの妖怪の性格の悪さが滲み出ている。しかしそんな感情は胸の中にしまって、こちらからも至極丁寧に挨拶を返しておく。どうせ内心はバレバレだろうが、式神の方だけでも誤魔化しておかねばなるまい。
「ふふ。貴方も随分と私に近い存在であるように思いますがね。まあ立ち話はこのくらいで良いでしょう。中へお入りください」
紅魔館よりはやや暗い印象のある部屋だ。煌びやかな
「さて……では貴方の推理を聞きましょうか」
「推理、ですか?」
「ええ。現在地上で起こっている事件についてです。私も詳細が気になって色々と調べましたよ。私は文字通りの反則探偵ですので犯人は知っています。貴方の推理の正否くらいは判断して差し上げましょう」
この事件にまず間違いなく絡んでいるのがフランドール・スカーレット。しかし彼女が属する紅魔館は深く絡んでいるわけではないだろう。パチュリーが何気なく私を解決に導こうとした可能性はあるが、少なくともレミリアの方は何も心当たりがない様子だった。
犯人は数日かけて襲撃を行った。しかし話に聞き、実際に見た感想としてはフランドールにそれほどの忍耐力は無さそうだ。彼女は実行犯であっても首謀者ではないだろう。その彼女が私をここに連れてきた。
「犯人は貴方ですね、古明地さとり」
「ほう? なかなか面白い結論ですね。ではそう考えた理由をもう少し実際の証拠に基づいて教えていただきたいのですが、よろしいですか?」
証拠か。この事件で犯人はわざわざ現場に証拠を残すような行動を繰り返してきた。被害者の状態は一時的な発狂で一致している。これは覚妖怪が行う心の破壊を軽度にしたものだと考えられる。そしてほぼ私宛に書いたであろう置手紙。指定された場所は私が落とされた井戸だ。これが地底に繋がっていたとなるとやはりこの妖怪が犯人に最も近い。
昼間紅魔館を訪れた際にフランドールに何か伝えたに違いない。今にして思えばあの時のさとりは私が真実に近づかないよう妨害していたような気もする。私に探偵として何か期待していたのも、きちんと犯人を見つけて事件を解決に持っていくこと、その結果さとりを糾弾することを期待していたのだとすれば納得がいく。
「……そういうわけで貴方が犯人だと考えるのが妥当であると判断しました。どうでしょうか、反則探偵さん?」
「素晴らしい、と言いたいところですがもう少し補足しておきましょう。まず私が主犯である。これは正解です。一時的発狂の原因も私です。貴方に期待していたことも概ねその通りです。しかし他は少し違います」
昼間紅魔館に行っていたのはただレミリアに用事があったからであり、フランドールへの接触はもう随分と前に行っていたらしい。真実に近づくことへの妨害も本人的にはそれほど意図的なものではなかったとのこと。
「そして井戸について。これに関してはもう少し遡らなければなりません。私はこの井戸を中心に襲撃を行いある紋様を描いた。貴方も知ったでしょう?」
そう言って彼女は例の本を懐から取り出した。佐戸愛子の『前方後円墳になる村』だ。パチュリー以外にも持っている者がいたらしい。
井戸を中心にして犯行現場の点を結べば前方後円墳の形になるという話だ。
「しかし貴方はこの本の意味するところを何も知らない。カバーを外せばこの本の本当の姿が現れるのです」
黒く縁どられているせいでカバーを付けた状態ではこの真っ赤な表紙に気づかなかった。本のタイトルの下には前方後円墳と言われて想像するものよりもやや細いそれが黒抜きで描かれている。
裏表紙は真っ黒に赤抜きでアーチ状に何やら文字が書かれている。
「フランス語で『鍵は探偵』と書いてあります。もうお分かりでしょう。表紙のこれは前方後円墳などではなく鍵穴です。そして裏表紙のこれが何を意味するのかというと……そう、探偵である貴方こそがこの事件の最終目的に必須なのです。フランドールが少々誤解してしまったようで、
この妖怪が犯人であることは分かった。私がまんまと嵌められたことも。しかし何をするつもりなのだろうか。わざわざ明日の正午早苗さんを井戸に連れてこいと指定した理由も関係あるのだろうがいまいち分からない。
「祭りですよ。久しくなかった地上での祭り騒ぎ。地底からも大勢が参加するので私は欠席しますが……安心してください。正午になる前には貴方を地上に送り届けさせますよ。貴方もその眼で見たいでしょうからね」
「何をするつもりなのかは知りませんが、里でそんなことをして八雲紫が黙っていませんよ」
「今回の祭りは私と八雲と河童の共催です。彼女の名前による脅しは効きません。それと、本居小鈴はもう人質として意味を為さないので鈴奈庵に帰しておきました。地上に戻ったら会いに行くと良いでしょう。推理も概ね間違っていませんでしたし今回は貴方の勝利で終わらせましょう。おめでとうございます。ではまた会いましょうね、探偵さん」
ここまで味のしない勝利も無いだろう。全て彼女の手の上で事が進んだように思った。私が言い当てたのも彼女が犯人であるという、ただそれだけ。本の意味も全く理解していなかったし、禁忌とも言えるネタバレでようやく事件に追いついたというもの。まだまだ足りていない。
実質的には私の敗北で間違いない。これは彼女なりの慈悲のつもりなのだろう。しかし残酷だ。私は探偵としてほとんど何もできなかった。探偵ごっこに多くの者を付き合わせただけ。
「そう落ち込むことはありません。もとよりあの方に完全勝利できる方など相当に限られているのですから。あの方が貴方の勝利を認めた……それは数代先の貴方にさえもきっと誇ることができるでしょう。私はそう思いますよ」
『前方後円墳になる村』
表紙:真っ赤に黒い鍵穴。黒いのは向こう側から誰かが覗いているから
裏表紙:真っ黒に赤抜きの文字。黒が瞳の色を表しており、アーチ状になっている鏡文字は瞳に映った表紙側の文字を表す
探偵視点で進む小説において読者は観測者として初めは表紙の手前側にいるが、物語の進行に伴って探偵とともに鍵穴に近づき、最終的には鍵穴と認識できないほどにまで『あちら側』の観測者に接近してしまう、という知らなければ特に何も思わない設定があったりします
Q.レミリアたちはどうなったの?
A.フランドールも地上に帰したので合流して紅魔館に帰りました。なおレミリアに詳細を話すつもりはない模様
レミリアたちの方も書こうと思っていたのですが、そんなことをするとこの決着がまた先になる気がしたので省略です