まちがったシンジくんをエヴァパイロットにしてしまった 作:鰹節の丸煮
「う~ネルフネルフ」
今、ネルフを求めて全力疾走している僕は、第三新東京市に通う、ごく一般的な男の子。
強いて違うところをあげるとすれば、人付き合いにちょっと難があるってとこかナ──。
名前は碇シンジ。
そんなわけで、帰り道にある特務機関の本部にやって来たのだ。
ふと見ると、受付に一人の若い女の人が立っていた。
ウホッ! 知らない人……。
よかった。
知らない人なら、僕のことをまだ嫌っていない可能性がある。
いや別に、知っている人がみんな僕を嫌っているというわけではない。綾波とか。綾波とか。あと綾波なんかも、たぶん、そのはずだ。本人に確かめたことはないけれど、わざわざ確かめることでもないだろう。そういうのは。そういうことを聞くから面倒臭がられるのだ。
僕はそういうところには気がつく男である。
気がつくだけである。
ちなみに家には、式波・アスカ・ラングレーという女の子がいる。
美少女だ。
僕が泣かせた。
これだけ書くと、なんだか青春の一ページみたいで実に好い。夕焼けの教室。すれ違う想い。素直になれない二人。実際には廊下に荷物が散らばっていて、僕があの娘の一番言われたくなさそうなことを選んで言っただけなのだが、まあ、青春には違いない。十四歳のやることなのだから。
十四歳って便利だなあ。
クラスでは、あまり喋らなくなった。
喋らなければ余計なことも言わずに済む。余計なことを言わなければ嫌われずに済む。すでに言ってしまったことについては、今後の僕の沈黙に免じてどうか御容赦いただきたい。
無理か。
ハハ。
さて、父さんである。
僕を呼びつけておいて、自分はずうっと遠くの高いところにいる、あの父さんだ。親子の距離というものを目で見て分かるようにしてくれる。教育的だ。流石は司令官である。
あのとき僕、何を言ったんだっけ。
いや、覚えている。
覚えているけれど、ここでわざわざ紹介するほど面白いことでもない。父さんも笑わなかったし。あの人はそもそも笑わないけれど。僕も笑わなかった。誰も笑わなかった。
じゃあ、なんで言ったんだろう。
受付の女の人がこちらを見た。
僕は笑った。
こういうときは、笑うのである。
まだ何も言われていないのだから、きっと、間に合う。
「お名前をお願いします」
ほら、間に合った。
「碇シンジです」
女の人の指が止まった。
僕は笑ったままでいた。
「……少々お待ちください」
有名人なのである。
なにせこの町の地形を変えた男だ。観光案内の地図が刷り直しになったら、どこかに僕の名前も小さく載せてほしい。造成・碇シンジ。監修・国連直属特務機関ネルフ。苦情受付・父さん。
全部父さんのところに送ってくれ。
「本日は定期検査ですね」
「はい」
「担当の者が参りますので、そちらでお待ちください」
僕は礼を言って、示された椅子に座った。
座っていいと言われるのは、ありがたい。
ここにいていいかどうか、自分で考えなくて済む。
ちなみに、ここへ来たのは家出ではない。ちゃんと呼び出されたのである。綾波と帰っている途中、携帯電話が鳴った。検査の予定が入っていたでしょう、と言われた。忘れていた。すみません、と言った。
綾波には先に帰ってもらった。
一人で行ける、とわざわざ言った。
綾波はしばらく僕の顔を見ていたけれど、やがて「そう」と言って、手を離した。
そのとき少し寂しかった。
面倒臭い男である。
手を離してほしいのか、離してほしくないのか、どっちなんだ。説明書をつけてくれ。できれば僕にも一冊。
検査はシンクロテストとかいうやつだ。
僕があの巨大な紫色の人とどれだけ仲良くなれるかを調べるらしい。人間とはこのザマだが、あちらとはなかなか相性がいいという。
嬉しい話だ。
母さん、僕にも友達ができました。
ちょっと大きいけど。
(ーーー)
「はい、目を閉じて」
閉じる。
「肩の力を抜いて」
抜く。
「そのまま、楽にしていてちょうだい」
楽にする。
実に簡単だ。
もっと早く教えてくれればよかったのに。人間、こういうふうに付き合えばよかったのである。してほしいことを順番に言ってもらって、僕はその通りにする。できなかったところは教えてもらう。次から直す。
式波もそうしてくれればよかった。
部屋を譲って。
荷物をどけて。
邪魔だから出ていって。
──いや。
それは、言われたか。
「シンジ君?」
「はい」
「今、何か考えていた?」
「別に」
返事が少し早かった。
「何も考えないようにしていました」
「そう。無理に意識しなくていいわ」
「はい」
リツコさんはそれ以上、聞かなかった。
助かった。
さっきから僕は、ずいぶん助かっている。
何もしないうちに。
父さんに初めてエヴァに乗れと言われたとき、僕は腹を立てた。何年もほったらかしにした息子を呼びつけて、いきなり何を言うんだこの人は、と思った。そのほかにも色々と思ったし、思ったことは大体言った。
僕は思ったことを言える男だ。
言わなくてもいいことまで言える。
すごい。
それで乗った。
乗らないと言って、文句を言って、父さんの顔を見て、結局乗った。乗ってからも腹が立っていたので、ああなった。
皆さんには大変な御迷惑をおかけしました。
皆さんって誰だ。
顔も知らないのに。
父さんの顔は知っている。
あのとき僕が何を言っても、父さんはずっと同じ顔をしていた。
あれは便利だろうな。
僕もああいう顔ができたら、式波に余計なことを言わずに済んだのかもしれない。荷物を拾って、場所を空けて、わかりましたって言って、それで終わり。
そうしたら、あの娘は泣かなかった。
僕はたぶん、あの娘を嫌いなままでいられた。
「──いいわね」
僕は目を開けた。
「非常に安定しているわ。前回より数値もいい」
「……そうですか」
「何か心当たりはある?」
あった。
ここにいる間は、帰らなくていい。
「よくわかりません」
嘘ではない。
どうしてそんなことで調子がよくなるのか、僕にはちっともわからない。
リツコさんは手元に何かを書き込んだ。
「今の感覚を覚えておいて」
「はい」
覚えておく。
できれば忘れたいことも一緒になって、どんどん増えていく。
(ーーー)
着替え終えて携帯電話を見ると、ミサトさんから連絡が来ていた。
『終わったら電話ちょうだい。夕飯のことで相談!』
僕はしばらく画面を見ていた。
相談。
夕飯の。
それはつまり、何を食べたいかということだろうか。それとも何を作れるか。冷蔵庫に何が残っているか。買い物をして帰ってきてほしいとか。そういう、いつもの話だろうか。
電話をかけた。
『あ、シンジ君? 検査、終わった?』
「はい。今、終わりました」
『お疲れさま。でね、今日の夕飯なんだけど』
「何か買って帰りますか」
『あ、ううん。あるものでいいんだけど──』
ミサトさんの声が、少し止まった。
僕は更衣室の扉の横に立って、誰もいない廊下を見ていた。
『アスカも帰ってくるから。三人分、お願いしていい?』
「はい」
『……シンジ君?』
「三人分ですね。わかりました」
言われたことができる。
僕にも。
『無理はしなくていいのよ』
「大丈夫です」
また、早かった。
今度はミサトさんも、すぐには喋らなかった。
その沈黙が嫌だったので、僕は笑った。電話なのに。顔なんか見えていないのに、ちゃんと口を動かして笑った。
「検査も、調子よかったですし」
『……そっか』
「はい」
『じゃあ、気をつけて帰ってきてね』
「はい」
電話が切れた。
僕は携帯電話をポケットにしまった。
三人分。
僕の分も作っていいらしい。
それなら、帰らなくちゃ。
ただ、帰る前に一つだけ。
ミサトさんには申し訳ないけれど、今夜は少しばかり助けてもらいたかった。僕は式波に謝りたい。謝らなきゃいけない。それはわかっているのだけれど、いざ顔を見て何か言われたとき、僕の口から何が出てくるのか、僕にはもう信用できなかった。
だから、大人にいてほしかった。
僕が余計なことを言う前に、止めてくれるような。
ミサトさんもいてくれる。
でも、昨日もいてくれた。
もう一人、必要だ。
僕は少し考えてから、受付に戻った。
「すみません。司令に連絡って取れますか」
女の人は僕を見た。
「碇司令に、ですか」
「はい。息子です」
知っていると思うけれど、念のため。
そこから少し待たされた。何人か別の人とも話した。用件を聞かれたので、家のことです、と答えた。嘘ではない。電話を取り次いでくれた女の人の声が最後には妙に硬くなっていたけれど、きっと忙しかったのだろう。
『……何だ』
父さんだった。
僕は受話器を持ち直した。
「父さん、今日の仕事、何時に終わる?」
『用件を言え』
「夕飯、食べに来ない?」
返事がなかった。
聞こえなかったのだろうか。
「ミサトさんの家。僕が作るから」
『……何故だ』
何故。
父親を夕飯に呼ぶのにも理由がいるのか、この家は。
いや、いるか。
僕だって、父さんから急にそんなことを言われたら、まず病院を疑う。
「家で、ちょっと困ってるんだ」
そう言うと、父さんはまた黙った。
だから僕は、ちゃんと説明した。
「女の子を泣かせちゃって。何を言ったらいいかわからないから、父さんにも一緒にいてほしいんだけど」
言ってから気がついた。
この相談をする相手としては、もしかしたら父さん、あんまり向いていないのかもしれない。
でも、もう頼んじゃったしな。
「父さん、こういうの得意でしょ」
『……何がだ』
「何を言ったらいいかわからない女の人と、黙って同じ部屋にいるの」