いつも生徒或いは学園関係者か、それとトレーナーしかいないこの空間、そしてこの空気。妙な気配に満ち満ちていた。ただその気配が悪いとか良いとかそう言う区別幕無しに、ただ彼らにのしかかっていく。
それはそうだろう、時代錯誤のファッションに身を包んだ、威風堂々な女が立っているからだ。しかもただの女では無くウマである。人を押しのけてお立ち台に大きく目立てば、誰も彼もが慄いていた。
しかし気付く素振りなど全くなく、学ラン姿で枝葉を咥えているのはシンザンである。
「おおっ、あれが噂の……流石の出で立ちだ……」
「しかしご苦労様でした、たづなさん」
「いえいえ、大丈夫ですよ……ただまあ、ちょーっともう少し見ておく必要がありますねー、と思っただけで」
「理事長秘書から、抑えきれない何かが出てきているな……」
そして隣からはようやく追いついたたづな女史含めた生徒会面々が口々に何か言っており。
「あ、ああ……」
「おいおい何だアイツ、私よりちっせえはずなのに何か……いるって感じすげえな」
「あ、もしかしてカイチョーがとても気にしてた人かな……」
「そんなお方ですの? お婆様に聞いたら何か知っていらっしゃるでしょうか……?」
シンザンの後輩たちも泥だらけ埃だらけのままに関わらず集まってきて、口々に何かを言っているようだ。
「……」
一方シンザン自身はその時には何にも気にならなかったし、もっと注目すべき光景がそこに広がっていたから、しばらく後まで後ろを振り返るどころか、横を睨みつける事すらしなかった。
しかし気に留めていることは一つだけ、そうたった一つ小さくだが高級なシルクにこびりついた染みの様に、心配事があって────それは過去の事である。昔自分が助けられずに走る事をあきらめたウマたち、後少し手を差し伸べれば届くはずだったウマたちの事、そして自分が今までここにいなかった理由。
なぜ今の今まで気が付かなかった自分がいるのだ、それを鑑みるとどうしようもなく馬鹿であると言わざるを得ない。きっと自分は今針の筵と化している気分、だがそれが自分に出来る事、贖罪なのだと思っている。
それらが
「……」
しかしその染みに気取られる前に、己がすべきことは見失っていない、遠く体操着に着替えた女子たちは1600mのレースに挑む、その光景を見届けなければならない。
遠くでは待ち構えていたレースに不安になる子、体操をして落ち着かせている子、自信をもって走るのをうずうずと待っている子。シンザンにとってはあまりにも眩しい光景で、目も当てられなかった。
(……いた)
また一群から少し離れて単純に楽しそうなハルウララ、そして身を竦ませているライスシャワーもいる。それもやはりシンザンには眩く見えてしまう、ただ走るというだけに思う乙女に────。
その時だった。一瞬あるウマ娘の気配が真っ先に変わった──様な、気がした。
(あれは……)
ジッと見つめる先で揺らめいたように見えた眼光、相変わらず変わらないハルウララとは違う何かを見つける。気のせいではない、あれは薄々感じていたライスシャワーの気配だ。それを見ると彼女は思わず身を乗り出したくなるような気分になった。
絶対に勝ってみせるという意地が露わになったのが、それは嘗ての勝負師どもと全く異ならない。今はそれ以上の物は感じられなかったにしろ、もしも彼女が本当に重賞やG1に出てくるとなると、相当な差し合いすら制して遥か先を望むだろう。
(……あれが、ステイヤーになるのかい!)
複雑な思いである事には間違いはないものの、それはそれとしてとても強いウマ娘になると知ったのを、嬉しいと思うのは本当だった。既にステイヤーとしての足を見極めていて、尚且つあの小柄な体だから、あれは珠の一つである事は間違いはない。
さてシンザンは、すっかり口添えには少し難しいかも知れないとか、しかし先行策を取るには足が弱すぎるなどと、すっかり教育者目線として立っているのに気づかないのであった。
「……なに」
(声を出すんじゃねえスペ!
(本当に何なのあの人!? ねえマックイーンさん本当に何にも知らないのね!?)
(あそこまで凄まじいお方、既に会ってましたらすっと名前が出るものでしたよ!)
(……全然、衰えてないじゃないですか、先輩……)
一方その頃、更に目線を鋭くした笑顔を浮かばせて、更に気配を増すシンザンに対して、各々の想いと畏れを抱きながら、近くにいる人やウマは一斉に口を噤んで俯いていた。微笑ましくもああやっぱり何にも変わっていないんだなと思い、見ている人ほどでなくとも複雑な思いを抱えて微笑むのは、駿川たづなただ一人だけなのだった。
各ウマ一斉にゲートに揃いました、8頭立ての芝を行く乙女の生きざま、まずはここから始まる選抜戦。
公式戦ではないのでファンファーレも無ければ、試合を盛り上げる実況席の出番も無い、そこにあるのは複数とのプレッシャーと戦う己の一身、今旗は降り上げられて──スタートした。
各ウマ一斉に良いスタートを切った、ハルウララもいきなりこける事が無かったから驚きだ。それはさておき最後尾に着いてしまうのだが。
さて中段に埋もれたライスシャワーは若干慌てたが、なりふり構わず冷静になったのは、ふと端に映ったシンザンの形相が、先の通り恐ろしかったからだ。しかもジッとこちらを見つめているので、彼女の顔を見て委縮したライスシャワー、それが最初の策としては少し不味かった。
しかし差し込むのならともかく、追い込みをかけて一気に逃げ出すのならまだ何とかなる。徐々に徐々に先に登っていく。その体の小ささは活かしきれているようだ。
(まだまだ……)
やがて先頭集団と後方とが大きく離されていくが、彼女は無事先行する集団の二番手に着いた。勝負はここから。集団はカーブへと差し掛かった。
一方でまだ先すら見えないハルウララは何とか粘ってようやく最後尾と言う事は無くなった。少し息を切らし始めたが、距離は丁度いい上に根性は十分にある、それに追い込みや差し込みはこのウマの領分、勝機だけなら十分にありそうだが────。
「は、走りにくいー!」
それはもう、果てしなく、絶望的に芝が苦手なのである。しかも坂も何もない完全な平地、後方集団から出てくる可能性を考慮するならば、賭ける可能性はこの先にある。
集団コーナーを大きく曲がって先にあるのは一直線、残念ながらこのコースの直線は短くはない、普通位のコースだ。ハルウララ含め直線の強いウマたちが一気に仕掛けにいく。
怒涛の食らいつきであっという間に先頭集団との差が縮まった、一番手争いは他のウマ一人と黒い耳に帽子の飾り、そして黒い尻尾のライスシャワー。
ゴールポストに向けて一直線に駆け抜けてくる時速60キロメートルの疾風。白黒茶桃と色とりどり、衣服も赤青緑黒桃色の風が飛んでいく。早い早いは高速競バの面々。
残り200m、全員一気にスパートが掛かる。
後方一寸上がったハルウララは糞度胸、直線は長いが上がる途中で詰まってしまった。健気な様子は素晴らしいがやはり芝は苦手か。
先頭を陣取るのはたった二頭、取ったのはライスか、ライスか、いや彼女は差しあいはともかく責める立場は本当に苦手だ、僅かに届かない、いや届くか、届かないか────。
「まだ、まだ…………あと、ちょっと!」
さあ残り100m、全員必死の形相だ、あっと先頭のウマ動いて少し寄れた。それを差した、ライスが何と差してきた。
「まだーっ!」
さあ先頭に躍り出て勢いづいた彼女はここから本番。一気に過ぎ去る。一気に抜き去って逃げていく。あっという間に50m看板を抜き去って一気にゴールイン。
「や、やったぁ……!」
続くウマ娘たちは順々にゴールをしていき、そして最後尾からやってくるその粘り強い脚で、肩で息をして入り込んだ彼女も。
「ご、ごーるした~っ」
何とか芝の上をどたどたと歩きながらも、筋肉痛等起こっている部分は見当たらないのであった。
「あのライスシャワーだっけか、逃げは本当に早いな」
「あの子、結構いいかもな……トレーナーの有無は確か……」
「トロットスターが途中にガレてる、一寸コズミも出てそうだ」
「アレはスプリンター向きだろうな、それでも……」
「フラワー、パークか」
「コパノリッキーとハルウララ、ありゃダート向きだなぁ」
「確かに芝で苦しそうにしたのは、少しなぁ」
口々にトレーナーたち、老いも若きも己の評を交わし合う。それは通例であって特に咎められる場合はほとんどないだろう──本当に悪い事でも言っていない限りでは。
それでも彼らの声量はいつもよりも小さく聞こえるように思えた。それはなぜならいまだにシンザンが──彼らにとってはとっくに分からない謎のウマ娘がいて、尚且つだんだんと強まる重圧によって、下手な事が言えなくなってしまったからだ。
さて様子を窺う相手は当のシンザンに、振り返って現れた表情は────。
微笑んでいた。
一人だけ劇画の世界だとか、作画戸田泰成とか言われても言い逃れの出来ない、凄まじい笑顔を浮かべるかと思えば、全くそうでは無かったのだ。まるで慈愛を抱く聖女の様な、だが何処か寂しさすらも覚える微笑みであった。
しかしその後大股かつゆったりとした歩みだして、春先の乾いた空気にパーンパーンと踏みしめる凄まじい音だけを置いて行った。
さてウマ娘たちは思わずその一部が追っかけて行ったが、一方のトレーナー、先ほどまでの凄まじさをこちらに一片たりとも向けられなかった事に、ホッと一息つく者もいる。だが各々が抱いている感情は疑問と畏れのみが一致するだろう。
「……」
その傍らで駿川たづなは緑色の帽子を押さえたまま動くことも無かった。
(とても良い子を見つけたのですね)
しかもどこかホッとした様子で、その後を眺めるだけにとどめたのは、あんな風な様相を晒そうが晒すまいがシンザン自身が、嘗ての過去の捉え方を変えてくれるきっかけを掴んでくれたからだ。
きっと自分がそれを声を大にして言い聞かせても、あの時の当事者であったのは確かだ。己の出来る事は当時でもしてきた筈であっても、結局冷たい山に積もった雪を溶かすことは出来はしないだろう。
しかし今の、そして本当に走る事を望むことが出来る、あの子たちが太陽になってくれる事が出来るはずだ。
(……ごめんなさい)
とても非道いことをしていると顔を俯かせて、こうすることでしか彼女を変えられない自分を恨むたづな。夕焼けの暖かさと赤さが彼女の顔を照らす。
身体の前で硬く両方の拳を組み合わせて作り、壁に寄りかかってから赤い空を仰いだ。東の風に、純粋な祈りが込められていた。
感想、誤字報告、その他応援ありがとうございます。
拙いレース表現でございますが、お眼鏡に適いましたら幸いです。
前回のアンケートのご協力、ありがとうございます。
結果を踏まえまして、これからも自由に更新しますが、どうかよろしくお願い致します。
小説の投稿頻度は不定期ですが、更新日をお知らせしたいと思っています。そこでそもそも予告はいるのか、どこら辺りに付けるのが良いのか、ご希望をお聞かせくださいませ。
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予告はそもそもいらない