トレセン学園の食堂は、朝昼晩三食しっかり出てくる素晴らしい場所であり、その料理の質も非常に高いものである。特に人気のメニューはニンジンハンバーグ──見た目はハンバーグに、火を通したニンジンを真上からブッさすという中々な料理だ──など、ウマ娘たちの好物に則したものもたくさんある。
まあそう言うメニューや質の高さや、そもそも満足できる量が用意されているだけあって、とにかく歓談の場を成していることは間違いないだろう。そして今日も彼女たちは日々の疲れを癒すべく、熱いシャワーや湯船に入る前に、明日の為、そして今日の消費したエネルギーを充填するべく、十人十色いや十バ十色がここに集う事になり。
いつものように、その会話は花開く────そのはずで、あったのだが。
「……えーっと」
「……」
「……」
「は、はは……」
全員沈黙、黙々と食べる箸の音、食器と重なってはじける音──くらいしか聞こえないのである。食堂にいる調理師の面々からも、これは異常だと理事長室に走るかどうか悩み始めた頃。しかしそれも出来るかどうか怪しい。
それはそうである──ただ異質な存在が、そこにドンと座っているじゃないか。
学ラン姿に白い鉢巻き。ああ、夜を思わせる瞳でジッと見つめるのは、岩を思わせる強さでそこから動かないのは────山を思わせる深さで人々を、ウマ達の視線を引きつけているのは。
シンザン、ただひとりのみ。
「おー……何か静かだね、ライスちゃん」
「ウララちゃん?」
ただ一人気が付かないのはハルウララ。呑気にハンバーグに突き刺さったニンジンにかじりついて、結局そこまでしか認識していないのだが、その気付かなさっぷりは、シンザンに負けず劣らずといったところか。
「そんな事気にしてる場合じゃないさ。それよりももっと楽しく強く走る為には、どうしたらいいか考えなきゃぁならない」
「あー……そうだった」
「で、どうだそっちは。思いついたかい?」
だがシンザンもシンザンだ。周りがなぜ静まり返っているのを覚らず、目線は余所に向けて観察するように眺めながら、口は確かにハルウララの為になる事を教えている。
だが大抵が受け売りの言葉である。そもそも彼女は練習をしたくない──あまりにも乱暴で手に付けられないというより、ぼーっとしている方が好きという、まあまだましな理由ではある。
「うーん……なんだろ、こー……もっと速くなるっ、とか?」
「速くなる、それは確かな答えだな。だけどそれも色々種類がある」
「色々……うーんと?」
ともかく何もできないのでは面目が立たないし、そもそも彼女に目を付けたのは自分なのだから。たとえ受け売りであったとしても、自分に全く行われなかった練習法にしても、実際自分がこうしたなどの実体験が無くとも。
それに彼女らの素質を見抜いていないわけでは無かった。
「単純に速くなるなら、今鍛えてるメニューのまま、絶対にペースを上げなきゃいけない。歩幅を広くする。柔軟性を上げる。つまり……体を柔らかくすることも、速くなるもんだ。自由気ままに動きながら走るのは、お前にも合ってるだろ」
「へーっ!」
「体を、柔らかくする……」
「お前さんはもっと度胸付けろ! 廃墟巡りするんだ、上野のお化け屋敷でもいい」
「ええっ、そんなぁ……」
ハルウララ、彼女はとにかく意地があり、そしてタフである。そう言う意味ではあの同世代が、己に負けるかと食いついてきたあの意地を思い出させるほど。それでもって力強い腰の持ち主だから、もしかしたら化けるかもしれないといった具合。
だが勿論欠点はある──と言うより、欠点しかない。虱潰しにやっていくしかないが、その分伸びしろはあるというのは間違いないだろう。
さて一方のライスシャワーは、ステイヤ──―2400mの距離を得意とする、長距離向きのウマの脚だ。所謂
しかしあの殺意にも似ていた眼光は全く気のせいではない。相手に絶対追いついて見せるという意思。
もしかしたらば、今見ている中では一番化けるかもしれない。
それがシンザンの大まかな評だった。
尤も他のウマにも目をぎらつかせているから、あまり詳しいところまでは知りえなかったが──とかくトレーナーもかくやなアドバイスを投げているし、観察眼を発揮している。これは現役を離れてから身に着けた物だ。
だが欠点もあった。そもそも彼女の眼光が鋭すぎて他のウマが怯えてしまうのだ。それを戦いから身を引いて、すっかり隠居生活の身にあったシンザンは、そんな事をすっかり忘れてしまったのだった。
「あ、あの先輩さんっ! 皆、怖がってる、よ?」
「確かに静かだねー……」
「! それは、そうだなぁ」
すると観察する目線をすっかり伏せてから、食器プレートの方へと注視する。夕食がバイキング方式だから、四角いプレートにきっちり分けられて乗せられている料理。そこにはパスタや揚げ物も確かにあるはずなのに、跳ねたソースも零れた衣も、一寸のはみだしもない綺麗なきっちりと分けられた料理たち。
シンザンは得心して頷いた。
そんな折に心して近づいてきたものがいる。勿論周囲は驚いたのだが──だがそれに値するウマであるとも、彼らは心のどこかで思ってもしまっていた。そう言う事なら十把一絡げの者ではない。
白いウェーブのかかったもの凄い髪の毛の量を揺らし、そして眼鏡を光らせながら、恐れずしてそこに近づいていったのは。
「────貴方が、シンザン殿でしょうか?」
シンザンは目線を上げず、ゆっくりとその耳だけを向ける。声の主はそこに立っていて、やや見下ろす位置にいた。
「…………」
驚くほど、食堂が静かになった。
とっくに静まり返っていたのが更に静かになったというのは、食器の音なども止んでしまったとか、そう言うレベルを通り越して、ついに空気すら氷の様に固まってしまったのだ。
果たしてそんなふうに食堂を変えたのは、誰なのかと聞かれれば。
「実はお願いがあってきたのです」
ビワハヤヒデ。
現在連対記録を刻んでいる葦毛のウマ娘、とにかく冷静沈着な堅物が、何とこの場を動かした。
しかしこのウマがやらなければきっと誰も気分の悪いままで食事を終えて、特に理由の無い悪夢にしばし苛まれていただろうことは間違いなかった。だから割とこの空気を──どのようにであるにしろ──全く変えてしまったのは歓迎されていた。
応援ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。