「……」
スペシャルウィークは、青みが勝った灰色の空を見上げながらため息をついていた。朝から降る雨が憂鬱なのでも、日々の疲れが取れていないわけでもない。ただ一つ考える事があったからだ。昨日彼女らと確かに話し合う事が出来たある先輩、つまりシンザンについてだ。
とは言うものの、別にスペシャルウィーク一人が、突然現れた偉大過ぎる先輩について考えていないわけがない。
たった四度の敗北で、後にG1と語られる大レースでは負けなど知らないそのウマ娘。真っ赤なネクタイ深緑のベスト姿で芝を駆けるやや小柄だが、途轍もなく綺麗な姿勢で走り抜けるその白黒の姿。
その数五冠。皐月賞、
「強いんだろうな……」
そう思うとウマとしての
だがあの時あの時代、確かに時のウマとなったその走り、もし並走できたならいやそうでなくても間近で見れるだけでも出来たら、一体どれだけ為になるかと想像をしてややにやけ。
テイオーの歌う『はちみーの歌』なるものを聞きながら。そんな事を考えて、結局出来ないだろうなと結論付けて、妙にうなだれていると、その視界の端に映ったのはハルウララの少し濡れた制服姿。
「あれっ、ウララちゃん?」
「えへへっ」
相変わらずこの霧雨で曇った空を、あっという間に吹き飛ばしてくれるような笑顔だ。しかしスペシャルウィークは疑問に思い尋ねるのは、どうして寮生活をしているのだから、そこまで距離も無いはずなのにやや服が濡れているのかと言う事である。
「ど、どうしたんだべ? そんなびしょ濡れで……」
「えへへ……実は、センパイ今日も来るかなって待ってたら、いつの間にかこうなっちゃったんだ~」
「あぁ……」
そう言えば最初に来たシンザン先輩を案内してたのはウララちゃんだったな、とスペシャルウィークは昨日の騒ぎと一緒に思い出す。因みにその事自体はシンザンの口から語られた。
もう昨日から通りすがる教室でも廊下でもジムでも、口を開けばシンザンシンザンと、すっかり彼女は時の人だ。生徒会長であるシンボリルドルフは、もしかしたら昔もそんな感じだったのだろうなと、ぼやくように言っていたのは彼女も親友のサイレンススズカも聞いていた。
まあ先ほどの伝説を残して、何なら彼女の在り方──つまり日本競バ発揚の行動と精神自体が、今にあるトゥインクルシリーズの礎になっているのだ。彼女らにとっては──最早世間一般の目においても、文字通りの『偉人』のカゴテリーに含まれる彼女を前にして、落ち着いていられる方が寧ろ凄いはずで。
「うーん……」
「どうしたの? ウララちゃん?」
「あ、あっと、えっとね。今日は雨なのにどこにお出かけしてるのかなーって!」
確かに霧雨とは言っても、朝から相当降っているのは確かだ。外にいるとは考えづらい。しかしウマだからそこ迄気にしないだろうとも。そういう考え方の、ハルウララは後者を選んだだけ。
「どこに?」
「例えば……うーん、わかんないや!」
スペシャルウィークは──予想はしていたものの、肩透かしを食らってガックリ項垂れた。結局この話はこれっきりになってしまい、本当に聞きたかった事も、彼女の頭の中からすっかり消えてしまっていた。
あいも変わらず雨が降る、教室の窓越しに少し珍しい霧雨が風に流れていく。
「……おい、それはどう言うことだ?」
「どうもこうもない」
一方ただ事では済まない空気が流れていたのは、何と生徒会室の一角である。生徒達の模範となるべき一員が争っているのだから、今は幸いにもいないシンボリルドルフの、現場を見たときの反応が割と心配だ。
さて誰と誰が闘っているかと思えば、それもまた何と何とのナリタブライアンとエアグルーヴ。生徒会副会長二人が大激突の真っ最中。
「私の言った事、こればかりは早々に覆れん」
「決めつける、副会長のする事がそれじゃあっ!」
どうやら何かに対する発言に対する是非を争っているようだ。話を聴いて見れば、やはり話題の中心にいるのはあの人だったが──少し訳が違い、穏やかではない。
「駄目か」
「信じられんと言う事だっ。先輩が──シンザン先輩が、弱い、だって!」
「それは勿論当時の話ではない。話をはき違えては困る」
そう諭すのはエアグルーヴであるが、彼女の言葉が原因で言い合う羽目になっているのだ。それにとっくに彼女は冷静さとはかけ離れた状態と化している。
しかし彼女の言葉には正当的な『理』があるのも間違いない。
「大体いつどの時代であってもあの人は偉大──それは分からなくもないが、あの人は向かうところ敵なし──と云うのは少し過言だろう」
いつどこで途轍もないウマが現れるかなど、未来の事を予測できないようにわからない。もしかしたらシンザンどころか、この場にいる誰よりも強いウマが生まれる可能性もあるはずだ。そんな前提があるのにもかかわらず、ナリタブライアンは今でもあの人は強いのだとのたまったのだ。
「そもそもだ、老骨に対して我々現役世代が早々に折れるなどと言う話をうのみにするのは、全くもって早計ではないだろうか、と」
「だけどよ!」
「自分がルドルフ会長を慕うように、シンザン先輩に惹かれるものがあるのは解る。だが寧ろそう思ってやることが、無礼なのではないのかと思う」
「……」
ただそこまで言われれば、確かに考え無しだったなとエアグルーヴは思って冷静になると、生徒会室に備え付けられてあるソファーに深々と座ってしまう。気が抜けたように、あるいは何かが打ち砕かれたように項垂れている彼女、ナリタブライアンにはそれでもと言う意思は感じていた。
「だけどさエアグルーヴ、私初めて見たんだ! 男勝りなんてものじゃ無い、ホントの格好良さって、ああなんだって……そんなのを見て、でも陰でやっぱり会長の方が強いって言われて!」
「……」
確かに走ったらどうなるのだろうか、あんなに強い強いと言われているウマの、果たして映像だけで本当に伝わるかと言う疑問は結局払拭されていない。そんな風評が立ってしまうのも時間の問題だった。
勿論手っ取り早い方法ならばいくらでも、そして口に出すことも出来るだろう。それはこのナリブやグルーヴに限らずハルウララでも解る話だ。
走ればいい。走って実力を後輩たちに示し、そして己を目指せさせればいい。
「でも、グルーヴのいう事も……!」
「落ち着け」
「うっ……」
目の端に涙すら浮かばせている彼女は感化されていた。きっとこのままいくと副会長を辞職後エアシャカールと同調して、舎弟弟分にしてくれと頼みこむ勢いだ。
ちなみに先日は当のシャカールが、勝手に突撃していって勝手に撃沈していた。
だがそんな彼女らの気持ちも解らなくもないエアグルーヴは、ともかくこの状況を何とかしなくてはならないと、今はいない生徒会長に相談するべきかと悩み始めていた。
「……入るぞ」
丁度その時、扉をノックするとともに聞こえてくる落ち着いた声。
はっとして二人は顔を上げてから両者見合わせると、同時に了承の声が自然と漏れ出した。助け船だ、シンボリルドルフが帰ってきたのだ。
「話は聞いた……と言うより、まあこうなる事は見えていた。こればっかりは、どう頑張っても防ぐことは出来ん」
一方のルドルフも参ってしまってはいた。何せウマッターからの画像流出、しかも影響力のあるカレンチャンからのソースだから、あっという間に彼女がここにいるという情報は一夜にして拡散されて行った。
今の今までどこに行っていたんだと喜ぶ人もいれば、もしかしてここに就職するのかと勘繰る人まで、多種多様な意見が行き来して膨大な情報になるほどだ。ちなみに先ほどウィキも更新されていた、手の速い連中だとルドルフは思う。
「勿論競わせようなどとは勿論、レースに出すなどは言語道断の話。一体何があるのかわからない──だがあの人も、どうも私は思うところがないわけではない」
演説ぶって説明と解釈を流す彼女は、はあと溜息を付きながらも所定の会長席に座る。右隣にあるまだ若々しくももう既に立派で凛々しいセピア色の写真を眺めながら、全く申し訳ございませんと心の内で謝るルドルフ。ネクタイ姿の若かりしシンザンが額縁の中に飾られていた。
「本当に、本当に! 申し訳ないことだとは解っているが……それでも何とか、彼女たちに納得させる方法は、一つしかないと……」
「な、何でしょうか」
「……走らせる。いやっ、っつっても……」
「ナリタの言う通りだ」
えっと二人は驚愕し身を固まらせる。さっきまで苦虫を噛み潰したように走らせる事だけはと言っていた彼女は、ナリタブライアンの独りごちた言葉に肯定したのだ。
「ただし、あくまでも……あくまでもレースや競争ではない。
「……つまり、かの伝説の走りを
「そうだ」
そうであればと、いやしかしと二人はせめぎ合う。だが筋は通っていないわけではない。
並走するとしても、そもそも彼女と共にするときの緊張感、その重圧に耐えられるようなウマになれるとなれば、そもそも競争等考えなくてもいいかもしれない。それに彼女はあの伝説の調教師、名伯楽と謳われたトレーナーの教えを一から十まで知っているたった一人のウマなのだ。走ろうが走るまいが結局穏便に済ませられるかもしれない。
「そうすりゃあ認められる……強いか弱いかは置いといて、馬鹿にされるなんて事は無い!」
「会長、流石です」
「ああ。ではその予定を……組まなければならないが……」
さてだんだんと歯切れが悪くなっているルドルフ、うんうんと納得した二人はあれ様子がおかしいと少しに不審に思ったが、明確に状況判断が遅かった。彼女はふと、懐から厚手の透明なカバーを付けた小さな本を取り出し、机の上に置いた。
「ところである陳情を聞いたのでな、生徒会室で何か言い争っている声が聞こえる、と」
「あっ」
「……」
どこから聞いたのだと思えば、いや単純にナリタブライアンの声が大きすぎただけの話。多分言い争っていなかろうがどうしても苦情は入っていた。
「ただし罰則を言い渡すのも事情が事情だ。そこで私の日々研鑽の、トレーニングに付き合ってもらおうと思ったのだ」
「そ……そりゃ、いいっすね……」
「それは、一体。どんなトレーニングを?」
「この『究極大結集! ダジャレ1000連発+α』を読み解き、一緒に学ぼうではないか!」
昭和テイストのイラストが光る、色合いがとっても痛々しいしキャラクターも気が抜ける。しかしナリタブライアンは冷や汗が止まらなかったし、エアグルーヴは虚ろ目に口を半開きにして、とっくに膝から崩れ落ちていた。
シンボリルドルフは笑顔だった──そこには全く無垢な良い笑顔だけが広がっていた。
良かったな会長、やったな会長、多分責任を取らせつつもそこまで苦にはしてやらないよう、良かれと思ったそのトレーニングは、多分これまでの叱咤よりも二人にとってはキツイものだぞ。
「時は金なり、光陰矢の如し。早速行くぞ────」
ぺらりとページをめくる音が、彼女らの心が削られる音に聞こえたのは気のせいだろうか。気のせいだ。気のせいであってほしい。
願わくば二人の体調が絶不調でない事を。体力が底を突き抜けていない事を祈るしかない。
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