「……」
60年代から大きく変わったものは特に駅前である。少なくともビルディングと言うのは本当に都心にしかなかった。勿論嘗ての府中にも。その他にも当時は色々と第一次・第二次産業が盛んだった為、こんな都会のベッドタウンよりもはるか遠くの地方都市の方が栄えているなんてこともざらだった。
しかし今となっては再開発に次ぐ再開発で、様相は大変化を迎えて久しい。
高度経済成長期による生活様式の急激な変化からIT革命を経て、都市部のミニマル化が進み、その最中で雨後の筍の様に飛び出すビル群の様子は、シンザンはテレビの向こう側でしかわからなかったが、こうまでにぎやかになっているのは少し興味があった。
さてそんな彼女は、今どうしているか────。
「ああ、今は大体そこらへんだ」
『どこなんですかそこ~!』
迷子になって、学園までの道が分かっていないのだった。壁に寄りかかって公衆電話で連絡を取って、電線柱に付けられているプレートを何度か確認しつつ、住所を伝えていた。
緑色の箱の上に十円玉が何枚かまだ山積みにされている。まだ湿っている真っ黒な傘が傍に立てかけられて、杖先に水溜りが出来ている。
さて彼女の格好といったら、先日のバンカラ姿ではなく、きっちり仕立てられた青い生地のスーツを着ていたので、見ようによってはサラリーにも見える。
それはなぜかというと
さて昼過ぎになって、漸く疎らに青空が見え始めた頃を見計らって、その店を飛び出して居た堪れない気分を味わうべく飛び出した。
しかし肝心の路が分からない。そういう訳で、助けを求めていたのだった。
「すまないな」
『案内して欲しいのでしたら、案内しますのに……』
「いいやそれはいい、
『はい?』
「……いや、こっちの話だ」
はあと電話口に聴こえる溜息を聞き過し、ほんの少しの時間顔を出した太陽光を気にしてそっぽを向く。
『……取り敢えず、案内しますから、地図か何かに────』
「いや、ソイツはいらなくなった」
『……?』
丁度その瞬間に聴こえたタイヤのスキール音。あんまりにもがなりたてるものなので、電話口に立っているたづながワッと驚いて慄いてから、シンザンは漸く何とも思わない厳しい顔だけ向けて口を開く。
見てくれだけ派手になった後輩がそこにいた。当時も随分と目立ちまくっていたものだった。
「オノボリが、今でも学生時代か?」
「色々あるの、センパイ」
マルゼンスキーの、真っ赤なスポーツカーだった。
「お前を見たときは、またケッタイな奴だと思った」
「何時でもゴキゲンなのよ? イケイケドンドンのマブイスケで通ってるんだから!」
「何しに来た」
ツレないんだからと笑って流したマルゼンスキーは、前髪が垂れて見えない瞳をバックミラー越しに見て、唇の端が自然と戻るのを感じた。あんまりにも重い、心の内にあるそれは、ドライブなどでハッキリと取り除けられるわけが無かった。わざわざ
そのゴキゲンな車には『青葉城恋唄』が流れていた、ラジオ局も春だと言うので落ち着いた曲ばかり流す。
「……あの人は、元気?」
「若い、そう見える」
「ふふ……」
シンザンはサイドシートに残った、持ち上げる途中で散った紫色の花びらを拾い嗅ぐ。
「水のあげ過ぎだ」
「ええっ……?」
こんなことを言われるとは思いもしなかったので、驚いて振り向けばフフフと不敵に笑って肩を揺らしたシンザン。鮮やかな黄色の花弁を弄っていた。
間違いなく黄色のマリーゴールドで、これから夏になるにつれて、そして殺風景な部屋にはぴったりな花である。その花言葉は「健康」を意味する。
「ハマノにもキーストンにも言われるだろうよ」
「……そうね。きっとそう、笑われちゃうわね」
脚を折ってしまった彼女、体調を崩してしまったあのウマ娘たち──とにかくそう言う彼女らをひっくるめて予後不良と呼び、大体は第一線を退いてしまう事が多い。そこから様々な場所へと引き取られていくことになるのは、競争ウマ娘の背後には農林水産省が関わっているからだ。おおよそ彼女らは農場や牧場と言った場所へと行くことになる。
しかしそれすら叶わぬ者達もいるのは確かで、それは相当に酷いけがをしていたり、PTSD等により精神を患っていたりする場合もある。その場合では、大半が『特別療養所』という所で過ごすことになる。
さてシンザンらがうかがったのは『多摩府中』という所、そこには彼女の後輩がいたのである。
ハマノパレード──宝塚記念と高松宮記念を制したものの、その後絶望的な骨折によって引退を余儀なくされた娘。今は松葉杖にまで回復したものの、当初はずっと寝たきりの彼女を、ニュースは痛々しく映していたこともあった。
そしてシンザン直接の後輩の一人であったキーストン。ダービーを制した名バであるが、阪神大賞典で左足を負傷し転倒時の衝撃による昏倒と出血によって、何とかゴールを目指そうと立ち上がろうとした映像は今でも残されている。そんな彼女らも含めて、様々なウマ達に挨拶に行ったのが二人である。
そしてそこには当然、あの事件の当事者たちもいた。
「笑われるのは、お前ではないだろうが」
「──まだ、引き摺っているんですか」
「……」
大きくがなり立てるエンジンが言葉を掻き消すことなどしなかった。そして国道を走る他の車のエンジンも、突っ走る風も、遠く交通整理の為鳴り立てる笛の音も。
「ねえ」
「……」
「どうしてたづなさんがセンパイを誘ったか、解る?」
「知らん」
「じゃあ────どうしてセンパイがここに来ることになったのかも、分からない?」
何を莫迦な話だと思う言い方だった、シンザンは閉口した。だが何故マルゼンスキーが車を走らせて遠くに出ようとしてまでも、その話を続けたのかを察するには、彼女の言葉もそしてシンザン自身の自覚も足りなかった。
その証拠として、耳は運転をしているマルゼンスキーに向けていながらも、目はしっかりと電光掲示板を追っていた。因みに『中央自動車道 約10km渋滞』と記されていた。
「センパイは、本当は、許されたいの」
嘗て闘争に心折れた彼女たちに、許してくれとは確かに言わなかった。花を手向けに来て、少し話して、それで帰っていっただけだ。
誰も何も言葉を掛ける事も無かった。思い出話をするでも無いし、今どうなんだと尋ねて、元気だよと言って。
それで一時間は過ごしていた。
「でもそれは、違うわ。誰もが本当はそう思ってないの。貴方には……シンザン。貴方にはね……ずっと先を走る彼女達、みんなを見てほしいのよ」
「…………」
「私ね……センパイたちみたいに、誰かに教える人になりたいって、最近気づいて……まだ、色々勉強中なの」
彼女の目指しているところは、トレセン学園の教師なのだという。だから彼女は学園にいるわけであるし、優しさについても、愛についてもかなり敏感になりつつあったのだ。
「だから、皆の事が。少しづつ解っていくような気がしたのよ」
そう彼女は前置きをして、それぞれの名前を無秩序に話しだす。
「ちょっと不器用だけど、かわいいスペちゃん。お嬢様だけど、甘い物が大好きなマックイーンちゃん。とてもお淑やかなグラスちゃんに、よく飛び跳ねてる明るいテイオーちゃんに……」
少しだけ声が籠もり始める。
「ちょっと怖いけど真摯な、サイレンスちゃんに……何だかよく分からないゴルシちゃんとオルフェちゃん、何時も競ってるスカーレットちゃんにウオッカちゃん……」
ハンドルを握る手の力が、ほんの少しだけ弱くなる。
「堅苦しいけど駄洒落がすきなルドルフ。律儀なエアグルーヴちゃんに、努力家のキングヘイローちゃん。カワイイを目指してるカレンちゃんに、弱気だけどやる時はやるライスちゃんに……とっても明るい、ハルウララちゃんに……」
赤信号に捕まった。ピカピカに磨かれた真っ赤なカウンタックはよく目立つので、隣の運転手からの視線も飛んできたようだ。だからきっとその人も見たのかもしれない。思い詰めたようにも、泣いているようにも見える彼女の静かな顔を。
「イヤね私、こう言うの似合わないのにね」
「……」
「ねえセンパイ、覚えています? 私達ってね、未来に走るしか無いの。長いターフをずっと遙か先にあるゴールを目指してるからって」
「……そうだったな」
「……走らなきゃ、置いていかれるわよ、皆に、アナタも」
何処へ行くのかわからないその先は、二人の姿は行きずりの旅人にも、逃避行の恋人に見えてもしょうが無いはずで。
シンザンが果たして、その心を風に任せる事が出来たかは分からない。だが確かにマルゼンスキーの在り方に学ぶ事もあったことを確認したのは、確実に大事なことだった。
沢山の感想評価、そして指摘ありがとうございます。
次回、シンザン走ります。お楽しみに。