答えは本当に単純だったので、初うまぴょいです。
身体が軋んでいた。骨と言う骨から、関節と言う関節から、筋肉と言う筋肉から、音と言う音が鳴りだして止まらない。一体どれだけ現役を退いてウマと言う役目を忘れて、どれだけ鈍っていたか良く解る。元々の体力等が並のアスリートを越えるウマであれば猶更だ。
しかし見事なバランスを保っていると言いたくなる、柔軟は普通だが──その体のプロポーションは衰えを知らないから、実年齢以上に若々しく見えていたのだ。
「わぁ……!」
だがそんなことを気にしている彼女らではない、何より勝負服で立っているのはシンザンだけ、他はトレーニングと聞いていたからジャージの用意だったのに、これでは全く話が違うではないか。スペシャルウィークも驚いて声を出したし、観客席からは主にトレーナーからのどよめきが起こっている。例えばあそこにいる桐生院はハッピーミークと何度も顔を合わせていた。
「何だ、柔軟はな。いつだってやっておかないと後悔するぞ」
「……トレーニング、ですよね?」
「ああ、トレーニングだ────オープンという名前のな」
「ええー!?」
聴こえないはずもない、一層ざわつき始める観衆、そして参加者の面々に至ってはどう反応したらいいかわからなかった。
生徒会の二人もナリタブライアンに視線を投げてやるが、突然の事で膠着しているのと、それはそれとして絶好の機会だという事に気付いて興奮している気持ちをせめぎ合っている、赤面している彼女は話なんて聞いてくれる様子も無く。
「走る、というか──走れるの!?」
「レース、いや併走とも聞かされてないぞっ?」
「シンザンが望んだ……事だよな、これは」
「参ったなぁこりゃ……」
混乱の中にいる二人はただひたすら考察に耽るしかない。書類はとうに提出して、期日通りこの時間をもって
いややるべき事はある。それはこの観衆に対してただ生徒会からも一つ勧告を行う。
「全員、傾注!」
一斉に振り返れば、そこにはシンボリルドルフとエアグルーヴの姿が見受けられる。ただ二人は何事にも動じずにそこにいたのだから、無理もないがトレーナーたちにも動揺がさらに広がっていく。
「我々生徒会及び学園上層部はこの状況を把握しており、また昨今漏洩した情報により来たる影響力と、シンザン氏の心境と名誉を考慮しての計らいである。また同じく、我々はこのレースによって、当時の走りを直に学び取れる機会でもあると判断する! よって
「ありがとう!」
堂々と宣言すれば帰ってくる返事は意気揚々に聞こえる。ただこれに関してはどうも何らかの意図を感じずにはいられない。
「……会長、どう見ますか」
「全て本心だろう、
「まるで交錯しているようではないですか」
「実際、その通りだろう。だがあの人はきっと、何でも素直に吐き出す事が出来てしまう人で、だが誤魔化す術も覚えてしまったから、どうしても隠し通しておきたかったものがあったとするならば」
それを探る事は無粋だろうとは、順序に並び始めていた彼女らの期待を煽る声にかき消された。そして振り返れば壁の向こうのそのまた向こう、トレセン学園を望む塔の最上階を睨みつけるような視線をエアグルーヴは送る。ほぼ無意識の行為だった。
だがそれもシンザン自身が言わずとも、自分で望んでいた事が解ってたのを不意にするつもりもない。何も言わずにただ今を受け入れて、ただ時の行く末を見守るのみ。
「レース……レースだって!」
「想定外の範囲ではありませんでした。ですか驚嘆と言う感情を露わにするには、十分な要素であると判断します」
「体操着で来ない方が良いって! これ良いのか!」
それぞれマヤノトップガン、ミホノブルボン、ウイニングチケットが口にして。ただ事の成り行きに任せるばかりなのか、だが時にはそれが正解だと言う時もある。ブルボンは特にそう判断した。
何故ならこちらがどうしてと駄々をこねるよりも、静観を決めた方が得られるものがあると、言われずとも分かっている。
彼女は──いや彼女らは、シンザンの戦い方とはいったい何なのだとずっと疑問を抱いていた。
きっとその為ならば、恐れる事を知らない心を顕にして、この行為を止めることに立ち向かっただろう。純粋無垢な瞳を向けてでも。だから驚く事はあっても、否定など以ての外、大歓迎の意向を彼女らは示す。
だが心の何処かでそれ以外の感情を、この場にいる全員が抱えているのも確かだった。その類はおおよそ二つに分類できて──まず一つは自分如きがこの人の隣を走れるなどと言う一種の畏怖である。
トレセン学園の先輩、前々代生徒会長と言う枠と役割に、収まらないの責任を成したそのウマの、隣や近くにいられる。再三再四喧しくなるが何度でも言う──この事態こそが彼らにとって僥倖他ならない。本来ならば全員が全員そう思う筈なのだが、そういう簡単な話にはならないのが今回の事態な訳で。
もう一つ彼らが思う事はそもそも彼女が走れるのかと言う懸念である。
「距離は各々の得意な距離までにそろえるのは厳しいから、
「!」
「ウララちゃん……」
当然主戦は短距離のダート、これを逃す手は無いとは言え融通してくれるとはいえ、思いつめた神妙な表情。もしも彼女が明るい表情一色で挑まないのは仕方がないと思った御仁は幸いだ、それは前話のメジロマックイーンとの邂逅を覚えておられるからだ。
しかし首をブンブンと勢いよく横に振れば、シンザンの歳をとってさらに大きくなった背中を、勇気を込めた瞳で見据えて、不安な感情を全部吹き飛ばしてしまえば。そうだと呟いて大きく歩き出した。
「大丈夫。私、走れるよ」
「え!?」
「お姉ちゃんだって、走るんだって解ったんだから。私も走る、一緒に頑張ろうっ!」
「……うんっ」
それに連なりライスシャワーも行けば、即座に行ったのはキングヘイロー。ビビってばかりでは絶対に屈しない彼女の尊厳と意地が許さないといったところか、また同室の彼女が勇気を奮わせてくれたというのもある。やがてそれに連れられるように彼女らは段々とその足を向け始めて、ようやく彼女らは一列になってその
「すまないが、誰か出走コールを頼めないか」
「ならば! ここはワタシの出番デースッ!」
群衆から飛び出したのはエルコンドルパサー、いつものマスクは着けているが、シンザンはそれが嫌に気になるのだった。彼女が現役だった当時は、今以上にプロレスが元気だった時代だから、あれはプロレス転向を視野に入れているのかと少し感心していた。
ただ面子の奇抜さに関しては何も触れる事は無かった、だからやや反応も薄い。
「助かる。アンタは」
「エルコンドルパサーです! エルと呼んでくださいセンパイ!」
「ああ、頼んだ」
何番人気など枠順などあろうはずもない、一直線に並んだその闘争心はとっくに煽られている。あるウマは何にも解っていないようなので只イラついていたり、まああるウマは願わくばこちらが人気を上回ってやろうと画策している。だが大体はアジテーションによってレースに対する気概は相当なものに高まっていた。
各々の足から引き締まっていく筋肉の音色、じわりじわりと高まっていく緊張、何時まで待たせるかとエルコンドルパサーを急かした。
「わーお……」
勿論いつまでも待たせる気ままな性格ではない、何より隣で見ているグラスワンダーの視線も妙に恐ろしかったので、一つ頷くとバッと手を上げる。
それが合図になって、全員が一段と姿勢を低くする。
「それでは、行きますよーっ────よぉい、ドン!」
ドゴンという芝と土とを一斉に蹴り上げる音を立てて、各バ一斉にスタートした。
まず全員が綺麗なスタートを切ったのに驚かざるを得ない。あのハルウララですら芝を駆っていい位置に付けたのだ。丁度その後方にはライスシャワーとちょっとやる気のないがプライドが邪魔をするナカヤマフェスタ。
さておき真っ先に飛び出したのはミホノブルボン、素晴らしい逃げ足だが距離適性も適正である、だから意気揚々に駆けていく。一気に抜け出していく彼女に続くは二番マヤノトップガン、先行争い三番手スペシャルウィークがただっぴろい原を往く。
しかし注目すべきは最高峰でも可能性を見せれそうな彼女らでも、更に仕上がって先頭にいる彼女らでもない。
真ん中に鎮座して位置を動かすことも無い、緑のスーツとその付近を走る彼女らに衆目は集う。それがあまりにも、不気味なのだ。
凡そその集団の先頭にいるトウカイテイオー然り、他差してくるウマ達然り、とにかく中段辺りにいる彼女らにはまだ大したストレスは感じていなかったが。
(よぉし、このまま……)
だが一番違和感を覚えていたのがナリタブライアン、副会長としての予感か、三冠ウマ娘としての勝負勘か。
そしてマチカネフクキタルもまた嫌な予感を察知していて、チラチラと緑のスーツをチラ見していた。その後ろでは先ほどから心無いキングヘイローがテンパっている、掛かり気味でも出遅れもないのが驚きである。
(……)
白いシャドーロールが揺れてちらと後ろの方を見やった、その先にいたのは誰でもないキングヘイロー。そう
「…………!?」
流石におかしいと思ったナリタブライアン。自身は最も内に潜り込んで風の抵抗とスタミナの消費を抑えてやると意気込むのは良いが、肝心の標的が見当たらないではないか。『あ』とか『うん』とか言えばいい物を、実際誰もそこにはいないのだから、ナリタブライアンは固まった。
集団が一気に第一コーナーを曲がっていくとともに、服の端が内ラチをこする。ギリギリを攻めているのにありえないとは思っていた。ちなみにこうして中々無茶な走りをしていたのは、そもそもスタート前からの面子と偉大な存在が一体何をしでかすかわからない。先ほどの理由も併せて、本気で挑まなければならないと思ったのだ。
そしてありえない筈の方を、彼女は絶対に覗きたく
だが覗きたく
やがて
「……」
左回りのコース、もう間もなく第二のカーブが広がる先。コースのゴールではなく、さらに左を見た。つまりもう少し首が回れば、後方から上がろうと試みる者達と、何とか追いついているマチカネフクキタルと少し躍起になり始めているウィニングチケット、ついでに防風林の光景が見えるくらい。
(いた)
ナリタブライアンの背後、文字通りの至近距離。風の影響を限界まで受けないところに。
神なるウマは、機を計らって。
すぐ差し掛かった第二コーナーで、中段から一気に抜け出していく。
「……あんなのが」
「許された──というより、あれが彼女の時代の勝ち方だったのだ」
古来ウマは早さよりも力、或いはスタミナと度胸だった。それが変わったのはそれより随分先になって、あるウマの登場により意識改革が行われることになるのだが。
彼女の走り方戦い方は、化石と言っても憚れる事は無いだろうが、だがそれがもし化石などでは無く生きている恐竜としての方の猛威を振えるとしたらば、目の前にある光景が答えだ。
あれでは、あの凄まじさは、あの強さは────全く、威圧の二文字で足りませぬ。
「相手より早く土を蹴り、勝利を一気につかみ取るよりも。相手に一気に差し迫って突き崩す。それがあの人の尤も────いやあの時代最も好まれた戦いだったのだ」
「上がってきたぞ?!」
その言葉を発したのはエアグルーヴではなく、下の観客席から戦いぶりを見ていたあるトレーナーの叫びだった。一目ではまだ何も起きていていないように思えたが、脚幅がさらに大きくなってスピードを上げたという事象だけは誰の目にも明らかな事だった。
「一度見たならば私も対策は取る。しかし……あれは走る事よりも、あまりにも勝つ事を意識した走り──すなわちレースを取るという走りだから」
あの綺麗な走りからは全く想像もできないだろう。もしもトロフィーなどでそういう走っているスタチューを見たのならばそれを想像すると良いのだが、シンザンはああいう走りを全く動じることなく続けている。
背中から足までピンと伸ばしてしっかりと地面を噛んで蹴る、素早く大きく振った腕はそういう事態でもしっかりとバランサーになって。
そんな走りから、闘いの風が未だに吹き荒れていて────。
「!」
茫然と見ているしかない彼女らを煽った。そこで動じないのがウマ娘たち、何も思わないわけが無い。あの闘志は自分たちに無いものだからだ。絶対に勝利するという意味ではあれには遥かに劣る自分らを、しかしそれを学び取ろうというよりも勝ち取りたいと願う彼女らの闘志は、その風ではまだ燃え尽きぬ。
「あれでは、私も他人事でいられそうには……ないッ!!」
「来た!」
スペシャルウィークの心ここに無い発言だ飛び出す同時に、彼女の姿勢が一段と低くなって飛び出した。それに続いて差しや追い込みの作戦に出た、後方からの黒い影が一気に迫ってくる──はずである。
スタミナはあるはずだ、
しかし────。
(一人旅っ?)
トウカイテイオーは真っ先に彼女の光景を目にするとともに違和感に気が付いた。シンボリルドルフの傍付きでないという事だが、それに遅れるもそこまで誤差などなく先頭集団の面々は気付く。
後方から上がってくるウマはたった一人なのだ。その他は全て上がるペースを崩されたか。それ以外の認識は全く先頭を行く彼女らの頭の中には入っていない。
その答えは────今その瞬間に訪れた。
「うえぇ、お姉ちゃんこっわい!」
マヤノトップガンは真っ先に嫌な顔をしてさらに内側に逃げた、あれでは前が邪魔になって抜け出せないが、そんなことはもうどうでもいい事だった。ある意味シンザンの為していることはそう言う狙いがあるのかもしれない。
何故ならスペシャルウィーク、トウカイテイオー、更に直線に入ってスパートにかかったとしたミホノブルボンすら思いっきり足が遅くなっていったのだ。見た目からは何も起きていないはずなのに、観客から野太い悲鳴も上がるほどだ。
シンザンの方を集団は一斉に振り向いたりして、視線が集中する。そこにあったのは──まるで重力の様に存在している、シンザンの気迫と凄まじい表情。
「だけど、ねっ!」
諦めない、諦めきれない、それは彼女らが──ウマだから。
彼女の先を行く全員が食いしばる。そして後方から上がってくる彼女らも同じく。
現役だからとか、意地があるからとか、そう言った複雑なかつ理由を投げ捨てて、彼女らの闘争本能は一気に呼び覚まされていく。一人一人の熱意は、彼女の薄暗い勝ち方に突き刺さろうと。
(……)
「諦めない、からっ!」
ターフを蹴って駆け抜けた鼓動は、彼女の横一線に並び立とうとして。
緑色のお嬢様が歯を食いしばる、桃色の溌剌な娘が吼える、黒い影が追いすがってきた。
『一気に出てきたぞ、だけど間に合わない……』
「あの日、先輩は言ってましたから! 根性だ、最後の最後に、足を動かすのは……!!」
黒い影が緑の上を駆け抜けていこうとする、ついに深緑のスーツに追いすがって、白いシャドーロールが端に捉えられた。赤い勝負服が更に大外でせり上がってくる。
「まだまだ、アンタに、勝つぞーッ!!」
(……)
若い命が、輝く汗と熱意を振りまき。
若い脚が、心と体でエネルギーを燃やして走る。
青く輝く、風が吹き抜けた。
「……ああっ」
ようやく己がどうしていたのか、何をしていたのか、何て恥をかいていたのかをようやく理解した。己がするべき事も出来ないで、するべき事もしないで、ただ陰に潜むことがするべき事だったのか。
亡き人に思いを背負わせていたんだ、それがウマを走るうえで最も重要な事だったのか。違うだろうと心が、そして本能が否定していた。
灰色の世界に閉じ込めて雪にこもる事が、己の意地だったか。
他バを食いちぎって有終の美を飾った時、その責念は背中にのしかかっていたか。
――――戦後最初の三冠として輝いていた時、己を取り巻く命を振り絞るウマに向けて、それを僅かにでも向けるような真似をしていたか。
『馬鹿者ぉっ!!』
今は亡き理事長の叱咤、遥か天国から飛んできたような気がして、シンザンは恥ずかしい思いを抱いた。そして──本気で挑まなければならないと思った。老人がするべき事は、何もしない事だけではないはずだ。
「そうだ────」
走り抜ける事こそが目的であると、冷たくも暖かい心を持って逃げるウマ。
オレンジの髪を靡かせる飛行機好き、そして変幻自在の足を持つウマ。
夢をかなえるために、雲さえも飛び越え往こうとする三日月のウマ。
田舎で生まれ田舎で育ち、道は輝かしきを愚直に進むウマ。
暗闇を越え、暗闇を振りほどき、ついに栄光を手に掴もうとするウマ。
たとえ汚泥にまみれたとしても、決して己の意地を懸けて挑むウマ。
黒く刺客の名前を冠して、ただ永い永い旅を続ける静かなウマ。
勝つための切符を手にして、太陽の輝きと夏の暑さを振るうウマ。
福を信じて待ち続ける、根性と伏兵に徹したとても信仰に厚いウマ。
気だるげをどこかに置いてきて、最後方から一気に詰め寄ってきたニット帽のウマ。
そして。
「皆も、お姉ちゃんも、待てぇーっ!!!」
最初に出会って桜の木の下で語り合ったウマ、シンザンが最初に出会ったウマ。麗らかの名前を冠しているにしては少し溌剌なウマ。
輝く風と、命が、行く。
「若いって、素晴らしいっ」
50の文字が書かれたハロン棒を、12頭は過行く。
皆様、これまで長くお待たせいたしまして本当に申し訳ございませんという謝罪と。
それでも支えてくださった皆様に感謝をいたします。
次回、最終回。
どうか最後まで、宜しくお願いします。