「随分、変わりやがったな……」
やや太い眉毛がぴくついてひどく表情が歪んでいる中で、呑気に良かったねとライブについての感想を言って笑っているのは、結局流されるようについてきたハルウララだけだった。
そんな彼女を気にも留めずジッと真剣な目で見つめているが、何処かどや顔を浮かばせているように見えるのはシンボリルドルフ。
秋川がどうも自分たちより生徒たちの姿を見て行ってくれと、このシンザンの思惑を解っていても尚強く押していたのか、ようやく理事長の何処か自信のある芯の強さの正体を知って溜息ばかり。
「競争バで、アイドルだ……? 徳川夢声もびっくらこくだろうよ」
「ムセイって言う人が誰か知らないけど……センパイ、ウィニングライブしなかったの?」
「そもそもその概念は、
そんな耳も垂れて声もあまり上ずっていない、先ほどまでの雄々しさは失せてしまった態度を見せる、まるで疲労で駅前のベンチで黄昏ているオッサンの様な恰好で、彼女らの目の前で下を向いているのがシンザンである。
項垂れた頭を右手で抱えたまま目線だけを上へと逸らせば、何か成し遂げ得たようなルドルフの自信満々な眩しい笑顔が憎々しい。
それはさておき、あのダンスである。ウィニングライブと言っていたが、シンザンにとってはそれがもう度肝を抜かれるものだった。ただいきなりそれを突っ込み始めると、もう収拾がつかなくなると解っている程度の冷静さはまだ持ち合わせていた。なのでそれを放って話題を転換、もっと別の気になる部分から彼女は語り始めた。
「そもそもあんなスカートなんぞ履いて走るなんぞ、言語道断よ」
「……なんか、お爺ちゃんに聞いたような?」
「君、実際その頃に走っていたお方だぞ」
流石のハルウララも何かを察したのかうへえと言った顔をして、すっかり彼女の存在に参ってしまった。
シンボリルドルフは妙に強くなった視線を感じながらも、謝る事をしなかったのは一種の意趣返しであるし、そもそもハルウララが物を知らないというのもあって放っておけなかったのだ。
純粋な目を気に入っていたシンザンは余計な事をされて、すぐに尻尾をゆうらり揺らし始めて不機嫌になる。それでもその瞳にあるのは贔屓目ではないと覚ると、徐々に尻尾も落ち着いていく。
「当時は我々の方にすら厳格なドレスコードがありましたね。昔はまずズボンとシャツ、余計な耳飾りは厳禁であったと」
「何かある度新聞紙やらを投げ込まれてたから、正直仕方がない話だった。レースの最中ではないにしろ、火炎びんを投げ込まれたなんて話も後々だが聞いた」
「うえぇっ、何それ危ないよぉ!?」
「そう言う時代があったのさ。尤も俺はそれが忘れられない」
流石に後者の話は新聞の一面にも飾る大きな騒動になったという話だ。尤もそれ以上に当たれば怪我などでは済まない話が日常茶飯事的に行われていたし、パドックではごろつき乱暴者その道にいる人々が睨みを利かせて殺傷沙汰になっていた、賭け事の噂なども度々学園内で流れてくるほど目立っていた。
その話を思い出せば本当に、たづなはこの学園の理事長秘書とは言えどそれなりに実権のある職に就いたのか、多少は伺い知れよう。それと同時にまだ精力は劣っていないのかと、また鬼の名前を投げつけたくなる気分ではあったが。
「誰も彼もが命を張っていた、それがまさか人前で踊りを披露するまでになってりゃあ、な」
「何か、昔ってスゴーい……」
「……」
シンザンは、そんな時代があって実際に生きていたからこその愛着があって、勿論当時も文化の花であったにしろここまで華やかでなかったから、ああも驚いていた。そしてそんな反応をしてしまって、彼女も少しは恥じる。
ルドルフは、たづな理事長秘書が是非呼びたい後輩がいると押している人がいる、なぜそんな噂があるのだと疑問に思って首を傾げていた。
しかし改めてその意図がようやくわかったような気がする。だからシンザンに向けられる視線は、その瞳は細められていたから、まるで睨みつけるようだった。
「うーん。でもやっぱり危ないよ! 私だったら、その……いくら何でも怖くて、走りたくないよっ!」
「!?」
その時、ハルウララの素直な感想が、唐突に飛んでくる。ルドルフの言い出しにくい回答を、単純明快にして代わりに吐き出してくれたような形だった。勿論彼女は特にタイミングも意図も考えていない、痛いのは痛いし怖いのは怖いという、本能に基づく意見を吐き出しただけだった。
しかし現実逃避の様に感慨に耽るシンザンにとっては、途轍もなく唐突で、そして盲点を突いた形となったのは間違いでは無かった。
「……」
「それにあんなに楽しそうに皆踊ってるの、とってもキラキラしてて素敵だと私は思うよ? カッコいいのもいいけど、かわいいのも良いと思う!」
「……そんなもんかい、嬢ちゃん」
「うんっ!」
こうまで素直に来られるとただただ認めざるを得ないシンザン、ふと気づいたのが果たして自分は何を考えていたという事だった。
「あ……」
「?」
ハルウララもシンボリルドルフも知りえないシンザンの子細な昔、しかしここにたづな女史がいたのならばきっとああいった自分を本気で窘めてくるであろうという光景を、ようやく彼女自身の瞳に浮かばせるのだった。それと同時にシンザンは猛省した。自分も過去に囚われるようになってしまったのかと。
しかし声に出してはいなかった彼女は、ただ少し深刻な顔を浮かばせてから、ようやく体ごと起こして空を仰ぎ見るシンザン。
「……先輩?」
「いやな。どうやら俺をどうして呼んだのか、やっとわかった気がするのさ」
「先輩、それは」
優しい微笑みをたくわえて、またルドルフに向き直った時、ふとハルウララの姿がどこかに消えてしまっていたのに気付いて視線を左右に動かす。
また会長もその時はいつの間に彼女がいなくなったのだと若干驚いて、うんと疑問の声を漏らしながら周囲を見渡すと、遠くから何かを持った彼女が走ってくるのに気が付いた。
それは透明な容器に入れられた黄色い何か、見覚えがあるのはストロー部分のみ、シンザンはそれが取り敢えず飲み物系だというのは解った。
「センパイっ、元気がないときは『これ』だよっ!」
「……こいつは」
取り敢えず素直に受け取っておくと、少しひんやりしているその中身はドロドロの状態であった。ゲル状の何かかと思えば、ハルウララが説明をしてくれる。
「『はちみー』だよっ」
この『はちみー』なるもの、普通に蜂蜜をドリンクにした売り物ではと思うが、そこでシンボリルドルフが視線を逸らした。そして即座に私はいらないと言いながら結局手に取らなかったところを見ると、ただ遠慮しただけとは思えず恐らく彼女の血縁者か近しい人が、このドリンクの妙な綽名の名付け親になったのだとシンザンは考える。
ともかくそれを呑んで見ない事にはわからない。
「すまん、頂くぞ」
「いいよー」
断りを入れてすぐずずと一口飲んだ、少し甘ったるくてまあまあ濃い味付けも、今風なのだろうかとシンザンは思う。
ふと目を逸らせば若々しいウマ娘たちの、今風な格好を見る。ふと耳を澄ませば、今の風がシンザンを追い越していく。青空は綺麗だ、昔の東京セピアはどこにも見当たらない。
時代の風は新しい物を常に運んでは去っていき、また時代を回っては新たな物を取り入れて流れてくる。いつまでも古ぼけた物をため込んではならない。窓を開けて換気をしなければならないのと同じように、何時までも閉じこもっていては時間は今も動いているとようやくシンザンは理解した。
「──美味いな」
「でしょでしょ! これねー、テイオーちゃんが教えてくれたんだー! とっても甘くて美味しい『はちみー』……」
しかしシンザンは時に思う。偶には昔を思わせるものが傍にあればいいのではないかと、肩に電話をぶら下げるのが良しとは言えずとも、ウォークマンを持ち歩いてもいいのではないかと思うのだった。
姿勢を直して座りなおした時に、カラカラと上着のポケットが揺さぶられて聞こえる。
森永ミルクキャラメルの乾いた音だった。
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