汚れつちまつた悲しみに   作:中里悠太朗

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何だかんだで長生きしたので初うまぴょいです。





白い花の雨が降る

「ふうーっ……」

 

 色々な事があってか、そして様々な事を吸収しきってか、予約したホテルの一室で一人寝転んで神妙な顔を浮かばせているのはシンザンである。演芸やアイドルの変遷、サブカルチャーの隆興、音楽の種類、スマートフォンなんかはその代表例であるし、細かいところに至ればインスタントカップ麺の奇妙な改造等。

 ウルトラマンはごてごてした飾りをつけているし、仮面ライダーはピカピカ全身輝いているし、コジラに至っては尻尾から分裂をしている。

 しかし一番に衝撃を受けていたのは、ウマ娘に関することである。

 

(────そう言えば、こんなテレビなんぞないものだな)

 

 備え付けられた薄型テレビを撫でながら、何にも知らないし何にも知ろうとはしなかったのだなと、己を嗤った。一軒家を持って一国一城などと浮足立つ事は無く、テレビも碌なものは備え付けなかった、強いてあるのは生活に必要な物と情報は新聞ばかり、読んでいるのも新聞か小説か、だから彼女の流行というのは本当に70年代に差し掛かる直前で止まってしまっている。

 

 

 

 

 

 彼女が引退して十勝の片田舎まで隠居を決め込む事件となったのは、シンザンが学校を卒業するかしないかの際だった。あまり掘り越したくないが今でも覚えている、血に濡れた事件の数々を、暴力とは切っても切れないあの時代は。

 

「……」

 

 持ってきたロケットの中に映る集合写真、果たしてどれだけの娘たちが矢面に立たされたか。安保闘争から端を発した大学紛争、そして全学共闘会議の活動と言う暴力に。

 こんなにも苦しめられていると、良く解らないまま駆り出された先輩後輩たち。後ろでは同年代か少し上の青年たちがヘルメットをかぶりゲバ棒を握って、若々しいエネルギーを奮って吠え立てる。

 

 

 

 そしてみたのは暴力、芝居ではない本当の血しぶき、そして横たわり息も絶え絶えの『シャツを着た戦士』たち。

 

 

 

 その時シンザンは悟ってしまったのだ、いかにエネルギーが揮われる事が恐ろしい事なのかを、果たして我々は混沌の時代に差し掛かっている、理性と本能の瀬戸際にいるのだろうと。

 しかし彼女は既に三冠、滅多にそのような場所に行かせてもらうような立場に赴くことは固く断られていた。だからただ眺めて被害に遭う彼女らの想いを、その一身に受けて生き続けるしかないのかと呟いて。

 戦って、そして社会とも戦って──疲れたのだ。結果、情けなくも若隠居を選んだ。

 

(すまんな、お前たち……)

 

 心無い言葉をどれだけ吐き捨てられたか、もうその言葉もわからない。千葉に行けば三里塚、東京に行けば講堂に立たされ、それで人前に立つのがトラウマにすらなったウマ娘たちがどれだけいたのだろうか。

 当然これにかこつける連中もいたのは語らなければならない。所謂『トップ屋』と言って独自にスクープしたものを週刊誌に売り込むという、いわば国内のパパラッチの走りには特に当時でも滅多に怒らない彼女を激情させた。

 今の状況を見て彼女はなるほどなと諦観するだけなのは、その時に生涯の怒りのパワーをぶつけたからだろう。

 

(まだ俺の中では、この匂いが染みついている……それは、お前たちを忘れないためだろう)

 

 政治に生きるというよりはその情熱で燃え盛った時代があった。

 そしてその日に照らされる影に泣く者も、諦観する者もいたのは確かだった。

 

(こうして色々と知ると、お前たちに教えたくなる……)

 

 あの日あの時、銀座を大手を振って歩けば、少し手持ちのカメラを向けられてしかめ面だけを返しながらも、後ろでははにかんでいた強かな、そして確かに笑って慕ってくれた彼女ら。その帰ってきた後で調教師やトレーナーに、笑われながらも咎められた事を。

 

(まだキャラメルも売っているぞ、お前たち。こんな時代汲んだりに。エンゼルパイも、ポッキーも、かっぱえびせんも……)

 

 あの日あの時、大阪まで連れて行ってやろうと約束して、だが叶わなかったあの日の夜。雨が降ってガラスを打てば、画面越しに見る道路を走る炎の記憶。

 

(アトムから始まったアニメは今じゃ文化になった、ビートルズは解散しているし、フーテンは蘇ってまた消えた)

 

 黒い列、群れになった暴徒。国会解散の横断幕や旗を掲げてぞろぞろと歩いていく人の群れ、鉢巻きを巻いて議事堂に押し寄せる人々、亡くなった或る大学生を弔う線香と捧げた花束が今でも瞼の裏に映る。

 

(『笑点』も『サザエさん』もまだやってる、ドリフターズはすっかり三人になっちまった……)

 

 誰かと誰かが繋がるのは人から人への伝手だけだったのが、今では画面を通して名前も知らないのに誰かと繋がっている。人は一人じゃ行かれないが、あまりにも誰かと誰かが出会いやすくなっていた。

 当時も電話ならばあったものの、それとは全く違うコンタクトが生まれていた。

 

(お前らの後輩は、随分と速え。だが踊ったりするしよ、スカート穿いてちんまい帽子被って、それでよ……)

 

 彼女はカップ酒をすすれば、あの日のような雨が降る夜の空を窓越しに見つめている。はるか遠くに去っていった彼女らの御霊が、非道な自分が捨ててしまった彼女らが安らぎを得ていることを祈り、一人黙々と呑み進める。深夜の春雨は強くは降らない、窓に当たっても目の前のに灯る遠くの街をぼやかすだけだ。

 

(なあ、そっちに九ちゃんはいるかい、いかりやはお前たちにバンドをやっているのか、それともお笑い一本でやっていってるのかい、先生たちは面白いもん書いてくれてるかい────)

 

 頭に疑問を浮かばせて彼女たちを想っても、帰ってくる声は無かった。それでも思わなければきっと彼女らは忘れ去られてしまう。そして彼女が知っているこの曲もまた同じく。

 この歌声も歌詞もあの時はなぜか心惹かれていた、美空ひばりより演歌ブームの中に逆らって生まれた、この歌謡曲を口ずさめば、また酒が進んで酔いが深まる。

 

 

 

「アカシアの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい……」

 

 鏡に映る彼女の顔は肌の衰えも無ければ、茶褐色の髪は老いた事を思わせない程、いやそれ以上に美しく輝いている。

 

「夜が明ける、日が昇る。朝の光りのその中で」

 

 しかし色あせてしまうのが怖いのは昔の記憶。

 

「冷たくなった私を見つめて、あの人は……」

 

 熱い涙が静かに流れるのを、彼女は窓に映る自分越しにジッと見つめる。上着を脱いでシャツとズボン姿の自分は、色合いも気配も全く異なったものの、

 

「涙を流してくれるだろうか」

 

 青空を悠々と駆け抜けていく彼女らを想えば、遠い時代に来てしまったのだと一人哀しみを背中にあらわす。泣いてくれる人は誰もいないのだから、己の背中は己で任せるしかない。

 だから彼女の心に、アカシアの雨は降る。

 あの日の雨よりも、そして今の春雨よりも、ずっと優しく冷たい雨が降る。




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