駿川たづなは顔を顰めた。
今日もまたシンザンは上着を羽織って風を切って現れたのだが、その様子は茹でったかのように顔を真っ赤に腫らして現れたのだから仕方ない反応である。
「……顔が真っ赤ですよ」
「昨日少し飲みすぎただけだ」
「もう……」
それにしては足取りもしっかりしているし視線もブレていない、二日酔いと言うにしては顔が赤い以上の要素は見えなかった。
表の顔と口では少し窘めるような様子ではあるが、実際あまり感情の発露を表に出したくないウマだと彼女は知っている。かつては牛などと綽名される程鈍い彼女であるから、無口でクールな性格とは全く異なるし、本当に感情を発露させるとそれが止まらなくなるのもたづなは知っていた。
そしてたづなは何も言わない、改めてごほんと咳払いをしてから、先日せっかく来てくれたのにドタバタして出来なかった紹介を行う。
「……改めて! お久しぶりですシンザンさん。『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』へ、ようこそ!」
それに関しては元『修練所』と記載されている頃の、学園に通っていたシンザンにとっては、『ようこそ』と言うよりは、本当に『お久しぶり』の感覚だ。さてこうしているのは、先日は急に来た彼女の為手続きだ何だと用意する者も出来ず、ああいう風に待たされて、より詳しいところまでは案内できなかったので、改めてたづながこうしてきちんと挨拶をするのは正しいことだ。
但し校舎も真新しくなっているし、随分と体制も替えられたようだ、きっと目の前の彼女と新しくなっていたあの理事長のお蔭様であるのは間違いない。
シンザンは心の中で感謝をしつつも、若干複雑な気分でもあった。
「ああ」
「…………何か、心配事でも」
たづなはそこだけは労わる様に言葉を出す。シンザンは何とその気分を面に出していたのだと、その時に気付かされたのだ。
今の今まで平然を取り繕っている──と言うより、彼女自身もはっきりと心配されるまで、しかも人前で感情を出していたのは久しい事だったので、すぐに平然は取り繕ったが誤魔化すように鼻をすすってその下をこする。
「ない。早く行こう」
「……ええ」
納得はしていない──が、特に彼女は問いただすことは無かったし、そもそも心配に耽る事も無かった。
ガランガランと鉄の音。コンクリの小石程の破片を蹴りだした。文字にするならばそう表すしかない上に、結局ゆったりとした足取りであるのは確かだが、良く聞けば確かに昨日とは違う足音に聞こえる。脚幅は確かに広がっている、胸も少し張っているように見える、そしてたづなも驚く程に──
「うお~っ、この前のレース負けたぁ~っ!!」
「……こいつは何だ?」
「いや、いつの間にかこの風習が根付いてしまったというか……」
歩いている最中にて、妙なものを見たシンザンは、思わず呟きながらも突っ込んでしまう。
若干見苦しいとは思ったが、別に怒ったりするわけではない。実際ああ大声を出してストレスを発散するのは良いことだと、かつてのトレーナーも語っていたのだから。あの頃はもう無理矢理怒鳴らされた、あまり思い出したくない記憶の中では、色々と第三者視点から見ても喜劇に感じるエピソードである。
シンザンは思い返すたびに、海洋訓練や砂地調教に来るならともかく何故海辺で叫ぶのだと思う。
しかし今になって、ああなるほどなと何故か納得してしまうのだった。
「言ってやるよまぬけだ」
「つっ、次、行きましょう!」
そんなことを言って急かすたづな、背中を押されつつまた足取りが昨日くらいまでに戻ってしまったシンザン。しかしそこで聞こえる足音は、学園の中の喧騒に隠れてあっという間に消えてしまう、それこそ全盛期の乾いた空気を割ってしまう程の音でなければ誰も気づけないだろう。
特に若干野性味あふれる褐色肌の後輩が、切り株の空洞に向って叫ばれれば、きっと彼女の足音は聞こえなかっただろう。
「ちょっと待ってろ、アイツに文句付けてやる……!」
「だ、駄目です! 落ち着いてくださいっ!」
「あの無造作に積まれた料理の山を目の前にして、何にも思わない奴にか……?!」
食堂にてもう激情を露わにし始めるシンザンは、信じられない物を見たからだ。
シンザンはきっちりしているところはしているが、特に料理に関してはウマ一倍気を使っていた。幕の内弁当しかりなキッチリと区分けされた料理とごはん、それがシンザンにとって幸せを感じる瞬間だった。流石に丼ものなどに関しては目をつぶっていたものだが、カレーをぐちゃまぜにして食っていた後輩に対して、莫迦野郎と怒鳴ったりもしてしまっていた。
一杯食べる、それもいい。実際シンザンもなかなか色々な物を食っていた、お菓子に関しても色々な挑戦的な物も出ていたから、時間はきっちり守っていたにしろそれに手を出していたものだ。
しかしそれ以上におぞましい何かだと、シンザンは思う。様々な料理が山積みに、しかも種類を問わず、それを平然と口にして凄まじい勢いで食べているという事実。それはもう耳も動くし、尻尾は勢いついてあらぶり始める。
「すんません先輩、どうか目を瞑っていてくれ!」
「や、やっぱりここは後回しにしましょう! つ、次行きましょうか!」
結局その白いウマに関して何も言えず、気分が悪いままたづなに連れられて学ランの女は去っていくのだった。ちなみにこの一幕でシンザンは完全に酔いが醒めた事も加えておこう。
もう一つ付け加えると、白いウマは欲しかったのだろうかと思いながら、また無造作に積まれた料理の山を光速で消費し始めていた。
「ここは図書室ですね、色々なウマ娘たちがここで資料を確認することが出来ます」
「……ようやくまともなとこが出てきたな」
しかし懐かしい気分になりながら寄った図書室であるが、色々と設備も書籍も真新しくなってしまっているから、先程の例に漏れず新鮮な空気を味わうことになる──尤も先ほどは色々と濃い面子ばかりが揃っていたため、新鮮な場所と言うより色々と新鮮な後輩に目が移ろっていたのだが。
さてここにはそんな必要も無く気負う事も無い、ただ鉄下駄で普通に歩ていたらばうるさいはずなので、カツカツと恐る恐ると言った風に歩くのだが。
今度はシンザンが嫌に目立つ羽目になってしまっているのだ。勿論そんな視線には気が付かず、のうのうと余韻に浸りつつ歩いているのだが、ここには学を求める或いは知識をため込むのが好きなウマ娘、所謂本の虫と言うのも良く集っているわけだ。
そんな中で特に様々なウマ娘が、どういうレースをしていたのかと言う資料も見られることになるのだが。当然シンザンが走っていた頃等も含まれているわけで、彼女の容貌もある程度は理解が深い者も多い。
(ど、どうしてシンザン先輩が……)
(片田舎の方で隠居していたとか聞いていたはずだと思ったのに?! と言うか何ですのその恰好男らしすぎでは!?)
(といいますか、全然当時と変わりませんわ……何なら少し若返っているような気も……)
(サインほしい、けど、静かにしなくては……)
結果やきもきを混ぜた純真な思いと憧れを、鈍いシンザンに届けようと念じるだけだが努力する少女たちの光景があっという間に作られた。尤もその可能性は万に一つもあればいい話であるのだが。
規則とマナーに縛られつつも、放課後になったら確かに探しに行こうと心に決める若者たちを後に、すっかり気分転換の出来たシンザンは、神妙な顔のたづなを連れて先に歩き出すのだった。
そんな頃、ホールにて。
「せんばっつ、せんばっつ! ……どうしたの、ライスシャワーちゃん?」
ピンクの髪に鉢巻き巻いて楽しそうにレースを待つのはハルウララ、先日も君たちも見たように春の日差しの様に朗らかである。その時にはシンボリルドルフもいたわけだが、本来はハルウララがどうしてか偶然一緒になったというのが正しい。
さておき彼女にはある一人の友人がいる。暗めな色調のゴシック的服装に身を包んだ、桃色の少女と大体は変わらない小さな少女が怯えているのがその人、いやウマだ。名前はライスシャワー。目出度い名前を付けられて随分と愛されているように聞こえる名前だが、何故か彼女が身を包む気配は暗い感情だったし、そもそも見ているだけでも、なぜだか心配の観念を押し付けられるような気分になる位、彼女のオーラという物があまりにも弱弱しかった。
そんな彼女は今日は格段と彼女の気配は弱々しい、まさに今この瞬間に空気に融けて消えてしまいそうなくらいだ。だから友人として心配しなければならないし、そうでなくとも放っておけないのがハルウララだから、名前を読んで声を掛ける。
「……」
しかし帰ってくる答えも無ければ、そもそも視線も全然合わせてくれなかったのだ。ハルウララは心配になってしまった。だがほんの単純にして確かな心配だったので、更にハルウララの心配の色を深めてしまう。
「どうしたの?」
「今日の夕方、選抜レースだって、忘れてたの……!」
「あっちゃあ、やっちゃった」
「どうしよう! 私、全然自信ないよぉ……!」
後の祭りというには挽回出来そうなものだが、果たしてどんな言葉を投げかければ良いかわからない。彼女は自信があるとかないとか、そう言った世界とは全く無縁だったからだ。走ること自体に楽しさを見出していた、全くもって自由で本能的なウマだったので、単純にがんばってと言えば頑張るウマであった。
「大丈夫大丈夫、きっとなんとかなるなる!」
「そんな事ないもん……だって、ウララちゃんだって頑張ってたのに、私なんて……!」
「う~ん!」
ハルウララは困ってしまった。ただ間違いなくこの日のために頑張ってきたことは、ハルウララも知っているし彼女のトレーナーと一緒に見てきた事もある。
しかし頑張るあまり心の準備も出来なかったし、すっかり忘れてしまったのも確かだ。頑張れとか言っておくにも、結構頑張っているから何とも言えなくなってしまったハルウララ。
(う~ん、こういう時、他の人だったら……)
その時だった。
ハルウララにとって、すっかり聞きなれた低い声、そしてきっと誰もが聞き取れるようなガランガランと鳴り響く鉄の音。
困っていた顔はパッと明るくなった、もしかしたらと思ってその方を見た。
「ここは見覚えあるぞ、ホールだな? 造りだけは変わらんのだな」
渡りに船、大海の木片、願ったりかなったりのお方が現る────その名も、シンザン。
更新も感謝も遅くなってすみませんが、誤字報告や応援ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。