恵の体調不良で、お見舞いを兼ねて加藤家に訪問することになった倫也。しかし、恵の観察眼によって、現在、倫也のシナリオが行き詰まっているのがバレてしまう。そんなこんなで、恵に相談に乗ってもらうのだが……。

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冴えない彼女の接し方

 寒さが残る朝霧が、まだまだ肌に染み込むように続いてしまう三月中旬。

 春から大学二年生に進学を控えた俺は、恵の自宅に訪問していた。

「恵、なんか欲しいものあるか」

「ん、何もないかな」

 恵の部屋は英梨々や出海ちゃんとは違い、オタクグッズがない絵に描いたような女子部屋である。俺が言うのもなんだが、本当の意味での女子部屋に入ったのは出海ちゃん以来、初めてかもしれない。

 英梨々の部屋は女子部屋というよりもオタク部屋だし、その上、ラフ絵とかが散らばったりしているので、女子部屋というよりも仕事場といった方が正しい。

「倫也くん、私の看病はいいから新作ソシャゲーのシナリオを書いた方がいいんじゃないかなぁ~」

 恵の意見は正しい。納品の期限が近づいているのにまだ八割弱しか書き終えていないので、俺は二日前から徹夜の日々を送っている。三ヶ月前、大学生になって春休みの長さを知った俺は、これはよしと思い、依頼数を増やしたのが原因である。

「……大丈夫だ。シナリオの方は順調に進んでいる」

「作家が大丈夫って言っている時って、まったく大丈夫じゃない時だよね」

「~」

「図星かな」

 と、恵にシナリオが進んでいないのがバレてしまったので、俺は素直に進行度を教えた。

「……八割弱」

 恵も俺の様子から進行度合いを予想していたらしく、驚くことはしなかった。

「どこで止まっているの?」

「ファイが戦にいく所をスザンナが見送るシーン」

「……ああ、メインシーンだね」

「スザンナがどれだけ苦しい思いで送り出してるのか、異性としてまだ理解できていない朴念仁野郎がどうしても……」

「まぁ、ファイが朴念仁なのは同意するけど、倫也くんだけには言われたくないと思うなー」

「なぁ、恵。俺たち仲直りしたよな⁉」

「うん、仲直りしたね。でも、トラウマが残ったのはまた別の話だよ」

 思い出したくないのに、一年前の出来事ははっきりと覚えている。英梨々と詩羽先輩で過ごした濃密な時間の日々。そして、恵をおとしたメインイベントでもあるわけだが、けしていい思い出とは言えない。特に当事者からしたら。

「一年経って、私も気持ちの整理は出来たけど、倫也くんって、今もそうだけどそこらへの主人公よりも主人公してるよね」

 何も言えない。そして、俺には否認する資格すらない。

「でもさぁ。あの時は紅坂さんが元凶だったわけで、一概に俺が悪いとは言えないよ」

 全ての責任を紅坂茜に投げ、俺も少し抗弁する。ほんの淡い意見であるが、しないよりはしたほうがいいと思う。どう転ぶか、わからないけど。

「そうだね、倫也くんは悪くないと思う。でもね、貯蔵されたストレスは今でも残っているんだよ」

 恵の意見は理に適っている。でも、一年経った今でも根に持っているのか、と思ったが、口を出すのを憚られる。

 なので、俺は率直に話を逸らすことを試みる。

「恵、もうそろそろやめない」

「……それって、もうお蔵入りしたい案件ってこと?」

 若干、恵の口調に棘を感じたが、今は気にしないことにする。ていか、俺は一体何しに来たんだけ。名目上、恵の見舞いに訪れたのは覚えているが、これではまるであの時の反省会ではないか。いつ、どこで、何の出来後とは言わないけど。

「……エロゲーを無理やりアニメ化して、放送中に禁止用語しまくって、クズ呼ばれした主人公並みにお蔵入りした案件です」

「要するに、『俺たちは少ない資金で完成させたんだから、それくらい察しろ』という解釈であっているかな~」

 あぁ、俺の話についていけなかった高校二年生の加藤恵がどこへ旅だってしまったのか。

 いずれ、大人の階段を歩んでいくとわかっていても、恵の変化はここ三年間で急成長している。逆鱗に触れると手に負えないという、暗黙のルールがうちのサークルに存在するほど、恵の存在価値は昔と雲泥の差である。

「ぅぅ、そこまではいってない」

「そこまでは、ってことは的を射ているんだね」

 おかしいな。雲行きが怪しいぞ。俺がどこで好感度の選択を間違えたんだ。くそ、メインヒロインとして開花してくれたのは嬉しいが、ヤンデレ系ヒロインとして開花して欲しくない。ていか、そもそも発端は詩羽先輩にあるように思える。

「いま、私のことヤンデレって考えていたでしょ」

「いぃえいぇ」

 動揺を隠し切れないまま返事する。お願いながら、表情をフラットにしてジト目で見つめないで。怒っている時よりも怖いですよ恵さん。

「ふぅー」

 恵は深呼吸する。そして、フラットからノンフラットへと変化した。

「わかったよ~。で、この話をするまで何の話をしていたんだっけ」

 えぇと、なんだったけ。確か重要なことで、鬼気迫る案件だった気がする。そう、締め切る期限が迫っている仕事を放置して、競馬場にいくような。

「あぁ‥‥‥‥、えぇグラアサの原稿」

「……そうだね。こっちのほうがサークルにとって大事だね」

 まだ心のなかで引きづっているようだが、恵は矛を収めてくれた。そして、今後一生その矛を収めてくれるよう俺は願いつつ、念のため持参した原稿のコピーを渡す。

 恵は原稿に目を通しつつ感想を溢す。

「相変わらず、気持ち悪いね」

 最近、恵は罵倒から始まることが多くなった。

 何も隠さずに素直な意見を口にしてくれるは有り難いけど、感想を貰うたび俺のメンタルにダメージを負わせるのはどうかと思う。

「なぁ、恵。俺の原稿ってそんなに酷くなった?」

 自分の原稿は昔と比べると、相当成長していると実感している。その反面、恵からの意見が年々重く、鋭くなっている気がする。

「あー。そうだね。出海ちゃんなら『倫也先輩、スザンナが可愛すぎてキュンキュンします』っていうかもしれないけど、なんだろうね。私は思うにキャラクターには惹かれるけど、ストーリーがありきたり過ぎて、惹かれないかな」

「……そうか」

 俺は込み上げてくる嵐の中、気持ちを抑える。

 分かりづらいかもしれないが、恵の気持ち悪いはキャラクターの魅力が際立っていて惹かれる、という言葉と同義である。なので、今の評価だと、ストーリーが全然面白くないと判断していいレベルだ。

 やはり、世界観とストーリーが面白いグラアサでは、一人一人のキャラに感情移入できる俺の原稿では合わなかったぽい。詩羽先輩の神作と呼ばれるフィールズ・クロニクルの脚本は、書き手が初めて取り掛かる分野にも関わらず、最高の出来で完成させて見せた。

 その間に、俺が作家の要望を通すために会社とで激戦を繰り広げたが……。ヤバい。思い出しただけで、冷や汗が止まらない。

 とりあえず、過去の出来事は一旦忘れ、今の状況に力を注ぐ。そう思っても、今からじゃストーリーを大きく変えられるのは、ほんの一部だ。

「どこからストーリーが酷くなっていると思う?」

「たぶん、五十七ページから。スザンナが丘でファイの身の安全を願うシーン」

「……‥え、何が」

 そこのページは結構苦労して書いたシーンだ。メインシーンとは言わずとも、メインシーンへと繋がるキーシーンといっても過言ではない。自己評価だと上出来だと思えるし、出海ちゃんに確認して貰ったら、『いけます』と高評価を貰ったシーンだ。

 でも、微かに思うところはある。全体的に見てもスザンナの心情はここ以外にはっきりと描写したシーンはないし、それ以降主人公の視点になっている。そういう点を言うならば、問題点として挙げるのは間違えではない。

 でも。でも。

 自己評価で最高だと思っていたシーンに駄目だしを貰うのは経験していても慣れるものではない。

「そうだね。スザンナというキャラが光るシーンなのはわかるけど、どちらかというと送り出しているシーンよりもこっちの方が印象的に残るって感じかな」

「……たしかに」

 スザンナが願うシーンは初めの方に取り掛かったシーンで、どれくらいまで掘り下げていいのか、試行錯誤したシーンでもある。なので、これ以降のシーンよりも思い出が深く、力を入れ過ぎている節があるかもしれない。

「やっぱり、スザンナを陰からファイが見ていたというおちにした方がいいか」

「それだと、スザンナの心情は薄くなっちゃって、印象に残らなくなるよ」

 恵の意見に否定できない。スザンナの願うシーンはスザンナというキャラの成り立ちを理解させるうえで、切っても離せない重要なシーンだ。そのうえ、ファイとの関係がはっきりとわかるシーンでもある。

「……どうすれば」

 締め切り間近で、考えが上手くまとめられない。くそ、いっそこいつら駆け落ちして、王国が滅亡しましたお終い、というよくわからないおちにしたい。でも、そんなことが許されるわけでもないし、あぁぁぁっぁ。

「恵、俺は……」

 一瞬、作家固有の黒いオーラに包まれそうになるも、俺は寸前の所で堪え、師匠である詩羽先輩を思い浮かべる。詩羽先輩だったら、悲劇で過激で豪快に殺しにくる。こんな生やしい結末を許さないし、こんな結末も書かない。

「……恵、俺、一から書き直すよ」

 だから、俺は決心する。締切が迫っていたとしても、全身全霊で答え読者を殺す必要がある。そう、あいつらに追いつくためには四の五の言っていられない。

「倫也くん、それは無謀って言うだよ」

「ちち違う、覚悟ある選択だ」

「それだと、覚悟はあるけど何も考えていないっていうのと同義だよ。えぇと、いまさらなんだけど、私ちょっと寝ていいかな」

「……あぁ、悪い」

 すっかり忘れていたけど、恵は風邪でした。俺も看病しに訪れたのはいいが、看病らしいことは何一つしていない。あと、ご都合過ぎるかもしれないが、現在、加藤家は恵を除く身内は全員外出中である。けして、狙って訪問しているわけではない。

 そんなわけで、グラアサの話はここで一旦やめ、バックからお見舞い品を取り出す。

 本当なら、サークル内の各自で持参したかったぽいが、美知留以外誰も手が空いていない状況で、美知留がいっても対して嬉しがらないという多数決の一致のもと、サークル代表兼恋人である俺がいくことになった。

 追記、現在、美知留は野良シンガーです。うちの仕事以外で収入はなく、家のつねを齧る寄生虫になっています。

 

「お見舞い品を置いたらすぐに帰るから」

 と、俺はサークル内で預かった物を次々においていく。一つ目は果物のセットで、これは俺、出海ちゃん、美知留の共同品であるが、実際にお金を支払ったのは二人だけである。その中の誰が支払っていないのか明記しないが、想像の通りの人物なのは確かだ。

「……倫也くん、これって」

「……プロテインだな」

 書いて字のごとく、二つ目はプロテインです。これはうちの参謀兼恵の天敵である伊織からのお見舞い品であるが、けして的を外れているとは言えない。

「要するにプロテイン飲んで、身体を鍛えとけという意味で……‥。この品に関して俺は一切関わっていないからね」

「……」

 悪意の権現としか言えない伊織のお見舞い品をガン見する恵。あ、瞳孔が開いているよ、と俺は感想を抱くも、迂闊に声を出すことができない。恵の表情はフラットで一見、無表情に見えるも、身体から溢れる雰囲気で憤怒に満ちていると窺える。

「倫也くん。この贈り物をしてくれた人って、名前何だっけ」

「えぇぇと、波島伊織です」

「そんな人、うちのサークルにいたかな?」

「……」

 自業自得だな、伊織。俺は伊織に苦言を漏らしつつ、恵の茶番に付き合う。もう付き合うとかのレベルではなく、逃げることが不可能な状況である。

 そして、殺気満ちた恵を止められるのは、仕掛けた張本人である伊織以外いない。いったい、いつまでこの戦いを続けるのか、皆目見当がつかないが、さっさとケリをつけてくれないと憎悪がサークル内まで広がってしまう。

「……なぁ、恵。過去形じゃなくて、現在形だからな」

 俺は伊織のためではなく、サークルのために助太刀する。

 そもそもの話、現在、伊織に抜かれてしまうと、ほとんどの仕事が回らなくなる。

 一見、伊織は表立って行動してないが、経験を積んでいないとできないような業務を行っているので、俺では代わりに手伝うことはできない。

「違うよ、過去形にするんだよ」

 恵の眼は死んでいた。俺がいくら伊織を擁護しても、恵の心には届かず、ただ復讐という炎の燃料になっている。

 ていか、なんで、こんなギスギスした関係になっているのか、不思議で仕方がない。

 たとえ、伊織に聞いても、『僕は何も』と口にするだけなので、何が原因なのか、想像の域を出ない。

 まぁ、やった側よりもやられた側の方が記憶に残るというので、恵に聞けばわかるのだが、恵は頑固なので口にすることはたぶん、ない。特に伊織のことに関して聞き出すのは不可能に近い。

「恵の言い分もわかるが、サークル内でのいざこざは勘弁してくれ。胃が持たない」

「大丈夫だよ。サークル内で、あの人に話しかけることはほとんどなし、もし話しかける状況になったとしても、出海ちゃん経由だからいざこざは起きないよ」

 そうだけどさぁ。いざこざが起きなくても、空気がさぁ。だけど、俺がいくら説明した所で本音が恵に伝わることはないだろう。

「……それならいいだ」

 なので、俺は諦めることにした。いつか、平和条約を結んでくれることを願いつつ、俺は帰り支度をする。

「恵、体調悪いのに申し訳ないが、今週中にリメイク挙げるから見て貰えるとありがたい」

「わかったよ、こき使われるのには慣れているから。それに私が知らない所で勝手に決められるのは後味が悪いからね」

「……はははは」

 俺はただ苦笑いを溢すしかなかった。

 今回の件で、俺は高校生の時よりもさらに成長する黒い恵を再認識し、今後どのような対応をすればいいのか、悩むことになるのだった。

 



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