江戸川コナンと魔術事件   作:ラムセス_

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地獄のかまど

 静寂なホテル内を引き裂くような女性の悲鳴が響き渡った。

 

 「っ!!この声は四階からだ!」

 

 コナンはとっさに、あるいはいつも通りに駆け出した。探偵としての性だ。謎があれば究明せねばならないし、事件があれば解決せねばならない。

 ホテルにエレベーターはない。狭い廊下の突き当りにある階段を、コナンは全速力で上った。

 

 四階に上がるとすぐに異常は知れた。

 階段を上がって二つ目の部屋、403号室の扉が開け放たれたままになっている。そしてその扉の前には座り込む女性の姿。食堂で知り合った宿泊客の一人、宮口さんだ。

宮口は青ざめた表情で目を見開き、恐怖に震えながら部屋の中を凝視している。

 

コナンが部屋の中に駆け込み、目を見開いた。

真っ黒に炭化した人型が、僅かに煙を燻らせていたのだ。

 鼻をつく異臭の中、コナンは鋭く口を開く。

 

「宮口さん、警察と救急車を!」

「………あ、は、はい」

 

呆然としたままゆるゆると携帯をポケットから出す宮口の横から、階段を勢いよく駆け上がる音が複数。

 

「コナン君!さっきの悲鳴は…………っ!」

「坊主!勝手にウロチョロするなって何度…………こいつぁ」

「安室さん、毛利のおじさん」

 

 部屋に満ちる焼死体の異臭と炭化した死体の凄惨な様子に、二人は息をのんだらしい。先走ったコナンを批難する毛利小五郎の視線も、瞬時に部屋の異常さに向けられた。

 遅れてやってきたオーナーや他の宿泊客に現場に立ち入らないよう注意しつつ、探偵たちは思考を高速で回し始める。

 

「……“地獄のかまどから人が漏れた”とはまた、言いえて妙ですね」

「馬鹿言ってねぇで警察に連絡だ!これが殺人以外のなんだってんだ」

「第一発見者の宮口さんが通報してくれてるよ、おじさん。それより、これは……」

 

 403号室はツインの客室だ。ベッドの上には無造作にボストンバッグが置かれ、テレビはつけっぱなし。ベッドの横に転がる運動靴は男性のものだ。

 荒らされた形跡はない。ただ長距離の運転に疲れた体でゆったり過ごしていた、そんな風情だ。

 

 そんな冬のホテルの日常を粉々にする、凄惨な事件の跡。

 死体はちょうどドアの目の前でこと切れていた。

 

 炭化し随分と小さくなってしまったそれは男か女かすら分からない。

 服も、装飾品も焼けてなくなってしまったのだ。手足は熱による筋肉の収縮であらぬ方向に屈曲し崩れ落ち、苦しみにもがいていたように見えなくもない。顔の肉は焦げ落ち、骨が露出して相貌すら定かではない。

 

 それほどのやけどを負いながらも、「彼」は動いていたようだった。

 

 ベッドの上からずり落ち、指をこぼしながら炭の跡を残してドアまで這った跡。

 そんなおぞましい痕跡が、黒々と絨毯を汚していた。

 

生きているはずのない、まさに“地獄のかまど”から人が這い出てきたかのような様相に、安室はこの地域に伝わる民話の一節を引用したようだった。

 

「おい、何があったんだ?」

「人が死んだって……」

 

ざわめきが波紋のように広がっていく。

これが殺人事件であるということは、すぐにでも知れ渡ることだろう。

 

 焼け死んだ人間の死体が、火の気のないホテル四階で見つかる。

 それは時代錯誤の焼身自殺でも試みたのでない限り、すなわち殺人である。

 

「……あの」

「宮口さん、どうしたの?」

 

おそるおそる、といった様子の女性の様子に、コナンは柔らかく声をかけた。

いまだ恐怖と混乱の引かない宮口は、携帯電話を片手に泣き出しそうに顔をゆがめていた。

 

「電話がつながらないんです。圏外でネットもつながらなくて……」

「圏外?でも昼間は問題なく……」

 

ズボンのポケットから取り出したコナンのスマホも、やはり圏外。

 

「僕のもです。1時間ほど前にかけたときはつながっていましたし、いくらここが山の上といっても電波が通らないほど田舎というわけでもありませんから。なにか基地局のほうで問題が起こったと考えるのが自然でしょうね」

「ったく、こんな緊急時に!亀山さん!ホテルに有線電話はないんですか?」

「あ、はい、一階のフロントに1台あります」

「ではそこから警察と救急車をお願いします!」

「警察と救急車ですね、わかりました」

 

口ひげを生やした痩身の男性、オーナーの亀山がざわめく宿泊客をかき分けてあたふたと階段を駆け下りていった。

 

「……基地局の異常、謎の焼死体。おまけに今日は猛烈な吹雪で外出はほぼできない。偶然だと思うかい?コナン君」

「もし、偶然じゃないとしたら……ホテルの電話に対策を打たないわけがないよね」

 

 密やかな二人の会話は、しばらくののち真っ青な顔色で上がってきたオーナーによって裏打ちされた。

 

 小さなスキー場近くの、小さなホテル。

 冬山の天気は荒れ模様で、ホワイトアウトするような猛吹雪があたりを覆いつくしている。

 スマホは通じない。有線電話も、ネットも何者かによって切断されている。

 そんな中、他殺死体が一つ。

 

「まるで古典的な推理小説のようじゃないかい?陸の孤島に閉じ込められた宿泊客たち。見つかる変死体。おあつらえ向きな地域の昔話」

「犯人は愉快犯。そう言いたいの?安室さん」

「昔ならいざ知らず、この現代に“タタリの仕業だ!”なんてならないだろう?連絡手段を断つのはともかく、わざわざ手間をかけて殺害方法を民話になぞらえるなんて何を考えていることやら」

 

 安室は大げさに肩をすくめた。

 

「死体は自分で動くはずないし、動いた跡があるならそれは動かした犯人がいるってこと。民話に合わせるためにわざわざ犯人は証拠を残していったのか、民話に合わせなきゃいけない理由でもあったのか……」

「ともかく、警察が来ない以上、できる限り僕らで調べるしかないね。毛利先生にはほかのお客さんたちへのケアもしてもらわなくちゃね」

 

 実質的にはこのホテルに閉じ込められる形となった宿泊客を落ち着かせるため、安室はにこやかに弟子の顔をかぶり、現場検証をしている毛利のもとへ向かっていった。

 

 その変わり身の早さに乾いた笑いをコナンは浮かべた。

 

 

 ふと、部屋の外、廊下に向かって振り返る。

 

 1拍、2拍。

 

  部屋に異常はない。しかし。

 …………なにかが、廊下側からこの部屋に向かって張り巡らされた、ような。

 

 視線とも殺気とも違う感じたことのない気配に、コナンは急速に身を引き締めた。

 まるで臓腑までまじまじと覗き込まれたような、あるいは細い細い蜘蛛の糸が部屋中に撒かれたかのような。

 

 廊下には遠巻きにこちらを眺める宿泊客が10人ほど。

 コナンは最大限に警戒しつつ、宿泊客の様子を探る。どの客も不安そうで、ドアの向こうに見える死体におびえて囁きあっている。

 

 その中で一人まっすぐに死体を見る男性がいた。

 

 日本人には珍しい自然な赤毛と、琥珀の瞳。体はがっしりしていて、おそらく鍛えているだろうことがうかがえる。

 夕食時食堂であったときに聞いた話によれば、剣道と弓道をかじっているというからそれで筋肉がついているのだろう。

 

 ロンドンに留学中で、現在は現地で友人になったイギリス人女性と旅行中の大学生。

 

 

 名を、衛宮士郎。

 

 

 奇妙な感覚と件の大学生の様子。

 何かに引っ掛かりを覚えつつ、コナンは現場検証に戻っていく。

 

 

それが、この世にも奇妙な一件の始まりであった。

平成のシャーロック・ホームズが、科学で解明できない、ロジックで理解できない、そんな魔術と神秘の世界をのぞき見ることになるきっかけ。

 それがおそらく、この赤毛の青年、衛宮士郎との出会いであったのだろう。

 

 

 

**********

 

 

 

 時刻は午後11時を過ぎている。もうすぐ日付も変わる夜更け、ホテル二階のロビーで古い壁掛け時計の音だけが規則正しく空気を揺らしている。

 

 ロビーにはホテルスタッフを含むホテルにいる全員が集まっていた。

 総勢23人。

 403号室に宿泊していたはずの男性客が一人姿を現さなかったが、誰もそれを指摘することはなかった。涙にくれる403号室のもう一人の宿泊客、行方不明の男性客の姉である宮口がひたすらに涙を流すさまを見ればその末路は明らかだった。

 

 ロビーには痛みの激しい皮張りのソファと古びたリビングテーブルが配置されていたが、今は脇によけられている。

 代わりにひろくとったロビー中央に青いビニールの敷物が敷かれ、宿泊客が不安のにじむ顔で各々スペースをとって座っている。

 

 そんな中、毛利小五郎はスタッフルームにあったホワイトボードの前に立ち、一つ呼吸を整えた。

 

 「えー、皆さん不安ななか、こんな時刻までありがとうございます。改めまして、私は名探偵の毛利小五郎です」

 

 名探偵、と強調する小五郎の声は自信に満ちている。

 実際の推理力はともかく、ネームバリューとみなぎる自信は宿泊客の不安を幾分か和らげる効果があったようだ。

 客たちの肩の力が抜けたのを見たコナンは、軽い笑いを覚えつつも素直に安堵していた。

 

「繰り返しになりますが、今日の午後8時13分、このホテルで死体が発見されました。死体は炭化しており個人識別は不可能でしたが、状況的に見て403号室に宿泊していた宮口正平さんでまず間違いないでしょう」

 

 小五郎の言葉にざわめきがさざ波立った。

 涙をかみしめて声を殺す女性、宮口に視線が集まる。

 

「死体の状況を見るに、他殺である可能性はきわめて高い。痕跡から推測するに、死亡した宮口正平さんは死後に部屋に運び込まれたと考えられます。それはすなわち、宮口さんを殺害して部屋に運び込んだ犯人がいるということ」

 

 宿泊客たちが息をのみ、一瞬ロビーは静まり返った。

 数瞬ののち、怯えを多分に含んだ叫びが上がった。

 

「それは、こ、このなかに殺人犯が紛れ込んでいるということか!!」

 

 声の主は恰幅のいい男性だ。

 肥満にすぎる腹部を冬用の分厚いセーターとブランド物のコートでふくらませ、バランスを崩しながらも立ち上がる。

 

 「それは断定はできませんが、外はこの大吹雪だ。逃げるにゃ凍死の覚悟すらしなきゃならんでしょう。私が思うに、犯人はまだホテル内に潜んでいる可能性が高い」

 

「あんた名探偵なんでしょう!こんだけ待たせといてまだ犯人がわかってないのか!」

「それは……」

 

 男性客は声を荒げた。かなり苛立っているように見える。

 対称的に、小五郎は言葉を詰まらせた。

 

 事実、この事件に関してわかっていることはほとんどないと言っていい。

 

 死体が発見されたのは午後8時13分。被害者は宮口正平。

 死因は不明。焼死なのか、何らかの方法で殺害された後で焼かれたのか、鑑識道具のないここで判別するすべはない。

 

 部屋に火の気はなく、また絨毯や調度品が焼けた様子もないので、遺体が焼かれたのはこの部屋の中ではないだろう。

 

 死亡推定時刻は午後2時から8時の間。その間宮口正平は自室にこもっていたらしく、目撃したのは2時に部屋の清掃に来たスタッフのみ。

 怪しい物音も殺害事件を示すような怒声・悲鳴を聞いた人物はいなかった。

 

 わかるのはホテルのオーナーとスタッフ2名の証言から、彼が2時から8時の間ホテルから出ていないということだけだ。

 つまり、午後2時から8時の間に彼はホテル内で何者かに殺害され、遺体を動かされたのだ。

 

 事件発覚後、すぐにコナンは安室と手分けして宿泊客に聞き込みを行った。

 そして分かったのは、宮口正平には殺される理由がない、ということだった。

 目立った金銭トラブルどころか、姉である宮口君江以外には面識のある人間すらいなかったのだ。

 ほかの宿泊客と被害者の接点はただ一つ、「今日同じホテルに泊まっていた」ということだけ。

 

 では宮口君江はどうか。

 こちらはアリバイがあった。

 

 昼間、食堂で昼食をとっていた時にコナンたちは宮口姉弟に会っているのだ。

 午後は近くのスキー場に滑りに行こうと誘う宮口君江の誘いを断り、弟の宮口正平がいかにも面倒くさそうなそぶりで部屋へ戻っていく姿をコナンたちは見ている。

 

 そしてそのあと、落ち込んだ君江をスキーへ誘ったのは毛利蘭だ。

 吹雪に吹かれてホテルに戻るまで、コナンたちは君江とスキーを楽しんでいた。

 昼間に別れた弟を、徒歩で20分も離れたスキー場から焼殺し、あげく死体を動かす魔術のごときトリックをコナンは知らない。

 つまり、ほかでもないコナン自身が、宮口君江のアリバイを確認しているのだ。

 

 殺害する動機を持つ余地がある人間には完璧なアリバイがあり、見ず知らずの人間しかいないホテル内で残忍に殺害された宮口正平。

 新たな証拠が見つかりでもしない限り、推理はここで打ち止めである。

 

 そもそも。人間を炭化するほどの火力は、ここにはない。

 遺体の熱傷はかなり激しく、焼却炉にでも放り込まれたかのような火力を感じさせるものだ。遺体にガソリンをまいて火をつけたとしても、ここまで炭化させるのにはかなりの時間がかかるはずだ。

 

 そうして炭化した遺体は非常ににもろい。少し触っただけでボロボロと崩れ落ちてしまう。

 そんなもろい遺体をほぼ完全な状態で4階の部屋まで誰にも見とがめられずに運び込み、加えて死体が這って動いたかのような細工まで施すなど、いったいどのようなトリックか。

 

 さらに、部屋に残る跡は、死体が運び込まれたときまだ熱を持っていたことを示している。

 

 犯人の痕跡も、トリックにつながる証拠も欠片すら見つからず、あるのは「地獄のかまどから人が漏れた」と形容するしかない異様な状況のみ。

 

 たとえば、本当に焼かれた死者が黒焦げの体を引きずってよみがえって来れるとするなら、

この現場に不自然なものなど何もないといえるほど、この殺人は完璧だった。

 

 

 ――――あるいは、本当に。

 

 

 コナンは思考を中断して安室の横に立ち、冷静に怒りに震える男性客を観察した。

 

 たしか、この男性は死体が見つかったのと同じ階である401号室の宿泊客だ。

 全身ブランドで固めている様子を見るに、かなり儲けているのだろう。金色のネックレスをこれでもかとジャラジャラ下げているが、こちらも本物の金を使ったアクセサリーのはずだ。

 

 職業は風水師。近くに上顧客がいるとのことでここに宿泊した、この殺人事件とは関係のないところできな臭いにおいのする人物である。

 

「申し訳ありません。なにぶん、ここは警察も鑑識も来ることのできないクローズドサークル。不可解なことも多い事件ですが、加えて科学的な証拠集めもできないのではいくら毛利先生といえど時間のかかる案件にならざるを得ません」

 

 安室はいつも通りの笑顔を男性客に向けている。

 穏やかな語り口物腰であるにもかかわらず、どこか反論しがたい威圧感。

 ちょっぴり降谷が顔を出してる、とはコナンの内心である。

 

「……っ、だったらさっさと部屋に戻らせてもらう!こんなところにいるより、鍵をかけた個室にこもってる方がずっと安全だろう!」

「……それは違う。生き延びたいならまとまっていた方が幾分か安全だ。鍵のかかった扉より、生きた人間のほうが強いに決まってる」

 

 予想外の方向から反論があった。

 驚きにコナンが視線を向けると、それはブルーシートの後ろの一角、赤毛の青年と金髪の少女という特徴的な取り合わせの二人組だった。

 コナンは注意深く二人組に意識を向けた。

 

 風水師に反論したのは赤毛の青年、301号室の衛宮士郎だ。

 赤毛に琥珀色の瞳、という随分日本人離れした色彩だが、国籍は日本。ロンドンのとある大学に留学中で、専門は英文学。現在はアーサー王伝説について研究しているらしい。

 同室に宿泊している金髪の少女はアルトリア・セヴァリー。アーサー王伝説の舞台となった地であるコーンウォール出身で、その縁で彼と知り合ったそうだ。イギリス英語にしてはラテン語風の名前も、アーサー王伝説になぞらえてつけられたものであるらしい。

 

 食堂で会ったとき、彼はミス・セヴァリーを「セイバー」と呼んでいた。

 ファミリーネームをもじったあだ名のようだが、少女に対して「剣士」と呼ぶとはいささか妙なネーミングだとコナンは感じた。

 

 彼らとは夕食時に少し言葉を交わしただけだが、驚くほどコナンの脳裏に引っかかるものが多い。

 不自然なほど気を張った様子、ミス・セヴァリーの衛宮さんを守るような動向。

 死体発見時もそうだ。

 

 死体発見時の衛宮士郎の様子は不可解なほど落ち着いていた。

 コナンや安室たちが死体を見ても動揺しないのは、探偵として数々の事件に関わっているからだ。

 たとえ刑事でも新任は凄惨な死体を見るとまいってしまうというのに、普通の大学生であるはずの彼がうろたえないはずがない。

 

 だというのに、衛宮士郎が焼死体を見る目は「見慣れたものを見る」それである。

 

 本棚に収まる本を見るような、あるいは木に留まるセミをみるような、当然の光景を見る目だ。

 聞き取り調査での言葉を信じるなら、死を悼む気持ちもあるし、次を起こさせないよう協力する意思もある。

 

 しかし、その衛宮士郎の様子はコナンの脳裏にどうにも引っかかっていたのだった。

 

 

「こ、この中に殺人犯がいるかもしれないんだぞ!いきなり襲われたらどうする!」

「よっぽど強い武器か鍛えてるかしない限り、こんなに人がいるところで暴れたら先は見えてる。よっぽどの馬鹿じゃない限りここで暴れるような真似はしないと思うぞ。逆に、この全員をなんとかできるほどのものがあるとしたら、閉じこもってても一人ずつ殺されるだけだ」

「……だ、だが……」

「それをわかってるから、そこの人たちもロビーにブルーシートをひいてここで寝られるようにしたんだろ」

 

 衛宮さんの言うことは正しい。ここにブルーシートを置き、予備の布団を隣のリネン室にまとめるよう指示したのは安室だ。

 この状況下において分散するのは第二の殺人を起こさせる可能性につながってしまうからだ。

 

 未だに殺害方法も犯人も分かっていないが、殺人の動機が衝動、あるいは理由のない何かである可能性も否定できないのだ。

 宮口正平さんを殺害するだけでなく、無差別に次々と宿泊客を襲うことがないとは言い切れない。

 

 ならば、二人以上のグループを作って見張りをし、持ち回りで夜を明かすのが最も安全だろう。

 

「……衛宮さん、でしたね。はい。僕たちもそう考えています」

 

 安室が探るような目つきで答えた。

 

「山の天気は変わりやすい。この悪天候も長続きはしないはずです。今夜を乗り切り、天候が回復し次第下山して警察に連絡すれば済む話です。不安は分かりますが、第二の犠牲者を出さないためにもどうかここは堪えてください」

「…………チッ、俺はお前らが殺されても助けんからな!」

 

 風水師の男は乱暴に腰を下ろした。

 

 この非常時に、衛宮さんの思考は冷静かつ現実的だ。

 慣れすら感じられるほど、彼は落ち着いてこの危機に向かい合っている。

 

 安室もそれを感じているはずだ。ただの大学生にはありえないその様子に疑念を向けているのがコナンにも分かった。

 …………本当に、彼らは何者なのだろうか。

 

「えー、ゴホン。これから夜番の組み分けを行います。五人一組で、2時間交代。子供3人は除外します。体力や腕っぷしに自信のある男性陣は手を挙げてください。各組一人は緊急時に対応できるようにしましょう」

 

 これまで黙っていた小五郎が若干居心地悪そうに話を切り出した。

 冷たい空気のただようロビーの時間が、のろのろと動き出したようだった。

 

 

 

 

「お兄さん、とっても落ち着いてるね」

「……ええと、コナン、だったよな。もう寝た方がいいぞ。いろいろあったし、疲れてるだろ?」

 

 組み分けを決めてしばらく。夜番の一組目となった衛宮さんにコナンは声をかけた。

 やはり彼の様子は落ち着いていて、幼い容姿のコナンを気遣う余裕もある。

 

「ううん。僕は平気!小五郎おじさんがいるから」

「名探偵の毛利小五郎さんか。俺もテレビで見たことあるよ。まさかこんなところで有名人に会えるなんて思ってもみなかったけどな」

「セヴァリーさんに日本を紹介するためにここに来たんでしょ?セヴァリーさんは大丈夫かな……」

「セイバーなら心配いらないさ。というか、セイバーが対処できないような相手だったら俺なんて手も足も出ない」

 

 衛宮さんの様子から冗談めいた香りはしない。

 

「セヴァリーさんってそんなに強いの?お兄さんは背も高いし、体もがっしりしてる。剣道をかじってるって言ってたけど、実は凄く鍛えてるでしょ」

 

 身長は180cmはあるだろう。

 若葉色のセーターを着こんでいて分かりづらいが、腕も足も鍛え上げられているはずだ。他の宿泊客のスキー用具運びを手伝っていた様子を見るに、かなり筋肉がついている。六人分のスキー板を小脇に抱えるなんて相当な筋力だ。一般的なスキー板は一組で5キロ程度。単純計算で30キロをひょいと持ち上げたことになる。

 手のひらは剣だこで硬く、かなりの鍛錬を想像させる。ただ、普通の竹刀を用いた剣道とは異なるように感じられる。たこのつき方が違うのだ。一本の竹刀を両手で振るというより、小太刀のような短めのものを二振り持っているかのような、そんな跡だ。

 

 現代剣道でも二刀流を学ぶものは非常に少ない。1992年から大学剣道では二刀流が解禁されたが、それ以前は長らく二刀流を学生大会で使うことが禁じられていたからだ。

 二刀流を相手にすることに慣れていない選手が大半なので大会では有利と言えなくもないが、基本的に二刀を扱うのはかなりの筋力と技術を要する。教えられるものも少ないので、公式大会でいくら認められているとはいえ、中途半端に終わる可能性が高い。

 

 しかし、毛利蘭の言葉を信じるなら、彼は京極真のごとき強者であるかもしれなかった。

 

「俺なんてまだまだ未熟者だ。努力は欠かしていないつもりだけど、やっぱり目指すところは遠い。セイバーから一本取るなんて、今のままじゃ夢のまた夢だ。……今回だって、俺は何もできなかった」

 

 己の手のひらを見つめ、遠くつぶやくように彼は答えた。

 深い情念、決意、誓い。あと、後悔。

 その様子は、あるいは安室透――降谷零の使命感にすら似ているとコナンは感じた。

 

 

 やはり、彼には何かある。

 コナンは疑念を確信に変化させた。

 

 此度の事件には裏がある。

 

 一つ。スキー場で聞いた噂話。

 ここ十年ほど、このあたりで行方不明事件が多発しているらしい。吹雪の日を前後して、一度に数人が行方知れずになる。

 地元住民はその話をこのあたりに昔からある「地獄のかまど」という民話に絡めて、都市伝説を囁きあうように教えてくれた。

 

 「地獄のかまど」とは、よくある子供向けの訓戒話だ。

 悪い子どもは吹雪の日、鬼がやってきて地獄にあるかまどに生きたまま放り込まれてしまう、というもの。

 もちろん信じているのは子供くらいのものだが、行方不明事件が起き始めてからは都市伝説じみたホラー話に変わってしまったようだ。

 『吹雪の夜、時計が壊れたら気を付けろ。時間を逆しまに廻すため、かまどの燃料を探す虹色の人型が現れる』

 

 都市伝説や民話はともかくとして、行方不明事件が10年前から続いているとしたら、今回の事件も表ざたになっていないだけで10年前から続いている可能性がある。

 そして、殺人を10年もバレずに繰り返すのは難しい。

 たとえば、バックになんらかの組織がいない限り。

 

 二つ。安室透の動向。

 彼は今回、毛利小五郎の弟子としてここについてきたわけではない。

 数日前からポアロのアルバイトを休み、コナンとは連絡が取れなくなっていた。

 純黒の悪夢を超えて安室とコナンはある程度の信頼関係を築いていたが、彼がバーボンとして動いているときはその限りではないのだ。

 

 その彼が、ポアロを休んでわざわざ田舎の山中のホテルにいる。

 彼はただの骨休めの旅行だと周囲に話していたが、まさか額面通りに受け取っていいわけがない。

 多忙な潜入捜査官がここにわざわざいる理由は、バーボンとしての仕事だろうか、公安としての仕事だろうか。

 

 三つ。黒づくめ。

 スキー場で一度。ここから15分ほど離れたガソリンスタンドで一度。コナンは二度ここに来てから黒づくめの格好をした人物を見かけた。

 コードネームもちのような存在感も雰囲気も感じなかったが、その電話内容はコナンを警戒させるのに十分だった。

 

 『例の鍵の取引は明日、いつもの場所だ』

 

 盗聴器はまだ生きているが、その電話以降目立った情報はない。

 例の鍵とやらがなんなのかも、いつもの場所というのがどこなのかも、さっぱりわからないままだ。

 

 

 この三つの情報は、コナンにいやがおうにも彼の組織の影を感じさせた。

 そんななか起きたこの事件が、組織と何の関係もないはずがない。

 

 常に周りに気を張った様子も、事件が起きることを知っていたような口ぶりも、この落ち着き様も、衛宮士郎という青年が何かを知っているという確信を補強する。

 組織が動いているなら周りに気を張るのはごく自然なことだし、取引が予定されているのなら事件の周期もある程度予測できる余地がある。

 不自然に落ち着いている、あるいは手慣れているのは、彼が組織の関係者か。

 

 あるいは――安室や赤井と同じ、組織を追う者か。

 

 

「お兄さんはさ」

「……ん?どうした?」

 

 コナンは淡く笑った。不敵にふるまえるほどの証拠はない。この状況下、証拠集めの時間も余裕もなかったが、それでもコナンはある程度の確度を持って言葉を告げた。

 

「悪い奴らの敵だよね」

「――――」

 

 目の前の赤毛の青年はわずかに目を見開いて息をのんだ。

 コナンは笑ったまま青年を見つめ続ける。

 

 衛宮士郎は善良な人間だ。昼間の言動の端々から無私の奉公の精神を感じ取れたし、スキーから帰ってくると彼は吹雪に吹かれて困り果てた宿泊客の手助けを行っていた。

 普段いくら善良に見えたところで、人間の奥底は分からないと探偵として数々の事件に関わってきたコナンは心の底から理解している。

 

 それでも、彼は信用のおける人格者だ。

 人を見続けた探偵としての勘が、コナンにそう告げている。

 

 かつて安室にも問うたその問いに、衛宮士郎はふっと表情を緩めた。

 

「悪い奴の敵、か。悪の敵……」

 

 言葉をかみしめるように繰り返す。

 

「そうだな。俺は悪の敵としてここに来た。でも、俺のなりたいものはそれとは反対のものなんだ」

「反対?」

「ああ」

 

 遠い憧憬をにじませるように、星の輝きに手を伸ばすように、青年はコナンに語りかけた。

 

「悪の敵より、……正義の味方に、なりたいと思ってる」

 

 

 

************

 

 

 

・二日前、ロンドンの時計塔にて

 

 

「件のバカは日本に潜伏中よ。まったく、簡易とは言え魔術礼装を一般人に流すなんて信じられないわ!」

 

 怒りに震えながらも麗しい、宝石のような美貌を持つ女性。

 繊細なボタンダウン・カラーの襟を持つ真紅のクレリックシャツと、黒い上品なシフォンスカートに身を包んだ彼女の名は、遠坂凛。

 

「はー……ごめん、士郎。迷惑かけるわ」

「遠坂も大変だな。宝石科(キシュア)も中立派になってからゴタゴタがあったんだろ?」

「魔術師の本分は根源への探求よ!派閥争いのめんどくささったらないわ!だいたい、現代魔術科(ノーリッジ)の小物が起こした事件になんで法政科が動くのよ!余計大ごとになるじゃない!」

「荒れていますね、リン」

 

 事の始まりはとある魔術師の逃亡である。

 現代魔術科に所属する三流魔術師が、降霊科(ユリフィス)の研究成果を持ち逃げしたのだ。

 

 科をまたいだ事件としてそれぞれの派閥同士の摩擦も起きたし、ただでさえ下層と目される現代魔術科のさらに三流魔術師が起こした大それた事件に降霊科の貴族はメンツをつぶされた。

 降霊科の魔術工房、ひいては魔術師自体の質が問われる事態にもなった。

 

 そこまでなら激怒した降霊科が件の魔術師を草の根を分けても探し出し、血祭りにあげるだけで済んだ。

 

 しかし事態はそうもいかない。

 盗み出した研究を粗悪に複製して作った魔術礼装を、あろうことか一般人に流し始めたのだ。

 

 金銭目的か、実験体の入手のためか、はたまた示威行為か。

 件の魔術師の思惑は定かではないが、一般人にも使える魔術的玩具など時計塔が黙っていられるはずがない。

 気づいた時には裏社会に出回っていたのも始末が悪い。

 

 結局それは大ごとすぎるがゆえに時計塔内でも極秘事項として扱われることになり、各学部の上層を玉突きのように移動し、時計塔全体のロードたる法政科が重い腰を上げ、めぐりめぐって宝石科へとわたってきたのであった。

 

「第一原則執行局からの指令はこうよ。神秘の隠匿を真っ向から破った魔術師を速やかに処理し、礼装を回収せよ」

 

 処理、とは『これ以上の神秘の漏洩が防げるのなら生死問わず、どのような状態になっても構わない』という意味である。

 

「私は降霊科内に犯人を手引きしたヤツを追うわ。士郎はセイバーと一緒に日本に飛んで」

「遠坂は大丈夫なのか?」

「リン、時計塔の魔術工房を突破するなど並みの使い手ではありません」

「こっちは過剰戦力よ。降霊科のロードが直々に動くらしいわ。私がほんとに必要かも分からないくらい。士郎は三流を任せた。せいぜいボコボコにしてやって」

「……心得た」

 

 連日の騒動で疲れがにじむ遠坂凛に、士郎は無言で紅茶を淹れた。

 

 時計塔に留学して2年。

 妖精が絡むご当地事件や秘儀裁示局の厄ネタ、エルメロイ教室のゆかいな仲間たちなど事件には事欠かなかった。

 しかし、今回の事件も規模でいえば負けていない。

 

 降霊科から盗み出された研究は、歴史こそ浅いが危険度は一級品だ。

 

 遠坂はアンティークのイスに優雅に腰かけると、ティーカップを傾けた。

 

「研究の詳細は開示されなかったけど、断片からでもろくでもないことがわかったわ。気を付けてね、士郎。もしアレに書いてある儀式が正常に作動したなら、時間に関わる大権能が吹き荒れる事態になりかねない。まあ、三流魔術師にはとても扱えるものじゃないから万に一つもないでしょうけど」

「権能……って、神霊の持ってる力だったか」

「ええ。物理法則が存在する前の世界の法だった力。神の持つ権利であり、法則よ」

 

 ランサー、クー・フーリンの因果逆転、ギルガメッシュの時空流の発生がそれにあたるだろう。

 

「アレは、簡単に言えば神の降霊を目指したもの。時間を司る現代神話の邪神を、生贄と偶像で呼び出そうとする大儀式よ。例の『鍵』も、時間を巻き戻すことによる若返りが表向きの効果だけど、神の似姿で生贄の選定を兼ねてる可能性が高いわ」

「…………そうか」

 

 魔術師では到底手の届かない神秘に、士郎は気を引き締めた。

 

 一般人へ、そんな危険物を流出させる。

 それは魔術師としても容認できることではないが、なにより、衛宮士郎という人物の根幹を成す信念に反することだった。

 

「件の魔術師は顔を変えてる。魔力も秘してるでしょうね。流出した『鍵』とかいう魔術礼装から大体の位置は逆算してるから、なにか大ごとをしでかす前に特定してふんじばればいいわ」 

 

 頼んだわよ、士郎。

 

 

 事件二日前のことである。

 

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