「セヴァリー、さん?」
「めまいや頭痛、吐き気などの不調はありませんか?」
「う……ううん、ないけど」
「それは良かった。ここまで高濃度の
リンと静寂を破るような声だ。
鈴の音を連想させる廉潔さに、コナンははっと夢から醒めるように思考が戻ってきたのを感じた。
「あむ、安室さんは大丈夫なの!?」
今、安室は意識を失ったままセヴァリーに抱き留められている。
左手は『鍵』ごと切り落とされ、虹色の地面に同色の血をぶちまけている。腕からはとめどなく虹色の血が流れ続け、ジャケットを濡らしていた。
「この状態のままでは絶命は免れません」
「そんな……」
「心配はいりませんよ、少年。リンの宝石を持っていますか」
宝石、という単語を聞いてコナンはぎくりと肩を揺らした。
「あ……その、これは……」
「盗取とは感心しませんね。ですが、そのおかげで魔術炉心の一つを特定できましたし、この青年の治療もできます。功罪相償う、ということで不問に付すこととしましょう」
セヴァリーは優しげに表情を緩めてコナンと目線を合わせた。
コナンはその清廉に過ぎるコバルト・グリーンに気後れして、目をそらしながら布に包んだままの宝石を差し出した。
「治療は……たしか、これでしたか」
受け取った宝石を確かめて、セヴァリーはそのうちの一つ、コナンにはどれも同じにしか見えない美しいルビーを手に取った。
その手は白銀に輝くガントレットに覆われている。
超級の宝石が金属とぶつかり堅い音を立てるのを聞いて、コナンは居ても立ってもいられない心地だ。小さな小さな傷ひとつで、いったいどれほどの金額が宙へ消えるのやら。
そんな心境に気づいているのかいないのか、セヴァリーは宝石を軽く握りなおす動作をして何ごとかを確かめていた。
そして軽く頷くと安室の上体を起こして、血が滴る腕に宝石を握る手を近づける。
次の瞬間、パキリ、という軽い音。
「え、えええええええええ!!?」
セヴァリーによって哀れにも握り砕かれたビッグジュエルは、紅い破片となって落ちていく。
日本円で億は下らない一点物がゴミへ早変わりする様に、さすがのコナンも肝をつぶした。
しかし、その動揺は非現実への絶句に変わっていく。
「……手が、再生していく……嘘だろ……?」
光に包まれながら手が元の形を取り戻していく。
淡い紅色のきらめきは、環状に手首を取り巻いて未知の力を可視化させる。
モダン・ホラーが唐突にファンタジーに宗旨替えをして、コナンは目を白黒する羽目になった。
「ん、う………………、っ!?」
手が元の姿を取り戻して数秒。安室は意識が戻ると同時に飛び起きた。
腰を低く落として構えを取り、真っ青な顔色のまま警戒をあらわにする。眼には恐怖がこびりついており、肩はわずかに震えていた。
「目が覚めましたか」
「アレは、……俺は、いったい、何が」
安室の声色にはあらゆる恐怖が塗りこめられていた。
当惑、混乱、絶望、恐怖。セヴァリーに警戒を向けているというより、見えない恐怖に怯えるかのように安室は己の手に視線を移した。
手はわずかに震えている。
「Aランクに相当する精神汚染です。永続的に付与するのではなく、礼装に接触した対象に効果を発揮するもののようなので、礼装を手放した今ならほとんど影響は残っていないかと思います」
コナンには影響が残っていないようにはとても見えなかった。
安室は目に見えて憔悴しているし、今も何かに恐怖している。感情を隠すことに長けた彼がこうまでなっているのだ。唯人ならどんな狂乱状態になっているか分かったものではない。
セヴァリーは残り5つになった宝石のうち2つを取り出すと、コナンに手渡した。
「え、これは……?」
「精神面への干渉を防ぐ精神防御の式です。肌身離さず持ち歩いてください。もう一つの方は彼の分です。落ち着いたら貴方から渡してくださると助かります」
そう言うと同時に、セヴァリーは足元に転がる『鍵』と安室の手、そして虹色の血液を事も無げに踏み砕いた。
金属と思しき『鍵』はまるでクッキーでできていたかのようにボロボロに砕け、手と血液はぐちゃぐちゃになったままするりと溶けて消えた。
安室は動ける状態ではない。
ならば、とコナンはセヴァリーに視線を合わせた。
あの焼死体は本当に自ら動いていたのか。安室を操った『鍵』は何なのか。ここはどこなのか。
この一連の奇怪と未知に答えを求めるとするなら、それは目の前の金髪の少女をおいてほかにはいない。
「ねえ、セヴァリーさん。セヴァリーさんは知ってるんだよね?」
「何を、ですか」
「この事件、全ての真相を」
セヴァリーはコナンに向けて姿勢を正した。
人型の巨獣が目の前に現れたかのような、全身が総毛立つ存在感。
この少女もまた、人の理の外にいるものなのだ、とコナンは思考を超えたところで理解した。
口がからからに乾く。少女にこちらを害する意思などないというのに、向かい合っている、ただそれだけで魂がつぶれるかのような圧迫感。
コナンはただ相対し続ける、ということに全霊を込めていた。
「あなたがこの件についての真実を求めているのは分かります」
セヴァリーは淡々と言葉を紡ぐ。
ピシリ、とどこかで何かが欠ける音がした。
「ですが、私にそれを答える事は許されていないのです」
ピシリ、ピシリ、ピシリ。ひび割れる音は数を増していく。
「ああ、それでも、一つだけ」
上から虹色の破片がはらはらと舞い落ちる。
この音は虹色の空間そのものが欠ける音だったのだとコナンは気が付いた。
崩れゆく虹色は、真っ白な燐光を灯してゼロに帰っていく。
「ここから先は、どうか己の身の安全だけを考えてください」
「っ、待てっ!!」
この言葉を最後に、虹色は崩れ落ちた。
はっとコナンが気が付くと、そこは403号室だった。
死体が這いずった跡、ベッドを調べた形跡。何一つ二人が来た時と変わらない。
「……帰って、これたのか」
声の主は安室だ。呆然とした声には多大な疲労が滲んでいる。
「安室さん、落ち着いた?」
「なんとか、ね。……迷惑かけちゃったね。本当に、なんて言ったらいいか……」
「僕のことはいいよ。安室さんが無事で、本当に良かった」
「……コナン君、君っていう子は、やっぱり凄いね」
やっと安室は笑顔を浮かべた。顔色は悪いが、調子は戻ってきたようだった。
醜悪な扉が埋め込まれていたはずのベッドは、まるで幻だったかのように白いシーツとマットをさらしている。
部屋の入口は開けっ放しで、廊下の蛍光灯の光が部屋の中に差し込んでいる。
大きな二重窓はカーテンが閉められていた。轟々と雪が壁を打ち付ける音が聞こえる。
「もうだいぶ時間がたったはずだ。ロビーに戻らないと不審がられるかもしれない」
「そうだね、行こう」
階段をなるべく音を立てずに降り、2階へ向かう。
途中で宝石を一つ安室に渡した。それはある種の心の寄り辺でもあった。
2階に降りてすぐがロビーだ。このホテルはつくりの関係でフロントが一階、ロビーが二階と別れてしまっている。ロビーは主に談話室として使われ、ぐるりと壁際には本棚が並んでおり、各種この地方の歴史や民俗などが書かれた本が詰まっている。
「…………なるほどな」
安室の表情は絶望と挑戦が半々だった。
ロビーは荒れ果てていた。
倒れてボロボロになったソファ。散乱し、そのうえ踏みつけられてページが破れた本。半ばで割れたホワイトボード。カーテンは切り裂かれ、切れ端がまばらに落ちている。宿泊客が持ってきた貴重品は蹴とばされ、バックはロビーの端で転がっていた。
明らかに、何かに襲撃された跡だ。
「己の身の安全だけを考えろ、か。つまり、アレで終わりじゃないということ。ああ、なんてことだ。B級ホラーの主人公を僕自身が演じることになるなんてね。隔離されたホテルの中、怪物に襲われて一人づつ減っていく宿泊客。バールでも探すべきかな?」
「武器で倒せるのか疑問だけどね。それより安室さん、ここにいた人たちは――」
突如、女性の絶叫がホテルに響き渡った。
「この声は、蘭!」
「待つんだ、コナン君!」
声は一階からだ。コナンはあらゆる最悪の事態をぐるぐると巡らせながら、飛び降りるように階段を駆け抜ける。
リネン室と大浴場を抜けて、玄関へ。
「蘭っ!!!!」
毛利蘭は気を失っていた。上下する胸に、生きてはいるようだと分かる。
しかし、これから先も生きていられるかは非常に怪しい。
なぜなら、毛利蘭は囲まれていた。
玄関の前、一段低くなったタイル張りの土間。
玄関は開け放たれている。自動ドアだったはずのそこは見覚えのある虹色の両開きの扉に変わっていた。
その向こうには、ぺったりとした闇がある。
そして、その闇の中から、目に映るだけで10体。
異形だ。炭化した下半身と、虹色の泥にまみれた上半身を持っている。
べたついた虹色を床に垂らしながら、ゾンビのごとき揺れる足並みで進んでいる。
そのうち一体は毛利蘭の両手を持ち、もう一体は両足を持つ。
それを護衛するかのように、8体の異形が取り囲む。
向かうは扉の向こう。
毛利蘭は、間違えようもなく攫われていた。
「蘭を、放せぇぇぇえっ!!」
コナンは考えるより早くキック力増強シューズの設定を最大にした。しみついたボール射出ベルトを操作する手。
スパークを纏った全力の一撃だ。鉄柵すら歪ませるサッカーボールの一撃は、プロ並みの卓越したコントロールでもって異形の頭を吹っ飛ばす。
脆い頭は粉々に砕け、べちょりと泥を白い壁紙にまき散らす。
「……く、クソォッ、蘭、蘭!」
頭を失った異形は、しかし何事もなかったように進んでいた。
「蘭さん!!」
後から来た安室は、どこで調達したのか折り畳み式の三脚を武器に異形に切りかかった。
やはり焼死体の体は非常に崩れやすいようで、アルミ製の三脚で問題なく胴体を破壊することができた。
「っ、くそ!」
安室は飛び退いた。破壊した異形がバランスを崩したとき、上半身を覆う泥が安室の方にかかりかけたのだ。
今のところ泥に何かしらの効力は認められていない。
しかし、あの虹色の空間で起きたことを思えば、触れない方が賢明なのは確かだった。
下手に攻撃すれば、毛利蘭に泥がかかるかもしれない。
「蘭、蘭、くそ、ラーーーーーンッ!!」
そうして手をこまねくうちに、扉の向こうの闇に毛利蘭は消えていった。
「くそぉっ!」
「待つんだ、コナン君!」
走り出しかけたコナンの腕を、安室が掴んだ。
「きっと、この扉の向こうは、あそこだ。虹色の、焼却炉だ」
「だから、だから早くしねぇと蘭が!」
「あんな場所で、僕たちに何ができる!」
「……っ」
安室の声には悲壮感すら込められていた。無力感、自己嫌悪、絶望。自分の無力を口に出して、安室は打ちひしがれているようだった。
コナンはとっさに何も言い返せなかった。
虹色の狂気の中、コナンにできたことなど何一つなかった。
焼却炉に身を投げる風水師の男を止めることができなかった。安室を正気に戻すことができなかった。あの空間からの脱出方法も分からなかったし、コナン自身の命すらセヴァリーが救助に来なかったら危うかっただろう。
理論でもって推理しようにも、そこに満ちる理は科学からはるか遠いところにある。たぶん、もしかしたら、おそらく。証拠の何一つない推理は妄想と変わらない。
ここで扉の向こうに突入したとして、何ができるだろうか。
幼馴染を助けるなど到底言えた状況ではないのだ。身代わりになって自分が死ねればそれ以上の成果はないだろう。最悪、後追い自殺と大差ない結果になる。
「それでも、僕は蘭姉ちゃんを見捨てたりはできないんだ」
「コナン君!」
「安室さんはここで待ってて。僕なら行方不明のまま帰ってこなくたって困ることにはならないけど、安室さんは違うでしょう?……組織のこと、お願いします」
半分以上遺言を遺す気持ちだった。
コナンの穏やかな声を聞き、安室は目を伏せて沈黙した。
正義感の強い彼に子供を見捨てるような真似をさせてしまって、コナンは申し訳ない思いを持ちつつも、譲れない思いに足を踏み出した。
床に垂れた泥を避けて扉の前へ移動する。
扉は403号室で見たもののように、凹凸の少ないつるりとした形状をしている。
彫刻もなにもなく、ただ虹色の塗料で塗装されているように見える。
両開きのドアは開け放たれており、塗りつぶしたような黒が広がっていた。
「コナン君」
扉の前でたたずむコナンの後ろから、安室が声をかけた。
そして、するりと隣に立つ。
「安室さん?」
「……僕も行こう」
「っ、あんたまで死ぬぞ!それも、まともじゃない方法で!」
「ここにいたって同じさ。ロビーが荒らされているのを見る限り、中に入ってもここで待ってても結末に至るまでの時間の違いしかないように思えるしね」
「それ、は……」
「それに、」
安室は言葉を区切ってコナンを見た。
アクア・グレイの瞳がかちあう。
「戦友を置いていくほど薄情になった覚えはないよ」
ウインクをするさまは、彼の整った顔立ちとあいまって明るい魅力を持っていた。
コナンは少しだけ笑った。
純黒の悪夢の中で知ったのだ。彼らという人は、本当の窮地に至ってなお、コナンに手を貸してくれる人だと。
無言で頷きあう。
そうして、一寸の先も見通せない闇を二人はくぐった。
*************
闇が晴れてまず二人が目にしたのは、おびただしい数の焼死体と剣だった。
コンサートホールほどの広さの空間は、おそらくは鍾乳洞なのだろう。
巨木ほどもある鍾乳石がそびえたち、一抱えもある石筍が点在している。
山の斜面につくられた棚田のようなリムストーンプールがなだらかに広がり、天井の高さもあいまって劇場のようにも見えた。
そんな美しくも壮大な景色は、死臭と躯、病的な虹色の泥にまみれている。
焼死体はどれも無残に破壊されている。頭が崩れ落ちていたり、胴体がなくなっていたり。まるで空爆にでもあったようなありさまだ。
焦げ付いた泥が石灰石に焼き付き、変色している。洞窟自体もところどころ破壊され、1メートルほどのクレーターを作っている。
強烈な絨毯爆撃の跡が、チカチカする光を放つ虹の泥に照らされていた。
荒らされきった呪詛の住み家に散乱するのは、場違いなロングソード。
刀身は白銀に輝き、細やかな装飾の施された鍔は神聖さを放っている。
コナンの目の前に突き立つ美しいロングソードの他にも、エストック、グラディウス、クレイモア、ダガー、トレンチナイフ、ククリ、バスターソード。
そのどれもが息をのむほど美しい。
十字の意匠をあしらった大剣は深緑の燐光を刀身に宿し、塚に埋め込まれた青い宝玉は黄昏の波を思い起こさせる。
すぐそばの焼死体の頭に突き刺さった剣は、刀身自体が黄金に輝いている。刀身と鍔が一体となった不思議なつくりには、群青の文様が描かれている。
種類時代を問わないありとあらゆる刀剣に属する武器が、剣林の如く洞窟中に突き刺さっていた。
「これ、は……」
意図せずコナンは声を漏らした。
「この剣群、どう見てもこの人型の化け物の破壊を目的にばら撒かれているね」
リムスト―プールの段差を降り、異形の背中を貫く5本の刀剣を吟味しながら安室が言った。
「こっちも、この死体も、剣で串刺しになってる。あの化け物の敵対者がやったのかな。どうやったのか、とか、どこから調達したのか、というのは生涯答えが出なさそうでもあるけどね」
安室の言葉にはすでに理解をあきらめたふしすら見え隠れしていた。
鍾乳洞ということは、通常の科学原理が適用されているとするならこの洞窟は石灰岩でできているということだ。
地面をける感覚からすると、この石灰岩は特に密で硬い。石灰岩の硬度はセメントより少し上で、硬度4程度。衝撃に弱いような感じもしない。
そんな岩石に、剣が深々と突き刺さっているのだ。
刀身は曲がりも折れもせず、岩を鋭く切断している。
こんな真似をしようとするなら、専用の重機での大掛かりな作業が必須だろう。そしてたとえ重機で行ったとしても、刀身が欠けたり折れたりすることは防げない。
コナンもリムストーンプールを降り、洞窟の中央へ向かった。
この無数とも言える剣の林が意図して作られた光景だとするのなら、それは人にはどうすることもできない戦術級の脅威がこの先にいるということだ。
「あの焼死体の怪物の明確な敵、というならセヴァリーさんだね」
「目算8メートル以上高所からの着地を見るに普通ではあり得ない……僕の手を切り落とした、というのも刃物という繋がりが見える」
「切り口からすると鋭利な刃物のようなものを持っていたんだろうけど、セヴァリーさんは手に何も持っていなかったし、切り落とした瞬間も刃物のようなものは見えなかったよ」
「ファンタジーの線で行くなら風の刃で、SFで行くなら光学迷彩かな」
「考えるだけ無駄、ってことだね」
コナンはため息をついた。
まったく理論が役に立たない。ノックスの十戒に真正面から喧嘩を売る状況なのだ。ジャンルはミステリーではなくファンタジーかホラーか、それともSFか。まともに考えてもどうしようもない。
「さっき入っていったはずの化け物の痕跡がまったく無いのは、ここが奴らの入っていった空間と違うからなのか、それとも時間軸がずれているのか」
「それ、どっちにしても厄介だね。空間が違うのは403号室から謎の虹色の空間に移動したことを考えれば十分ありえるし、民話に今回の件が深く関係するなら時間がずれてる可能性だって大いにある」
「蘭さんに会う前に僕らの寿命が尽きなきゃいいけど」
「逆におばあさんになっちゃった蘭姉ちゃんに僕らが会う羽目になるかも」
「浦島太郎より残酷な話だ!」
お互いに軽口を叩きあう。
それは緊張を和らげる意味もあったが、ここに入ってから感じている理解できない恐怖を紛らわせるためでもあった。
まともに考えればあり得ないことばかり。コナンは常々心霊現象も魔法もなにもないと公言してきた。
それはコナン自身の優秀な頭脳がこの世の不思議を余すとこなく科学で解き明かしてきたからだ。魔法なんてなくても、この世のすべては科学と理論で説明できた。
しかし、今目の前に広がるのはトリックだとか錯覚だとかで説明のつかない、圧倒的なまでの神秘である。
その神秘は形を持ってコナンと安室に襲い掛かり、命と精神をむごたらしく貪り食おうとしている。
ただの命のやり取りなら緊張はしても頭脳で乗り切る自信がある。
この理屈の破綻した摩訶不思議の前では無意味というだけ。
いっそ楽しげにすら見える二人は、その実途方もない不安にさいなまれていた。
「こっち、安室さん、横穴がある!」
コナンが巨大な鍾乳石の裏に発見したのは、一車線道路ほどの太さがある横穴だ。
虹色の回路図のような模様が奥に向かって奔っている。
洞窟の両端には焼却炉が並べられているが、そのどれもが破壊されている。
「炉には近づかないように、慎重に行こう」
「うん、そうだね」
横穴内部は暗い。回路図のような模様がわずかに光っているため足元は見えるが、お互いのシルエットがかろうじて確認できる程度のあかりだ。
両側に並ぶ焼却炉は、上から剣で貫かれていたり、至近距離で爆風を受けたかのように潰れていたりしている。
原形をとどめないほどひしゃげた焼却炉の内の一基が、まだ奥に炎をともしている。
「……安室さん、あの、焼却炉の奥。あれって、今日の昼間の食堂じゃない?」
「やっぱり、君もそう思うかい?はす向かいに見えてるのは、僕の記憶違いじゃなきゃ三日前のゲレンデだよ」
破壊されたはずの焼却炉のドアの向こうに見えるのは、炎ではなく外の景色だ。
つぶされて中が見えないものも多々あるが、見えるものは時間も場所も違うどこかにつながっているようだった。
長い横穴をひたすら進んでいく。
無限に続く焼却炉の列の間を通っていると、時間間隔すら狂っていく心地だった。
「この辺で起きている行方不明事件、僕は地元の人からここ10年ほど続いているって聞いていたけど、それは犯人が10年前から活動しているということとはイコールで結べないみたいだね」
「焼却炉を使って時間移動をする犯人、か。人かどうかも分からないけど、これじゃあこの向こうに逃げられたら捕まえようが……っ、コナン君!」
安室がコナンを抱えて素早く鍾乳石の裏に身を隠した。
突然のことにコナンは身をこわばわらせた。
コナンの口元を手で押さえ、横穴の向こうを確認しながら安室は小さく囁いた。
「しっ、コナン君。人だ。あれは……ホテルのオーナーの亀山さんに……衛宮士郎?」
「っ!」
長い洞窟は唐突に体育館ほどの広さの空間に開けていた。
コナンと安室は最大限の注意を払って様子をうかがう。
そこは、どうやら最奥であるらしかった。
横穴からはしる回路図は床を複雑にめぐり、壁を伝って天井に伸びている。
天井は夜空を模しているらしく、太陽系のオブジェが釣られており、その中央たる太陽の位置する部分にはひときわ巨大な扉が備え付けられている。
壁際は一面アンティークの書棚が並べられ、さながら古い図書館のようだ。
大きな円盤が二重に重なった舞台の上、二人の男が相対している。
「秘儀裁示局、天文台カリオンからの通告だ」
若い男の声だ。
冷たく堅い威圧感を与えるそれは、衛宮士郎のものだった。
「ほう、ほう、ほう、あの間抜けどもはなんと?」
「ノーリッジの所属にしてこの地のセカンドオーナー、亀山俊樹。その重大な神秘の漏洩は、位階にしてAと判定された」
「うん?わたしの偉大な行いがたったのA?やはり協会の老害は頭が硬い。ああ、嘆かわしいことだ」
「通常、B以上の判定が出た場合刻印と研究資料は協会が接収する。しかし、今回は貴重な神霊召喚の成功例であるため、例外として恩赦が与えられる。亀山俊樹、協会の封印指定を淑として受け入れるなら、家の存続だけは認めよう」
判決を下す裁判官のごとき、厳粛さと冷徹さを兼ね備えた言葉だった。
コナンたちからは衛宮士郎の表情はうかがえない。
しかし、その瞳に温度が無いことは簡単に予想がついた。
「くは!くはは!やはり度し難いほど愚かなり時計塔!」
そんな絶対零度を目の前にして、亀山と思われる初老の男性は嘲笑した。
なんてことはないセーターにスラックス。昼間見たときと何一つ変わらないホテルのオーナーであるはずの男は、しかし瞳に確かな狂気を写していた。
「我が儀式はすでに成った!神は降臨する!もうすべてすべて遅いのだよ協会のつかいっぱしり!戸口に潜むもの、彼方よりのものはここにいませり!家も刻印もなにもかもが意味をなくすのだ!」
「本当にいいのか。あんたはそれで」
「良い?これ以上の喜びがあろうか。我らは根源に還るのだ。こここそが根源となるのだ。精良も極まっているとは思わないのかね」
「……そうか。分かった。あんたが死ぬことすらできなくなる前に、俺が引導を渡そう」
「ひひ、ひひひ!この期に及んで神の御許へ向かうことに抵抗すると!無礼なり愚かなり!神に溶ける前に自ら命を散らすか!ひひひひひ!………………この愚昧を磨り潰せェェエ!!」
亀山は激昂に顔を歪めて絶叫した。
それと同時に夜空を模した天井から大量の虹の泥が落下する。
べちゃり、という不愉快な音を立てて粘着質の泥が回路図を穢し、チカチカと脈打つように明滅する。
泥は数秒のたうつように床でうごめくと、蛇のように立ち上がった。
小刻みに震えながら形を変え、それは虹色をした人型になっていく。
「虹色の人型……!都市伝説のもとはアレか!」
「コナン君、出すぎれば見つかる!あんなものに襲われたらひとたまりもないぞ!」
衛宮士郎を取り囲むように現れたおぞましい虹色の人型は、おおよそ100体。
その一つ一つが2メートルの大男にも匹敵する体格を持つ。
そんな、唯人には絶望しかない醜悪な神秘を前にしても、衛宮士郎は静かにたたずんだままだった。
「ひひ、ひひ、恐ろしくて身動きもとれんか?そう、その反応は正しいぞ。こ奴らは神の落とし子。三流では一体にすら嬲り殺されるのがオチよ!ひは、ひ、ひははははははは!私の御使い、神の落とし子よ!丁重に、四肢を削り取るようにもてなすのだぞ!」
「――投影、開始」
消えそうなつぶやき。
コナンも安室も、衛宮士郎がなんと言ったのか聞き取ることはできなかった。
瞬間、破裂するような音を立てて虹色の一体が弾け飛んだ。
亀山の洋服に泥の跡を残して、本棚に体を散らす神の落とし子。
「あれは…………」
安室は思わず声を漏らした。
コナンも、言葉もなくその光景に見入っている。
衛宮士郎の背後につき従うように出現した黄金の剣群。
青白い霧の燐光を纏い、空間から滲みだすように現れたそれらは、目視では数えきれない。
神聖な、邪悪な、精強な、無骨な。
ありとあらゆる属性を持つ刀剣は、しかしどれも震えが走るほどの存在感を持っている。
イイン、と耳鳴りするような音を立てて剣群が一斉に剣先を向けた。
「は……」
「神の落とし子か。実をいうと、神を相手にするのは初めてじゃないんだ」
魂を磨り潰されるような圧迫感すら放つ剣群を従える、衛宮士郎。
いっそ穏やかなほどに凪いだ言葉を向けた。
「神の似姿、人の敵。――そのことごとくを叩き落そう」