今回で一旦テイオーと自虐野郎の関係に一区切りつきます。
いつからだろうか、俺は毎日のように考える。
どうして俺はこうも腐ってしまったのか。
一体全体どこから間違えてしまっていたのか。
『これで、おしまいだ』
腐っていたのは元からかもしれないが……じゃあ間違えたのは? ルドルフのトレーナーを辞め、トレセン学園を去ったことか?
……いいや、そもそも、ルドルフのトレーナーになろうとしたことか?
ーー結局その答えはハッキリしないが、そうやって無駄に考えた末、帰結する答えはいつも同じだ。
悪いのは
不相応にもルドルフのトレーナーになろうとしたこと、選ばれて務まると思い違いをしたこと、自分がルドルフにとって不必要だと薄々気付いていたにも関わらず、もしかしたらと抱いた微かな希望を彼女が三冠を達成するその時まで捨て切れなかったこと。
他の誰のせいでもないんだ。残念ながら。
実力不足。努力不足。経験不足。
不足、不足、不足、不足、不足、不足、不足。
考え出したらきりがない。自分の力に僅かにでも自信を持っていた過去を今になって思い返して吐き気を感じる………いや、もはや一周回って笑えてくるぐらいだ。
結局は全て
『なんでトレーナーになったの……?』
あれこれ考えながら歩いていた時、誰かの声が脳裏に過った。その声にふと思う。なんでだったか。不思議と今ならその理由が思い出せるような気がした。今の今まで忘れていた理由なのだから大したものでもなかったのだが………きっかけはいつか両親に連れられて観に行ったトゥインクル・シリーズで観たウマ娘の走りと最後に行われたウイニング・ライブだ。
アスリートの走る姿もアイドルの歌い踊る姿もテレビでしか見たことのなかった幼い俺にとっては初めてのことばかりで色々と新鮮に感じた覚えがある。周りに集まる大勢のファン達の熱狂……その空気にあてられた影響か所々記憶が薄ぼんやりとしているが
『ーーーー! ーーーー!』
あの時、レース場で力一杯に走り競い合っていた姿。ステージの上で一生懸命に踊っていた姿。子供だった俺には彼女達一人一人の名前も活躍も順位だって碌に理解できていなかった。だけど、そんな俺にも子供ながらに分かることが一つだけあった。
彼女達は確かに眩く輝いていた。少なくとも俺にはそう見えた。走りも。歌声も。踊りも。笑顔も。何もかも。そう見えた訳は定かじゃないが………憧れた。自分もあんな風に輝けたら、なんて。今思えば子供らしい夢想でしかない。
それに少し成長すれば分かることだが。ウマ娘でもない俺はトゥインクル・シリーズで走ることもウイニング・ライブに立つことも叶わない。それなら大層な目標にはなるがアスリートやアイドルの道を目指すのが妥当………の筈なのだが、俺はそうはしなかった。何せ俺が憧れたのはあくまであの時に見た輝きだ。
ウマ娘じゃない俺はあんな風には輝けない。
だけど、俺はあの輝きが好きだった。
だから、俺はトレーナーになる道を志した。
俺は輝けないけれど、あの誰かの憧れに成り得る輝きを生み出す一助にでもなれたらいいなと思いながら………
そして、思い通りにその輝きの一助になろうとした結果がこのざまだ。よくよく考えれば分かっていたことだった。俺は誰かの助けになってそれで満足出来るほど立派な人間じゃなかった。
今にして思ったが、サブトレーナーからトレーナーになって最初に担当したウマ娘……彼女が勝ち獲った二冠だって俺のサポートなんて必要だったのだろうか?彼女なら俺とじゃなくても上手くやれたに違いない。なのに俺はあの二冠という結果に何を勘違いしたのかトレーナーとしての自分に自信を持ってしまったんだ。
(本当に、救いようが無い)
だから、これはきっと当然の結果なんだ。身の丈に合わない憧れを抱き、高望みし過ぎた人間のこれ以上なく相応しい成れの果てだ。
「………笑え、笑えよ」
思わず自嘲して誰に言うでもなくそう独り言ちた俺は辿り着いた場所、あの日に来た灯台を一度見上げてから中に足を踏み入れ、邪魔なロープを跨いで階段を上る。
そうして、灯台の頂上に来た俺はそこから見える景色に思わず足を止めた。あの時は夜で碌に海の景色なんて見えなかったが今は夕方ということもあってよく見えて、夕日に照らされた海は綺麗に輝いていてつい目を細めてしまう。
(これが俺の見る、最後の景色か)
………悪くない。それどころか俺なんかには勿体無いぐらいだ。
「死ぬにはいい日、か」
最後の景色を暫く堪能した俺は歩を進め、これから死ぬというのに心中はあの時に比べればずっと爽快で晴れやかな心地だった。
それもこれも彼女の、トウカイテイオーのおかげだろう。
「…………頑張れよ、テイオー」
ここに来る前に改めて一言、彼女に感謝の一つでも伝えておくべきだったな。なんて今更なことを思いつつ手摺りに近付き、
「はぁ、はぁ、はぁ……オジ、サンっ」
最初に会った時と同じように、また、その声に呼び止められた。後ろに顔を向ければそこにはやはりというべきか肩で息をする彼女の姿が見えた。
「ーー……テイオー、か」
「……何しに来たんだ?」
そう言いつつもトウカイテイオーの目的は火を見るよりも明らかだった。
ーーなぁ、テイオー、お前はどうして、
「何って、迎えに来たに決まってるじゃん!」
俺を……簡単に死なせてくれないんだ……。
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ボクは少しずつ息を整えて、オジサンに右手を差し出しながら言った。
「ねぇオジサン………帰ろ?」
「一人で帰れ」
だけどオジサンはそんなボクを突き放すような返事をしてこっちから目を離し、一歩前に、そこにある手摺りに触れられる距離に行く。
「っ、い、一緒に……帰ろうよ……!」
もう一歩進めばオジサンは手摺りを越えて、更にもう一歩進めば海に落ちる。
『……どうせ俺なんか……』
初めて会ったあの時と同じように。
そう考えた途端、ボクの頭の中にはたくさんのものが一気にちらついた。オジサンの落ちていく姿。遅れて聞こえた水飛沫の音。あの日に初めて感じたうまく言い表せない怖ろしさ。
気付いたらボクがオジサンに向けて差し出した手は小刻みに震え出していた。
「オジサン! 死んじゃ、やだよ……それは、悪い事だよ……!」
「……そうだな。だが、前に言った通りだ。お前にとっては悪い事でも、俺にとっては悪い事じゃない」
「っ、それならボクだって前にも言ったでしょ!? そんなの意味わかんないって……!」
オジサンのことはわかりたい。オジサンのことを助けたい。初めて会った時からずっとあるその気持ちは今もちっとも変わってない。だからボクは、怖くて涙だって出ちゃいそうだけど、足だって震えてるけど、
「……オジサン、前に言ってたよね」
それでも、オジサンに声を掛け続ける。
オジサンのことを、死んでも諦めたくなんてないから。
「…………」
「今まで一緒に頑張ってきた相手と一緒にいることに痛みを感じるようになって、それに耐え切れず終わろうとしたって……その相手がシンボリルドルフさんだって」
「……………よくもまぁ、覚えてたな」
ボクの言葉にオジサンは呆れたように呟く。だけど、それだけ。オジサンはそれ以上は何も言わなくて。何も話すつもりはないみたいで。だからボクは話を続けた。
「オジサン、覚えてる? 前にさ、ボクの
「あれ見た時、ボクさ、
「だけど、オジサンの……泣きそうな顔、見ちゃってから、なんだかモヤモヤしてるんだ。シンボリルドルフさんの言葉のせいでオジサンはまた痛い重いをしたんだなって思うと……なんだかさ……ヘンな気持ちになるんだ」
……ボクの話を聞いてオジサンはきっとこう思ってるんだと思う。「何が言いたいんだ?」って。何が言いたいのかなんて実はボクにだってよくわかってない。ただ話したいことはたくさんあって、だから全部オジサンに伝えようと思った。
「………………」
オジサンはやっぱり何も言わない。
でもオジサンは優しいからきっとしっかり聞いていてくれてるんだろうなってボクは思った。
「オジサン、ボクのリンジトレーナーになってくれてさ、トレーニング作ってくれたよね?」
「ボク、オジサンが作ったトレーニングやってみて初めてトレーナーってすごいんだなって思ってさ……それに嬉しかったなぁ……今までは自分で考えたトレーニングしかやったことなかったけど、オジサンが教えてくれたトレーニングのおかげでボク前よりも速く走れるようになったよ!」
だから、その優しさに甘えてボクはボクの気持ちを一つ残らず伝えようって、ぶつけようって決めて、
「オジサン、ボクと一緒にゲーセン行ってさ、ダンスゲームで遊んだよね?」
「ボクびっくりしたんだ。オジサンったらすっごいダンス上手でさ……ま、まぁボクほどじゃないけどね〜? ……オジサンは楽しかった? ボクは楽しかったなぁ」
話を続けて、
「………オジサン、言ったよね。ボクのせいだって」
「………………」
「それが何のことなのか、ボクにはまだよくわかんないけど……言われたい放題なんていやだからさ! ボクからも言うよ! 覚悟してね!」
そう、声を上げた。
───────────────────────
その言葉を聞いて、俺は少しだけ怖くなった。
トウカイテイオーに何を言われようとも、俺は文句を言えない立場だ。元より言う気もないが………
お前のせいだ、なんて言った後だからということもあるが……そんなこと以上に俺は彼女にたった数週間の間に何度も迷惑をかけてきた。ルドルフ関連では変に気を遣わせもした。
「……………」
だから、という訳でもないが俺は彼女の言葉を最後まで聞こうと思った。何を聞いても俺のやることは変わらないのだから何の問題もないだろう。振り返ることなく、沈みゆく太陽を見つめながら俺はトウカイテイオーの言葉を待った。
「たったの数週間だけどさ、オジサンと一緒にいられてボクは楽しかった。オジサンからしたら迷惑でしかなかったのかもしれないけど……ホントに楽しかった」
「だけど、楽しいことだけじゃなくてさ、オジサンが海に落ちたの見て怖い思いもしたし……シンボリルドルフさんが好きかどうかよくわかんなくなっちゃったりもして」
「ボク、オジサンのおかげで楽しい思いもできて、前より走るのも速くなって、オジサンのせいで怖い思いもして、シンボリルドルフさんへの気持ちもよくわかんなくなっちゃって………」
そうして待って、待って、
「こんなにボクのココロ、めちゃくちゃにしたくせに……今更いなくならないでよっ! ずっといてよっ! ……責任とってよっ!」
聞いた言葉に俺は自分の耳を疑い、困惑の声を上げそうになったが堪える。そんな台詞一体どこで覚えたんだお前……と内心思いつつ俺はちらりとトウカイテイオーを一瞥する。
「………ぅ、ぅう………!」
見ればトウカイテイオーは自分の台詞の恥ずかしさに言った後で気付いたらしい。唸りつつ顔を少し俯かせ、こちらの反応を伺うためにチラチラと見てくる。また見えた彼女の顔が赤面しているように映ったのは夕日のせいでもなければ、俺の見間違いでもないだろう。
恥ずかしいのなら最初から言わなければいいものを、と呆れそうになりつつも俺は考えた。こんな台詞を吐いて恥ずかしい思いをしてまで彼女は俺に生きてほしいと思っているのか……?と。
「………責任、か。あぁ、尤もな言い分だな」
だけど、言われてみるまでもなく考えればその通りだと思えた。何せ俺を助けたせいで風邪だって引かせてしまったものな……
「! じゃ、じゃあーー」
俺がそう口を開くと後ろから嬉しそうな声が聞こえた。そんなトウカイテイオーに俺はこう続ける。
「ーーだけど、悪いな」
責任なんてものを、俺はとっくのとうに、捨ててしまっている。
「俺は無責任なんだ」
シンボリルドルフのトレーナーを辞め、学園から無断で立ち去った、こんな無責任な行為をした時点でもう今更だったんだ。逃げて、死んで楽になろうとする。こんな俺にとれる責任なんて最早ありはしないだろう。
仮にあったとしても………俺はもう、駄目だ、手遅れだ。
「! オジサンっ……!」
後ろから叫ぶ声がするがそれに構わず俺は手摺りを跨ぎ、そこから更に一歩ーー海へと落下するための最後の一歩を踏み出す。
「………じゃあな」
あの時と変わらず、迷いはなかった。
(ーー? 何だ、これ、は……)
ただ、あの時と違って落ちゆく瞬間、何らかの錯覚だろうか、目に見える全ての景色が俺にはスローモーションになったように感じた。最初は何が起きているのか理解できなかった俺だったがふと思い出す。
昔、暇つぶしに流し読みした本の中に書いてあった覚えがある……何らかの事故直前、危険に直面した際に「景色がゆっくりと流れているように見える」ことがあるとか。確かタキサイキア現象……だったか?
これがそうなのか、と勝手に納得しながらスローな世界の中、俺の脳裏には「突拍子もない疑問」と「いつか自分が口にした言葉」が浮かび上がってきていた。
『俺は、君の力になれているか?』
浮かんだのは俺がいつかルドルフにした問いかけ。俺は一体、あの問いに対して………どんな返答を彼女に求めていたんだろうか?望んでいたんだろうか?
自分は彼女に貢献できていると、彼女の力になれていると思いたくて、そうして安心したかったのか? ……わからない。俺には何もわからない。
俺は、あの時、なんてーー
「ーーオジサンっ……ッ!!」
ーーそこまで考えて、耳に聞こえた叫びと共に右手首に感じた熱と強い力に思考は中断され、俺は目を見開いて上を見上げた。
「! ………お、まえ」
見上げればそこには左手で手摺りを掴み、右手で俺の右手首をぎゅっと掴むテイオーの姿があった。なんで、どうして、とは言わない。あぁ、お前は本当に、
「っ、いなく…ならない、でって、言った……!」
どこまで諦めが悪くて、優しいんだ?そう思わずにはいられない。
「ぅうっ……ちょっと、まってて……! すぐ…引き上げるから!」
彼女の汗ばむ顔と震えた声を見て聞いて俺は気付く。テイオーには一切の余裕がなかった。状況が状況なのだから当然といえばそうだが………それ以上に気になった点が一つあった。
「…………テイオー」
俺の手首を掴むテイオーの手の力は弱く、明らかにいつもの力を出せていなかった。これは緊張しているからか?いやそれだけじゃない。
ここに到着した時の肩で息をするテイオーを思い出す。きっと彼女はここまでずっと走りっぱなしだったのだろう。また灯台への到着からまだ十分も経ってはいない。なら体力はまだ戻ってはいないだろう。それによく見れば彼女の手は恐怖からか震えており、上手く力を入れられていないことが見てとれた。
ウマ娘とはいえ、テイオーはまだ小学生だ。そんな彼女が以上の状態で大人一人を片手で引き上げる事など………不可能だ。
「テイオー、もういい」
それがわかったから俺はテイオーに声を掛ける。こうしていられる時間は長くない。テイオーがこれ以上の無茶をしないか焦る気持ちを落ち着かせながら出来る限り優しく言い聞かせる。
「な、に、言って………?!」
「もう、いいんだ」
今にも泣きそうな顔で俺を引き上げようとするテイオーの目を真っ直ぐ見上げながら俺は続ける。
「俺がここまで生きてしまったのは………いいや、生きられたのは
「………テイオー、ありがとうな」
あんまりに騒々しい日々だったが……本当に感謝している。
『その台詞そっくりそのまま返すぞ。お前は何様だ?』
『ボク? ボクはトウカイテイオー! 近々、無敵の三冠ウマ娘になるテイオー様だー!』
浮かんだ思い出に次に言うことを決める。
「ルドルフみたいな三冠ウマ娘になるんだろう? お前ならなれる。そんなお前が、こんな俺を助けようとして無茶して何かあったらどうする? わかったなら早く離せ」
「! っ……さいッ………」
「このままじゃ、お前まで落ちるぞ?」
「ッ、あああああ! うるさいうるさいうるさい!」
俺の言葉にテイオーはそんなこと聞きたくないとばかりに首を左右に振り、再び俺を引き上げようと手に力を込めようとした。
「お願い…だから、少しぐらい……生きようとしてよっ!!」
だが、引き上げることは叶わない。
それどころか時間が経つと共にテイオーは体力と握力は消耗していき、手からの発汗もあっていつ手が滑ってもおかしくはなく、事態は確実に悪化していく。
「………なぁ、テイオー、覚えてるか? 前にも一度聞いたことがあったがーー」
何故、今もまだこうして俺の手を離さず掴んでいられるのか……不思議な程だった。これが所謂火事場のバ鹿力というやつなのか。なんて考えながら俺は俺の命をまだ諦めないでいるテイオーを見ながら最後にこう聞いた。
「ーーお前は、なんでここまでする?」
いつか聞いた時はテイオーが口にしようとしたその答えを自分で遮ったが、最後の最後なのだから今回ばかりはその答えを聞こうと……例えそれがどんな理由であっても聞きたいと思った。
「ーーなんで、俺を助けようとする?」
お前が超のつくお人好しだからか?それとも俺が
「そん…なの…! 決まってる、じゃん……!」
『俺は、君の力になれているか?』
その時、テイオーの言葉を聞く直前、何故かいつかルドルフにした自分の問いが……テイオーに手首を掴まれるまで考えていたことが再び頭に浮かんだ。
俺は、あの時、なんて
「ボクは、オジサンが好きだから! ボクには、オジサンが
(ーー! ……ぁ……あぁ、そうか)
テイオーが口にしたその言葉を耳にした瞬間、理解できてしまった。
彼女の走りを選抜レースで見て、彼女の走りに惚れて、
『君の走りをもっと見たい』
彼女のトレーナーになろうとそう告げて、
『俺は君の語った愚かで甘く、遠い夢……その実現の手助けをしたい。そして、願わくば夢が実現した先……そこに広がる
それから彼女のトレーナーになって、自分なりに彼女の力になろうと、輝きの一助になろうと、夢を支えようと努力し始めた時から……きっと、ずっと、心の何処かで思っていたんだ。
必要とされたい。
言葉にすれば酷く単純でまるで子供の願望のようだが……それは間違いなく俺の本心だった。
地位も、名声も、実績も、俺にとっては重要じゃなかった。俺はただ必要とされたかった。他の誰でもない彼女に。ルドルフに。
『皆、心配をかけてすまない。だが見ての通りだ。私は今までも…そしてこれからも"皇帝"として、絶対の走りをもって勝ち続ける。心配は完全に無用だ。これからも応援のほど宜しく頼む』
………彼女がもし「君が必要だ」なんて言ってくれたら、どんなに嬉しかったか。俺にとってはその言葉が聞ければそれだけでよかったんだ。
そんな単純なことに気付くのに、随分と時間がかかってしまった。
まぁそんなことを言ってもらえる資格も実力も俺にはなかったが、
「……てい、おー……」
お前はこんな俺を、必要だと言ってくれるのか?
正直信じられなかった。信じたい気持ちは勿論あったが……それ以上にこれがテイオーの優しさ故の言葉なのではないか?という疑いを捨て切れなかった。
だけど、そんな俺の気持ちを見抜いたのか、それとも何となく察したのか、俺が口を開くよりも早くテイオーはこう言った。
「本当にそう思うから! 助けたいんだ!」
「ボクの為にも生きてよっ……オジサン!」
そう口にするテイオーの目からは大粒の涙がポロポロと流れ落ち、顔はそんな涙と汗でぐちゃぐちゃで、何かを疑っていた自分が馬鹿らしく思える程に真っ直ぐな思いをぶつけられた俺は、
力無くぶら下がる自分の左手に目を向けてーー。
───────────────────────
落ちようとしたオジサンの腕を何とか掴んで、死んでも離さないように掴み続けた。ホントは手摺りから手を離して両手でオジサンを引き上げたかったけれど……手摺りを掴んでなきゃボクもそのままオジサンの重さで落ちちゃいそうで………。
「うぅ……ぐ、ぬ………!」
オジサンの腕を掴んでどれだけ経ったかはわからない。だけどボクの手はそろそろ限界みたいだった。どれだけ踏ん張ろうとしても、としても、手に力を込めようとしても上手くいかない。だんだん体力がなくなっていって、手も痺れてきて、気付いたらボクは泣いてた。
オジサンが好きなのに。
オジサンに死んでほしくないのに。
オジサンを助けたいのに助けられない。
それが悔しくて苦しく嫌で嫌で………死んでも諦めたくなんてなくて、
「ーー……テイオー」
そんな時、下から、さっきまではボクを見上げていたのに今は深く俯いているオジサンが呟いた。その声は震えていてすごく小さかったけどボクには聞こえて、
「今更なのは、わかってる……こんなことして、死のうとして……だけど俺は………テイオー………頼む」
再びボクを見上げたオジサンは泣いていて。
「たすけて、くれ」
泣きながら、やっと、そう言ってくれた。
「! うん…! 絶対に助ける! だから、掴んでっ!」
オジサンの言葉を聞いた途端、さっきまで限界だと思っていた自分の体の奥から不思議となんだか力が湧いてくる…ような気がして。
オジサンが左手でボクの腕を掴んでくれた直後、ボクは手摺りから手を離して全力で踏ん張った。それから離した手でオジサンの腕を掴み力を振り絞って、
「うぅぅう……わああああーーっ!!!」
声を出しながら力一杯にオジサンを引き上げた。
そして、無事オジサンを引き上げたボクは体力がホントにすっからかんになっちゃってその場に大の字に倒れた。ちらっと隣を見ればオジサンもいて、ボクたちは息も絶え絶えで会話もできなくて暫くの間、ボクたちの間にはお互いが息する音だけがしていた。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ………お、オジサン」
「はぁ、っ…………なん、だ」
何とか息を整えて、ふらふらしながら立ち上がったボクは目を腕で覆って倒れているオジサンに近付いて声を掛けた。オジサンの返事は震えていて……まだ泣いてるみたいだった。
「はぁ、はぁ……一緒に、帰ろ?」
「………あぁ、そうだな」
それからボクたちは灯台を出て、一緒に帰り道を歩いた。
「ねぇオジサン」
「おじさんじゃないお兄さんだ……何だ?」
その帰り道でボクはオジサンにワガママで手を繋いでもらって、もう一つだけワガママを口にした。
「トレーナーって、呼んでもいい?」
ボクがこう言ったらオジサンはボクの方を向かないまま、
「………勝手にしろ」
前を向いたまま、そう言ってくれた。
その顔は夕日に照らされて横からじゃよく見えなかったけど、優しい声から微笑んでいるような気がボクにはした。
───────────────────────
あれから、時間は経って数ヶ月後の今。
「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー……よーしっ!」
ボクは夢に一歩近付く為にそこに立っていた。
そこの名前は日本ウマ娘トレーニングセンター学園。略してトレセン学園。あのシンボリルドルフさんも通っている学校で、今日からボクも通うことになるところ。
(いよいよ、ここからはじまるんだ!)
そんなトレセン学園の校門を通ったボクは足を止め、正面から学園を見上げながら二回ぐらい深呼吸して、ワクワクドキドキして落ち着かないけどちゃんとしなきゃと気合を入れ直す。
「……あっ! そうだ! 着いたら連絡しなきゃなんだった」
なんてことをしてる最中にあることを思い出したボクはポケットからキッズケータイを取り出して、オジサンの電話番号にかけた。
『はい、もしもしーー』
「ーーオジサン! 今着いたよ! トレセン学園!」
『いっ!? うるさ………もうちょい声落とせ、あと落ち着け』
「えへへ、ごめんごめん。でも落ち着いてるよ? 深呼吸もしたし!」
ボクがそう言えばオジサンは呆れたようにため息をついて聞いてくる。
『まぁ、無事に着いたならそれでいい。入学式までは……まだ時間があるがくれぐれも遅刻なんてするなよ。時間をよく見てーー』
「ーー時間に余裕を持って動け、でしょー? 言われなくてもわかってるってば! ボクだってもう子供じゃないんだから、そんなに心配しないでよー」
『どっからどう見ても子供だろ、お前は。あと子供を心配するのは大人として当たり前のことだ』
「うぅ、パパとママみたいなこと言って〜……それとボク! 今日から中学生だからもう大人だよ! 子供じゃないやい!」
『……その理屈、前には似たようなの聞いた気がするな』
「………オジサンの方はどう? もうそろそろ時間?」
そうして電話で暫く話してからボクはオジサンに聞いた。ボクにとって今日はトレセン学園の入学式当日で大事な日だけど、実はオジサンにとっても今日はとっても大事な日だったんだ。
『あぁ……そろそろ始まるな』
「そっか、じゃあお喋りもこれくらいにした方がいいね」
うん。お喋りなんてまたいつでもできるんだしさ。
「オジサン」
『あぁ』
「ぜ〜ったいに合格してね? ボク待ってるから」
『……過度な期待はするな……はぁ、どうせ俺なんか……』
ボクの言葉にオジサンはまた最初に会った頃みたいにネガティブな台詞を零す。オジサンと初めて会った日のことを思い出して懐かしい気持ちになったボクは笑いながらオジサンを励ます。
「もおーまたそんな事言って……ボクのトレーナーならもっと堂々としててよ〜!」
『トウカイテイオー……お前はいいよなぁ、明朗快活な自信家で……』
そう言うオジサンだけどその声はさっきより少しだけ明るくなっているみたいだった。
「……頑張ってね! ボクのトレーナーはオジサンだけなんだから!」
『わかってる。最善は尽くす。お前も変なことして周りの子たちに迷惑かけるなよ、テイオー』
「余計なお世話だよ〜! ベーーだっ! ……またね!」
電話越しにオジサンにあっかんべーしたボクは電話を切って、もう一度だけ深呼吸して声を上げた。
「無敵のテイオー伝説ここからスタートだー!」
ーーボクの帝王としての物語はここから始まる。
「………連絡よし、と」
テイオーが無事にトレセン学園に着いたことをテイオーの両親にメールで伝えた俺はガラケーをポケットにしまった。
今、俺はある場所の廊下に立っていた。
ある場所というのはUmamusume Racing Association、URAが実施している中央のトレーナーになるためのライセンス試験の試験会場だ。
(………いよいよだな)
中央のライセンス試験というのはハッキリ言って極めて難度が高い。その高さは年によっては合格率が一割を切り、合格者が出ないことがあるほどだ。
「絶対に合格して、か……」
今さっき聞いたテイオーの言葉を思い出す。合格したいのは山々だが……そう上手くいくかはわからない。この日に備えて俺はやれるだけのことはやってきた。自分なりに考えうる限りの努力をし尽くしてきたつもりだ。だがそれでも絶対に合格できるなんて言い切れる自信は微塵もない。合格できない可能性は十分にある。それほどまでに中央の試験というのは狭き門だ。一度合格したからといって次も合格できるとは限らない。一度目がまぐれ当たりなら今回は落ちることになるだろう。
「ーー先輩、そろそろ試験始まりますね……」
なんて考えていると横から声を掛けられて、俺は顔を上げそちらを見た。そこには一人の女性が立っていた。
彼女の名は桐生院葵。競走バ界ではよく知られているトレーナーの名門、桐生院家のひとり娘だ。知り合ったのは二ヶ月ほど前。試験のために通っていたテイオーの自宅から最寄りの図書館で出会ったのが初対面だった。
声を掛けてきたのは彼女の方からで、何でもその図書館で自分以外に中央のトレーナーになるために試験勉強をしている人を初めて見たから気になったらしい。それから時々出会っては一緒に勉強などをしていた。歳は俺の方が上で偶にわからない部分を教えてあげたりはしたが………彼女が俺を先輩と呼ぶ理由は未だによくわからない。
「……緊張してるのか?」
「は、はい、とても………情けないですよね」
「情けなくなんてないさ。試験前なんて誰だって少なからず緊張するものだろ?」
不安そうに俯く彼女に俺はそう言う。別に励ましてる訳じゃない。ただ俺が思ってることをそのまま口にしているだけだ。
「……せ、先輩も緊張とかするんですか?」
「……君が俺のことをどう思ってるかは知らないが、俺だって緊張ぐらいする」
中々に失礼なこと言ってきやがる……と思いつつ俺は彼女と話す。
「今だって、合格できるかどうか考えて、一人で緊張してたところだ」
「……先輩、私、合格できますかね?」
「……さぁな。そんなこと俺には分からない」
「っ……そう、ですよね……」
俺の言葉を聞いて桐生院は露骨に落ち込む。まるでこちらが悪いことをしたみたいで申し訳なくなってきて俺は何を言うべきか考える。
彼女はトレーナーの名門である桐生院家のひとり娘として今、この状況でかなりの重圧を感じているのだろう。実家が名門でもなんでもない俺にはその重圧がどれだけのものか完璧に察してやることなどできないが………だからといってこのままの彼女を放っておくのも違うだろう。
「だけど、君は努力してきたんだろう? 今日まで一生懸命に」
「!」
「その努力は、誰もが認めるところだ。仮に周りが認めなかったとしても……少なくとも俺は認める。葵、君はよくやっていた」
図書館でいつか見た彼女を思い出す。一日に何十冊ものテキストを読み込んでいた彼女の姿からは「トレーナーになるんだ!」という強い意志が感じられた。何事にも一生懸命に取り組めるであろう彼女ならきっといいトレーナーになるだろう。今回の試験もきっと合格できる。口にはしないが心中でそう思う。
「……お互いに最善を尽くす、それしかないだろ」
「! ……ですよね……それしか、ないですよね!」
そんな俺の思いが通じたのか、彼女は少し元気を取り戻したようだった。
「……十分前だ。部屋に入ろう」
「はいっ。先輩、ありがとうございます」
「気にするな」
それから時間を確認した俺は彼女と共に試験が行われる部屋に入室。指定の席についてその時を待つ。
『頑張ってね? ぜ〜ったいに合格してよ? ボクのトレーナーはオジサンだけなんだから!』
待つ間、テイオーの言葉を思い出す。
(テイオー、お前の期待に応えてみせる)
試験監督から問題用紙と解答用紙が配布され、その時が迫る中で俺は目を閉じて改めて決心する。絶対に合格してみせる、と。
そうして遂にその時が来た。
「では始め」
その言葉と同時に目を開き、俺は鉛筆を手に取り、問題用紙の表紙をめくった。
ーー俺のトレーナーとしての物語はこうして再び始まる。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
感想や批評などありましたら遠慮なくお願いします。
どうも平々凡々侍です。
今回の話で「帝王と自虐系トレーナー」は一部?完結となります。ここからの話は大雑把にプロット?はできてたりするんですが細かい部分がまだまだで、特に避けては通れない「ルドルフと自虐トレーナーの再会」が納得のいく感じに中々ならなくて苦戦しております………続きは今まで通り気長にお待ちいただけると幸いです。改めまして本作を最後まで読んでいただきありがとうございました!ではまた。