彼と彼女は運命に抗う   作:宮川アスカ

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ウマの沼にハマった。


第1話 彼女の名は

 

 有名な調教師がいた。

 

 多くの名馬を育てあげた彼は、とある出来事をきっかけに調教師を引退した。

 

 その出来事というのは、とある一頭の馬が関係している。

 その馬は、ジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェという素質馬揃いのライバル達を圧倒し、三冠をも狙えると言われていた名馬。しかしその名馬は、屈腱炎を発症し、早すぎる引退を余儀なくされた。

 

 その責任を感じた彼は、自らクビを決意。

 多くの人間が彼の引退を止めたが、彼の思いが揺らぐことはなかった。

 結局その馬が、彼の調教師としての最後の馬となったのだった。

 

 そんな彼は、2021年4月6日現在。この世を後にした。

 

 若すぎる死。悔いがないと言えば嘘になる。ただ、自身が熱意を注いだ愛馬達を看取ることは出来た。それだけが彼にとっての唯一の救い。

 

「あぁ、やっとこの苦しみから解放される」

 

 これが彼の最後の言葉。苦しくて苦しくて、それでも逃げ出せなかった、いや、自身が逃げ出す事を拒んだ現実。

 

 ただそれでも、やっと本当の意味で調教師という鎖から解放された。

 

 しかし現実は常に非情。

 

 彼は前世の記憶を持ったまま、次の世界へと命を宿したのだ。

 所為、転生。しかし、漫画やアニメでよくある様な異世界転生ではない。

 いや、異なる世界という点では異世界なのかもしれないが。

 

 彼が転生した先は、前世と変わらず地球だ。技術の進歩も前世と殆ど変わらず。輪廻転生かとも考えたが、これは間違いなく別世界だろう。

 

 何故そう言えるのか。それは、ウマ娘という存在にあった。

 

 ウマ娘。それは、一種の種族。

 彼女達は走る為に生まれ、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の馬の名前と共に、その名を受け継いで走るとされている。

 つまり、その別世界というのが、彼のいた世界なのだ。

 

 腐っても元調教師だ。苦しい過去を持っていようと、彼が馬を、競走馬を、競馬を嫌いになる事など出来るはずもない。

 

 そのウマ娘という存在に、彼は胸を高鳴らせていた。

 特に興味深かったのが、世代と言う垣根を越えて、多くの名馬が1つの時代に集まっているということ。

 どの馬が1番強いのかという明確な答えがない議論。戦う事の出来なかった名馬達が競い合う。史実を知っている彼からしたら、こんなにも興奮するものはなかった。

 

 では何が非情なのか。

 

 それは、現世での彼の職業。それが、もう二度となる事はないと心に決めた調教師、基、この世界で言う所のトレーナーだったのだ。

 

 家系の影響から、彼は生まれた時からトレーナーになる事を余儀なくされた。

 

 

 そんな彼は、トレセン学園にて選抜レースを見に来ていた。

 せめてもの抵抗。トレーナー人生を終了したく、トレセン学園へのスカウトを断ろうとしたところ、理事長である秋川に無理やりこの場へと連れてこられたのだ。

 なんでも、せめて我が校のウマ娘達を見てから決めて欲しいとの事。

 どうせ見ても何も変わらない。それで諦めてくれるなら、と彼はその提案にのった。

 

 選抜レース。本格化を迎え、走力が開花したウマ娘達がその実力を披露する。

 

 秋川の狙いは、ここで未来あるウマ娘の可能性を見出させ、彼にウマ娘をスカウトしてほしいのだろう。

 

「トレーナーさん。これが本日の出走表です」

 

「……ありがとうございます」

 

 彼は理事長秘書の駿川たづなから出走表の紙を受け取る。

 その紙を見て、彼は少々驚く。そこにはマンハッタンカフェの名前が。

 

(ただまぁ、それだけだ……)

 

 確かに彼女の走りは素晴らしかった。しかし、それだけ。彼の心を動かす程のものでは無い。愛馬のライバルを見ても、彼の気持ちが変わることはなかった。

 

 

 

 その日の夕方、なんの気まぐれか。秋川へ最後の断りを言いに行く前に、ウマ娘達の練習場に彼は足を運んでいた。

 

「ん?」

 

 ボーっと彼女達の練習を眺めていると、彼は一際目立った2人のウマ娘に目がいった。

 周りとは明らかに違うレベルで走る2人。そのうちの1人に目を向けた時、彼の動きが止まった。

 

 そしてその次の瞬間、彼は理事長室へと走り出していた。

 

 あの走り方。彼には酷く見覚えがあった。見た目だけでは分からない。しかし彼には確かな自信があった。

 

(なんで今まで気づかなかったんだ! マンハッタンカフェがいるなら! 名馬が集まると言うのであれば! アイツだって──)

 

 バン! と息を切らしながら勢いよく理事長室の扉を開ける。

 

「何事!? おや! これはトレーナーくんじゃないか! 答えはもう決まったか!?」

 

 その言葉を聞いた彼は、高鳴る鼓動を抑え、口を開く。

 

「ええ。彼女の担当になれるのであれば」

 

 現実は常に非情だ。運命は残酷だ。

 

 ただ、この世界でなら…… 彼は、彼女は運命に抗えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 2001年、皐月賞。

 

 その馬は、わずか4度の戦いで神話になった。

 

 異次元から現れ、瞬く間に駆け抜けていった。

 

 ライバル達を絶望させ、見る者の目を眩ませる。

 

 超光速の粒子。

 

 その馬の名は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──アグネスタキオン




まぁ、プロローグ的な感じなんで今回は短めで。
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