デビュー戦を終え、今日も今日とて俺はタキオンとトレーニングに励んでいた。
タキオンは俺の想像以上にトレーニングに参加している。それこそ事前に考えていたトレーニングメニューに上乗せして計画を立て直さなくてはならない程に。
理由を聞いてみると「君の事を知るにはトレーニングに来るのが1番効率的だからね」とのことらしい。あの時の怪しい笑みを思い出すと身の毛がよだつ。まぁ、やる気があるのはいい事なのだが……
何はともあれ、デビュー戦はなんの不安要素もなく勝利出来た。
クラシック期。目標は勿論あの時、幻に終わったクラシック三冠。その最初の関門が皐月賞。そこに帳じりを合わせる為に、このジュニア期にラジオたんぱ杯3歳S、クラシック期には皐月賞への切符を手にする為に弥生賞に出走する。勿論タキオンにもこのことは了承を得ている。
前世と同じ3レース。未練がましいかもしれない。それでも俺は、運命に真っ向から抗いたい。タキオンには申し訳ないが、これは単なる俺のエゴ。もう一度、彼女とあの舞台を目指す為に。
ただ……
「タキオン。どうかしたか?」
今日のタキオンはどこか様子がおかしい。タイムが落ちているわけでも体調が悪そうに見えるわけでもない。ただ、フォームにブレが見られる。普通では気づかないような僅かな変化ではあるが、ここ半年でしっかりと体幹トレーニングをしてきたタキオンには珍しい事だ。
「おや、やはり君には隠しきれないようだ。いや、なに。どうにも最近研究に行き詰っていてねぇ」
タキオンはそう言いながら額に手をやり、少し顰めた表情で首を振る。
なるほど。しかしそうだな。最近練習に研究続き。気づかなぬうちに疲労が溜まっているのだろう。こういう時は基本何をやっても上手くいかないものだ。
「よし。今日のトレーニングはここで切り上げよう」
「ん? なに。気にしないでくれ。まだノルマの半分しか終わっていない」
「いや、集中力が散漫な状態で走っても怪我のリスクが上がるだけだ。それにたまにはリフレッシュも大切だろ?」
俺は笑いながらそう言うと、ポン。とタキオンの頭に手を乗せる。
その時、タキオンの右耳にピアスの穴が空いてるのが目に入る。
興味本位で軽く触ってみると──
「ひゃァ!」
体がビクンとはぬ上がり、普段のタキオンからは想像出来ないような可愛らしい声が耳に入る。
「……トレーナーく〜ん?」
「いや、その。あ〜……すまない」
少し黙り込み、プルプルと震えているタキオンの顔は真っ赤に染っており、羞恥心のある目がこちらをキッと睨みつけてくる。
「はぁ、まったく。君はもう少しデリカシーを学んだ方が良い」
タキオンがそれを言うか。と思ったが、ここはおとなしく黙っておく。
「まぁ、いい。それじゃあ、トレーナーくん。1時間後に寮前でまた会おう」
「ああ。……は?」
「おやおや。何を面食らった顔をしているんだい? 今日はリフレッシュなのだろう? 君からの提案なんだ、荷物持ちくらいは手伝ってくれたまえよ。トレーナーくん」
タキオンはそう楽しそうに悪い笑みを見せると、トレーニングコースを後にし、スタスタと寮の方へと歩いていく。
どうやら俺に拒否権は無いらしい。
とはいえ、特に出かける事を拒否する理由もない。1時間後、寮の前で待っていると、肩を出した紫色の服を着たタキオンの姿が。
ふむ。普段、研究の為に研究室に籠ることが多いタキオン。私服姿などあまり拝めるものでは無いが……
「可愛いな」
「かっ、かわ……!」
おっと……。思っていた事をつい口に出してしまっていたらしい。
「どうして君はこうも、無表情でそんな事が言えるんだ!」
顔を赤くし、ポカポカと俺の事を叩くタキオン。
なんだろう。ここ数時間でタキオンの新たな面を多く見れた気がする。
突然決まった事だが、今日の休暇。思った以上に楽しめるかもしれない。
「トマト1つでそこそこの栄養は摂取できるが、それでも足りないのがこの体の不便な所だな」
商店街にて、タキオンは並べられた多くの食材を物色していた。
「トマトと……あとはサラダ用の蒸されたチキンを3つ買おう。たんぱく源がなければ筋肉機能の成長は見込めない」
「タキオンって、料理とかするのか?」
「料理ぃ? そんなものするわけないだろう。食事とは不足している栄養を補うための行為だよ? 大方の栄養素は生で食べても体内に入る。私は基本ミキサー派だよ」
……なんだミキサー派って。もしかしてあれか? 食材を適当にミキサーにぶち込んで飲んでいると言うことか?
彼女の私生活にまで口出しするつもりはないが、トレーナーとしてこの食生活は些か不安になる。
「はぁ。カフェテリアが毎日開いていればこんな面倒な事をしなくて済むのに」
「ならマンハッタンカフェの所に行ったらどうだ?」
「正気かい君? 彼女は珈琲しか入れてくれないよ。あんなもののどこがいいんだか」
タキオンは研究の為カフェインを求める事が多いが意外にも珈琲が大の苦手だ。彼女の友人であるマンハッタンカフェが珈琲党であるのに対して、タキオンは紅茶党である。
「ふむ。なら、俺が弁当でも作ってやろうか?」
「君が食事を? そもそも君は料理ができるのかい?」
「まぁ、一人暮らしだしな。一般的な料理なら」
「ほぉ。君は一人暮らしなのか。それは良い事を聞いた。しかし随分と寂しいものだね」
おい、それは別にいいだろ。ニヤニヤするタキオン。彼女はそれを聞いて随分と嬉しそうにしている。
「まぁ、何にせよ良いだろう。私にデメリットがあるわけではない。食に関しては君に任せてみようじゃないか。ただし、栄養バランスには気をつけてくれよ」
こうして試しに今日の夕食は俺が作ることとなった。
「うーん。今日は良いリフレッシュになった。感謝するよトレーナーくん」
日も沈み、夕日の光が街頭の光へと変わっていく中、タキオンは大きく伸びをする。
タキオンの宣言通り俺は完全なる荷物持ちであったが、俺としても悪くない休暇であった。
「タキオン、ちょっとこっちこっち」
「うん? どうしたんだい?」
前を歩くタキオンを呼び止め、こちら側へと手招きをする。
不思議そうな顔をするタキオンの前で、彼女の荷物を手首にぶら下げながら、俺は胸ポケットから小さな箱を取り出す。
「ちょっと失礼」
俺はそう言うと、箱の中身を取り出しそっとタキオンの耳元に手を運ぶ。
「これは?」
タキオンはそう言いながら、自身の耳に付けられたピアスを触る。
アイスグリーンの六角形が2つ連なったデザイン。何となくタキオンに似合いそうだと思いこっそり買っていた。
「ピアスホールは空いてるのにピアスつけってなかっただろ?」
「つまりこれは君から私へのプレゼントという事かい?」
「ん? まぁ、そうなるな」
「ふふっ。そうかそうか」
タキオンはそう言うと、再び前へと向き直る。
「おい、なんだその含みのある笑いは」
「いや、なんでもないさ」
彼女の表情を見る事は出来ないが、俺の前を歩いていくタキオンの尻尾は左右に揺れていた。
『さぁ、やって参りました。本日の目玉、ラジオたんぱ杯3歳S。GⅢであるにも関わらず普段より大勢の客入りとなっています阪神競馬場』
ラジオたんぱ杯3歳S当日。阪神競馬場に実況の男性の声が響き渡る。
『やはり、それだけ出走ウマ娘達に期待が高まっていると言う事なんでしょうね』
落ち着きのある解説の声。彼女の言う通り、人気上位3人のウマ娘達に大きな注目が寄せられていた。
『ダービーが外国産馬のウマ娘に解放される事から、開国を促したペリー提督にちなんで名付けられたと言う彼女、クロフネ。現在は2連勝中です』
クロフネ。彼女が今回のレースの1番人気である。
『1戦1勝中のアグネスタキオン、そして彼女達に対抗するのがジャングルポケット。順にゲートへと入っていきます』
2番人気がタキオン、3番人気がジャングルポケットだ。この3人。誰が勝ってもおかしくない面子。
前世でもそうだったが、3コーナーが1つのポイント。そして最終第4コーナーが仕掛けどころだと踏んでいる。
そして12番、スターリーロマンスがゲートに入り、ゲートイン完了。
ゲートが開き、今、勝負の火花が落とされたのだが、それからおよそ2分と経たずに観客席は熱狂の渦に包まれる。
『外からアグネスタキオン! アグネスタキオンが先頭だ!
2番手にクロフネですが、ジャングルポケット追い込んで! さぁ、クロフネを交わす勢い! ジャングルポケットが2番手に上がるか!? クロフネと接戦!
しかし強い強い! アグネスタキオン先頭! ジャングルポケット2番手!
アグネスタキオン快勝、ゴールイン!! アグネスタキオン、楽勝でした』
スローペースを理解したタキオンは、3コーナーで早くもまくりはじめ、4コーナーでは先頭に並ぶ早仕掛け。出走したウマ娘達の中では最速となる上がり3ハロン34秒1を記録するという勝ち方で、2番手のジャングルポケットと2馬身以上の差をつけ、2分0秒8というレコードタイムを叩きつけた。
これで2戦2勝。抜け出した彼女の影を、未だ踏むものは現れない。
ラジオたんぱ杯3歳Sは今のホープフルSの事です。トゥインクルシリーズではホープフルSですが、ここは史実にのっとってラジオたんぱ杯3歳Sにしています。
さて、それにしてもクロフネとかバチバチに出しちゃったけど大丈夫だろうか……