「──ラジオたんぱ杯3歳S、弥生賞、共に余裕の走り。弥生賞では良馬場ではないうえに少頭数では実験の参考にはならないとコメント。3戦3勝、早くも迎えるアグネスの春。底知れぬ走りはまさしく音速の貴公子。……ねぇ」
トレーナールーム。ミーティングの為に足を運んでいたタキオンは俺の目の前で競馬雑誌を読みながらそう呟いた。
タキオンがポイッと机に投げ捨てたその雑誌には【皐月賞目前! 注目のウマ娘特集】と書かれており、数人のウマ娘の中でも、大々的にタキオンの事が取り上げられていた。
「まったく。記者というものはコロコロと意見が変わるものだねぇ」
「まぁ、大抵はそんなものだ。あまり気にしない方が良い」
デビュー前は、才能はあるのにレースに出走しないとの事で問題児扱いされていたが、活躍しだした瞬間清々しいほど綺麗な手のひら返し。
しかし、タキオンはそういうのを気にしないタイプだと思っていたから意外だな。
タキオンはあまり良い顔をしていないが、正直記者達の気持ちも分かる。トレーナーとしての主観的感情を抜きにしても、ここ直近の2戦は同世代の中でも群を抜いた走りだった。
それを証拠づけるのが弥生賞。皐月賞への切符を手にできるトライアルレースでありながら、出走したのは僅か8人。タキオンが出ると知ったウマ娘やトレーナーが次々に辞退したのだ。
これには、あのマルゼンスキーを彷彿させた人も少なくないだろう。
そしてそこに拍車をかけたのがレース後のタキオンのコメント。
──今回のレースは馬場状態が悪かったからねぇ。本来欲しかったベストでの実験結果は得られなかったよ。
この言葉に多くの人が衝撃を受けた。あれだけ余裕の走りをみせておきながら、これが彼女本来の走りでは無いのだと。
「何より私が1番気に入らないのはここだよ」
タキオンはそう言うと、とある文字を指さす。
「……音速の貴公子。なんだ、かっこいいじゃないか」
確かに厨二臭くはあるが、競馬における異名の多くはこんな感じだ。
この世界では彼ではなく彼女であるタキオンに貴公子なんだな。とは思ったが、この学園の会長であるシンボリルドルフも皇帝だし、その辺は前世の異名をそのまま引き継いでいるのだろう。
「違う違う。まったく! 分かってないなぁ、君は。私はこの音速ってところが気に入らないんだよ!」
「えっ、そこ?」
「ないだい、その反応。侵害だなぁ。いいかい? 音速と言うのはMachの事だよ? 確かに速くはあるが、光速よりは遅いんだ。タキオン、それは超高速の粒子の事だ。音速では私の求める遥か彼方の可能性とは程遠いのだよ」
「なんだ、そういう事か」
「むっ、これを聞いてもその反応とは。薄情な奴だな君は」
不機嫌そうな顔でこちらを見てくるが、俺からしたらそれこそ問題ではない。
「それなら、走りで証明すれば良いだろ。さっきも言ったけど、記者なんてのは、その場で見たものしか知らない」
密着記者なんかはそうじゃないのかもしれない。ただ、そんな記者は圧倒的少数だ。
記者と言うのはあくまで、読者の需要、誰かに読んでもらう為のインパクトのある記事を書くものだ。だから時には話を少々盛ったり、手のひら返しだってする。
それに、たとえ密着記者だろうが、それよりも親身に向き合っている人がいる。
「タキオンの可能性は俺が1番分かってる。それ以外の言葉、いるか?」
「君が1番理解している、ねぇ。ふふっ。確かにその通りだ。それにしても、あぁ、その狂気じみた瞳。相変わらずゾクゾクするよ」
タキオンはそう言うと、ずいっと顔を近づけてくる。
「近い近い」
俺はお前のそのマッドな笑みにゾクゾクするよ。多分タキオンとは少し違う意味で。
確かに俺はトレーナーとしては何処か狂気じみているのかもしれない。というか、狂気じみていなきゃ、同じくらい狂気じみているタキオンのトレーナーは勤まらないだろう。
しかしそれでいい。レースで1番勝ちたいと思っているのは彼女達だ。
だけど、1番勝たせてやりたいと思っているのは誰でもない、俺達トレーナーなんだから。
そして、来たる4月。皐月賞。
控え室で待機していると、ガチャりと扉が開かれる。
「やあやあ。どうかな? トレーナーくん」
そこには、勝負服を身にまとったタキオンの姿があった。
勝負服。それはGⅠを走るウマ娘達に与えらる衣装。
「それで? あれ、見せてくれよ」
そんな俺の言葉にタキオンがピシッと固まる。
「あれって。い、今ここでやるのかい?」
あれ。それは少し前の話。弥生賞を勝利し、皐月賞の出走が決まった事で勝負服のデザインを決める事になった時の出来事。
「タキオンって、いつもレース後に腕回してるけどさ。あれってなんなんだ?」
「ん? あぁ、普段は袖丈の長い白衣を着ているからね。白衣の袖を回すのが癖になってしまってるんだよ」
「ふむ。じゃあ、それもデザインに組み込んでおくか」
と、いうのがタキオンの衣装が白衣のようなデザインの理由である。そして、あれ。つまりタキオンにその萌え袖状態で腕をグルグルと回して欲しいのだが……
「断る! 言われてやるのは恥ずかしというか、なんというか……」
「そこをなんとか」
「いーやーだ〜」
くそ。相変わらずこういう所で羞恥心だしやがる。
そんな会話を繰り返していると、レース出走の為にタキオンが呼ばれる。
「おっと。時間のようだ。私は行かせてもらうよ」
タキオンはそう言うと、どこか勝ち誇った様な顔で入場口へと歩き出す。
そんな彼女に、あの言葉をまだ言ってないないことを思い出す。
「タキオン」
「むっ。だから何度言われたって、絶対に──」
「全力でやってこい」
「……はぁ。これはあくまで独り言だが、レースに勝てば普段の癖が出てしまうかもしれないなぁ。あぁ、やれやれ困った困った」
タキオンは立ち止まる事も、振り返ることもない。
──なら、見れそうだ。タキオンが勝てることは俺が保証する。
──ああ。だから私から目を離すんじゃないよ? トレーナーくん。
今の俺達に、言葉は必要そうにない。
『クラシック三冠。その大きな夢に向けて、戦いの前に確信を持てる力とは。光を超える素粒子と名付けられた彼女にとって、ここまでの3戦はプレリュード。いよいよここからタクトが振られるクラシック第1楽章、皐月賞です。今回のレース、どう見られますか?』
『そうですね。皐月賞は中山の小回りコース。紛れが多いレースだと思いますけどね。ただ、やはり能力的には7番のアグネスタキオンが抜けていますね。そんな中で、ジャングルポケット、ダンツフレーム辺りがどう対抗するかが見ものですね』
皐月賞。それは最も速いウマ娘が勝つレース。
そんな中山競技場にスターターが足を踏み入れ、場内のボルテージは加速していく。
誰もをアツくさせる金管楽器の音を耳に、俺はふと気になる事が。
『アグネスタキオンが少しゲート前で立ち止まっていますね』
『ええ。彼女は賢いウマ娘ですから。こういったケースは珍しいですね』
どうやらそれは実況解説も同じらしい。
そんな時、タキオンと一瞬目が合った気がした、
ハハッ。何を気にする事があるんだタキオン。大丈夫だ。お前の脚と、俺を信じろ。俺はもう、二度とあんな思いはしないし、お前にもさせない。
そんな俺の思いが通じたのか、タキオンは僅かに微笑み、ゲートに入っていく。
『最後に18番のシャワーパーティーがゲートに収まりまして、さぁ、ゲートが開きました!』
全てのウマ娘が走り出す。伝説の始まりを一瞬たりとも見逃すな。
さて、どうしたものかねぇ。
3コーナーに差し掛かった。
本来なら、ここで仕掛け始めたい所なんだが……
少し、嫌な予感がする。
スタート直前に感じた違和感。これがGⅠの魔物。プレッシャーだと思っていたがスタートしてからもその違和感が拭えない。
18頭立て、更には前2人が逃げる様にペースを作っている。以前と違ってスローペースとは言い難い。
私の脚の性質は私が1番理解している。だからこそここで抜け出したいが、最悪な未来が頭にチラつく。
ポケットくんはスタートで少し出遅れたのが僅かに影響している。序盤から中段前方につけているし、レース運びは順調だ。ここはこのまま……
──全力でやってこい
そんな時だ。彼の言葉が脳裏をよぎった。
『さぁ、アグネスタキオンがゆっくりと動き出した! 3、4コーナーの中間に向かって馬群がひとかたまりになっていきます!』
私はね、私自身がレースで走る事なんて、大した興味はなかった。
『ジャングルポケットもジワッジワッと差を詰めて、大外に持ち出している! さぁ、ここからジャングルとアグネスの一騎打ちになるのか!? 直線コースに向かって参りました!!』
ただ君が現れて、この1年で私も大きく変わったようだ。
『アグネスは依然先頭だ! ジャングルポケット食い下がる! 最後の坂に差し掛かり、アグネス先頭! アグネス先頭!』
まさかここまで、自身が勝利に貪欲になっていたなんてね。
『ジャングル、その内ダンツフレームも来ている! ジャングルポケット、ダンツフレームが追いかける!!』
実況の声が、観客の声援が、うるさいくらいに良く聞こえる。ゴール前には誰もいない。視界がクリアだ。脚はよく回る。
あぁ。私は今、最高に高揚しているよ! トレーナーくん!
『しかし! アグネス! アグネス!! 大丈夫ー!!
中山2000m! まずは道を繋ぎました! アグネスタキオンまず一冠!!』
クラシック三冠。私の夢の前に、まずは君の夢を叶えようと思うよ。
まず一冠。か……
これ程シンプルかつ強さを表す言葉はない。
まず一冠。それは三冠を取れるという確信があると言う事なのだから。
「やあやあ、トレーナーくん。何をそんな感傷に浸っているんだい? まだ皐月賞を勝っただけだよ?」
「タキオン……お疲れ様。いい走りだったぞ」
「当たり前さ。と、言いたいところだが、今回ばかりは君に感謝しなくてはいけないな」
俺に感謝? 確かに俺はトレーナーだが、実際にトレーニングをし、レースで走り、結果を残したをタキオンだ。
「君の少し不可解なトレーニングメニュー。あれの謎が解けたよ」
あっ、そういう。
「それで? タキオンの推理を聞かせてもらっても?」
「ああ。簡単に言うと、私の故障を防ぎたかったのだろう?」
「……その通りだ」
タキオンの強さの理由。それは彼女の脚にある。
タキオンの脚は、先行の脚質。その先行の脚質でありながらその末脚はまるで差しの様に延びる。
考えれば簡単な話だ。先行と差し。同じ末脚を持っているのであれば、より前でスタートを切れる方が有利に決まっている。
しかし、先行や逃げというのは、差しや追い込み以上にスタミナを使う。スローペースならまだしも、ハイペースなレースとなれば、その驚異的な末脚に、自身の脚が耐えきれるはずもなかった。まさに諸刃の剣。
それを気付けずに、俺は一頭の夢を、多くの人々の夢を潰してしまった。
故に俺は今世でタキオンに、体幹や足腰の強化を長きにわたってやらせたのだ。自身の末脚に耐えきれるだけの脚を作る為に。
「それで? どうだった?」
「は? え? どうだったって、何が?」
「だーかーら〜! 私のゴール後の腕振りだよ! 君が見たいって言ってきたんだろ?」
えぇ、今それ聞く? こっちはちょっと昔の事思いだしてしんみりしてたんですけど。
ただまぁ……
「クッ、クハハ」
「なっ! 何を笑っているんだ!」
こーらー! と怒るタキオン。まったく。お前には敵わないな。
過去が消える事はない。ならばせめて、俺は今の夢に向き合うしないんだ。それが今、俺が出来ることなのだから。
「いや、なに。最高に可愛かったぞ」
「ふふっ。そうかいそうかい。全くもって月並みな言葉だが、悪い気はしないねぇ」
俺がそういうと、タキオンは嬉しそうにウンウンと頷く。
そしてタキオンが歩き出そうとした時、ガクリと体制が崩れる。
「!」
俺は急いでタキオンの元へ向かい、タキオンを支える。
「すまないね。どうやら気付かぬうちに、疲労はたまっていたようだ」
緊張の糸が切れたんだろう。アドレナリンだけじゃ保てない。
「トレーナーくん! おーんーぶー! 疲労した私を運びたまえよー」
「はいはい。分かりましたよお嬢様」
俺はタキオンを背に乗せ、夕日の中を歩き出す。
「祝勝会はまた今度だな」
「ふむ。私としてはご褒美に飲んで欲しい薬があるんだがねぇ」
「えぇー。タキオンの薬ってあの怪しいやつだろ?」
「なに、死にはしないさ。ただ、少し発光はするがね」
「発光!? 何それ怖いんだけど」
しかしまぁ、これだけ元気があれば怪我はしてないみたいだな。
皐月賞は制した。ここからは未知のストーリー。
運命に抗うための、ストーリーだ。
うーむ。久しぶりに伸び悩んでますなぁ